Innocent

本宮瑚子

文字の大きさ
3 / 9
Side-A イノセント<真実>

3.

しおりを挟む
「おい、大丈夫か?」 

    大丈夫って何?
    大丈夫ってどういうこと?

    こんな衝撃発言訊かされて、大丈夫でいられる方法があるなら教えて欲しい。 
    大丈夫なわけがない。それだけ酷いことを響ちゃんは言ってるんだって、分からない方が不思議で仕方ない。
    どうして、慌てた素振りも見せずに、零れたイチゴミルクなんて拭いていられるのだろう。
    どうして、平然とグラスの破片をかき集めていられるのだろう。

「怪我はないみてぇだな」 

    怪我なんてしてないし、そんなものどうでもいい。そんなものより、この胸の痛みを何とかして欲しい。軋む胸の痛みが止まらない。 

「ほら、入れ直したから飲めよ」 

    グラスを割ったことを責めずに、優しく笑ってあたしを見ても、キュンとなるどころか、胸はギシギシと痛むだけ。
    こんなの響ちゃんじゃない。あたしの知ってる響ちゃんじゃない。
    否定したい気持ちがぐるぐる廻る思考の中、ノンちゃんの顔だけがリアルに浮かぶ。
    目に映してるのは、目の前にいる優しい顔の響ちゃんなのに……、あたしは、視界よりも脳内に浮かんだ、ノンちゃんの可愛らしい笑顔だけしか捉えられなかった。


    暫く続いた沈黙。それを破ったのは、響ちゃんだった。 

「七海には、刺激が強すぎたか? ほら、これ飲んでちょっとは落ち着け」 

    黙りこくるあたしに、響ちゃんが新たに入れ直したイチゴミルクのグラスを差し出してくる。 
    どうやら、自分の発言に問題があったのだと少しは気付いたらしい。
    でも、今更だし。今更、こんなもので落ち着くはずがないし、落ち着けるはずもない。しかも、刺激じゃなくて、衝撃だし……。 
    そんなことも分からない響ちゃんは、煙草の煙に目を細めて、あたしの睨みにまでも気付かない。気付かないから文句の一つでも言ってやりたいのに、喉の渇きがそれを邪魔をする。 
    今の響ちゃんの言うことなんて訊いてあげたくないのに。あたしの知らない響ちゃんの、言われるがままになんてなりたくないのに。カラカラの喉には勝てず飲みこんだイチゴミルクの味は、もう甘いのかさえ分からなかった。 

「そんな睨むなって。可愛い顔が台無しになる」 

    煙草をもみ消した響ちゃんは、飲みながらも睨み続けたあたしに漸く気付いたらしいけれど、“元ホスト”だと思わせるわざとらしい発言に、あたしの睨みが止まるはずもなかった。     
    寧ろ、あまりの嘘臭さに、今まで見てきた響ちゃんは幻だったに違いないと思えてくる。

「おまえが怒るのも無理ないけど、自分の想いに嘘つけなかった。それだけ良い女だったんだ……ごめんな?」 

    こういう時こそ嘘をつけば良いと思う。“元ホスト”なら、それくらい容易いはずじゃないかと思う。バカ正直に“良い女だった”なんて訊かされた後に謝られたって、許せるはずがない。 
    全てを打ち明けるのが、必ずしも誠実な訳じゃなくて、隠した方が良い事だってきっとある。胸にしまったままの方が優しさだって時も絶対にある。
    なのに、傷つく人がいるのにも構わず、本音を漏らす響ちゃんは、何だかとても不誠実に思えた。そんな女心も分からない響ちゃんが“元ホスト”だったなんて、訊いて呆れる。

「響ちゃんって、最低のホストだったでしょ?」 

    ずっと黙ったままのあたしが出した声は、自分でもびっくりするほどに低かった。 
    でも驚いたのは自分だけで、オレンジを取り出し、何やら次の作業に取り掛かりだした響ちゃんは、 

「否定はしねぇ」 

    驚くどころか、チラリとあたしを見ただけで、あっさりと肯定する。
    やっぱり不誠実だと思う。これ以上、幻滅させないで欲しいのに、ことごとく響ちゃんは裏切ってく。 



    あたしでさえ、こんなにもギシギシと胸が痛むのに、ノンちゃんがこんな響ちゃんの胸の内を知ったら……。そう思うと胸が張り裂けそうだった。 

「ノンちゃんに悪いと思わないの? 良い女だって言うんなら、ノンちゃんだって最高の女なのに! そんなノンちゃんに対して酷いとは思わないの?」 

    さっきとは打って変わって、天を突き上げるように昂る声。ノンちゃんを思うと、言わずにはいられなかった。こんな響ちゃんを許しちゃいけないって、今まで響ちゃんを見てキュンとしていた自分を棚に上げて、ノンちゃんを守ってあげなきゃって思いに駆られる。 
    だけど……、

「望なら全部知ってる。俺がホストやってたことも、惚れた女がいたことも」 

    守るどころか、手遅れだったらしい。もう全部ノンちゃんは知っているらしい。 

「望は最高の女だ。俺みたいな最低な男を丸ごと受け入れてくれたんだからな」 
「だったら────」 

    ノンちゃん一筋でいいじゃない! と続けようとした言葉は、響ちゃんによって呑み込まれた。 

「でも、最低なホストとしての俺を救ってくれたのは、一華いちかだ」 
「…………一華?」 

    初めて明らかにされた、忘れられないらしい女の名前に、自然と眉はつり上がり、声だってまた低くなったのに、響ちゃんは気にする素振りすらみせない。 

「あぁ。尤も、当時は呼び捨てなんて出来なかったけどな。年上だし、高嶺の花だし」 

    そう言ってオレンジを切りながら、フッって笑う余裕すら見せている。 
    こっちは、年上だという新たな事実まで付け加えられ 

「……い、幾つ上だったの?」 

上擦る声で訊くのが精一杯だ。 

「5コ」 
「ご、5コ? 5コも上!?」

     頷く響ちゃんを見ながら、目が丸くなる。 



    年上だとは思ってもみなかった。ノンちゃんが可愛らしいタイプだから、何の根拠もなしに同い年か年下だと漠然と思っていた。
    年上なんて、全くのノーマークだ。だって、五つも上って言ったら、相当大人の女性で、可愛らしいって言うには、はばかられる年齢だ。 

    今日は、驚き続きだ。驚き過ぎて、あたしの脳内は相当に忙しい。次々と突き付けられる真実に、追いついていくだけでもやっとだ。なのに、あたしの知らない響ちゃんは、今日はとことん迄にあたしを追い詰める気でいるらしい。

「年下の俺からみても、すげぇ綺麗な人だった。老舗のクラブで、夜を上がるまで不動のN0.1を張ってた女だ。放つオーラさえ他の女とはまるで違う。俺が働いてた店の界隈かいわいでは、誰しもが一華を認めてたほど、いい女だった」

  まさか、まさかの夜の女だった発言。煌びやかな世界に蔓延はびこる蝶の女の一人。

    そんな人を響ちゃんが……?

    驚きが積もり過ぎたのかもしれない。積もり過ぎて、キャパ一杯になった忙しい頭は、ネジが外れたのかもしれない。 
    驚きが積もり過ぎで辿り着いた先は、震えるほどの怒りだった。どうしようもない怒りが、あたしの全身を駆け巡る。 
    だって、夜の世界でしょ? まやかしの世界でしょ? どんなに綺麗だとしたって、響ちゃんがそうだったように、やってることは偽りじゃん! 
    お客さんに媚売って、優しい言葉のひとつもかけたって、所詮それは偽善でしかないじゃない! 
    偽善の見返りに、沢山のお金を貰うんでしょ? そんな女がどんなに綺麗だとしても、それは外見だけであって、中身までが綺麗なはずなんかない。損得勘定だけで動く計算高い女に決まってる。


    
    両手をバタンとカウンターに叩きつけ、怒りを乗せる。 
    その音に反応したのか、手を休め顔を上げてあたしを見る響ちゃんを真っ直ぐに見据えた。

「そんな女のどこがいいの? ノンちゃんの方がよっぽど綺麗じゃない。迷子になって困ってるおばあちゃんを放って置けないほど、ノンちゃんは心まで綺麗なんだよ。自分が迷子になることも考えずに、困った人には手を差し伸べる優しい人なんだよ。綺麗って言うのは、ノンちゃんみたいな人を言うの! 顔だけじゃない! 中身まで綺麗なノンちゃんみたいな人のことを言うの! そんな女、綺麗なんかじゃない! ずるいだけだよ!」 

    一気に捲し立てて息遣いが荒くなるあたしを、 

「七海」 

    洗った手をタオルで拭う響ちゃんが、低い声で止めに入る。 

「一華を悪く言うな。例え七海でも、一華を悪く言うのは俺がゆるさねぇ」 

  あたしとは比べものにならないほどの威嚇的低い声で、怒ってるあたしを怖気づかせる。
    こんなの理不尽だ。理不尽すぎる。

    怒っていいのはあたしのはずなのに、何であたしが怒られるの? 責められるべきなのは、響ちゃんのはずなのに……。 

「だって、夜の世界の人でしょ? 響ちゃんがいた同じ世界の人でしょ? 響ちゃんだって、女の人騙したりしてたんじゃないの? だから、最低なホストだって言ったんでしょ? だったら、その人だって男の人を────」 

    怖気づく自分を振り払って、勇気を出して言ってみたけれど、 

「違う。俺は何言われても仕方ない。でも、一華は俺とは違う。だから一華を悪く言うな」 

    その勇気を簡単に振り払った響ちゃんは、ものの見事なまでに、またもあたしに圧をかける。   
    それだけ響ちゃんの目は怖かった。声の低さより、その瞳がもう何も言わせない! と訴えているようで怖かった。 
    理不尽だと思いながらも、有無も言わせぬ迫力ある瞳を前に萎縮したあたしは、もう押し黙るしかなかった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

お義父さん、好き。

うみ
恋愛
お義父さんの子を孕みたい……。義理の父を好きになって、愛してしまった。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

離婚した妻の旅先

tartan321
恋愛
タイトル通りです。

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。 「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく… なお、スピンオフもございます。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

処理中です...