絶対零度女学園

ミカ塚原

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氷晶華繚乱篇

変革を求める者、恐れる者

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 百合香とオブラは、突如として現れた少女氷魔・リベルタに導かれて、背後から迫ってくる追手の一団から身を隠していた。
「なんとかまいたわね」
 リベルタと名乗った氷魔は、入り組んだ通路の奥のスペースから、外を警戒しつつ言った。
「ユリカって言ったわね」
 片膝をついて警戒態勢を取る百合香を、リベルタは振り向いた。
「まさかとは思うけど、あなたひょっとして例の、侵入者の人間の少女?」
 百合香はギクリとして背筋を伸ばしたが、いくらか話も見えてきたので、髪飾りの変色魔法を解いて本来の姿を見せる。黄金の鎧と剣に金髪という、この青白い氷の城と相反するようなその姿に、リベルタは驚いた。
「そうよ。私は百合香。この氷巌城を消し去るためにここに来た」
「死んだとニュースにはあったけど、あれは虚報だったという事ね」
 リベルタは、胸元からスマートフォンそっくりの水晶のような板を取り出し、そこに百合香の写真が載った記事のような画面を見せる。見出しは読めないが、たぶん侵入者が死亡した、といった文面だろう。
「それ、スマートフォン?」
 驚いた百合香が訊ねる。ここまで百合香に馴染みがある物品は、氷巌城に乗り込んで以来初めて見るからだ。
「スマートフォンって、なに?私達はアイスフォンと呼んでるわ」
「アイスフォン?電話なの?」
「デンワって?」
 微妙に話が通じない。瑠魅香と会話している時に似ている。
「ああ、通話のこと?話もできるわよ。こんなふうに、送られてくる記事を読むことも、写真を撮ることも」
 まるっきりスマホだ。
「記事って、いったい誰が流してるの」
「色々ね。広報官とか」
「ディウルナか」
 その百合香の言葉に、リベルタは目を丸くした。どうやら、手足はコチコチの人形だが、顔や髪、服装だけは柔軟性があるらしく、表情は豊かである。リベルタは訊ねた。
「ディウルナを知っているの!?」
「え?あ、やばい」
 百合香は慌てて口を塞ぐ。リベルタは笑った。
「ふふ、どうやら隠し事は苦手なようね」
「リベルタ、って言ったかしら。あなたは、ひょっとしてレジスタンスなの?」
 百合香の問いに、リベルタは首を小さく縦に振った。
「ええ。ただし、この子達とは別系統よ」
 そう言って、百合香の足元にいるオブラを見る。オブラもようやく話が見えたのか、警戒心を解いたようである。
「だいたい察しました。この層に侵入した僕らの仲間を、あなた方が保護している、といった所でしょうか」
 オブラの推測に、リベルタは人差し指を立てて答えた。
「半分だけ正解」
「え?」
「私の仲間が保護している猫もいる。けれど、あいつらに捕まってる猫もいるの」
「あいつら、って。ひょっとして、さっきリベルタさまを追っていた連中ですか」
「ええ」
 リベルタは、少しだけ暗い表情を見せる。
「彼女達は、このフロアの兵士なんですよね」
「そうよ。というか、私も本来はそうだった。彼女たちと同じ」
「あなたが城を裏切ったから、追われているという事ですか」
 オブラの歯に衣着せぬ問いかけに、リベルタは寂しそうに頷いた。
「そうね。私は裏切り者」
「じゃあ、あなたはこの城の消滅を願っているの?」
 百合香の問いに、リベルタは沈黙した。その表情は複雑なものを抱えているようだった。
「…わからない。今の私には、何を選択すべきなのか。でも、この城の在り方が、間違っているものだとは思う」
 リベルタの言葉に、百合香もまた即座に返せる言葉はなかった。
「あなたには迷いはないのよね、百合香」
 リベルタは真っ直ぐに百合香の目を見た。
「…迷いはない、と言いたいけれど。戸惑ってないと言えば、ウソになるかもね」
「なぜ?あなたは人間で、侵略された側にいる。私達を城ごと消滅させるのが最善のはずよ」
 まるで、自分が消え去る事さえ当然であるかのようにリベルタは言った。
「そうね。けれど、説明のつかない感情が、私の剣を押し留めるの。その気になれば、今すぐあなたを刺し殺せる状況なのに」
 百合香は、聖剣アグニシオンの切っ先をリベルタに向けながらそう言った。
「あなた達は、本来はただの精霊だったんでしょう」
「驚いた。どこまで知っているの」
「私の中にいる、いま眠っている親友が教えてくれた」
「あなたの中にいる…?」
 リベルタは、百合香の言う言葉が理解できず問いかけた。百合香は、瑠魅香という元氷魔、精霊の少女が自分の心に宿っており、身体を共有している事を説明した。

「信じられないことを考える精霊がいたものね」
 リベルタは素直に、眠っている瑠魅香という元精霊の少女に呆れているようだった。
「人間の肉体を得られる保証もないのに。最悪、あなた一生その子を頭の中に住ませる事になるわよ」
 リベルタの指摘に、百合香は何とも言えない気持ちだった。少なくともこの城において、瑠魅香が一緒にいるのは当たり前の事になっていたからだ。
「…先の事なんてわからないわ」
 百合香は、ひと言だけ返して話を戻した。
「事は、この城を消滅させるだけの問題ではないらしいの。ディウルナや、色んな氷魔たちの話を総合するとね」
「氷魔皇帝ラハヴェを倒しただけではダメ、ということ?」
「それ以上詳しい事は、今の私には調べようもない。ただ、ラハヴェを倒したところで、『城の記憶』がどこかに残っている限り、この城はいつか再び復活するらしいわ」
 百合香の説明に、リベルタは難しい顔をした。
「…そもそも、私達自身この城について知らなさ過ぎるのは確かだけれど」
「あなた達が知らないんだから、人間の私が知らないのは当然よ。だから、私はこの城が何なのかを調べる事も重要だと思う。ただ」
 そこで百合香は言葉を途切れさせた。
「仮にこの城を完全消滅させる方法が見つかったとして、それを実行した時に、あなた達がどうなってしまうのかが気になる」
「それは…人間のあなたには関係ない事ではなくて?」
 リベルタは、困惑とも苦笑ともつかない表情で訊ねた。
「今までの、あなたの戦績は全て読んだわ。大したものよ。私は、あなたに会いたいと思っていたの」
 そう言って、リベルタは百合香の手を取る。
「え?」
「そうよ。私達は、エリア幹部の氷騎士たちを倒す事さえできない。それを、あなたは何度もやってのけた。私達にとって、あなたは希望なの」
「自分が消滅する結果になってもいいの?」
 百合香は、少し強い口調で問いかけた。
「私達は死なない。元の精霊に戻るだけよ。この城の呪縛から解放されて」
「本当にそんな保証があるの?」
「あなたはそんな事を心配する必要はないわ」
「でも!」
 叫びかけた百合香の口を、リベルタは手で塞いだ。
「静かに。まだ奴らはいるかも知れない」
「…追手というのも、あなたと同じ姿をしているの?」
「いいえ。ふつうの制服を着て、剣を携えているわ」
「ナロー・ドールズみたいだ」
 百合香の脳裏に、大量生産されて大挙してくる氷の雑兵たちの姿が浮かぶ。リベルタは、その事にも感心しているようだった。
「参ったわね。あなたはすでに、相当な情報を掴んでいるみたい」
「掴んでるだけよ。手元にあるけど、その情報の意味がわかってない事も多い」
「百合香、よければ私の仲間たちと会ってくれる?」
 そう言うと、かがんでいたリベルタは立ち上がった。
「あなたの仲間?」
「ええ。ここじゃ、まともに話もできそうにない」
 リベルタは、複雑な通路を睨む。百合香はその時、ディウルナが言っていたフロアの大まかな構造について思い出していた。
「ディウルナは、各フロアが渦巻き構造になってるって言ってたけど、そうなの?」
「全体としてはね。でも、そんな単純ではないわ。螺旋を繋ぐ連絡通路だっていくつもある」
「あなた達のアジトがどこかにあるの?」
「案内するわ。仮のアジトだけど」
 ついてきて、とリベルタは足音を立てないように、静かに通路へ出た。よく見ると、ブーツも柔軟性のある素材になっている。柔軟な構造にできる範囲には限界があるのだろうか、と百合香は思った。

 リベルタの案内で、百合香とオブラは入り組んだ通路を右へ、左へと進んでいった。途中、窓がついた部屋の前も通った。
「学園の廊下みたい」
 ふと、百合香は呟く。
「学園って百合香、あなたの?」
「ええ」
「ふうん。学校って楽しい?」
 少女らしいリベルタの質問に、百合香はいったん言葉を詰まらせた。
「全体としてはね」
「部分的にはどうなのよ」
「…暗い側面もあるわ。勝ち負けとか、疎外とか。人間は妬みっぽいし、排外的な生き物でもある。しじゅう、世界のどこかで争っているし。氷巌城が出現しなくても、そのうち滅びるかも知れない」
「まるで、人間が嫌いみたいな言い方ね」
 リベルタは百合香の反応に苦笑した。
「もちろん、人間である事は嬉しいと思うわ。素敵な人達もたくさんいる。それでも、もっと違う在り方があるんじゃないか、と思う事はあるわね」
「なにそれ。私達レジスタンスと同じ事言ってるの、自分で気付いてる?」
 振り向かず、歩きながらリベルタは言った。百合香は、無意識に氷魔のレジスタンス達と同じ言葉を語ったことに、自分で驚いていた。第一層最後の氷騎士、バスタードもそう言っていたではないか。違う在り方を求めている、と。
 百合香が考えごとを始めた時、リベルタがふいに足を止めた。
「どうしたの」
 百合香とオブラも立ち止まって警戒する。
「はめられた」
「え?」
 リベルタが懐から短めの剣を抜く。百合香は即座に状況を理解し、髪飾りの魔力で念のため氷魔カラーに姿を変えて剣を構えた。
「百合香、私と同じ氷魔だからって、襲いかかってくる相手に情けをかける必要ないからね」
 リベルタは、あえて強い口調でそう言った。
「…いいのね」
 リベルタはコクリと頷く。すると、前後から多数の、ガドリエル女学園の制服を着た少女氷魔たちが剣を構えて、ガチャガチャと大挙してきた。20体くらいはいそうだ。オブラはさっさと身を隠す。
「うらぎりもの、はっけん!!」
 集団の中の一人がリベルタに剣を向ける。しかし、視線はもう一人の剣士、百合香に向けられていた。
「一人じゃないね」
「なに、こいつ。一人だけ違う鎧着てる」
「何様のつもり?自分は違うとでも思ってるの?」
「リベルタ、あんたもよ。一人だけ弓なんて背負ってちゃってさ」
 唐突に捲し立てられて、百合香は警戒よりも困惑を覚えていた。彼女らの髪型は瑠魅香に似て切り揃えているが、耳は出しておらず、両サイドを下げたストレートである。全員が同じ姿をしている事に、百合香は若干の恐怖を感じた。すると、突然リベルタが声を張り上げる。
「あんた達こそ、少しはおかしいって思わないの?偉そうにしてるけど、要するに城がバックにいるから偉そうにしてるだけじゃない。自分じゃ何も考えてないくせに」
「うわっ、意識たっか」
 リベルタに言われた氷魔少女の集団は、クスクスと全員で嘲笑を始めた。
「きもちわる。殺っちゃおうよ、こいつら」
「殺っちゃえ」
「殺っちゃえ」
「殺っちゃえ」
 全員が「殺っちゃえ」という不気味な輪唱とともに、剣を構えて百合香たちに迫ってきた。百合香は、念押しするように訊ねる。
「本当にいいのね、リベルタ」
「できれば、ひと思いにお願い」
「…わかった」
 百合香が剣を構えたそのとき、前後から一斉に氷魔少女たちが斬りかかった。態度こそ不可解ではあるが、その動きは非常に洗練されており、第一層の雑兵たちとは比べ物にならない。
 百合香は、先手必勝でアグニシオンにエネルギーをこめた。

「『シャイニング・ニードル・フラッシャー!!!』」

 百合香が高速で繰り出した突きの連撃から、無数の光の針が放射され、氷魔たちの胸を正確に撃ち抜いた。その攻撃で、一瞬にして6体の氷魔が、姿を留めたままその場に崩れ落ちる。その後ろにいた氷魔たちは、百合香の強さに明らかに怯んでいた。
「なに、こいつ」
「強いってレベルじゃない」
「やばいかも」
「やばいね」
 氷魔たちの動きが止まる。その隙をついて、リベルタは背中の弓を構えた。矢をつがえないまま弦を引くと、青白い光のエネルギーの束が矢のように現れた。
「!」
 百合香に警戒していた氷魔たちの不意をついて、リベルタは引いた弦を弾く。

「『フロワー・リヴォルーション!!!』」

 放たれた光の束は無数の矢に分離して、追尾ミサイルのように氷魔たちの胸を正確に射抜いていった。その攻撃は容赦がなく、リベルタに相対していた氷魔全員が、その場に倒れる。百合香は、その冷徹さに敬服すると同時に、胸の痛みを覚えた。
「やばい」
「やばいよ」
「逃げよう」
「逃げよう」
 残った4体の氷魔が振り返った瞬間、百合香は再び光のエネルギーを放ち、背中から胸を射抜いた。
「ごめんね」
 百合香は、悲しみの表情を浮かべながら少女たちが事切れる様を見届けた。リベルタが、その肩をポンと叩く。
「気にしないで、百合香。これで良かったのよ。ありがとう、できるだけ傷をつけないようにしてくれたのね」
 リベルタは、倒れている少女氷魔たちの手を組んでやった。百合香もそれに倣う。隠れていたオブラもいつの間にか現れて、その作業に参加した。
「すごい実力ね。本気を出していれば、この子たちは跡形もなかったんでしょう」
 リベルタは、何となく気落ちしている百合香に話題を変えるためそう言った。
「…どうかしら」
「ご謙遜」
「それより、リベルタ。あなたこそ、実力を隠していたのではなくて?さっきの一撃が本気でないとしたら、氷騎士クラスだって対抗できない事はないと思うわ」
 百合香の指摘に、リベルタは立ち上がって弓を見つめた。
「その力は、どうやって身に付けたの?まさか、あなた自身が氷騎士なんてオチはないでしょうね」
 すると、リベルタは吹き出して笑った。
「ふふ、面白いわね。作家の才能もあるんじゃないの」
「うっ」
 百合香はギクリと緊張した。彼女は隠れ素人小説家である。
「半分だけ正解よ」
 その言い回しが好きなのかな、と百合香は思った。リベルタは、長い弓を百合香たちに示しながら答える。
「私が弓の技を学んだ師は、氷騎士の一人なの」
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