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39. 儚き夏の日-8
「お待たせーっ」
大皿に乗ったオードブルを、サブローが運んで来た。
何で、料理人のお前が持ってくるんだ? スタッフが他にいるだろう!
そう思ったが、奈央が小さく洩らした『ありがとう』に何か言葉を返してしまえば、それは本人が望まないような気がして、無駄に明るいサブローがこのタイミング来たのは、幸いだったかもしれないと考えを改めた。
「へぇー、見た目は旨そうだな」
「ひっでーなー。食っても旨いんだよ」
サブロー自らサーブしてくれた料理を口に運ぶ。
「おっ、旨いじゃん」
「美味しい」
俺と奈央の言葉が重なる。
『~料理』と区切りを持たないこの店は、サブローが美味しいと思ったものを何でも出す創作料理店だ。
サブローが自信を持って出すだけあって、それらは本当に旨かった。
「だろー。まだまだこんなもんじゃねーからな。ところで二人って嫌いなもんある?」
「貝割れ」
すかさず答えたのは俺だ。
「ニンジン。カレーやシチューに入ってる人参以外は苦手で……」
奈央も後に続き、奈央と俺は互いの顔を見て笑い合う。
「了解。人参は入れないからね~。カイワレはごっそり入れて来てやる!」
笑っていたはずの奈央の顔が急に強張った。
「馬鹿! 絶対に入れんなよ!」
「俺が殴られる」と、小さく付け加えたが、サブローの耳には届かなかったらしく「じゃあ、もっと旨いの作ってくるな!」一層の気合いを入れて、またキッチンへと戻って行ってしまった。
「貝割れがごっそり顔を出したら、殴られる覚悟はあるんだ」
料理を口元に運びながら話す奈央は、いつでも殴る用意は出来ているだろうと思われる。
「殴んなよ。俺が食えばいいんだろ?」
「うん、宜しく」
それから俺達は、奇麗な花火を見ながらサブローの料理に舌鼓を打ち、楽しい時間を過ごした。奈央も笑みが絶える事なく機嫌が良い。
それはいいのだが……。
もうその辺にしない? 奈央ちゃん!
「敬介、もう一杯」
「ダメっ! 飲み過ぎだ!」
「これ位、大丈夫だもん!」
すでにシャンパンは空となり、奈央にはノンアルコールのドリンクを頼んだものの、俺が注文した白ワインを目を盗んでは飲んでいる始末だ。
もう止めろと注意すれば「反応したくせに」「キスしたくせに」と、俺を脅しにかかる。
頭の良い奈央に刻み込まれた記憶は、そう簡単には消せそうもない。
俺は、あと何度このネタで脅迫されるんだ?
「花火も終わったし、そろそろ帰るぞ」
ほんのり顔を赤く染める奈央を、嗜めようとしたのに
「よーし、今日の仕事は終わりだー! 敬介、奈央ちゃん、ガンガン飲むぞー!」
今度は来るタイミングを外したバカ男。
「俺達はもう帰る」
「何だよ久々に会ったのに、そりゃねーよ。折角仕事を押し付けて上がってきたんだから、少しは一緒に飲もうぜ? ね、奈央ちゃん?」
「私も飲みたいなぁ」
俺のシャツの裾を掴み、上目使いで見てくる奈央。赤ん坊の様な綺麗な肌を赤く染め、出てくるのは可愛い甘い声。
奈央ちゃん、赤ちゃん返り?……いやいや、違う。単なる酔っぱらいだ!
そう思っても、奈央のその態度は効果覿面で、
「しょうがねぇな」
と、つい甘やかしてしまう。
「でも、あんま飲むなよ」
一応の注意を付け足せば、
「ふん、こんなの水でしょ、水!」
返ってきたのは生意気なそれだった。
くそっ、騙された! 何だその態度は。ぜんぜん可愛くねーじゃん!
当然、そんな可愛いげのない奈央から強引にワインを奪う。しかし、既にアルコールが入っている奈央は、いつもより口を滑らかにさせ、見るからにご機嫌そうだ。
片やサブローは、素面でも煩いと言うのに、酒が入れば尚更だった。
木村の甥っ子と言う理由で、夏になると一緒に遊ぶ事が多かった昔話から始り。五年前にサブローが東京に遊びに来たときの話まで、俺の存在すら忘れて奈央にひたすら話し続ける。
その時、俺が連れていた女の化粧が濃いだの、香水がきついだの、女に冷たかった等と、そりゃあもう、余計な事をベラベラと喋りまくる。
「サブロー! いい加減にしとけよ。おまえはもう喋るな!」
「あっ、まずいこと言っちゃった? あははは、ごめんね奈央ちゃん、俺の言ったこと気にしないでね」
「え? 全く気にしてないですけど?」
不可解に首を捻った奈央。その表情が本心だと語っている。
気にされては困るが、あまりに気にされないのもこれまた傷付くわけで、矛盾した感情に胸が疼く。
俺達が付き合っていると思っているサブローは、奈央の反応が不思議なようで、俺と奈央の顔を交互に見た。
「お前が思ってる関係じゃねぇから」
奈央、奈央、と煩いサブローには、牽制も込めて勘違いさせたままでいたかったが、やむ無く白状するしかない。
なのに、俺の心情を深読みしようともしないこのバカ男は、
「そうなの? じゃ、俺。奈央ちゃんの恋人に立候補しちゃおうかな~!」
神経を逆なですることを、いとも簡単に言いやがる。
イライラしながら俺が煙草を吹かしているのにも気付かず、挙句の果てには頭を下げ、右の手の平を空に向けて奈央の前に差し出したサブローは、
「奈央ちゃん、俺の子供、四郎を産んで下さい! いや、兄貴んとこに先に息子が出来たら、その名は取られる可能性があるから、五郎になるかもしれないけど」
と、のたまった。
つーか、恋人通り越して、サラッとプロポーズもどきみたいな真似すんな!
バカだバカだとは思っていたが、ここまで本当に大バカだとは……。生まれてもない内から、四郎だの、五郎だのって、どこまで漢数字の名前を引き継がせる気だ!
自分の名前をいい加減な親に付けられたって言ってるが、お前はそれ以上にいい加減だろーが。
第一、奈央がお前のガキなんか産むわきゃねーんだよ。それ以前に相手になんかされるか!
「うわっ、あちっ!」
「おっ、悪いな。灰皿と間違えた」
ムカついた俺は、差し出していたサブローの手の平に、煙草の灰を落とした。
「敬介、何すんだよ~。ひでぇな~」
「あ? 灰くらい熱くねーだろ。火種押しつけられなくて良かったな」
そんな俺の嫌がらせにもへこたれないサブローは、奈央ちゃん、奈央ちゃんと、それからも騒ぎ続け、ムカムカする俺は、いくら酒を飲んでも酔う事なく、サブローに目を光らせていた。
一方の奈央は、煩いサブローと、それを怒鳴る俺を見ながら楽しそうにしていたが、流石に昼の疲れと酒のせいか、前後左右と不安定に体を揺らし始めた。
「大丈夫か?」
「フラフラする~」
俺は奈央を抱きよせ、肩に凭れ掛けさせる。
「敬介~、俺もフラフラするぅ~」
「お前は、その辺にでも転がっとけ」
「ひどっ!」
気付けば、もう日付が変わる時刻。明日は東京に帰らなければならない。
「サブロー、俺達そろそろ帰るわ」
そう言うと、俺はサブローの前に祝い袋を差し出した。
それを見たサブローは、酒のせいで虚ろになっていたはずの目を見開かせる。
「何だよこれ」
「今日の分と、この店オープンしたのに、まだ祝いもやってなかったからな」
「バカ言うなよ。こんなに受け取れるはずないだろ」
袋の厚みに驚いたのか、なかなか受け取ろうとはしないサブローに強引に押し付けた。
「出したもんは引っ込めらんねぇよ」
奈央を支えながら立ち上がった俺を見て、渋々ながらも受け取ったサブロー。
「悪いな、敬介」
「いや。料理旨かったよ」
「敬介、また来いよ? 夏に限らず、お前が好きな時に、お前の意志で、またいつでも遊びに来い!」
幼かった頃、俺の気持ちに関係なく、親に置いていかれた事を知っているサブローだからこその言葉。
「ああ、また来るよ」
「おぅ、待ってるからなぁ~。奈央ちゃん連れて来てくれるのを!」
「それが目当てかよ」
「当たり前でしょ~!」
ったく、最後までこいつは……。
呆れながらもサブローと笑いあい、別れを告げる。
「じゃあな。奈央行くぞ」
瞳を閉じかけそうになる奈央の肩を揺する。
「あ、サブローさん、ごちそうさまでした」
奈央はペコリと頭を下げたが、その足には力が入っていない。
「奈央ちゃーん、また俺に会いに来てね~。次は子作りがんばろうね~」
最後に一発殴っとくか? 一瞬、本気で考えたが、奈央に返事させるより早く、奈央の肩に手を回し店を出た。
でも、サブローも限界だったのだろう。
「うぅぅ、気持ち悪りぃ~」
閉じた扉の中から、苦しそうな呻き声が聞こえてきた。
高台にあった店から坂を下り、海岸沿いの通りまで出れば、奈央は肩に回した俺の手を払いのけ、おぼつかない足取りで頼りなげに歩く。
「大丈夫か?」
「んー……」
「どうした? 気持ち悪いのか?」
何故か唸っている奈央。
てっきり気分でも悪いのかと思えば、奈央が急に立ち止まり吐いた言葉に、俺の思考は狂わされた。
「……脱ぐ」
「はっ?」
「……」
「な、奈央ちゃん? 何……言ってんの?」
「脱ぐ!」
「いや、待てって」
「だから~、もう嫌なの! 脱ぐ~!」
「お、おいっ!」
ぬ、ぬ、脱ぐ!?
ま、待て。落ち着け奈央。此処は公道だぞ! そう言うのは、俺の前でだけ……って、違うか!
頭を振って邪心を追い出す。
いくら夜中で人気がないとはいえ、暗闇のどこかで誰が見てるとも分からない。
こんな外で、そんな事、絶対ダメだっ!
「奈央。早まるなーっ!」
完全に落ち着きをなくしたのは俺の方だった。
慌てて拘束しようと奈央の手を強く掴む。その俺の足元で、カラン、と何かが音を立てた。
「これって、どっちだと思う?」
そして続く、不可解な奈央の発言。でもそれも、次の言葉で理解する。
「雨じゃないね~」
俺に手を掴まれたままの状態で呟く奈央。
「……そうだな」
「良かったね」
「……あ、あぁ」
俺の想像とは違うものを脱ぎ捨てた奈央。
それは、片方が晴れと、もう片方が曇りを示す方向で、俺の足元に転がる奈央の下駄。
単なる勘違いをしていたらしい俺の前では、
「下駄脱いだら、足の裏が柔らかいって言うか変な感覚。でも気持ちいい。スッキリした~」
人の動揺など知る由もなく、酔っぱらいがニコニコしている。
全く、紛らわしい言い方すんなっ!
「ったく、しょうがねぇな。ほら、乗れよ」
「え?」
俺は奈央から手を離して下駄を持つと、奈央の前にしゃがみ込んだ。
「裸足で歩いたら怪我すんだろ。おぶってやるよ」
「浴衣が肌蹴る」
「いいから早くしろ。肌蹴ても俺で隠れて見えねぇだろ。それともまた下駄履くか?」
「それはイヤ」
「だったら、乗れ」
背中に重みを認めると立ち上がり、波の音しか聞こえない夜道を歩き出した。
「静かだな……」
昼間はあんなに賑わっていた海辺も、流石にこの時間ともなれば静まり返り、花火をしようとする若者すらもういない。
背中に乗っている奈央もまた、返事もなく静かで、俺の首筋に顔を埋めていた。
もしかして、もう寝たとか? 酒飲んでるし、眠そうだったもんな。
そんな奈央を背負いながら、楽しかったこの夏が終わり行く寂しさを感じ、いつまでも波の音を聞いていたくて、歩く速度を意識して抑えた。
「……敬介」
何だ、寝てなかったのかよ。
「どうした?」
「敬介の背中って、大きくて……あったかい」
「ん? そうか?」
小さい小さい途切れがちの奈央の声。もう意識の半分は夢の中なのかもしれない。それでも話そうとする声音は、更に弱くなる。
「敬介……優しく……しないで」
「え?」
「……気持ちが…………揺らぐ」
「………………奈央?」
こんな近くじゃなければ、耳を澄ましても聞こえなかっただろうその声に、俺の気持ちもまた揺らいでいた。
──奈央、どうして気持ちが揺らぐんだ? 俺が優しいんだとしたら、それはお前だからだ。奈央だから俺は……。
「奈央、俺──」
言いかけた言葉と同時に足が止まる。俺を止まらせたのは、首筋に伝わる生暖かい雫だった。
何故、泣く? 何を思って泣いているんだ? その涙は、しょっぱい涙か?
今はまだそうだとしても、いつかその涙を変えられたら……。
奥底に隠すと決めた想いが溢れだすのを感じながら、俺はまた歩き出した。
あの涙がなかったら言ってしまっていただろう想いを。蓋をしたつもりが、それすら押しのけ溢れ出そうとするこの気持ちを。もう押さえ込むのは難しいと痛感せずにはいられなかった。
どうしていいのか分からない感情に洩れる吐息。それは、掠め取った潮風だけしか知らない。
完全に力のなくなった奈央からは、静かな寝息だけが聞こえてきた。
大皿に乗ったオードブルを、サブローが運んで来た。
何で、料理人のお前が持ってくるんだ? スタッフが他にいるだろう!
そう思ったが、奈央が小さく洩らした『ありがとう』に何か言葉を返してしまえば、それは本人が望まないような気がして、無駄に明るいサブローがこのタイミング来たのは、幸いだったかもしれないと考えを改めた。
「へぇー、見た目は旨そうだな」
「ひっでーなー。食っても旨いんだよ」
サブロー自らサーブしてくれた料理を口に運ぶ。
「おっ、旨いじゃん」
「美味しい」
俺と奈央の言葉が重なる。
『~料理』と区切りを持たないこの店は、サブローが美味しいと思ったものを何でも出す創作料理店だ。
サブローが自信を持って出すだけあって、それらは本当に旨かった。
「だろー。まだまだこんなもんじゃねーからな。ところで二人って嫌いなもんある?」
「貝割れ」
すかさず答えたのは俺だ。
「ニンジン。カレーやシチューに入ってる人参以外は苦手で……」
奈央も後に続き、奈央と俺は互いの顔を見て笑い合う。
「了解。人参は入れないからね~。カイワレはごっそり入れて来てやる!」
笑っていたはずの奈央の顔が急に強張った。
「馬鹿! 絶対に入れんなよ!」
「俺が殴られる」と、小さく付け加えたが、サブローの耳には届かなかったらしく「じゃあ、もっと旨いの作ってくるな!」一層の気合いを入れて、またキッチンへと戻って行ってしまった。
「貝割れがごっそり顔を出したら、殴られる覚悟はあるんだ」
料理を口元に運びながら話す奈央は、いつでも殴る用意は出来ているだろうと思われる。
「殴んなよ。俺が食えばいいんだろ?」
「うん、宜しく」
それから俺達は、奇麗な花火を見ながらサブローの料理に舌鼓を打ち、楽しい時間を過ごした。奈央も笑みが絶える事なく機嫌が良い。
それはいいのだが……。
もうその辺にしない? 奈央ちゃん!
「敬介、もう一杯」
「ダメっ! 飲み過ぎだ!」
「これ位、大丈夫だもん!」
すでにシャンパンは空となり、奈央にはノンアルコールのドリンクを頼んだものの、俺が注文した白ワインを目を盗んでは飲んでいる始末だ。
もう止めろと注意すれば「反応したくせに」「キスしたくせに」と、俺を脅しにかかる。
頭の良い奈央に刻み込まれた記憶は、そう簡単には消せそうもない。
俺は、あと何度このネタで脅迫されるんだ?
「花火も終わったし、そろそろ帰るぞ」
ほんのり顔を赤く染める奈央を、嗜めようとしたのに
「よーし、今日の仕事は終わりだー! 敬介、奈央ちゃん、ガンガン飲むぞー!」
今度は来るタイミングを外したバカ男。
「俺達はもう帰る」
「何だよ久々に会ったのに、そりゃねーよ。折角仕事を押し付けて上がってきたんだから、少しは一緒に飲もうぜ? ね、奈央ちゃん?」
「私も飲みたいなぁ」
俺のシャツの裾を掴み、上目使いで見てくる奈央。赤ん坊の様な綺麗な肌を赤く染め、出てくるのは可愛い甘い声。
奈央ちゃん、赤ちゃん返り?……いやいや、違う。単なる酔っぱらいだ!
そう思っても、奈央のその態度は効果覿面で、
「しょうがねぇな」
と、つい甘やかしてしまう。
「でも、あんま飲むなよ」
一応の注意を付け足せば、
「ふん、こんなの水でしょ、水!」
返ってきたのは生意気なそれだった。
くそっ、騙された! 何だその態度は。ぜんぜん可愛くねーじゃん!
当然、そんな可愛いげのない奈央から強引にワインを奪う。しかし、既にアルコールが入っている奈央は、いつもより口を滑らかにさせ、見るからにご機嫌そうだ。
片やサブローは、素面でも煩いと言うのに、酒が入れば尚更だった。
木村の甥っ子と言う理由で、夏になると一緒に遊ぶ事が多かった昔話から始り。五年前にサブローが東京に遊びに来たときの話まで、俺の存在すら忘れて奈央にひたすら話し続ける。
その時、俺が連れていた女の化粧が濃いだの、香水がきついだの、女に冷たかった等と、そりゃあもう、余計な事をベラベラと喋りまくる。
「サブロー! いい加減にしとけよ。おまえはもう喋るな!」
「あっ、まずいこと言っちゃった? あははは、ごめんね奈央ちゃん、俺の言ったこと気にしないでね」
「え? 全く気にしてないですけど?」
不可解に首を捻った奈央。その表情が本心だと語っている。
気にされては困るが、あまりに気にされないのもこれまた傷付くわけで、矛盾した感情に胸が疼く。
俺達が付き合っていると思っているサブローは、奈央の反応が不思議なようで、俺と奈央の顔を交互に見た。
「お前が思ってる関係じゃねぇから」
奈央、奈央、と煩いサブローには、牽制も込めて勘違いさせたままでいたかったが、やむ無く白状するしかない。
なのに、俺の心情を深読みしようともしないこのバカ男は、
「そうなの? じゃ、俺。奈央ちゃんの恋人に立候補しちゃおうかな~!」
神経を逆なですることを、いとも簡単に言いやがる。
イライラしながら俺が煙草を吹かしているのにも気付かず、挙句の果てには頭を下げ、右の手の平を空に向けて奈央の前に差し出したサブローは、
「奈央ちゃん、俺の子供、四郎を産んで下さい! いや、兄貴んとこに先に息子が出来たら、その名は取られる可能性があるから、五郎になるかもしれないけど」
と、のたまった。
つーか、恋人通り越して、サラッとプロポーズもどきみたいな真似すんな!
バカだバカだとは思っていたが、ここまで本当に大バカだとは……。生まれてもない内から、四郎だの、五郎だのって、どこまで漢数字の名前を引き継がせる気だ!
自分の名前をいい加減な親に付けられたって言ってるが、お前はそれ以上にいい加減だろーが。
第一、奈央がお前のガキなんか産むわきゃねーんだよ。それ以前に相手になんかされるか!
「うわっ、あちっ!」
「おっ、悪いな。灰皿と間違えた」
ムカついた俺は、差し出していたサブローの手の平に、煙草の灰を落とした。
「敬介、何すんだよ~。ひでぇな~」
「あ? 灰くらい熱くねーだろ。火種押しつけられなくて良かったな」
そんな俺の嫌がらせにもへこたれないサブローは、奈央ちゃん、奈央ちゃんと、それからも騒ぎ続け、ムカムカする俺は、いくら酒を飲んでも酔う事なく、サブローに目を光らせていた。
一方の奈央は、煩いサブローと、それを怒鳴る俺を見ながら楽しそうにしていたが、流石に昼の疲れと酒のせいか、前後左右と不安定に体を揺らし始めた。
「大丈夫か?」
「フラフラする~」
俺は奈央を抱きよせ、肩に凭れ掛けさせる。
「敬介~、俺もフラフラするぅ~」
「お前は、その辺にでも転がっとけ」
「ひどっ!」
気付けば、もう日付が変わる時刻。明日は東京に帰らなければならない。
「サブロー、俺達そろそろ帰るわ」
そう言うと、俺はサブローの前に祝い袋を差し出した。
それを見たサブローは、酒のせいで虚ろになっていたはずの目を見開かせる。
「何だよこれ」
「今日の分と、この店オープンしたのに、まだ祝いもやってなかったからな」
「バカ言うなよ。こんなに受け取れるはずないだろ」
袋の厚みに驚いたのか、なかなか受け取ろうとはしないサブローに強引に押し付けた。
「出したもんは引っ込めらんねぇよ」
奈央を支えながら立ち上がった俺を見て、渋々ながらも受け取ったサブロー。
「悪いな、敬介」
「いや。料理旨かったよ」
「敬介、また来いよ? 夏に限らず、お前が好きな時に、お前の意志で、またいつでも遊びに来い!」
幼かった頃、俺の気持ちに関係なく、親に置いていかれた事を知っているサブローだからこその言葉。
「ああ、また来るよ」
「おぅ、待ってるからなぁ~。奈央ちゃん連れて来てくれるのを!」
「それが目当てかよ」
「当たり前でしょ~!」
ったく、最後までこいつは……。
呆れながらもサブローと笑いあい、別れを告げる。
「じゃあな。奈央行くぞ」
瞳を閉じかけそうになる奈央の肩を揺する。
「あ、サブローさん、ごちそうさまでした」
奈央はペコリと頭を下げたが、その足には力が入っていない。
「奈央ちゃーん、また俺に会いに来てね~。次は子作りがんばろうね~」
最後に一発殴っとくか? 一瞬、本気で考えたが、奈央に返事させるより早く、奈央の肩に手を回し店を出た。
でも、サブローも限界だったのだろう。
「うぅぅ、気持ち悪りぃ~」
閉じた扉の中から、苦しそうな呻き声が聞こえてきた。
高台にあった店から坂を下り、海岸沿いの通りまで出れば、奈央は肩に回した俺の手を払いのけ、おぼつかない足取りで頼りなげに歩く。
「大丈夫か?」
「んー……」
「どうした? 気持ち悪いのか?」
何故か唸っている奈央。
てっきり気分でも悪いのかと思えば、奈央が急に立ち止まり吐いた言葉に、俺の思考は狂わされた。
「……脱ぐ」
「はっ?」
「……」
「な、奈央ちゃん? 何……言ってんの?」
「脱ぐ!」
「いや、待てって」
「だから~、もう嫌なの! 脱ぐ~!」
「お、おいっ!」
ぬ、ぬ、脱ぐ!?
ま、待て。落ち着け奈央。此処は公道だぞ! そう言うのは、俺の前でだけ……って、違うか!
頭を振って邪心を追い出す。
いくら夜中で人気がないとはいえ、暗闇のどこかで誰が見てるとも分からない。
こんな外で、そんな事、絶対ダメだっ!
「奈央。早まるなーっ!」
完全に落ち着きをなくしたのは俺の方だった。
慌てて拘束しようと奈央の手を強く掴む。その俺の足元で、カラン、と何かが音を立てた。
「これって、どっちだと思う?」
そして続く、不可解な奈央の発言。でもそれも、次の言葉で理解する。
「雨じゃないね~」
俺に手を掴まれたままの状態で呟く奈央。
「……そうだな」
「良かったね」
「……あ、あぁ」
俺の想像とは違うものを脱ぎ捨てた奈央。
それは、片方が晴れと、もう片方が曇りを示す方向で、俺の足元に転がる奈央の下駄。
単なる勘違いをしていたらしい俺の前では、
「下駄脱いだら、足の裏が柔らかいって言うか変な感覚。でも気持ちいい。スッキリした~」
人の動揺など知る由もなく、酔っぱらいがニコニコしている。
全く、紛らわしい言い方すんなっ!
「ったく、しょうがねぇな。ほら、乗れよ」
「え?」
俺は奈央から手を離して下駄を持つと、奈央の前にしゃがみ込んだ。
「裸足で歩いたら怪我すんだろ。おぶってやるよ」
「浴衣が肌蹴る」
「いいから早くしろ。肌蹴ても俺で隠れて見えねぇだろ。それともまた下駄履くか?」
「それはイヤ」
「だったら、乗れ」
背中に重みを認めると立ち上がり、波の音しか聞こえない夜道を歩き出した。
「静かだな……」
昼間はあんなに賑わっていた海辺も、流石にこの時間ともなれば静まり返り、花火をしようとする若者すらもういない。
背中に乗っている奈央もまた、返事もなく静かで、俺の首筋に顔を埋めていた。
もしかして、もう寝たとか? 酒飲んでるし、眠そうだったもんな。
そんな奈央を背負いながら、楽しかったこの夏が終わり行く寂しさを感じ、いつまでも波の音を聞いていたくて、歩く速度を意識して抑えた。
「……敬介」
何だ、寝てなかったのかよ。
「どうした?」
「敬介の背中って、大きくて……あったかい」
「ん? そうか?」
小さい小さい途切れがちの奈央の声。もう意識の半分は夢の中なのかもしれない。それでも話そうとする声音は、更に弱くなる。
「敬介……優しく……しないで」
「え?」
「……気持ちが…………揺らぐ」
「………………奈央?」
こんな近くじゃなければ、耳を澄ましても聞こえなかっただろうその声に、俺の気持ちもまた揺らいでいた。
──奈央、どうして気持ちが揺らぐんだ? 俺が優しいんだとしたら、それはお前だからだ。奈央だから俺は……。
「奈央、俺──」
言いかけた言葉と同時に足が止まる。俺を止まらせたのは、首筋に伝わる生暖かい雫だった。
何故、泣く? 何を思って泣いているんだ? その涙は、しょっぱい涙か?
今はまだそうだとしても、いつかその涙を変えられたら……。
奥底に隠すと決めた想いが溢れだすのを感じながら、俺はまた歩き出した。
あの涙がなかったら言ってしまっていただろう想いを。蓋をしたつもりが、それすら押しのけ溢れ出そうとするこの気持ちを。もう押さえ込むのは難しいと痛感せずにはいられなかった。
どうしていいのか分からない感情に洩れる吐息。それは、掠め取った潮風だけしか知らない。
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