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幕間 魔族の要塞にて

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††

 風を切り空を滑空するモノがいた。
 
 鳥よりも大きいその生物は、黒い蝙蝠のような翼を広げ、風に乗って滑空している。
 
 眼下には六芒星を形どった城塞都市が見え、そこでは多くの人が蠢いている。ときおり人が手をあげ、自分を指さしているのが、やたらと視力の良い目に映る。
 
 生物はそれを見ても、能面のような顔に変化がなかったが、微かに唇を吊り上げ、顔の表情に変化を与えていた。
 
 ぐるりと都市の上を回ってみると、人が大勢集まり何やらこちらに向けて呪文詠唱を開始したのが見えた。
 
 やがて飛んでくる巨大な火球。
 
「集団魔法か。」

 生物は微笑すると、歌声のような声を発し、飛んでくる火球に対して魔法防御の障壁を張りぶつけると、火球を空中で霧散させた。

 やり返してやろうかと思うが、途端に飛んでくる無数の魔法にたまらず上昇を開始して躱した。
 
 たとえ当たったとしても、一発一発は微々たる被害だろうが、あれだけ無数に飛んでくるとたまらない。そのうち魔弾砲台でも出されて、一斉射撃されれば、流石に無傷で済むわけもない。
 
 生物はよく知っている。自分は無敵ではないのだと。
 
 相手が脆弱な生き物であろうと、強者と戦えばそれなりに被害を受けるのだ。
 
 大人1人に子供100人が襲い掛かれば、たとえ相手が弱い存在でも、勝敗は誰にでもわかる。

 人は侮れない。脆弱でひ弱で、どうしようもない存在だが、数だけは履いて捨てるほどいる。その数が恐ろしい。
 
 そして奴ら人にタブーはない。
 
 一人に数十数百人で襲ってくる。多勢に無勢であっても、それを相手が悪であると決めつけて掛かるから、始末に負えない。

 ゼクスフェスは上空高くへと舞い上がり、魔法攻撃の射程からぬけると、一路要塞へと向かった。

 魔大陸《ノスフェラトゥ》の南部地区に位置する渓谷に立つ、巨大な要塞バール。
 
 人の進軍を堰き止める、最大にして最強の要塞に向けて飛んだ。

 人の城塞都市から50キロほど飛んだところで、ゼクスフェスは高度を下げ、要塞へ向けて滑空していった。
 
「……今日は静かだな。」

 要塞の回りは数千数万の亜人が集まっている。人に壊されたトーチカを作り、塹壕を造り、堀を作っている。

 数十年と続いてきた定型業務のようなものだ。人が襲って来れば戦い、襲ってこなければ、要塞の設備を修繕する。
 
 ついこの間の戦いでは、数十年の戦いで初めて要塞が傷ついたという。
 
 今まで物理的破壊兵器は、投石器や破城槌程度だったのが、奴ら人は砲弾の中に炸裂する粉を大量に含ませ、着弾の威力で爆発させる方法を発見した。

「人も馬鹿ではないか。」

 魔法で作られた魔弾では、要塞に傷つけることができない。なんとか要塞を破壊する方法を研究し、その方法に辿り着いたのだろう。

 今まで魔力と剣に頼っていた『人』が、禁断の秘術『科学』に手をつけたというべきか。

「ふん、滅びの道か。この世界もまた……」

 ぽつりと呟くと、さらに滑空して要塞をぐるりと回り、中央の辺りにある居住エリアへと舞い降りていった。








 ゼクスフェスが入った部屋は、それなりに広く高級そうな絨毯が敷かれている。品の良い調度品で飾られ、洒落たテーブルとイスが置かれていた。
 
「──おかえり?」

 椅子に腰かけた青年が、ティーカップを片手に声をかけた。

 顔と服装だけを見れば美形の若き貴族風だが、額から生えたネジ曲がった大きな赤い角が、魔族であることを物語っている。

 魔将軍と呼ばれる赤き竜サマエルだ。

 ゼクスフェスは翼を畳むと、ちらりとサマエルを見て、ふうっとため息をついた。

「どうだったね、皇女様──天臨王は?」

 サマエルが唇を吊り上げ尋ねる。

「ふん、まだまだ未熟だが、かなり覚醒している。次に対峙したら、妾も本気を出さねばならぬだろう。」

 ゼクスフェスがいうと、サマエルは目を細めた。

「つまり、天臨王の抹殺は失敗したってこと?」
「なに、急くこともない。近いうちに此処に来るだろう。しかしルミネスの奴めが天臨王に与したのは厄介だ。しかもあの小僧が不死神など持ってるとは、面白い。」

 ゼクスフェスの唇が釣り上がり、さも面白そうに喉を鳴らした。

「どういうことだ、ゼクスフェス。」

 サマエルが不思議そうにゼクスフェスを見つめた。

「ルミネスが天臨王に寝返った、それだけだ。」
「ルミネスが寝返っただと?」

 愉快そうに云うゼクスフェスに、サマエルは目を細め睨むように見つめた。

「ああ、天臨王と一緒になって、妾に闘いを挑んできたわ。」
「どういうことだ」
「オマケにアヤツ、まるで幼女の様に小さな姿をしておった。だがアヤツの使う剣、あれは紛れも無くルミネスの血斬剣、アヤツは間違いなくルミネスだった。」
「……まさか、ありえん」

 サマエルはぶつぶつと呟き、ゼクスフェスから視線を反らした。それを見て、ゼクスフェスは首を傾げる。

「ありえんといっても、妾に剣を向けたのは確かだからな。」

 サマエルの同様が理解できず、ゼクスフェスは肩を竦めた。

「まさか、いやそんな馬鹿な。」

 立ち上がり虚空を見つめ、ゼクスフェスの声など聞こえないかの様に、サマエルは部屋を出て行ってしまった。
 
「なんだアヤツは。」

 意味のわからぬサマエルの行動に、ゼクスフェスはますます首を傾げるが、それ以上は興味を持たなかった。

 魔族等と云われているが、ゼクスフェスにはサマエルに対する仲間意識などなかった。

 そもそも魔族に仲間などという考え方が無いのだ。あるのは支配するものと隷属するもの。ゼクスフェスは亜人の支配者で有り、サマエルとは支配する対象が異なるだけのこと。

 共闘をすることなどあり得ない。極稀に共闘のようなこともするが、たまたまのことだ。
 
 数年前に大陸の南にある村を襲ったときは、首なし騎士《ネボラニグレ》に頼まれただけのこと。村の結界をネボラニグレが破壊するので、亜人に村を襲わせて欲しいと云われてやった。ちょうど餌にもなるし、ネボラニグレに貸しを作れる、一石二鳥だっただけのことだ。

「あのときの小僧が……不死神か。面白いものだ。」


◇◇


 豪華な装飾の施された部屋、されどそれほど広くはなく、簡素な調度品とベッドだけが置かれている。

 窓は開いており、常に風が入ってきていた。ドアにも鍵は無く、いつでも自由に出入りが可能となり、また部屋の外にも誰もいない。

 その部屋の窓辺には、綺麗な赤に近いクラレット色の長い髪を垂らした少女がたたずんで、要塞の外を見ていた。
 
 地上では亜人が蠢き、何事かの作業をしている。決まりきった作業。一週間と開けずに攻めてくる人の軍隊に応戦するための設備。

 少女はこうして高見から見ているだけだが、亜人たちは毎日毎日飽きずに繰り返していた。
 
 人が来れば戦い、負傷し、死に、時には全滅することもあった。
 
 血の匂いが漂ってくることは無いが、それでもあまり気分が良いものではない。だがそれでも何年ものあいだ、少女は見続けていた。
 
「ファフニール様、いかがお過ごしですか?」

 少女が振り向くとそこには能面を前に向けた、ゼクスフェスが佇んでいた。

「ゼクスフェス……何の用?それにアタシはファフニールじゃないから、アマンダっていう名前があるんだから。その名前で呼ばないで。」
「それは失礼をしました。しかしここは我ら魔族の支配する地、魔大陸《ノスフェラトゥ》ですから、人の名を使うのはどうかと?」
「そんなの知らない。あたしは魔族じゃ無い!あんたたちの事なんて関係ない。」

 ゼクスフェスを睨みつけ、毅然と言うアマンダ。魔将軍であるゼクスフェスを微塵も恐れていないかのように、怒鳴りつけた。

「ではこれからは『巫女様』とお呼びしましょうか?」
「そんなのどうでもいい、それよりあたしを帰してよ。こんな場所に何年も閉じ込めて……」

 嘆くアマンダ。

 魔族と亜人の襲撃を受け、村の人たちに避難するように戻ったが、避難は間に合わず、多くの村人が殺され、捕らえられ、食われ、犯される中で、アマンダはできる限り村人を守ろうと戦った。
 
 しかし力及ばず、首のない黒騎士の魔法で捕らえられ、気が付いたらここにいた。

 そして数年の間、監禁されたままだった。

 殺されることも無く、嬲られる事も無く、ただただ延々とこの部屋に閉じ込められていた。

 もっともこの体ではそんなことがあるわけもなかった。

「……帰るのでしたら、どうぞ。この部屋の結界を解きましょう。ちょっと遠いですが、今の貴方なら、無傷で村に帰ることも可能でしょうね。」

 ゼクスフェスが言う。まるで無感情に言う。お前になど興味はない、閉じ込めておく事になんら興味もないと言いたげだ。
 
 自分はサマエルともネボラニグレとも違う、と言いたげだった。

「どうします?貴女が望むなら、私の一存で開放しますよ?」

 ゼクスフェスの言葉にアマンダは固まる。

 身体を震わせ、俯き悲し気に顔を振り、床にへたり込み、手で顔を伏せた。
 
 すすり泣くような声が聞こえ、ゼクスフェスはふと何かを思い出したように口を開いた。

「そういえば……もしかしたらご存知かな、我ら魔族を仇と狙う、ファフニール様と同じほどの年齢の少年に会いました。」

 アマンダの震えていた肩がぴたりと止まり、恐る恐る涙で濡れた顔を上げる。
 
「ジュンヤという名の人の子です、ご存知ですか?」
「………じゅん……や、あ、あ、ああああああっ」

 アマンダの目からボロボロと涙が迸った。

 懐かしい名前だった。

 愛しい名前だった。

 生きていてくれた、ジュンヤは生きていたんだ。アマンダは顔をぐしゃぐしゃにして泣いた。

 あの時自分が村に戻っても、亜人と戦っている時も、ジュンヤは戻ってこなかった。
 
 村の人達が殺され、喰われている時も、首の無い騎士の魔法で、黒い球体に呑み込まれた時も、結局ジュンヤは来なかった。

 ジュンヤは死んだ、そう思っていた。だけど……

「やはりご存知でしたか。」

 ゼクスフェスはふと考える。よくよく見ればファフニールは、ルミネスに似ていると。

 髪の色も僅かに薄いが似ている。そもそもルミネスは幼女となっていたが、それ以前はどうだったか。それこそこの少女にそっくりなのではないか。

 しかしルミネスは数百年の長き時を生きる吸血鬼だ。ファフニールはこの世界に生を受けて10数年である。そもそもが違うはずだ。

 いやなにかおかしい、ルミネスは魔族だ。数百年生きる魔族だ。

 なのに、ルミネスはいったい何処に居たのだ?

「ジュンヤ、ジュンヤは何処に?」

 アマンダの声が響き、ゼクスフェスはアマンダに視線を戻し、見つめる。──やはりそっくりだ。顔形のみならず、それ以上に似ている。

「……すぐそこですよ、いずれ、それも数日のうちには此処に辿り着くかもしれません。」

 泣き濡れた顔がゼクスフェスを見ると、能面の顔がわずかに微笑んでいるかのようだった。もっとも角度によって表情が微妙に変わるのだから、確かとは言えない。

「奴にはここに来るように、と言っておきましたよ。ファフニール様、此処にいればいずれ会えるかも知れません」

 能面の顔が少し傾き、その表情が微かに怒っているようにも、期待に北叟笑んでいるようにも見えた。

「ジュンヤ、あ、あ、アタシ、、アタシ、、、」

 アマンダは泣いた。自分の今の状況に泣いて泣き崩れた。

「最も、会うかどうか、それはファフニール様次第ですが。」

 ゼクスフェスの声が響いた。

††
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