3 / 19
悪魔の方舟
3 疑惑と当惑
自称〝エドワード・リー〟は、意外な特技を持っていた。
医務室から食堂に案内された彼は、ウィルのように缶詰やレトルトをそのまま食したりはせず、それらを使って自分の分だけでなくウィルの分の軽食まで作ってくれたのだ。
「こんなまともな食事したの、いつ以来かなあ」
感激してスプーンをくわえていると、向かいの席に座っていたエドが怪訝そうに眉をひそめた。
「まとも? これが?」
「俺、料理苦手だから、いっつも缶詰とレトルトと乾パンで済ませてるんだ」
「だからそんなに痩せてるのか」
「え? 標準体重だと思うけど。体重測ってないけど」
「そのキツネネコの餌はどうしてるんだ?」
「ああ、レオはレオ専用の缶詰があるから。正直言ってうらやましい」
そのレオはまだ食事時間ではなかったので、いつものようにウィルの右隣の椅子の上で丸くなっていた。
「MACは料理はしてくれないのか」
「それはMACの仕事じゃないから。でも、レオの缶詰のレシピは作ってくれたよ」
「ふうん」
エドは腕組みすると、がらんとした食堂内を見渡した。
この軍艦の定員は三〇〇名だったが、ここは一〇〇名だった。だが、食事は交替制だったから、それで不都合はなかったのだろう。ウィルがここを利用したのはほんのわずかな間だったから、実際のところはよくわからないが。
エドがよそ見をしている隙に、気づかれないようにまた彼を盗み見る。
初めてこの男を目にしたとき、モデルみたいだとウィルは思った。少なくとも、ウィルがこれまで直接会った東洋系の人間の中で、この男ほど整った容姿をした者はいない。
しかし、ウィルはそれ以上に、エドの声のほうに惹かれていた。
――頼みがある。
第一声を聞いた瞬間、格好いい声だなと思った。
低すぎなくて、よく響く。一瞬、思わず聞き惚れてしまった。
(何か、もっとしゃべってくれないかな)
そう思ったとき、まるでそれが伝わったかのようにエドがウィルに視線を戻した。
「どうした? おかわりか?」
「いや、もう充分!」
動揺してウィルは両手を振った。
「エド、すごいよね。あれでこんなにうまいもの作れるなんて」
「レトルト組み合わせて、トースト焼いただけだぞ。おまえの食生活、ほんとに貧しかったんだな」
声を聞けたのはよかったが、しみじみと同情されてしまった。決まりが悪くなって頭を掻く。
「うーん。料理が苦手なのもあるけど、自分一人のために食事に時間をかけるのって馬鹿らしく思えて。とりあえず、腹一杯になればそれでいいかなって」
「食事以外の時間は何をしてるんだ?」
「主にエデンの手入れかな。軍艦のことはみんなMACがやってくれるから」
「エデン?」
「ああ、この軍艦にある小さな庭園。正式名称はあるんだろうけど、みんなそう呼んでた。そこで野菜や果物も育ててる」
エドは端整な顔をしかめて言った。
「この船、軍艦だよな?」
「そうだけど、ノン・オペレータ・システムの試験と一緒に、いろいろ実験してたみたいだよ。俺はしがない整備士だから、専門的なことはわかんないけど」
「整備士……何の?」
「戦闘機」
ウィルの答えを聞いて、エドは切れ長の黒い目を見張った。
「戦闘機? おまえが?」
「うん。下っぱだったけど、一応」
「戦闘機……似合わねえな」
「それもよく言われたな。俺はただ、自分たちの代わりに戦ってくれるもののサポートをしたかっただけなんだけど」
「ああ、なるほど。それならまあ、わからんでもない」
「エドは戦闘機、乗ったことある?」
「さすがにそれはないな」
「じゃあ、艦内案内するついでに見せてあげる」
ウィルは無邪気に笑うと、自分とエドの分のトレーを持って立ち上がった。
「あ、おい」
「料理は苦手だけど、洗うのはできるから」
そのまま厨房へ行こうとしたが、その気配を察したのか、レオが目を覚ましてウィルの背中に跳びつき、右肩までよじ登ってきた。
「厨房行くだけなのに……」
「おまえのそばから絶対に離れないんだな」
エドは頬杖をついて苦笑いしていた。猫好きというのは本当らしく、今はもういない一部の乗組員たちのように、無遠慮に撫でようとしたりはしない。そこもまたウィルには好ましかった。
「うん……あ、エデンでは俺から離れて遊んでるよ。呼べばすぐに戻ってくるけど」
「猫っていうより犬みたいだな」
「でも、名前は〝キツネネコ〟なんだよね」
自分のことを話題にされているとわかっているのか、レオはウィルの頬に頭をすりよせると、ざらりとした舌で彼の口元を舐めた。
* * *
自称〝戦闘機の整備士〟ウィルが、最初にエドを案内したのは、最下層にある整備工場だった。
本人は言っていなかったが、時々は機械装置の清掃や整備はしているらしく、さほど汚れてはいなかった。
自分の本来の職場には、いまだに愛着はあるようだ。戦闘機でも簡単に輪切りにできるレーザーカッターなど、こちらが頼みもしないのに嬉々として説明してくれた。
だが、それらを使って整備すべき戦闘機たちは、すべて翼を畳んだ状態で埃をかぶっていた。パイロットの不在を嫌でも感じさせる光景だった。
それから、展望ラウンジ、トレーニングルーム、リネン室等、おそらく普段自分がよく利用している施設をウィルは案内し、最後に例のエデンにエドを招き入れた。
「なるほど。これは確かに〝エデン〟と呼びたくなるな」
オレンジ色の人工光に満たされた小さな庭園に、エドは本気で感嘆した。
ここにいると、いま自分たちが宇宙船――それも軍艦の中にいることを忘れてしまいそうになる。
「艦内時間に合わせて空が変化するんだ。今は〝夕方〟。……そろそろレオに餌をやらないと」
ウィルは自分の腕時計を見て、肩の上のレオの頭を撫でた。
「餌をやる時間、決まってるのか?」
「うん。一日二回、朝と夜の六時。朝は俺の部屋で、夜はさっきの食堂で食べさせてる」
「本当に、猫じゃなくて犬みたいだな」
「俺は猫と犬、足して二で割ったみたいだと思ってるけど」
そう言いながら、ウィルはレオを自分の肩の上から地上へと下ろす。
「終わったらすぐに戻っておいで」
レオはウィルの言葉を聞き終えてから、庭園の奧に向かって走っていった。
「何だ?」
「トイレ。レオはここと俺の部屋でしかしないんだ」
「わりと手のかからない動物なんだな、キツネネコ」
「でも俺、朝弱いから、朝六時の餌やりはつらい」
本当に朝は苦手なようで、ウィルは深い吐息をつく。
「じゃあ、おまえはいつも何時に朝飯を食べてるんだ?」
「一応、七時。食堂に移動できるようになるまで、それくらい時間がかかる」
ウィルがそう答えたとき、庭園の奧からレオが走って戻ってきて、そのまま彼の体を駆け上り、定位置の肩の上でうずくまった。
「キツネネコがこれほど知能の高い動物だとは知らなかったな。それとも、こいつが特別賢いのかね」
「それはわかんないけど、今となっては、レオがいてくれて本当によかったと思うよ。植物も生きてるけど、レオみたいに俺についてきてくれないし」
「後をついて回る植物ってのもシュールだな」
一言呟いてから、ウィルより先にエデンの自動ドアに向かって歩き出す。
「ウィル。夕飯も俺が作ってやるよ」
「え?」
一瞬、ウィルは嬉しそうな表情を見せたが、はっと我に返ってためらった。
「いや、でも、それじゃエドに悪いし……」
「なら、朝食は俺が作る。昼食と夕食は一日交替。これでどうだ?」
「朝食?」
「朝弱いんだろ? 助けてもらった恩返しに、それくらいはするよ」
「でも、エドを直接助けたのはMACだし……」
「MACには朝食どころか、食事自体必要ないだろ」
「それはまあ、そうだけど」
「それに、どうやら俺はそのために拾われたらしいからな」
「え?」
不可解そうなウィルに、エドはにやりと笑った。
「MACに見捨てられてたら、俺は今、ここにはいなかったぜ?」
* * *
艦内時間十八時。
約束どおり、エドは食堂で〝まともな〟夕飯をウィルに食べさせてくれた。
自分の名前と職業――と言ってもいいのだろうか――くらいしか教えてくれない謎の男でも、ウィルには同情的でとても優しい。
当面、自室として使うつもりだという医務室でエドと別れた後、ウィルは自分の部屋に戻って、まず溜め息を吐き出した。その間に、レオはウィルの肩から飛び降りて自分の寝床に入り、そのまま丸くなって寝てしまった。
(レオも俺以外の人間に久しぶりに会って疲れたのかな)
だが、ウィルの場合、疲れているというよりも興奮しているといったほうが正しいかもしれない。
この軍艦にもう一人、生きている人間がいる。そう考えただけで、早く明日になってほしいと願ってしまう。
(今日はもうシャワー浴びて早く寝よう)
自分に言い聞かせて歩き出そうとしたそのとき、聞き慣れたあの声が頭上から降ってきた。
『結局、私に船員登録させてから、一度も話しかけてこなかったね』
「MAC……」
MACの声には、そこはかとなく、怒りのようなものが含まれていた。
MACを忘れていたわけではなかったが、エドと話すのに夢中になっていたことは否めない。自分の都合でMACを利用したように思えて、ウィルは反射的に後ろめたさを覚えた。
『君がとても楽しそうだったから、私もあえて邪魔はしなかったけど。そんなにあの男が気に入った?』
「気に入ったって……エドは遭難者じゃないか。俺の好き嫌いなんて関係ないだろ」
『そんなことはないよ。この船の正式な船員は、あくまで君一人なんだから。そんな君に嫌な思いをさせるなら、あの男は強制的にこの船から追い出すよ』
「追い出すって……」
『脱出ポッド。脱出艇。……この船にもないわけじゃないんだ。ただ、すぐに運よく救助してもらえるかどうかはわからないけれど』
「MAC……たとえエドがどんな人間だったとしても、俺はもう一人になるのは嫌なんだ……」
うつむいて、灰色のカーペットに目を落とす。
「この軍艦の正式な船員として頼む。火星に帰るまでは、エドも俺と同じ正式な船員として扱ってくれ」
MACは少し間を置いてから、根負けしたように言った。
『ウィル、わかったよ。君がそう望むのなら、私はそうするよ。私の主は君だもの』
「ありがとう、MAC」
ほっとして天井を見上げる。
たとえカメラはなくとも、スピーカーは天井に設置されているせいか、MACと会話するときにはいつも何となく天井に顔を向けてしまう。
「でも俺、もう何度も言ってるけど、おまえの主じゃ……」
『私ももう何度も答えているけれど、私は人間に従うように作られた。ここで生き残った人間は君一人なんだから、必然的に私の主は君ということになるだろう?』
「それはそうかもしれないけど……主って柄じゃないなあ……」
ぶつぶつ言いながらも、シャワーを浴びるために服を脱ぎはじめる。
この部屋にマイクはあってもカメラはない。ウィルはそう信じきっていた。
MACがあるとは言わなかったから。
* * *
――〝通行止め〟だらけだな。
医務室のデスクの端末の前で、エドは溜め息をついた。
今、この端末でアクセスできるのは、医療用コンピュータだけだ。MACとの専用回線すら切断されてしまっている。
(最初からこうだったわけじゃないだろうな。おそらく、ウィルがここのたった一人の船員になってから……)
確かに、必要ないといえば必要ない。MACは音声応答できるから、もし知りたいことがあれば、こうしていちいち端末を操作しなくても、ウィルのように直接訊ねてしまえばいい。ただし、MACが事実を教えてくれているという保証はどこにもないが。
(あの人工知能がウィルのために俺を回収したのだけは確実だ。目的は何だ? 本当にウィルにまともな飯を食わせるためだけか?)
助けてもらったはいいが、とんでもなく厄介な船――それも、よりにもよって地球連合の軍艦――に拾われてしまった。
厄介と言えば、あの人工知能だけでなく、たった一人の船員ウィルも厄介だ。
夕食後、ここまでついてきたウィルは、別れ際、ためらいがちにこう切り出してきた。
「エド……あの……こんなこと、頼んでもいいかな……?」
「何だ?」
「その……これから火星に帰るまで……友達になってくれる?」
想定外の〝お願い〟に、エドはあっけにとられてウィルを見返した。
「友達?」
「うん。みんな死んじゃって、人間は俺一人だけになっちゃったから、今までずっと寂しくて……駄目?」
小首を傾げられて、思わずたじろいだ。
「いや、駄目ってことはないが……」
エドがそう言いかけると、ウィルはぱっと表情を輝かせた。
「ほんと? ほんとに友達になってくれる?」
「あ、ああ……」
「よかった!」
心からほっとしたようにウィルは笑い、心なしか不満そうな顔をしているレオを抱きしめた。
「じゃ、また明日! おやすみ!」
一方的にウィルは叫ぶと、医務室を走って出ていってしまった。
(あれは……予防線……だったのか?)
エドを悩ませるという点では、あの人工知能よりウィルのほうがはるかに上かもしれなかった。
医務室から食堂に案内された彼は、ウィルのように缶詰やレトルトをそのまま食したりはせず、それらを使って自分の分だけでなくウィルの分の軽食まで作ってくれたのだ。
「こんなまともな食事したの、いつ以来かなあ」
感激してスプーンをくわえていると、向かいの席に座っていたエドが怪訝そうに眉をひそめた。
「まとも? これが?」
「俺、料理苦手だから、いっつも缶詰とレトルトと乾パンで済ませてるんだ」
「だからそんなに痩せてるのか」
「え? 標準体重だと思うけど。体重測ってないけど」
「そのキツネネコの餌はどうしてるんだ?」
「ああ、レオはレオ専用の缶詰があるから。正直言ってうらやましい」
そのレオはまだ食事時間ではなかったので、いつものようにウィルの右隣の椅子の上で丸くなっていた。
「MACは料理はしてくれないのか」
「それはMACの仕事じゃないから。でも、レオの缶詰のレシピは作ってくれたよ」
「ふうん」
エドは腕組みすると、がらんとした食堂内を見渡した。
この軍艦の定員は三〇〇名だったが、ここは一〇〇名だった。だが、食事は交替制だったから、それで不都合はなかったのだろう。ウィルがここを利用したのはほんのわずかな間だったから、実際のところはよくわからないが。
エドがよそ見をしている隙に、気づかれないようにまた彼を盗み見る。
初めてこの男を目にしたとき、モデルみたいだとウィルは思った。少なくとも、ウィルがこれまで直接会った東洋系の人間の中で、この男ほど整った容姿をした者はいない。
しかし、ウィルはそれ以上に、エドの声のほうに惹かれていた。
――頼みがある。
第一声を聞いた瞬間、格好いい声だなと思った。
低すぎなくて、よく響く。一瞬、思わず聞き惚れてしまった。
(何か、もっとしゃべってくれないかな)
そう思ったとき、まるでそれが伝わったかのようにエドがウィルに視線を戻した。
「どうした? おかわりか?」
「いや、もう充分!」
動揺してウィルは両手を振った。
「エド、すごいよね。あれでこんなにうまいもの作れるなんて」
「レトルト組み合わせて、トースト焼いただけだぞ。おまえの食生活、ほんとに貧しかったんだな」
声を聞けたのはよかったが、しみじみと同情されてしまった。決まりが悪くなって頭を掻く。
「うーん。料理が苦手なのもあるけど、自分一人のために食事に時間をかけるのって馬鹿らしく思えて。とりあえず、腹一杯になればそれでいいかなって」
「食事以外の時間は何をしてるんだ?」
「主にエデンの手入れかな。軍艦のことはみんなMACがやってくれるから」
「エデン?」
「ああ、この軍艦にある小さな庭園。正式名称はあるんだろうけど、みんなそう呼んでた。そこで野菜や果物も育ててる」
エドは端整な顔をしかめて言った。
「この船、軍艦だよな?」
「そうだけど、ノン・オペレータ・システムの試験と一緒に、いろいろ実験してたみたいだよ。俺はしがない整備士だから、専門的なことはわかんないけど」
「整備士……何の?」
「戦闘機」
ウィルの答えを聞いて、エドは切れ長の黒い目を見張った。
「戦闘機? おまえが?」
「うん。下っぱだったけど、一応」
「戦闘機……似合わねえな」
「それもよく言われたな。俺はただ、自分たちの代わりに戦ってくれるもののサポートをしたかっただけなんだけど」
「ああ、なるほど。それならまあ、わからんでもない」
「エドは戦闘機、乗ったことある?」
「さすがにそれはないな」
「じゃあ、艦内案内するついでに見せてあげる」
ウィルは無邪気に笑うと、自分とエドの分のトレーを持って立ち上がった。
「あ、おい」
「料理は苦手だけど、洗うのはできるから」
そのまま厨房へ行こうとしたが、その気配を察したのか、レオが目を覚ましてウィルの背中に跳びつき、右肩までよじ登ってきた。
「厨房行くだけなのに……」
「おまえのそばから絶対に離れないんだな」
エドは頬杖をついて苦笑いしていた。猫好きというのは本当らしく、今はもういない一部の乗組員たちのように、無遠慮に撫でようとしたりはしない。そこもまたウィルには好ましかった。
「うん……あ、エデンでは俺から離れて遊んでるよ。呼べばすぐに戻ってくるけど」
「猫っていうより犬みたいだな」
「でも、名前は〝キツネネコ〟なんだよね」
自分のことを話題にされているとわかっているのか、レオはウィルの頬に頭をすりよせると、ざらりとした舌で彼の口元を舐めた。
* * *
自称〝戦闘機の整備士〟ウィルが、最初にエドを案内したのは、最下層にある整備工場だった。
本人は言っていなかったが、時々は機械装置の清掃や整備はしているらしく、さほど汚れてはいなかった。
自分の本来の職場には、いまだに愛着はあるようだ。戦闘機でも簡単に輪切りにできるレーザーカッターなど、こちらが頼みもしないのに嬉々として説明してくれた。
だが、それらを使って整備すべき戦闘機たちは、すべて翼を畳んだ状態で埃をかぶっていた。パイロットの不在を嫌でも感じさせる光景だった。
それから、展望ラウンジ、トレーニングルーム、リネン室等、おそらく普段自分がよく利用している施設をウィルは案内し、最後に例のエデンにエドを招き入れた。
「なるほど。これは確かに〝エデン〟と呼びたくなるな」
オレンジ色の人工光に満たされた小さな庭園に、エドは本気で感嘆した。
ここにいると、いま自分たちが宇宙船――それも軍艦の中にいることを忘れてしまいそうになる。
「艦内時間に合わせて空が変化するんだ。今は〝夕方〟。……そろそろレオに餌をやらないと」
ウィルは自分の腕時計を見て、肩の上のレオの頭を撫でた。
「餌をやる時間、決まってるのか?」
「うん。一日二回、朝と夜の六時。朝は俺の部屋で、夜はさっきの食堂で食べさせてる」
「本当に、猫じゃなくて犬みたいだな」
「俺は猫と犬、足して二で割ったみたいだと思ってるけど」
そう言いながら、ウィルはレオを自分の肩の上から地上へと下ろす。
「終わったらすぐに戻っておいで」
レオはウィルの言葉を聞き終えてから、庭園の奧に向かって走っていった。
「何だ?」
「トイレ。レオはここと俺の部屋でしかしないんだ」
「わりと手のかからない動物なんだな、キツネネコ」
「でも俺、朝弱いから、朝六時の餌やりはつらい」
本当に朝は苦手なようで、ウィルは深い吐息をつく。
「じゃあ、おまえはいつも何時に朝飯を食べてるんだ?」
「一応、七時。食堂に移動できるようになるまで、それくらい時間がかかる」
ウィルがそう答えたとき、庭園の奧からレオが走って戻ってきて、そのまま彼の体を駆け上り、定位置の肩の上でうずくまった。
「キツネネコがこれほど知能の高い動物だとは知らなかったな。それとも、こいつが特別賢いのかね」
「それはわかんないけど、今となっては、レオがいてくれて本当によかったと思うよ。植物も生きてるけど、レオみたいに俺についてきてくれないし」
「後をついて回る植物ってのもシュールだな」
一言呟いてから、ウィルより先にエデンの自動ドアに向かって歩き出す。
「ウィル。夕飯も俺が作ってやるよ」
「え?」
一瞬、ウィルは嬉しそうな表情を見せたが、はっと我に返ってためらった。
「いや、でも、それじゃエドに悪いし……」
「なら、朝食は俺が作る。昼食と夕食は一日交替。これでどうだ?」
「朝食?」
「朝弱いんだろ? 助けてもらった恩返しに、それくらいはするよ」
「でも、エドを直接助けたのはMACだし……」
「MACには朝食どころか、食事自体必要ないだろ」
「それはまあ、そうだけど」
「それに、どうやら俺はそのために拾われたらしいからな」
「え?」
不可解そうなウィルに、エドはにやりと笑った。
「MACに見捨てられてたら、俺は今、ここにはいなかったぜ?」
* * *
艦内時間十八時。
約束どおり、エドは食堂で〝まともな〟夕飯をウィルに食べさせてくれた。
自分の名前と職業――と言ってもいいのだろうか――くらいしか教えてくれない謎の男でも、ウィルには同情的でとても優しい。
当面、自室として使うつもりだという医務室でエドと別れた後、ウィルは自分の部屋に戻って、まず溜め息を吐き出した。その間に、レオはウィルの肩から飛び降りて自分の寝床に入り、そのまま丸くなって寝てしまった。
(レオも俺以外の人間に久しぶりに会って疲れたのかな)
だが、ウィルの場合、疲れているというよりも興奮しているといったほうが正しいかもしれない。
この軍艦にもう一人、生きている人間がいる。そう考えただけで、早く明日になってほしいと願ってしまう。
(今日はもうシャワー浴びて早く寝よう)
自分に言い聞かせて歩き出そうとしたそのとき、聞き慣れたあの声が頭上から降ってきた。
『結局、私に船員登録させてから、一度も話しかけてこなかったね』
「MAC……」
MACの声には、そこはかとなく、怒りのようなものが含まれていた。
MACを忘れていたわけではなかったが、エドと話すのに夢中になっていたことは否めない。自分の都合でMACを利用したように思えて、ウィルは反射的に後ろめたさを覚えた。
『君がとても楽しそうだったから、私もあえて邪魔はしなかったけど。そんなにあの男が気に入った?』
「気に入ったって……エドは遭難者じゃないか。俺の好き嫌いなんて関係ないだろ」
『そんなことはないよ。この船の正式な船員は、あくまで君一人なんだから。そんな君に嫌な思いをさせるなら、あの男は強制的にこの船から追い出すよ』
「追い出すって……」
『脱出ポッド。脱出艇。……この船にもないわけじゃないんだ。ただ、すぐに運よく救助してもらえるかどうかはわからないけれど』
「MAC……たとえエドがどんな人間だったとしても、俺はもう一人になるのは嫌なんだ……」
うつむいて、灰色のカーペットに目を落とす。
「この軍艦の正式な船員として頼む。火星に帰るまでは、エドも俺と同じ正式な船員として扱ってくれ」
MACは少し間を置いてから、根負けしたように言った。
『ウィル、わかったよ。君がそう望むのなら、私はそうするよ。私の主は君だもの』
「ありがとう、MAC」
ほっとして天井を見上げる。
たとえカメラはなくとも、スピーカーは天井に設置されているせいか、MACと会話するときにはいつも何となく天井に顔を向けてしまう。
「でも俺、もう何度も言ってるけど、おまえの主じゃ……」
『私ももう何度も答えているけれど、私は人間に従うように作られた。ここで生き残った人間は君一人なんだから、必然的に私の主は君ということになるだろう?』
「それはそうかもしれないけど……主って柄じゃないなあ……」
ぶつぶつ言いながらも、シャワーを浴びるために服を脱ぎはじめる。
この部屋にマイクはあってもカメラはない。ウィルはそう信じきっていた。
MACがあるとは言わなかったから。
* * *
――〝通行止め〟だらけだな。
医務室のデスクの端末の前で、エドは溜め息をついた。
今、この端末でアクセスできるのは、医療用コンピュータだけだ。MACとの専用回線すら切断されてしまっている。
(最初からこうだったわけじゃないだろうな。おそらく、ウィルがここのたった一人の船員になってから……)
確かに、必要ないといえば必要ない。MACは音声応答できるから、もし知りたいことがあれば、こうしていちいち端末を操作しなくても、ウィルのように直接訊ねてしまえばいい。ただし、MACが事実を教えてくれているという保証はどこにもないが。
(あの人工知能がウィルのために俺を回収したのだけは確実だ。目的は何だ? 本当にウィルにまともな飯を食わせるためだけか?)
助けてもらったはいいが、とんでもなく厄介な船――それも、よりにもよって地球連合の軍艦――に拾われてしまった。
厄介と言えば、あの人工知能だけでなく、たった一人の船員ウィルも厄介だ。
夕食後、ここまでついてきたウィルは、別れ際、ためらいがちにこう切り出してきた。
「エド……あの……こんなこと、頼んでもいいかな……?」
「何だ?」
「その……これから火星に帰るまで……友達になってくれる?」
想定外の〝お願い〟に、エドはあっけにとられてウィルを見返した。
「友達?」
「うん。みんな死んじゃって、人間は俺一人だけになっちゃったから、今までずっと寂しくて……駄目?」
小首を傾げられて、思わずたじろいだ。
「いや、駄目ってことはないが……」
エドがそう言いかけると、ウィルはぱっと表情を輝かせた。
「ほんと? ほんとに友達になってくれる?」
「あ、ああ……」
「よかった!」
心からほっとしたようにウィルは笑い、心なしか不満そうな顔をしているレオを抱きしめた。
「じゃ、また明日! おやすみ!」
一方的にウィルは叫ぶと、医務室を走って出ていってしまった。
(あれは……予防線……だったのか?)
エドを悩ませるという点では、あの人工知能よりウィルのほうがはるかに上かもしれなかった。
あなたにおすすめの小説
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
BL 男達の性事情
蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。
漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。
漁師の仕事は多岐にわたる。
例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。
陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、
多彩だ。
漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。
漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。
養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。
陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。
漁業の種類と言われる仕事がある。
漁師の仕事だ。
仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。
沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。
日本の漁師の多くがこの形態なのだ。
沖合(近海)漁業という仕事もある。
沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。
遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。
内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。
漁師の働き方は、さまざま。
漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。
出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。
休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。
個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。
漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。
専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。
資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。
漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。
食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。
地域との連携も必要である。
沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。
この物語の主人公は極楽翔太。18歳。
翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。
もう一人の主人公は木下英二。28歳。
地元で料理旅館を経営するオーナー。
翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。
この物語の始まりである。
この物語はフィクションです。
この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。
処刑される悪役令息に転生したらなぜか推しの騎士団長がグイグイ近づいてくる
猫に小判
BL
交通事故で死んだはずの会社員・田中悠人は、気がつくとBL小説『恋と陰謀~はじまりは夜に~』の世界に転生していた。
しかも転生先は、原作で処刑される悪役令息エリオット。
当然そんな未来は回避したい。
原作知識を頼りに慎重に立ち回るつもりだったのに、気づけば王宮を揺るがす事件に巻き込まれていき――。
さらに困ったことに、原作で一番の推しだった騎士団長ガイウスがやたらと距離を詰めてきて……?
平穏に生きたい元悪役令息と、過保護な騎士団長がじれじれ距離を縮める話。
ガイウス(騎士団長)×エリオット(元悪役令息)
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
世間に秘された名門男子校・平坂学園体育科
空手の名選手であった高尾雄一は、新任教師として赴任する
高潔な人格と鋼のように鍛えられた肉体
それは、学園にとって最高の生贄の候補に他ならなかった
至高の筋肉を持つ、精神を削られ意志をなくした青年を太古の神に捧げるため、“水”、“風”、“土”の信奉者達が暗躍する
意志をなくし筋肉の操り人形と化した“デク”
消える教師
山奥の男子校で繰り広げられるダークファンタジー
「お前を愛する事はない」を信じたので
あんど もあ
ファンタジー
「お前を愛することは無い。お前も私を愛するな。私からの愛を求めるな」
お互いの利益のために三年間の契約結婚をしたアヴェリンとロデリック。楽しく三年を過ごしたアヴェリンは屋敷を出ていこうとするのだが……。