無冠の皇帝

有喜多亜里

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【03】マクスウェルの悪魔たち(下)

16 上官は面倒な人でした

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 今回、先に口を開いたのは司令官だった。

『で、どうする?』

 前置きがないのはもはや当たり前だが、その美しい顔には悪戯っぽい笑みが浮かんでいる。不機嫌そうな表情をしているときよりかえって怖い。

「どうするとは?」

 一方、つい先ほどまで気乗りしない様子だったドレイクは、まるでそのことを感じさせない笑顔を艦長席のモニタに向けていた。
 ドレイクのこんな態度を見るたびに、本当にこの司令官に〝告白言い逃げ〟したのだろうかとイルホンは疑いたくなるのだが、一見何もかも正反対なようなこの二人が、実は根本的なところはよく似ているというのはまぎれもない事実である。

『〝実現可能であれば〟とおまえは言っていただろう』

 ドレイクがしらばっくれても、モニタの中の司令官は笑みを消さなかった。想定内の反応だったらしい。

『おまえの目から見て、今日の両翼は〝実現〟できていたか?』
「俺にそれを訊ねる前に、殿下はどう思われたんですか?」

 だが、ドレイクの笑顔も崩れない。イルホンは何となく〝狐と狸の化かし合い〟という慣用句を思い出した。

『先におまえの意見を訊きたいのだが』
「いやいや。そこは先に殿下でしょ。俺は三隻までしか指揮できない〝ダメ大佐〟ですよ?」
『その〝ダメ大佐〟に、今日は特に助けられていたようだったがな』

 司令官は青い瞳を細め、赤い唇の端を吊り上げた。

『次から左翼は無人艦だけにしてやろうかと思った』

 ――あ……やっぱりわかってたんだ……
 艦長席にあるカメラの死角でイルホンはぬるく笑った。さすが、初代レクス公は別枠として、歴代最強(〝最凶〟かもしれない)と陰で囁かれるだけのことはある。

「なるほど。そいつはいいですね」

 しかし、ドレイクはまったく動じず、呑気な調子でそう返した。

「それならこっちも安心だ。……と言いたいところですが、そういうわけにもいかんでしょ。有人艦二〇〇隻、左翼に置かないでどこに置くんですか? 〈フラガラック〉の前?」
『邪魔だ。それなら〈ワイバーン〉の前に置いてやる』
「……嫌がらせ?」
『冗談だ。では、おまえは左翼はあのままでかまわないと言うのか?』
「かまわなくはないですよ。ただ、今日のあれ一回で配置換えはちと厳しいでしょ。一応、仕事はしてましたしね。せめて〝在庫処分〟が終わるまで、猶予を与えてあげたらどうですか?」
『〝在庫処分〟。……あと二回か』
「そうですね。でも、できたらあともう一回、増やしていただきたいんですが」

 ドレイクの表情は相変わらず穏やかなままだったが、司令官は怪訝そうに眉をひそめた。

『増やす?』
「〝突撃〟するだけなら、別に突撃艦じゃなくても、砲撃艦でも護衛艦でもかまわないでしょ?」

 他愛もない世間話のように、飄々とドレイクは言葉を連ねる。

「そもそも、俺は前々から突撃艦の存在意義に疑問を持っていましてね。これはまあ、『連合あっち』にいたときの話ですけど。実弾砲中心でレーザー砲の性能も精度も悪かった一昔前ならともかく、今じゃ完全に〝盾〟か〝ミサイル〟です。……あれにも人は乗ってるのにね」
『…………』
「いや、これはあくまで『連合あっち』の突撃艦の話ですよ?」

 怒るのではなく逆に沈みこんでしまった司令官を見て、ドレイクはあわてて言い足した。

「『帝国こっち』の突撃艦なら、そういう使い方もありでしょ。何しろ〝無人〟ですから」

 おそらく、ドレイク以外の人間にこのような発言をされていたら、司令官は即刻相手を処罰していただろう。しかし、彼はあからさまなくらいほっとした顔をした。時々この二人はどちらが上官なのかわからなくなる。

『わかった。あと三回だな。で、その三回目でも今回と同じ、あるいはそれ以下だったらどうする?』
「そこは殿下のご判断で」

 ドレイクは待っていましたとばかりににんまりした。

「それこそ、左翼を全部無人艦にされてもいいでしょう。ただ、有人艦二〇〇隻総入れ替えしなくても、たった一人の人間を入れ替えるだけで、見違えるほどよくなることも時にはあります。あくまで時には、ですけど」
『それで婉曲に言っているつもりなのか?』

 名前こそ出していないものの、アルスターの〝入替〟を示唆しているドレイクに、司令官は呆れたように苦笑いする。

『まあいい。覚えておこう。ところで、〈新型〉をもう一隻造らせるが、何か要望はあるか?』
「特には。今の〈新型〉と同じで結構です。……あ、それは無理に急がせなくてもいいですからね。それより、普通の無人艦の増産、優先してください」
『おまえに言われるまでもない』

 司令官はむっとしたような表情を見せたが、本気で機嫌を損ねたわけではないことはイルホンにもわかる。わかりたくはなかったが、わかるようになってしまった。

『完成したらまた連絡する。ソフィアで〈旧型〉と乗り替えていけ』
「ああ、なるほど」

 感心したようにドレイクが言った。と、司令官はさっさと通信を切ってしまった。
 これももういつものことだが、誰に対してもこうなのか、ドレイクだからあえてこうなのか。
 何となく後者のような気はするが、たとえ前者だとしても、あの司令官に文句が言える人間は、少なくともこの「帝国」内には存在しないだろう。皇太子ではなくなったが、現皇帝の後見人をしているのだから。

「はぁー、あの人と話すの、ほんとに緊張するなー」

 ドレイクはわざとらしく溜め息をつくと、厚い胸をそらせて両肩を何度か回した。

「ええ!? 緊張してるんですか!?」

 どう見てもそうは思えない。イルホンは言外にそう訴えたが、ドレイクは真顔でうなずいた。

「うん。だって、あの人怒らせたら、俺、減給されるかもしれないじゃん」
「え! そんな理由で!?」
「俺にとっては一大事だよ。絶対減給されないんなら、いくらでも殿下に怒られたいよ? 『この変態がっ!』ってエンドレスで罵ってもらいたいよ?」
「ああ……殿下はもう、大佐がいちばん恐れているのは減給だと知っていますからね……」
「かと言って、媚びられるのも大嫌いだし。そのへんのさじ加減が実にめんど……いや、難しいのよ」
「ええと……もう何度も訊いてますけど、殿下のことは好きなんですよね?」
「もちろん大好きだよー。でも、俺は殿下の部下で〝大佐〟だから、職分超えたことは言いたくないんだよねー」

 困ったように苦笑して、つい先ほどまで司令官が映っていたモニタを見やる。

「仮にも同僚の配置換えなんて、俺の口から言えるわけないじゃない。だけどあの人はそれを言わせようとするんだよ。いやー、ほんとに気ィ遣うわー」

 * * *

 アーウィンがドレイクとの映像通信を一方的に打ち切った直後、ヴォルフは思わず口走った。

「おい。右翼はいいのか?」

 アーウィンは少々面倒くさそうにヴォルフを振り返った。今のアーウィンの機嫌は通常よりやや上である。ドレイクから最終的にどうしたいかという意向らしきものは聞き出せたが、それ以外のことは軽くかわされてしまったので〝やや上〟なのだ。

「では逆に訊ねるが、今日の右翼に何か問題があったか?」

 質問に質問で返されてしまった。それでもヴォルフの言葉に応えただけ、やはり〝やや上〟なのだろう。下回っていたらたぶん睨まれて無視されている。

「いや、俺には特に問題はなかったように思えたが……」
「私も今回に限ってはないと思った。あの変態もそう判断したのだろう。何かあれば、私が左翼のことを口に出した時点で、右翼のことにも言及していたはずだ」
「うまく逃げられて残念だったな」

 にやにやしながらヴォルフが嫌味を言うと、さすがにアーウィンも渋い顔になった。

「〝言い逃げ〟はあれの得意技だ」
「ああ。そういやそうだった」
「本当に、自分の言いたいことだけいつもしっかり言っていく。あれの言う〝猶予〟とは、アルスターに対してのものではなく、アルスターが排除された後のことを考えるための〝猶予〟だ。〝在庫処分〟を一回増やしてくれと言ってきたのも、その〝猶予〟を延長したかっただけのことだろう。あれもまだ〝対応策〟を考えている途中らしい」
「そう言うおまえはどうなんだ? 〝粒子砲ありき〟の今の編制、ドレイクに見直せって言われてただろ?」

 これももちろん嫌味だったが、今度はアーウィンは薄く笑って答えた。

「変態の〝対応策〟待ちだ」
「おいおい。また冗談か?」
「いや、半分以上本気だ。……あれは今回、〝在庫処分〟の対応策を挙げてきた。確かに〝在庫処分〟の対象を旧型の突撃艦だけに限定する必要はまったくない。遠隔操作と自爆。それさえできれば、あれの言うとおり、砲撃艦でも護衛艦でもかまわないわけだ。突撃艦以外の無人艦を流用すれば、その分、突撃艦の造船数を減らすことができる。〝在庫処分〟と同時にコストカットもできて一石二鳥。さらに言うなら、無人艦だけでなく有人艦であってもかまわない。人さえ乗っていなければな」

 よどみなく語るアーウィンを、ヴォルフはあっけにとられて見つめていた。
 あのとき――ドレイクが「連合」の突撃艦のことを話題にしたとき、ヴォルフは内心、この男は「連合」の批判をしているふりをして、実は遠回しにアーウィンのことを責めているのだろうかと困惑した。無人突撃艦を〝ミサイル〟がわりにして、「連合」の有人突撃艦を全滅させているアーウィンを。
 しかし、アーウィンはあれを〝対応策〟と受け止めた。ドレイクの真の意図が何であれ(きっと改めて訊ねてみても、あの男はまたのらりくらりとかわして、まともに答えようとはしないだろう)、旧型の無人突撃艦しか〝ミサイル〟として使えないわけではない――たとえば廃棄予定の有人艦でもかまわないとアーウィンに気づかせるきっかけを与えたのだ。

(何と言うか……部下というより教師みたいだな)

 それも、公式や例題を暗記させるのではなく、随時ヒントを与えて自分で考えさせるタイプの教師。〝そこは殿下のご判断で〟などと逃げつつも、その判断材料となることはちゃっかり言っている。実に抜け目ない。

「マスター。帰還準備、整いました」

 アーウィンのいる艦長席の左横から、キャルが淡々と声をかけてくる。彼もまたアルスターのせいでいつも以上に負担を強いられたはずだが、その美少女めいた小さな顔にはもちろん何の表情も浮かんではいない。

「わかった。帰還しろ」
「承知しました」

 いったんそう答えてから、キャルは思い出したようにこう付け加えた。

「マスター。今回はいつもどおり全艦自爆させてしまいましたが、今後は修理すれば動かせそうな無人艦は牽引して回収したほうがよろしいですか?」

 数秒、アーウィンとヴォルフは沈黙した。そして、同時に叫んだ。

「それだ!」

 「帝国」皇帝軍護衛艦隊旗艦〈フラガラック〉の専属オペレータは、どこまでも冷静に自分の主人とその側近に問い返した。

「どれでしょうか?」

 * * *

「いやー、今日ほど俺らは右翼でよかったって思ったことはねえなあー」

 ダーナ大佐隊所属元マクスウェル大佐隊七班長ヴァラクは、七班第一号の艦長用シートにだらしなくもたれかかったまま、アイスティーの入ったコップ(Lサイズ)を両手で持ち、赤いL字型ストローをくわえて啜った。
 本人は普通に飲んでいるだけなのだろうが、ただでさえ訓練生に見えるほど童顔(しかも可愛い系)なヴァラクがそうしていると、妙に幼く見える。口調はべらんめえで中身はアレだが、その姿を見ているだけで、ヴァラクの左横に立っている七班長補佐クロケルや第一号ブリッジクルーの心はなごむ。そのためならブリッジ内での飲食は厳禁になっていることなど、平気で無視できるのだった。

「うちの〝馬鹿大佐〟は、指揮官としてならかろうじて馬鹿じゃねえからな。あれはひでえわ。元ウェーバー大佐隊が気の毒すぎる」

 ヴァラクは細めの黒い眉をひそめたが、本心から〝気の毒〟と思っているかどうかは〝演技派〟なのでさだかではない。唯一確かなのは、彼が指揮官としてはアルスターよりもダーナのほうが上だと考えているということだけだ。

「アルスター大佐、〝栄転〟になりますかね?」

 クロケルがそう訊ねると、ヴァラクは上目使いでにやりと笑った。

ならねえな。ドレイク大佐の邪魔すりゃあ、マクスウェルやウェーバーみてえに一発退場なんだが、それはあの大佐もよーくわかってる。それだけは絶対回避で、これからもあの〝追いこみ漁〟、続けるつもりでいるんじゃねえのか?」
「追いこみ漁……」
「それ以外の何物でもねえだろ。自分らは後ろから追い立てるだけ追い立てといて、肝心の網役は元ウェーバー大佐隊と無人艦にまるっと押しつけ。うちの無人艦が有人艦より優秀でほんと助かったな。でも、そんな有人艦ならわざわざ戦場に出す意味がねえ。無人艦の足引っ張られて、かえって大迷惑」
「班長の見立てでは、あと何回くらい、その〝追いこみ漁〟されそうですか?」
「さあてねえ。〝三度目の正直〟で、あと二回は見逃してもらえるかもしれねえが、〝二度あることは三度ある〟もあるからなあ。〝四度目の正直〟期待して、あと三回ってとこか? でも、それで〝栄転〟までされるかどうかはわかんねえな。アルスターの後釜に据えられそうなのが今のところいねえ」
「後釜ですか……」
「ま、そのへんはドレイク大佐がどうにかするだろうさ。元ウェーバー大佐隊を中央から左翼に押しやった責任とって」
「え? ドレイク大佐がですか? 殿下ではなく?」
「今の編制考えてみろよ。完全ドレイク大佐仕様じゃねえか。殿下はドレイク大佐に都合がいいように配置決めてんだよ。でもまあ、うちの〝馬鹿大佐〟にとっても都合はよかったんじゃねえのか? 今日のあのはしゃぎっぷり見てたらよ」
「はしゃぎっぷりって……まあ、確かにアルスター大佐隊よりよっぽど砲撃らしかったですけどね。とても元護衛とは思えないほど」
「ああいうのが好きなら、最初から砲撃になっときゃよかったのにな。くじ引きで決めたのかね?」
「いや、いくら何でも、それはないと思いますが」
「そうかあ? でも、殿下は砲撃のほうの人選はミスったな。今日のあれで確定した」

 いかにも楽しげに笑うヴァラクに、クロケルは思わず苦笑いを漏らす。

「ここでしかできない発言ですね」
「だから今ここでしてんだろ。基地戻ったらセイルにメールしよ。今日の戦闘終わるまではって、ずっと我慢してたんだ」
「班長が我慢。……それはすごい」
「俺だってたまには遠慮もするんだよ。セイル、俺らのこと、ちゃんと見ててくれてたかな!」
「……たぶん」

 たぶん、今日のセイルは操縦士をしていただろうから、そんな余裕はなかっただろう。クロケルはそう続けたかったが、ヴァラクの〝アゲ要員〟として、その先を言うことも〝見ていましたよ〟と心にもないことを言うこともできなかった。
 息するように嘘をつくこの上官は、嘘をつかれるのを何より嫌う。だから、嘘をつくのが苦手な人間を好むのだ。たとえばセイル、ダーナのような。
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