教師と生徒とアイツと俺と

本宮瑚子

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39. 儚き夏の日-8

「お待たせーっ」

 大皿に乗ったオードブルを、サブローが運んで来た。

 何で、料理人のお前が持ってくるんだ? スタッフが他にいるだろう!

 そう思ったが、奈央が小さく洩らした『ありがとう』に何か言葉を返してしまえば、それは本人が望まないような気がして、無駄に明るいサブローがこのタイミング来たのは、幸いだったかもしれないと考えを改めた。

「へぇー、見た目は旨そうだな」
「ひっでーなー。食っても旨いんだよ」

 サブロー自らサーブしてくれた料理を口に運ぶ。

「おっ、旨いじゃん」
「美味しい」

 俺と奈央の言葉が重なる。
『~料理』と区切りを持たないこの店は、サブローが美味しいと思ったものを何でも出す創作料理店だ。
 サブローが自信を持って出すだけあって、それらは本当に旨かった。

「だろー。まだまだこんなもんじゃねーからな。ところで二人って嫌いなもんある?」
「貝割れ」

 すかさず答えたのは俺だ。

「ニンジン。カレーやシチューに入ってる人参以外は苦手で……」

 奈央も後に続き、奈央と俺は互いの顔を見て笑い合う。

「了解。人参は入れないからね~。カイワレはごっそり入れて来てやる!」

 笑っていたはずの奈央の顔が急に強張った。

「馬鹿! 絶対に入れんなよ!」

「俺が殴られる」と、小さく付け加えたが、サブローの耳には届かなかったらしく「じゃあ、もっと旨いの作ってくるな!」一層の気合いを入れて、またキッチンへと戻って行ってしまった。

「貝割れがごっそり顔を出したら、殴られる覚悟はあるんだ」

 料理を口元に運びながら話す奈央は、いつでも殴る用意は出来ているだろうと思われる。

「殴んなよ。俺が食えばいいんだろ?」
「うん、宜しく」



 それから俺達は、奇麗な花火を見ながらサブローの料理に舌鼓を打ち、楽しい時間を過ごした。奈央も笑みが絶える事なく機嫌が良い。
 それはいいのだが……。

 もうその辺にしない? 奈央ちゃん!

「敬介、もう一杯」
「ダメっ! 飲み過ぎだ!」
「これ位、大丈夫だもん!」

 すでにシャンパンは空となり、奈央にはノンアルコールのドリンクを頼んだものの、俺が注文した白ワインを目を盗んでは飲んでいる始末だ。
 もう止めろと注意すれば「反応したくせに」「キスしたくせに」と、俺を脅しにかかる。
 頭の良い奈央に刻み込まれた記憶は、そう簡単には消せそうもない。

 俺は、あと何度このネタで脅迫されるんだ?

「花火も終わったし、そろそろ帰るぞ」

 ほんのり顔を赤く染める奈央を、嗜めようとしたのに

「よーし、今日の仕事は終わりだー! 敬介、奈央ちゃん、ガンガン飲むぞー!」

 今度は来るタイミングを外したバカ男。

「俺達はもう帰る」
「何だよ久々に会ったのに、そりゃねーよ。折角仕事を押し付けて上がってきたんだから、少しは一緒に飲もうぜ? ね、奈央ちゃん?」
「私も飲みたいなぁ」

 俺のシャツの裾を掴み、上目使いで見てくる奈央。赤ん坊の様な綺麗な肌を赤く染め、出てくるのは可愛い甘い声。

 奈央ちゃん、赤ちゃん返り?……いやいや、違う。単なる酔っぱらいだ!

 そう思っても、奈央のその態度は効果覿面こうかてきめんで、

「しょうがねぇな」

 と、つい甘やかしてしまう。

「でも、あんま飲むなよ」

 一応の注意を付け足せば、

「ふん、こんなの水でしょ、水!」

 返ってきたのは生意気なそれだった。

 くそっ、騙された! 何だその態度は。ぜんぜん可愛くねーじゃん!

 当然、そんな可愛いげのない奈央から強引にワインを奪う。しかし、既にアルコールが入っている奈央は、いつもより口を滑らかにさせ、見るからにご機嫌そうだ。
    片やサブローは、素面しらふでも煩いと言うのに、酒が入れば尚更だった。
 木村の甥っ子と言う理由で、夏になると一緒に遊ぶ事が多かった昔話から始り。五年前にサブローが東京に遊びに来たときの話まで、俺の存在すら忘れて奈央にひたすら話し続ける。
 その時、俺が連れていた女の化粧が濃いだの、香水がきついだの、女に冷たかった等と、そりゃあもう、余計な事をベラベラと喋りまくる。

「サブロー! いい加減にしとけよ。おまえはもう喋るな!」
「あっ、まずいこと言っちゃった? あははは、ごめんね奈央ちゃん、俺の言ったこと気にしないでね」
「え? 全く気にしてないですけど?」

    不可解に首を捻った奈央。その表情が本心だと語っている。
 気にされては困るが、あまりに気にされないのもこれまた傷付くわけで、矛盾した感情に胸が疼く。
 俺達が付き合っていると思っているサブローは、奈央の反応が不思議なようで、俺と奈央の顔を交互に見た。

「お前が思ってる関係じゃねぇから」

 奈央、奈央、と煩いサブローには、牽制も込めて勘違いさせたままでいたかったが、やむ無く白状するしかない。
 なのに、俺の心情を深読みしようともしないこのバカ男は、

「そうなの? じゃ、俺。奈央ちゃんの恋人に立候補しちゃおうかな~!」

 神経を逆なですることを、いとも簡単に言いやがる。

 イライラしながら俺が煙草を吹かしているのにも気付かず、挙句の果てには頭を下げ、右の手の平を空に向けて奈央の前に差し出したサブローは、

「奈央ちゃん、俺の子供、四郎を産んで下さい! いや、兄貴んとこに先に息子が出来たら、その名は取られる可能性があるから、五郎になるかもしれないけど」

 と、のたまった。

 つーか、恋人通り越して、サラッとプロポーズもどきみたいな真似すんな!
 バカだバカだとは思っていたが、ここまで本当に大バカだとは……。生まれてもない内から、四郎だの、五郎だのって、どこまで漢数字の名前を引き継がせる気だ!
 自分の名前をいい加減な親に付けられたって言ってるが、お前はそれ以上にいい加減だろーが。
 第一、奈央がお前のガキなんか産むわきゃねーんだよ。それ以前に相手になんかされるか!

「うわっ、あちっ!」
「おっ、悪いな。灰皿と間違えた」

 ムカついた俺は、差し出していたサブローの手の平に、煙草の灰を落とした。

「敬介、何すんだよ~。ひでぇな~」
「あ? 灰くらい熱くねーだろ。火種押しつけられなくて良かったな」

 そんな俺の嫌がらせにもへこたれないサブローは、奈央ちゃん、奈央ちゃんと、それからも騒ぎ続け、ムカムカする俺は、いくら酒を飲んでも酔う事なく、サブローに目を光らせていた。
 一方の奈央は、煩いサブローと、それを怒鳴る俺を見ながら楽しそうにしていたが、流石に昼の疲れと酒のせいか、前後左右と不安定に体を揺らし始めた。

「大丈夫か?」
「フラフラする~」

 俺は奈央を抱きよせ、肩に凭れ掛けさせる。

「敬介~、俺もフラフラするぅ~」
「お前は、その辺にでも転がっとけ」
「ひどっ!」

 気付けば、もう日付が変わる時刻。明日は東京に帰らなければならない。

「サブロー、俺達そろそろ帰るわ」

 そう言うと、俺はサブローの前に祝い袋を差し出した。
 それを見たサブローは、酒のせいで虚ろになっていたはずの目を見開かせる。

「何だよこれ」
「今日の分と、この店オープンしたのに、まだ祝いもやってなかったからな」
「バカ言うなよ。こんなに受け取れるはずないだろ」

 袋の厚みに驚いたのか、なかなか受け取ろうとはしないサブローに強引に押し付けた。

「出したもんは引っ込めらんねぇよ」

 奈央を支えながら立ち上がった俺を見て、渋々ながらも受け取ったサブロー。

「悪いな、敬介」
「いや。料理旨かったよ」
「敬介、また来いよ? 夏に限らず、お前が好きな時に、お前の意志で、またいつでも遊びに来い!」

 幼かった頃、俺の気持ちに関係なく、親に置いていかれた事を知っているサブローだからこその言葉。

「ああ、また来るよ」
「おぅ、待ってるからなぁ~。奈央ちゃん連れて来てくれるのを!」
「それが目当てかよ」
「当たり前でしょ~!」

 ったく、最後までこいつは……。

 呆れながらもサブローと笑いあい、別れを告げる。

「じゃあな。奈央行くぞ」

 瞳を閉じかけそうになる奈央の肩を揺する。

「あ、サブローさん、ごちそうさまでした」

 奈央はペコリと頭を下げたが、その足には力が入っていない。

「奈央ちゃーん、また俺に会いに来てね~。次は子作りがんばろうね~」

 最後に一発殴っとくか? 一瞬、本気で考えたが、奈央に返事させるより早く、奈央の肩に手を回し店を出た。
 でも、サブローも限界だったのだろう。

「うぅぅ、気持ち悪りぃ~」

閉じた扉の中から、苦しそうな呻き声が聞こえてきた。






 高台にあった店から坂を下り、海岸沿いの通りまで出れば、奈央は肩に回した俺の手を払いのけ、おぼつかない足取りで頼りなげに歩く。

「大丈夫か?」
「んー……」
「どうした? 気持ち悪いのか?」

 何故か唸っている奈央。
 てっきり気分でも悪いのかと思えば、奈央が急に立ち止まり吐いた言葉に、俺の思考は狂わされた。

「……脱ぐ」
「はっ?」
「……」
「な、奈央ちゃん? 何……言ってんの?」
「脱ぐ!」
「いや、待てって」
「だから~、もう嫌なの! 脱ぐ~!」
「お、おいっ!」

 ぬ、ぬ、脱ぐ!?
 ま、待て。落ち着け奈央。此処は公道だぞ! そう言うのは、俺の前でだけ……って、違うか!

 頭を振って邪心を追い出す。
 いくら夜中で人気がないとはいえ、暗闇のどこかで誰が見てるとも分からない。

 こんな外で、そんな事、絶対ダメだっ!

「奈央。早まるなーっ!」

 完全に落ち着きをなくしたのは俺の方だった。
 慌てて拘束しようと奈央の手を強く掴む。その俺の足元で、カラン、と何かが音を立てた。

「これって、どっちだと思う?」

 そして続く、不可解な奈央の発言。でもそれも、次の言葉で理解する。

「雨じゃないね~」

 俺に手を掴まれたままの状態で呟く奈央。

「……そうだな」
「良かったね」
「……あ、あぁ」

 俺の想像とは違うものを脱ぎ捨てた奈央。
 それは、片方が晴れと、もう片方が曇りを示す方向で、俺の足元に転がる奈央の下駄。
 単なる勘違いをしていたらしい俺の前では、

「下駄脱いだら、足の裏が柔らかいって言うか変な感覚。でも気持ちいい。スッキリした~」

 人の動揺など知る由もなく、酔っぱらいがニコニコしている。

 全く、紛らわしい言い方すんなっ!

「ったく、しょうがねぇな。ほら、乗れよ」
「え?」

 俺は奈央から手を離して下駄を持つと、奈央の前にしゃがみ込んだ。

「裸足で歩いたら怪我すんだろ。おぶってやるよ」
「浴衣が肌蹴る」
「いいから早くしろ。肌蹴ても俺で隠れて見えねぇだろ。それともまた下駄履くか?」
「それはイヤ」
「だったら、乗れ」

 背中に重みを認めると立ち上がり、波の音しか聞こえない夜道を歩き出した。

「静かだな……」

 昼間はあんなに賑わっていた海辺も、流石にこの時間ともなれば静まり返り、花火をしようとする若者すらもういない。
 背中に乗っている奈央もまた、返事もなく静かで、俺の首筋に顔を埋めていた。
 
    もしかして、もう寝たとか? 酒飲んでるし、眠そうだったもんな。

 そんな奈央を背負いながら、楽しかったこの夏が終わり行く寂しさを感じ、いつまでも波の音を聞いていたくて、歩く速度を意識して抑えた。

「……敬介」

 何だ、寝てなかったのかよ。

「どうした?」
「敬介の背中って、大きくて……あったかい」
「ん? そうか?」

 小さい小さい途切れがちの奈央の声。もう意識の半分は夢の中なのかもしれない。それでも話そうとする声音は、更に弱くなる。

「敬介……優しく……しないで」
「え?」
「……気持ちが…………揺らぐ」
「………………奈央?」

 こんな近くじゃなければ、耳を澄ましても聞こえなかっただろうその声に、俺の気持ちもまた揺らいでいた。

 ──奈央、どうして気持ちが揺らぐんだ? 俺が優しいんだとしたら、それはお前だからだ。奈央だから俺は……。

「奈央、俺──」

 言いかけた言葉と同時に足が止まる。俺を止まらせたのは、首筋に伝わる生暖かい雫だった。

 何故、泣く? 何を思って泣いているんだ? その涙は、しょっぱい涙か?
 今はまだそうだとしても、いつかその涙を変えられたら……。

    奥底に隠すと決めた想いが溢れだすのを感じながら、俺はまた歩き出した。
 あの涙がなかったら言ってしまっていただろう想いを。蓋をしたつもりが、それすら押しのけ溢れ出そうとするこの気持ちを。もう押さえ込むのは難しいと痛感せずにはいられなかった。

 どうしていいのか分からない感情に洩れる吐息。それは、掠め取った潮風だけしか知らない。
 完全に力のなくなった奈央からは、静かな寝息だけが聞こえてきた。

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