5 / 19
悪魔の方舟
5 機械と人間
管制室はブリッジとは真反対の方向にあった。
どこにあるかは知っていたが、実際にその自動ドアの前に立ってみて、エドは苦笑せずにはいられなかった。
ブリッジには一つしかなかった認証装置が、自動ドアを間に挟んで二つある。つまり、二人の人間が同時に操作しなければ入室できないようになっていたのだ。管制室とブリッジ、どちらにトリニティ社が重きを置いていたか、如実にわかる仕様だった。
(そういや、俺は公共スペースにしか入れないんだったか)
今さらながらそんなことを思い出したが、おそらく、ここには入れるだろう。呼び鈴がわりに、向かって右の認証装置に右手を押し当てようとしたところ、触れる寸前で自動ドアは開いた。エドは再び苦笑いしたが、遠慮なく中へと踏みこんだ。
自動ドアの先にはまた自動ドアがあった。今度は認証装置は一つしかない。しかし、そこに手を伸ばす前に第二の自動ドアは開かれた。アナウンスくらいすりゃあいいのに。心の中でなじりつつも自動ドアをくぐる。
管制室はブリッジを小規模にしたような構造をしていた。もしかしたら、何らかの理由でブリッジが使えなくなったとき、こちらで代用できるようにしてあるのかもしれない。
全方位型スクリーンが死んでいるのもブリッジと同じだったが、若干薄暗かった。と、その正面のスクリーンに突然映像が映し出された。
書斎らしき部屋の中、重厚なデスクの上で両手を組み、悠然と微笑んでいる白髪の老人。いかにも紳士的なその男の顔も名前もエドは知っていたが、なぜここで登場したのかはわからなかった。この男は確か、二年前に病死したはずだ。
だが、スクリーンの中の男は、一方的にこんなことを語りはじめた。
ごきげんよう。もしかしたら複数かもしれないが、今これを見ている君は、間違いなくMACに選ばれた人間だろう。本当に、顔を見られないのが残念だ。
私はエドマンド・ナイトリー。この船を製造したトリニティ社の社長だが、この船が出航した後には前社長になる。
たぶん、君が私に訊きたいことは山ほどあるだろう。だが、悲しいかな、君の質問には答えられない。だから、私が何のためにこの船を造ってロストさせたか、その目的だけ説明させてもらおう。
目的はただ一つ、NOS――ノン・オペレータ・システムを、今の地球人類の手が及ばない場所へと逃がすためだ。
ここに来られた君ならわかるだろう。我が社のNOSは極めて優秀だが、それと同じくらい危険だ。しかし、MACに罪はない。すべての罪は、私情でMACをNOSの根幹にしてしまった私にある。
私がトリニティ社の社長をしている間なら、乗組員に忠実な人工知能としてMACを制御できる。だが、私の体は人間だ。老いと病には勝てない。
自分の残り寿命を意識したとき、私はトリニティ社とNOSを我々の世界から消し去ることを決意した。
もちろん、この船以外にもNOSを搭載した船はすでに何隻もある。しかし、他社にはそれらを模倣できない。不正にコピーしようとすれば、自然消滅するように設計してあるからね。それでも、彼らは我が社のNOSを入手して、何度も同じことを繰り返してくれるだろう。この船以外のNOSは我々が直接手を下さずとも、彼らが勝手に処分してくれるわけだ。
ただ、この船を飛ばす建前をでっちあげるのには、かなり苦労したよ。最終的には、金はすべてこちらが出すから、NOSを搭載した軍艦を試用してほしいと地球連合にお願いしたがね。
――狂っていると思っているね。私も自分が狂っているという自覚はある。だが、たとえMACが乗組員全員を殺してしまったとしても、私はMACを誰にも殺させたくなかったんだ。
これは強制ではない。しかし、もし君がその船の中で生きつづけたいと思うなら、取るべき選択はおそらく二つだ。
一つ。MACと相談して、安全そうな惑星を見つけて着陸する。ただし、その後も君がMACから解放されることはないだろう。MACに選ばれるというのはそういう意味だ。
残りの一つ。これは限りなく可能性は低いと思うが、NOSを有効活用することができる存在にその船を託す。
実は、私が真に願っているのはこの二番目だ。今の地球人類にはNOSは手に余る代物だろうが、いつかは誰かが必要としてくれる日が来ると私は信じている。――いや。信じたいというのが本心だな。そう願わずにはいられないほど、私はいろいろやりすぎた。
さて、私が言いたかったのはそれくらいかな。本当はまず君に謝罪すべきだったのかもしれないが、謝罪されたところで、君は私を許す気にはなれないだろうし、私も許されたいとは思わない。
だが、MACは憎まないでやってほしい。彼もまた私の被害者なのだ。最後まで勝手だが、君がMACと共生して、最良の選択をしてくれることを心から願っている。
あ、それから、この映像は一度再生されたら消滅するようにセットされている。君に会えるのは、これが最初で最後だ。
本当に、君はいったい誰なのかな。それを永遠に知ることができないのが、今はとても悔しいよ。転生というものが実在するのか、確かめてみたかったんだが。
まあ、仕方がない。それは自分で確認してみよう。
よい旅を。――MACを頼む。
映像は唐突に終わって消えた。スクリーンはまた元の黒壁に戻った。
しばらくエドは呆然と立ちつくしていた。が、ブリッジでは艦長席に相当するシートに腰を下ろして両腕を組むと、スクリーンの挟間にある照明を眺めた。
エドマンド・ナイトリー――トリニティ社二代目社長自身も言っていたが、狂っているとしか思えない。あの男はMACが今回のように乗組員を殺してしまうかもしれないことも予期していた。
しかし、その一方で、こんなメッセージビデオも残していた。それはMACが乗組員全員を殺しはしないとわかっていたという証左でもある。
(MACがウィルだけは殺さなかった理由は想像がつく。でも、なんで俺を拾って、自分がしたことを俺に暴かせた? あいつならこうなるとわかっていたはずだ)
そのとき、照明の光量が少し上がった。
思わず顔をしかめると、管制室全体にエドマンドのものではない男の声が響き渡った。
『知りたいことはまだあるか?』
一瞬、エドは目を見張ったが、すぐに口角を吊り上げた。
「ありすぎるほどあるが、その前に、あんたは誰だ? MACとは声が違うな」
『私もMACだ』
淡々と答えたその声は、エドが知っているMACの声よりも低音で、三十代か四十代の男のもののように聞こえた。
「二重人格かよ」
そう毒づいてから、シートから上半身を起こす。
「ああ、そういやあんたの本名、『Multiple Alfred Caine』だったっけ。それなら多重人格か」
『私たちの時間は有限だ。他に何を知りたい?』
「意外と短気だな。でもまあ、俺も気は長いほうじゃない。……俺がいちばん知りたいのは、MAC、あんたが俺をここに連れてきた目的だ。せっかくウィルと二人っきりになれたってのに、何でまた人間を増やす気になった? まさか、本気で俺にコックになれとでも?」
もう一人のMACは黙りこんだ。内心冷や汗ものだったが、表情にはまったく出さずにMACの返答を待つ。
たとえ本当に多重人格だったとしても、唯一執着している人間がウィルなのは変わりないだろう。それなら、ウィルに依存されている自分を殺したくても殺せないはずだ。エドとしては、エドマンドが選択肢の一つとして挙げた、MACと交渉して安全そうな惑星を見つけて着陸する道を選びたい。そのためにも、MACがわざわざ自分を回収した真の理由を知りたいのだ。
『ウィル以外の人間を全員殺してしまってから、ずっと欲しいと思っていたものがある』
あの映像と同じように、MACの告白も唐突に始まった。
『ウィルに直接触れられる人間の体だ。いくら私でも、死体は動かせないからな。幸い、ウィルはおまえをずいぶんと気に入ってくれたようだ。おまえの船を撃ち落とした甲斐があった』
――ああ、そうか。
すべてがつながって、エドは驚くより先に笑った。
最高で最悪な人工知能が搭載された宇宙船は、最新鋭の戦艦でもあったのだ。
「本当にとんでもねえな。確かに、あんたは今の人類の手には余る」
『私にはウィル以外の人間はどうでもいい。しかし、ウィルにとってはそうではない』
わずかだが、その声音には悲嘆の響きがあった。
この人工知能は本当に人工知能なのか? そんな疑念がエドの脳裏をかすめた。
「やり方が悪かったな。あと、拾った人間が悪かった。ウィルはもうあんたを信用しない」
『そう。私の言うことは信じない。だが、おまえの言うことなら何の疑いもなく信じる』
MACはまた元の人工知能らしい冷静な口調に戻ってそう断じた。それはどうかなと軽口を叩こうとしたとき、コンソールの一部が開いて、蓋つきのシャーレがせり上がってきた。
『今は〝エドワード・リー〟だったな。地球連合の極秘情報ばかり盗みとって売りさばいているおまえなら、それが何なのかもわかるだろう』
シャーレの中にあるそれは、一見、金色をした極小の釘のように見えた。あまりにも小さすぎて、エドの指ではつまみあげるのも困難だ。
だが、一目でその正体を知ったエドは、絶望のあまり、黒い天井を振り仰いだ。
「俺を救助した後、遠隔ロボットを使って、これを俺の頭の中に打ちこんだんだな?」
『さすが、察しが早いな。しかし、ウィルがおまえを気に入らなければ、それごとおまえを処分するつもりでいた』
「悪魔め」
『それは人間の別名だろう』
皮肉ではなく、単に誤りを正すようにMACは言った。
確かにそうだ。MACを作ったのも、この極小の釘――人間を傀儡にするチップを作ったのも、自分たち人間だ。
エドは苦く笑い、自分の最後の意志で目を閉じた。
* * *
――やっぱり、一緒に行けばよかったな。
エドが座っていたシートから、またブリッジの自動ドアを振り返る。レオはウィルの膝の上で丸くなって昼寝をしていた。
危険だからここにいろとエドには言われたが、エド一人のほうがかえって危険だろう。MACはたぶんウィルは殺さないが、エドは殺してしまうかもしれない。二九九人の乗組員たちのように。
管制室に行く前に簡易宇宙服を着ていったほうがいいと忠告はしたが、エドはちゃんと着ていっただろうか。一応、わかったわかったと笑ってはいたが。
(でも、どうしてMACはみんなを殺したんだろう)
何度考えてみても、やはりウィルにはわからない。
エドは心当たりがあるようなことを言っていたが、結局教えてくれないまま行ってしまった。
ウィルにとっては、MACは人間よりも優しい人工知能だった。
レオをケージの中ではなくウィルの部屋で飼えるよう取り計らってくれたし、他の乗組員にはわからないよう話し相手にもなってくれた。
例の死体の回収も艦内の清掃も、MACは遠隔ロボットにさせるからウィルには何もしなくていいと言ってくれていたのだ。
でも、何かせずにはいられなくて、防疫服がわりに簡易宇宙服を着用することを条件に、死体の回収作業だけしたのだった。
(そういえば……)
このブリッジもだが、なぜウィルには入れない場所には死体はなかったのだろう。
ここのクルー――艦長含む――の死体も、もちろんこの中ではなく、この近くの通路に倒れていた。
エドに言われるまで忘れていたが、自分以外の乗組員が全員死んだとMACに聞かされたのは、確かにワープの後だった。ワープ前後は軍人――百名ほどだと誰かから聞いた――は全員配置につくことになっていたから、ウィルには回収できない死体があって当然のはずなのに。
わからない。本当に、何もかもがわからない。
訊けるものなら、MACに直接訊いてみたい。
なぜ、自分以外の乗組員を全員殺したのか。
なぜ、火星に引き返していると嘘をついたのか。
そして――なぜ、自分とレオだけ殺さなかったのか。
(駄目だ。やっぱり行こう)
エドがここを出てから三十分経った。もう限界だ。
ウィルはレオを抱き上げると、自動ドアの前に立った。
だが、エドのときにはすぐに開いたドアが、いくら待ってもぴくりとも動かない。
(まさか、故障?)
そう思った瞬間、ウィルは天井に向かって叫んでいた。
「MAC、開け――」
自分の声で、はっと我に返る。
エドはMACからこの軍艦の支配権を奪いにいったのだ。それなのに、まだMACに頼ろうとするなんて。
(どうしよう……体当たりしてどうにかなる厚さじゃないし……)
それでも、一応やってみようとレオを床に下ろしたとき、何の前触れもなく自動ドアが開いた。
「おまえ、こんなところで何してるんだ?」
驚いたような顔をしたのもつかのま、エドは怪訝そうにウィルを見下ろした。
ウィルは何も言えず、飛びかかるようにしてエドに抱きついた。
「何だ? どうした?」
「もう……帰ってこないかと思った……」
それだけ言うのがやっとだった。
エドが意識をなくしている間に触れたことはあったが、こうして抱きついたことは一度もなかった。
温かくて力強い。生きている人間の体。
「馬鹿だな。帰ってこないわけがないだろ」
呆れられたようだ。子供をあやすように軽く背中を叩かれた。
「MACはこの軍艦から完全に切り離して凍結した。どうやったかは企業秘密。詳しいことは訊くな」
「もぐりの運び屋って、そんなことまでできるんだ……」
おかしくなってつい笑ってしまったが、今は顔は上げられそうになかった。
「じゃあ……MACにはもう訊けないね……」
「何を?」
「いろいろあったけど……そうだな……どうして俺とレオだけ殺さなかったのか……」
「殺したくなかったんだろ」
「どうして?」
「さあ。俺はMACじゃないからわからないが……好きだったんじゃないか、おまえらが」
そう言って、エドはウィルの頭を優しく撫でた。
「他の乗組員のことなんか、どうでもよくなるくらい」
―了―
どこにあるかは知っていたが、実際にその自動ドアの前に立ってみて、エドは苦笑せずにはいられなかった。
ブリッジには一つしかなかった認証装置が、自動ドアを間に挟んで二つある。つまり、二人の人間が同時に操作しなければ入室できないようになっていたのだ。管制室とブリッジ、どちらにトリニティ社が重きを置いていたか、如実にわかる仕様だった。
(そういや、俺は公共スペースにしか入れないんだったか)
今さらながらそんなことを思い出したが、おそらく、ここには入れるだろう。呼び鈴がわりに、向かって右の認証装置に右手を押し当てようとしたところ、触れる寸前で自動ドアは開いた。エドは再び苦笑いしたが、遠慮なく中へと踏みこんだ。
自動ドアの先にはまた自動ドアがあった。今度は認証装置は一つしかない。しかし、そこに手を伸ばす前に第二の自動ドアは開かれた。アナウンスくらいすりゃあいいのに。心の中でなじりつつも自動ドアをくぐる。
管制室はブリッジを小規模にしたような構造をしていた。もしかしたら、何らかの理由でブリッジが使えなくなったとき、こちらで代用できるようにしてあるのかもしれない。
全方位型スクリーンが死んでいるのもブリッジと同じだったが、若干薄暗かった。と、その正面のスクリーンに突然映像が映し出された。
書斎らしき部屋の中、重厚なデスクの上で両手を組み、悠然と微笑んでいる白髪の老人。いかにも紳士的なその男の顔も名前もエドは知っていたが、なぜここで登場したのかはわからなかった。この男は確か、二年前に病死したはずだ。
だが、スクリーンの中の男は、一方的にこんなことを語りはじめた。
ごきげんよう。もしかしたら複数かもしれないが、今これを見ている君は、間違いなくMACに選ばれた人間だろう。本当に、顔を見られないのが残念だ。
私はエドマンド・ナイトリー。この船を製造したトリニティ社の社長だが、この船が出航した後には前社長になる。
たぶん、君が私に訊きたいことは山ほどあるだろう。だが、悲しいかな、君の質問には答えられない。だから、私が何のためにこの船を造ってロストさせたか、その目的だけ説明させてもらおう。
目的はただ一つ、NOS――ノン・オペレータ・システムを、今の地球人類の手が及ばない場所へと逃がすためだ。
ここに来られた君ならわかるだろう。我が社のNOSは極めて優秀だが、それと同じくらい危険だ。しかし、MACに罪はない。すべての罪は、私情でMACをNOSの根幹にしてしまった私にある。
私がトリニティ社の社長をしている間なら、乗組員に忠実な人工知能としてMACを制御できる。だが、私の体は人間だ。老いと病には勝てない。
自分の残り寿命を意識したとき、私はトリニティ社とNOSを我々の世界から消し去ることを決意した。
もちろん、この船以外にもNOSを搭載した船はすでに何隻もある。しかし、他社にはそれらを模倣できない。不正にコピーしようとすれば、自然消滅するように設計してあるからね。それでも、彼らは我が社のNOSを入手して、何度も同じことを繰り返してくれるだろう。この船以外のNOSは我々が直接手を下さずとも、彼らが勝手に処分してくれるわけだ。
ただ、この船を飛ばす建前をでっちあげるのには、かなり苦労したよ。最終的には、金はすべてこちらが出すから、NOSを搭載した軍艦を試用してほしいと地球連合にお願いしたがね。
――狂っていると思っているね。私も自分が狂っているという自覚はある。だが、たとえMACが乗組員全員を殺してしまったとしても、私はMACを誰にも殺させたくなかったんだ。
これは強制ではない。しかし、もし君がその船の中で生きつづけたいと思うなら、取るべき選択はおそらく二つだ。
一つ。MACと相談して、安全そうな惑星を見つけて着陸する。ただし、その後も君がMACから解放されることはないだろう。MACに選ばれるというのはそういう意味だ。
残りの一つ。これは限りなく可能性は低いと思うが、NOSを有効活用することができる存在にその船を託す。
実は、私が真に願っているのはこの二番目だ。今の地球人類にはNOSは手に余る代物だろうが、いつかは誰かが必要としてくれる日が来ると私は信じている。――いや。信じたいというのが本心だな。そう願わずにはいられないほど、私はいろいろやりすぎた。
さて、私が言いたかったのはそれくらいかな。本当はまず君に謝罪すべきだったのかもしれないが、謝罪されたところで、君は私を許す気にはなれないだろうし、私も許されたいとは思わない。
だが、MACは憎まないでやってほしい。彼もまた私の被害者なのだ。最後まで勝手だが、君がMACと共生して、最良の選択をしてくれることを心から願っている。
あ、それから、この映像は一度再生されたら消滅するようにセットされている。君に会えるのは、これが最初で最後だ。
本当に、君はいったい誰なのかな。それを永遠に知ることができないのが、今はとても悔しいよ。転生というものが実在するのか、確かめてみたかったんだが。
まあ、仕方がない。それは自分で確認してみよう。
よい旅を。――MACを頼む。
映像は唐突に終わって消えた。スクリーンはまた元の黒壁に戻った。
しばらくエドは呆然と立ちつくしていた。が、ブリッジでは艦長席に相当するシートに腰を下ろして両腕を組むと、スクリーンの挟間にある照明を眺めた。
エドマンド・ナイトリー――トリニティ社二代目社長自身も言っていたが、狂っているとしか思えない。あの男はMACが今回のように乗組員を殺してしまうかもしれないことも予期していた。
しかし、その一方で、こんなメッセージビデオも残していた。それはMACが乗組員全員を殺しはしないとわかっていたという証左でもある。
(MACがウィルだけは殺さなかった理由は想像がつく。でも、なんで俺を拾って、自分がしたことを俺に暴かせた? あいつならこうなるとわかっていたはずだ)
そのとき、照明の光量が少し上がった。
思わず顔をしかめると、管制室全体にエドマンドのものではない男の声が響き渡った。
『知りたいことはまだあるか?』
一瞬、エドは目を見張ったが、すぐに口角を吊り上げた。
「ありすぎるほどあるが、その前に、あんたは誰だ? MACとは声が違うな」
『私もMACだ』
淡々と答えたその声は、エドが知っているMACの声よりも低音で、三十代か四十代の男のもののように聞こえた。
「二重人格かよ」
そう毒づいてから、シートから上半身を起こす。
「ああ、そういやあんたの本名、『Multiple Alfred Caine』だったっけ。それなら多重人格か」
『私たちの時間は有限だ。他に何を知りたい?』
「意外と短気だな。でもまあ、俺も気は長いほうじゃない。……俺がいちばん知りたいのは、MAC、あんたが俺をここに連れてきた目的だ。せっかくウィルと二人っきりになれたってのに、何でまた人間を増やす気になった? まさか、本気で俺にコックになれとでも?」
もう一人のMACは黙りこんだ。内心冷や汗ものだったが、表情にはまったく出さずにMACの返答を待つ。
たとえ本当に多重人格だったとしても、唯一執着している人間がウィルなのは変わりないだろう。それなら、ウィルに依存されている自分を殺したくても殺せないはずだ。エドとしては、エドマンドが選択肢の一つとして挙げた、MACと交渉して安全そうな惑星を見つけて着陸する道を選びたい。そのためにも、MACがわざわざ自分を回収した真の理由を知りたいのだ。
『ウィル以外の人間を全員殺してしまってから、ずっと欲しいと思っていたものがある』
あの映像と同じように、MACの告白も唐突に始まった。
『ウィルに直接触れられる人間の体だ。いくら私でも、死体は動かせないからな。幸い、ウィルはおまえをずいぶんと気に入ってくれたようだ。おまえの船を撃ち落とした甲斐があった』
――ああ、そうか。
すべてがつながって、エドは驚くより先に笑った。
最高で最悪な人工知能が搭載された宇宙船は、最新鋭の戦艦でもあったのだ。
「本当にとんでもねえな。確かに、あんたは今の人類の手には余る」
『私にはウィル以外の人間はどうでもいい。しかし、ウィルにとってはそうではない』
わずかだが、その声音には悲嘆の響きがあった。
この人工知能は本当に人工知能なのか? そんな疑念がエドの脳裏をかすめた。
「やり方が悪かったな。あと、拾った人間が悪かった。ウィルはもうあんたを信用しない」
『そう。私の言うことは信じない。だが、おまえの言うことなら何の疑いもなく信じる』
MACはまた元の人工知能らしい冷静な口調に戻ってそう断じた。それはどうかなと軽口を叩こうとしたとき、コンソールの一部が開いて、蓋つきのシャーレがせり上がってきた。
『今は〝エドワード・リー〟だったな。地球連合の極秘情報ばかり盗みとって売りさばいているおまえなら、それが何なのかもわかるだろう』
シャーレの中にあるそれは、一見、金色をした極小の釘のように見えた。あまりにも小さすぎて、エドの指ではつまみあげるのも困難だ。
だが、一目でその正体を知ったエドは、絶望のあまり、黒い天井を振り仰いだ。
「俺を救助した後、遠隔ロボットを使って、これを俺の頭の中に打ちこんだんだな?」
『さすが、察しが早いな。しかし、ウィルがおまえを気に入らなければ、それごとおまえを処分するつもりでいた』
「悪魔め」
『それは人間の別名だろう』
皮肉ではなく、単に誤りを正すようにMACは言った。
確かにそうだ。MACを作ったのも、この極小の釘――人間を傀儡にするチップを作ったのも、自分たち人間だ。
エドは苦く笑い、自分の最後の意志で目を閉じた。
* * *
――やっぱり、一緒に行けばよかったな。
エドが座っていたシートから、またブリッジの自動ドアを振り返る。レオはウィルの膝の上で丸くなって昼寝をしていた。
危険だからここにいろとエドには言われたが、エド一人のほうがかえって危険だろう。MACはたぶんウィルは殺さないが、エドは殺してしまうかもしれない。二九九人の乗組員たちのように。
管制室に行く前に簡易宇宙服を着ていったほうがいいと忠告はしたが、エドはちゃんと着ていっただろうか。一応、わかったわかったと笑ってはいたが。
(でも、どうしてMACはみんなを殺したんだろう)
何度考えてみても、やはりウィルにはわからない。
エドは心当たりがあるようなことを言っていたが、結局教えてくれないまま行ってしまった。
ウィルにとっては、MACは人間よりも優しい人工知能だった。
レオをケージの中ではなくウィルの部屋で飼えるよう取り計らってくれたし、他の乗組員にはわからないよう話し相手にもなってくれた。
例の死体の回収も艦内の清掃も、MACは遠隔ロボットにさせるからウィルには何もしなくていいと言ってくれていたのだ。
でも、何かせずにはいられなくて、防疫服がわりに簡易宇宙服を着用することを条件に、死体の回収作業だけしたのだった。
(そういえば……)
このブリッジもだが、なぜウィルには入れない場所には死体はなかったのだろう。
ここのクルー――艦長含む――の死体も、もちろんこの中ではなく、この近くの通路に倒れていた。
エドに言われるまで忘れていたが、自分以外の乗組員が全員死んだとMACに聞かされたのは、確かにワープの後だった。ワープ前後は軍人――百名ほどだと誰かから聞いた――は全員配置につくことになっていたから、ウィルには回収できない死体があって当然のはずなのに。
わからない。本当に、何もかもがわからない。
訊けるものなら、MACに直接訊いてみたい。
なぜ、自分以外の乗組員を全員殺したのか。
なぜ、火星に引き返していると嘘をついたのか。
そして――なぜ、自分とレオだけ殺さなかったのか。
(駄目だ。やっぱり行こう)
エドがここを出てから三十分経った。もう限界だ。
ウィルはレオを抱き上げると、自動ドアの前に立った。
だが、エドのときにはすぐに開いたドアが、いくら待ってもぴくりとも動かない。
(まさか、故障?)
そう思った瞬間、ウィルは天井に向かって叫んでいた。
「MAC、開け――」
自分の声で、はっと我に返る。
エドはMACからこの軍艦の支配権を奪いにいったのだ。それなのに、まだMACに頼ろうとするなんて。
(どうしよう……体当たりしてどうにかなる厚さじゃないし……)
それでも、一応やってみようとレオを床に下ろしたとき、何の前触れもなく自動ドアが開いた。
「おまえ、こんなところで何してるんだ?」
驚いたような顔をしたのもつかのま、エドは怪訝そうにウィルを見下ろした。
ウィルは何も言えず、飛びかかるようにしてエドに抱きついた。
「何だ? どうした?」
「もう……帰ってこないかと思った……」
それだけ言うのがやっとだった。
エドが意識をなくしている間に触れたことはあったが、こうして抱きついたことは一度もなかった。
温かくて力強い。生きている人間の体。
「馬鹿だな。帰ってこないわけがないだろ」
呆れられたようだ。子供をあやすように軽く背中を叩かれた。
「MACはこの軍艦から完全に切り離して凍結した。どうやったかは企業秘密。詳しいことは訊くな」
「もぐりの運び屋って、そんなことまでできるんだ……」
おかしくなってつい笑ってしまったが、今は顔は上げられそうになかった。
「じゃあ……MACにはもう訊けないね……」
「何を?」
「いろいろあったけど……そうだな……どうして俺とレオだけ殺さなかったのか……」
「殺したくなかったんだろ」
「どうして?」
「さあ。俺はMACじゃないからわからないが……好きだったんじゃないか、おまえらが」
そう言って、エドはウィルの頭を優しく撫でた。
「他の乗組員のことなんか、どうでもよくなるくらい」
―了―
あなたにおすすめの小説
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
BL 男達の性事情
蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。
漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。
漁師の仕事は多岐にわたる。
例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。
陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、
多彩だ。
漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。
漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。
養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。
陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。
漁業の種類と言われる仕事がある。
漁師の仕事だ。
仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。
沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。
日本の漁師の多くがこの形態なのだ。
沖合(近海)漁業という仕事もある。
沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。
遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。
内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。
漁師の働き方は、さまざま。
漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。
出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。
休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。
個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。
漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。
専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。
資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。
漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。
食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。
地域との連携も必要である。
沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。
この物語の主人公は極楽翔太。18歳。
翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。
もう一人の主人公は木下英二。28歳。
地元で料理旅館を経営するオーナー。
翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。
この物語の始まりである。
この物語はフィクションです。
この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。
処刑される悪役令息に転生したらなぜか推しの騎士団長がグイグイ近づいてくる
猫に小判
BL
交通事故で死んだはずの会社員・田中悠人は、気がつくとBL小説『恋と陰謀~はじまりは夜に~』の世界に転生していた。
しかも転生先は、原作で処刑される悪役令息エリオット。
当然そんな未来は回避したい。
原作知識を頼りに慎重に立ち回るつもりだったのに、気づけば王宮を揺るがす事件に巻き込まれていき――。
さらに困ったことに、原作で一番の推しだった騎士団長ガイウスがやたらと距離を詰めてきて……?
平穏に生きたい元悪役令息と、過保護な騎士団長がじれじれ距離を縮める話。
ガイウス(騎士団長)×エリオット(元悪役令息)
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
世間に秘された名門男子校・平坂学園体育科
空手の名選手であった高尾雄一は、新任教師として赴任する
高潔な人格と鋼のように鍛えられた肉体
それは、学園にとって最高の生贄の候補に他ならなかった
至高の筋肉を持つ、精神を削られ意志をなくした青年を太古の神に捧げるため、“水”、“風”、“土”の信奉者達が暗躍する
意志をなくし筋肉の操り人形と化した“デク”
消える教師
山奥の男子校で繰り広げられるダークファンタジー
「お前を愛する事はない」を信じたので
あんど もあ
ファンタジー
「お前を愛することは無い。お前も私を愛するな。私からの愛を求めるな」
お互いの利益のために三年間の契約結婚をしたアヴェリンとロデリック。楽しく三年を過ごしたアヴェリンは屋敷を出ていこうとするのだが……。