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4 それでも猫は人を愛す
走る車の車内で、母は始終無言だった。時折、道路脇に生えた防犯灯の明かりが車内に差し込み、車内をオレンジ色に染めた。橋を車が渡ると、川の水が黒く反射して見えた。塚本は、無言のまま、ぼーっと外の景色を眺めていた。街の薄明かりが今日は少し鬱陶しく思えた。これからどうやって生きるか。塚本は車の窓からぼんやりと景色を眺めながら、そんなことを考えていた。少なくとも、もう警察の厄介になることはしたくない、そういう気持ちがあった。暴走族を脱会した今、塚本には何もなかった。彼女も、友達もすべて失った。というか、裏切られた。ただ、不思議なことに、裏切られた連中への恨みのような感情は湧いてこなかった。それよりも、この先の自分の人生への不安が大きかった。
塚本は、暴走族に入った頃から、人に悪態を吐くようになった。デカい態度を取っておけば、人に舐められない、そういった気持ちがあったからだ。ただ、今冷静になって考えてみれば、周りから冷ややかな目で見られるだけで、そういった態度を取ることに何の意味も無かっただろう。
そんな事を考えているうちに、車は実家の駐車場に滑り込んだ。
何年ぶりの実家だろう。懐かしい気持ちと、犯罪を犯した自分がその敷居をまたぐことに対する少しの罪悪感に襲われた。しかし、その気持ちは、一瞬だけであった。玄関の扉を開けると、一匹の猫の出迎えがあった。
名前はマル。マルは、元野良猫で地域の公園でボス猫をしていた。ある時、母が、他の猫と喧嘩をして怪我をしたマルを連れて帰ってきた。名前の通りふくよかな体格をしている。けれど、愛嬌のあるやつで、元ボス猫とは思えないくらい甘え上手だ。猫社会では、強さだけでなく、人間とのコミュニケーションの上手さも、ボス猫になれるかどうかの資質だという。母が昔、話していたのは、マルは公園の野良猫界隈では喧嘩無敗であったらしいが、公園に散歩しに来る人や、通行人に甘えるような子だったらしい。
「マル、久しぶり」
塚本が玄関先でマルを撫でると、マルは嬉しそうに尻尾を上げた。
母は、そんな塚本の様子を口を真一文字に結び見ていたのだった。
「あんた、暴走族の総長だったんだって?」
母が、釈然としないような口調で訊ねる。
「母さん、なんでそれを知ってるんだ」
「警察の人に一通り話は聞いたわよ。マルもあんたと同じで、ゴロツキの元総長。けど今はこんなに良い子。あんたもマルと同じできっと更生できるわ」
母は優しい口ぶりで塚本に語りかけた。自分が今までしてきたこと、母の優しさで、少し泣きそうになっている自分がいた。しかし、涙は堪えた。今ここで泣くのは、男としてプライドが許さない、そう思った。しかし、今考えてみれば、それは曲がったプライドだっただろうか――。
数年ぶりの実家の自分の部屋に入った。学生時代と何も変わらない自分の部屋。好きなバイクの壁紙。ブルーのカーテン。好きな香水の微かな残り香。茶色の木製のベッド――。
塚本は、静かにベッドに横たわり、天井を眺めてみた。白い天井が目の前に広がり、視界が白くなる。
そのうち、マルが塚本のベッドの上に上ってきた。「ニャー」と一鳴きすると、塚本の足のそばで丸くなる。塚本は優しくマルを撫でると、マルは嬉しそうにゴロゴロと喉を鳴らした。
猫は、飼い主を選べない。マルだって、母が偶然怪我している所を見つけて保護して連れて帰ってきた。しかし、一度飼い主だと認めれば、平等に人を愛する。それが、元犯罪者だろうと、生活保護受給者だろうと、アメリカの大統領だろうと関係ない。ただただ、一途にその人をを愛するのだ。
マルは、塚本が今まで何をしてきたのか知る由もない。しかし、今こうして喉を鳴らし、塚本に甘えている。もうそろそろ泣いてもいいかな。塚本は、甘えるマルのそばで、ひとしきり号泣した。マルはのそのそとこちらにやってきて、塚本の頬を舐めた。それが嬉しくて堪らなかった。
今まで迷惑をかけた人すべての顔が思い浮かぶ。そして裏切られる事に対する恐怖心も同時に襲ってきた。マルは塚本に寄り添い続けた。その日から、塚本は、高卒認定試験の勉強を始めた。教科書を読んでも、最初は全く理解できなかったが、ひたすらにペンを動かし続けた。マルは、そんな塚本の机に上ってきて丸くなった。机に置いてある置物のように。その姿は愛おしく、またとても美しかった。塚本には一つ夢が出来た。獣医師になる事。それは、年老いてゆくマルの主治医になりたいが為だった。8月に高卒認定試験を受けた塚本は、猛勉強の末、一発合格をする事が出来た。そのままの勢いで、理系の参考書に手を伸ばす。これも、一ページ目を開いたとき全く理解が出来なかった。高卒認定試験の試験内容と全く異なっている。しかし、それでも、わからないところはネットで検索したりして、何とか理解するように努めた。
結局二浪の末、国立大学の獣医学部に合格した。今思えば、人生で一番勉強した。
そして、6年間の大学生活の後、獣医師の国家資格に合格した。その年の7月の事だ。マルは静かに眠るように息を引き取った。
塚本は、暴走族に入った頃から、人に悪態を吐くようになった。デカい態度を取っておけば、人に舐められない、そういった気持ちがあったからだ。ただ、今冷静になって考えてみれば、周りから冷ややかな目で見られるだけで、そういった態度を取ることに何の意味も無かっただろう。
そんな事を考えているうちに、車は実家の駐車場に滑り込んだ。
何年ぶりの実家だろう。懐かしい気持ちと、犯罪を犯した自分がその敷居をまたぐことに対する少しの罪悪感に襲われた。しかし、その気持ちは、一瞬だけであった。玄関の扉を開けると、一匹の猫の出迎えがあった。
名前はマル。マルは、元野良猫で地域の公園でボス猫をしていた。ある時、母が、他の猫と喧嘩をして怪我をしたマルを連れて帰ってきた。名前の通りふくよかな体格をしている。けれど、愛嬌のあるやつで、元ボス猫とは思えないくらい甘え上手だ。猫社会では、強さだけでなく、人間とのコミュニケーションの上手さも、ボス猫になれるかどうかの資質だという。母が昔、話していたのは、マルは公園の野良猫界隈では喧嘩無敗であったらしいが、公園に散歩しに来る人や、通行人に甘えるような子だったらしい。
「マル、久しぶり」
塚本が玄関先でマルを撫でると、マルは嬉しそうに尻尾を上げた。
母は、そんな塚本の様子を口を真一文字に結び見ていたのだった。
「あんた、暴走族の総長だったんだって?」
母が、釈然としないような口調で訊ねる。
「母さん、なんでそれを知ってるんだ」
「警察の人に一通り話は聞いたわよ。マルもあんたと同じで、ゴロツキの元総長。けど今はこんなに良い子。あんたもマルと同じできっと更生できるわ」
母は優しい口ぶりで塚本に語りかけた。自分が今までしてきたこと、母の優しさで、少し泣きそうになっている自分がいた。しかし、涙は堪えた。今ここで泣くのは、男としてプライドが許さない、そう思った。しかし、今考えてみれば、それは曲がったプライドだっただろうか――。
数年ぶりの実家の自分の部屋に入った。学生時代と何も変わらない自分の部屋。好きなバイクの壁紙。ブルーのカーテン。好きな香水の微かな残り香。茶色の木製のベッド――。
塚本は、静かにベッドに横たわり、天井を眺めてみた。白い天井が目の前に広がり、視界が白くなる。
そのうち、マルが塚本のベッドの上に上ってきた。「ニャー」と一鳴きすると、塚本の足のそばで丸くなる。塚本は優しくマルを撫でると、マルは嬉しそうにゴロゴロと喉を鳴らした。
猫は、飼い主を選べない。マルだって、母が偶然怪我している所を見つけて保護して連れて帰ってきた。しかし、一度飼い主だと認めれば、平等に人を愛する。それが、元犯罪者だろうと、生活保護受給者だろうと、アメリカの大統領だろうと関係ない。ただただ、一途にその人をを愛するのだ。
マルは、塚本が今まで何をしてきたのか知る由もない。しかし、今こうして喉を鳴らし、塚本に甘えている。もうそろそろ泣いてもいいかな。塚本は、甘えるマルのそばで、ひとしきり号泣した。マルはのそのそとこちらにやってきて、塚本の頬を舐めた。それが嬉しくて堪らなかった。
今まで迷惑をかけた人すべての顔が思い浮かぶ。そして裏切られる事に対する恐怖心も同時に襲ってきた。マルは塚本に寄り添い続けた。その日から、塚本は、高卒認定試験の勉強を始めた。教科書を読んでも、最初は全く理解できなかったが、ひたすらにペンを動かし続けた。マルは、そんな塚本の机に上ってきて丸くなった。机に置いてある置物のように。その姿は愛おしく、またとても美しかった。塚本には一つ夢が出来た。獣医師になる事。それは、年老いてゆくマルの主治医になりたいが為だった。8月に高卒認定試験を受けた塚本は、猛勉強の末、一発合格をする事が出来た。そのままの勢いで、理系の参考書に手を伸ばす。これも、一ページ目を開いたとき全く理解が出来なかった。高卒認定試験の試験内容と全く異なっている。しかし、それでも、わからないところはネットで検索したりして、何とか理解するように努めた。
結局二浪の末、国立大学の獣医学部に合格した。今思えば、人生で一番勉強した。
そして、6年間の大学生活の後、獣医師の国家資格に合格した。その年の7月の事だ。マルは静かに眠るように息を引き取った。
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