Innocent

本宮瑚子

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Side-A イノセント<真実>

1.

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 【Innocent】と書かれた小さな木目の看板がぶら下がる、銀縁の重厚なドア押し開ける。照明が程よく絞られた店内に足を踏み入れれば、 

「いらっしゃ……って、こら。うちはカフェじゃねぇぞ? それに、開店前だ」 

    開店前だと言うのに、お客様なら『いらっしゃいませ』と、愛想を振り撒くつもりだったらしいここの店のマスターは、あたしの顔を見るなり、げんなりと言った。

    でもそれは、心底迷惑してる、って顔じゃない。切れ長の瞳の奥の柔らかさも、僅かに上がる口端も、全体的には笑っているように見える。たとえそれが苦笑いってやつだとしても、知らんぷりだ。 
   
    居座るつもりでカウンターの椅子を引く。怒ってつまみ出されるなら別だけど、そんな薄情な真似するはずないし、結局は……、
 
「何か飲むか?」 

    ピック一つで器用に氷を丸く削るマスターの前に座ったあたしを、こうして優しく迎えてくれる。

「ソルティードックが飲みたい」 

「ない」 

「バーなのに?」 

「女子高生に飲ませる酒は置いてない」 

きょうちゃんのケチ」 

「何とでも言え。のぞみに怒られんのは俺だぞ? 望に嫌われるよりマシだ」 

「響ちゃんは、本当にノンちゃんが好きなんだねぇ」 

「当たり前」 

    綺麗な瞳を細めて、フッって笑ったマスターである響ちゃんは、水晶のように仕上がった透明な丸い氷をしまうと、「イチゴミルク作ってやる」と、押しつけがましく、勝手にあたしの飲み物を作り出す。 

    そんなお子ちゃまみたいな甘いものなんていらないのに。少しくらい飲ませてくれてもいいのに。

    今時、高校生だってお酒くらい飲んでいる、という“常識”を知らない響ちゃんは、ぷくっと頬を膨らませるあたしを無視して、せっせとイチゴのヘタを取っている。
    もっとも、高校生もお酒を飲むっていう“常識”よりも、断然必要な一般的常識そのものを知らない響ちゃんは、 未成年だからという理由でお酒を飲ませないんじゃない。

    法律よりも、ノンちゃんの考えが第一優先。処罰されるよりも、ノンちゃんに嫌われることを何よりも恐れている。だから、あたしがあと三年経って大人になったとしても、ノンちゃんがダメと言ったら、きっと響ちゃんはお酒を飲ませてはくれないと思う。
    それだけ、響ちゃんは奥さんであるノンちゃんを愛している。それも仕方がない。高校生のあたしから見ても、ノンちゃんは大人なのに本当に綺麗で可愛らしい。
    
    くっきり二重の黒目が大きな瞳。マスカラを塗らなくても、太く長く上を向いたまつ毛。目尻の下には小さな泣きぼくろがあって、筋の通った高い鼻も、小さな唇も、顔のパーツ全てが整っている。 
    日頃のナチュラルメークも素材が良いから完璧で、なのに、中身は凄くおっちょこちょいだったりするから憎めない。

    いつも、鍵がないと騒いでは大抵カバンの中にしまってあったり、酷い時は自分の手に握りしめていたりする。
    買い物に行っても肝心な財布を忘れたり、料理をすれば、指に傷を作ることもしばしばで。道に迷って困っているおばあちゃんを見ては放っては置けず、一緒に目的地を探して辿り着いたまでは良かったものの、帰り道が分からなくって、自分がしっかり迷子になったノンちゃんを、隣街まで響ちゃんが迎えに行ったこともある。
    部屋の中にいても、どうしてそんなとこで?   と不思議なほど、よく足の小指をぶつけては涙目でうずくまる、綺麗だけどドジで可愛いノンちゃん、その人は……。 私の大好きな人であり、自慢の叔母だ。




    あたしの父親の妹であるノンちゃんは、父親と十歳以上歳が離れていると思うけれど、それはあくまで予想でしかない。父親よりも、あたしとの方が歳が近い気がするけれど、実際のところは分からない。父親にも固く口止めをしているらしいノンちゃんは、あたしに年齢を教えてはくれない。 

    前に本当の年齢を教えて? と訊いた時。『女は歳を気にしちゃいけないのよ?』そう言ったノンちゃんに、訊くのは止めようと思った。唇を尖らせて言うノンちゃん本人が、一番気にしているらしいと悟ったあたしは、もう訊くのは止めてあげようと思った。 
    年齢を教えてはくれないノンちゃんは、あたしが“のぞみ叔母さん”と呼ぶのにも抵抗があるらしい。だから、気付いた時には“ノンちゃん”と、あたしは呼んでいた。ノンちゃんはきっと、必死になって幼いあたしに教え込んだんだと思う。

    そんなノンちゃんが響ちゃんと結婚したのは、今から二年前。あたしにとっても凄く嬉しいことだった。
    だけどそれは、結婚そのものに対してじゃない。結婚するまでは、駅が四つ離れた街に住んでいたノンちゃんが、結婚と同時に、あたしの住む街に引っ越して来た、それがあたしを喜ばせた最大の理由だ。
    自宅でフラワーコーディネーターの仕事をしているノンちゃんに、好きな時に会える。その距離にノンちゃんがいる事が、何よりも嬉しかった。なのに今は────。

「お待たせ、七海ななみ」 

    優しい声で私の名を呼び、イチゴミルクを差し出すその瞳を見て、キュンと胸が痛むあたしは、ノンちゃんとの距離に、苦しさを感じてしまう。ノンちゃんを思い浮かべては、ズキンと胸が痛んでしまう。




「……いただきます」 

    その痛みを隠して口に入れたイチゴミルクは、想像通りに甘かった。甘い分だけ、子供扱いされていると分かる、イチゴミルク。 
    こんなものより、やっぱりソルティードックがいい! って言いたくなる。その思いごと飲み込むように、グビグビと飲んでグラスを置けば、ジッと様子を窺う響ちゃんの瞳とぶつかった。 
    どう? って確かめるような眼差しを前に、 

「美味しい」 

    あたしは平気で嘘をつく。 
    そう言えば、「だろ?」と得意気に響ちゃんが笑ってくれるから。 
    嬉しそうに頬を緩めるその笑顔は、ノンちゃんにではなく、他には誰もいないこの場所で、ズルイあたしが今だけは独占できるから。
    それだけでいい。それだけで充分だし、響ちゃんとノンちゃんの仲を壊すつもりはない。
    尤も、美男美女で仲が良いお似合いな二人に、入り込む隙はチリほども見つからないけど……。 もし見つかったとしても、ズルイあたしには、そんな権利は初めからない。 

    あたしには、幼馴染でもある彼氏がいる。キスまでしかしたことはないけれど、れっきとした恋人がいる。 
    生まれた時から隣に住む涼太りょうたと付き合い出して一年。一年経った今でも、好きだ好きだと前面に押し出す涼太は、物心ついた頃から、あたしだけを想ってくれている。そんな涼太を、あたしもまた大切だと思うのに……何故だろう。 
    響ちゃんに対しても、ノンちゃん対しても、 それぞれに違う痛みを伴う胸の奥にあるこの想いを、どう片付けて良いのかが分からない。 
    こういう思いを何て言うんだろう。
    ──これはイケナイ“恋”なんだろうか。


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