絶対零度女学園

ミカ塚原

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氷晶華繚乱篇

ロードライト

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 マグショットはアルマンドへの弔いを終えると、ホールの奥を振り向いた。
「俺が憎ければ、全員でかかってくるがいい」
 両脇で控えるアルマンド配下の少女氷魔たちに、悪びれもせず言い放つ。すると、一人の少女が静かに言った。
「アルマンド様は、もし自分が負けた場合、あなたを主のもとへ通すように言われました。その命令に従うまでです」
「そうか」
「こちらの扉をお通りください。そのまま進まれますと、大階段のある広間に出ます。階段を登って正面の扉を開けると、我らが主、ロードライト様がおわす間に到ります」
「わかった」
 マグショットは、少女が示した両開きの扉の前に進んだ。扉の前でいったん立ち止まると、振り返ることなく言った。
「アルマンドと俺が倒した者らの亡骸、丁重に葬ってやるがいい。いずれその魂も、この城の軛から解放される日が来る」
「…それは、どういう意味でございますか」
「言ったとおりの意味だ」
 それだけ言うと、マグショットは重い扉を開けて、その奥へと進んで行った。残された少女たちは、弔うという言葉の意味を何となく理解したようで、まずアルマンドの亡骸を丁寧に寝かせる事から始めたのだった。

 ひとり、華麗であっても物寂しい通路を歩きながら、マグショットは考え込んでいた。
「強さ、とは何であろうな」
 その時頭に浮かんだのは、ひとり氷巌城に乗り込んできた人間の少女、百合香の事だった。
「百合香は強い。だが、同時に脆さもある。事実、俺達がいなければすでに、凍て付く屍になっていただろう」
 しかし、とマグショットは思う。
「仮にあいつが現れていなかったなら、やはりこの氷巌城もここまでの事態になってはいまい。凍て付いた城を揺るがす存在…まるで、氷山を溶かす太陽のようだな」
 ひとりごちるマグショットの脳裏に、サーベラスの呟きが思い起こされた。

『あいつは一体、何者なんだ?』

 マグショットも、同じ疑問を抱いている事は否定できなかった。百合香とは一体、何者なのか。
「…考えても仕方ないか」
 ぽつりと言うと、立ち止まって気持ちを整える。目の前には、まだ長い通路が続いていた。


 第三層の図書館に、もはや常連となった水晶騎士カンデラが、今日も訪れていた。だが、いつものように氷巌城の歴史書を収めた部屋の鍵を取り出した司書の女氷魔を、カンデラは手で制した。
「まだ開けずともよい。先に、別なものを調べたいのでな」
「あら、興味がお薄れになりました?」
「いや、そうではない。調べたい事に関連する事柄なのだ。…氷魔や、精霊に関する資料というのはどこにある?」
 その問いに、司書は一瞬黙り込む様子を見せたが、すぐに答えは返ってきた。
「こちらです。ご案内いたしますわ」
「うむ。…ところでな、今さらだが貴官の名は何といったか」
 カンデラは、いいかげん「司書」と呼ぶのも面倒なので、階級的には部下になる図書館司書の名を、この機会に覚える事にした。司書は笑いながら、顔を覆い隠す前髪をよけ、名を名乗った。その顔は目元が仮面のようであり、口元だけは柔軟性を持ち、表情がわかるようになっていた。
「はい。わたくし、この図書館があるエリアの守護を仰せつかった氷騎士、トロンペと申します」

 トロンペに案内されたエリアの棚を、カンデラは適当にまさぐってみた。様々な本があるが、「精霊」というキーワードに引っかかるタイトルを選んでみる。
「"精霊の世界"…"生命と精霊"…"精霊大百科"…」
 タイトルだけ見てもよくわからないので、とりあえず三冊選んで机に座った。
 最初の二冊は、数ページ開いただけで素人が読めるものではないと瞬時に悟った。精霊の事を知りたいのに、知性とは何かだの、哲学じみた話から掘り下げ始められても理解が追い付かない。
 カンデラは早々にその二冊を閉じ、「精霊大百科」なるシンプルな題の厚い本を開いた。これは図解つきで、さまざまな精霊について解説している、比較的わかりやすい本だった。
「ふむ」
 ペラペラとページをめくる。世界に存在する様々な精霊、たとえば土に棲む精霊だとか、水の精霊、大気の精霊など、そして氷魔と繋がりが深い氷の精霊についても書かれている。精霊は、決まった姿を持つものもいれば、曖昧なもの、全く姿を持たないものもいるという。
「我々氷魔の大元である氷の精霊は、比較的姿が曖昧か、あるいは全くないものが大半を占める…なるほど、だから氷魔として顕現する際には、人間の姿を模倣するのだな」
 装丁の重厚さのわりには読みやすくまとまっており、カンデラは本来の目的を忘れて、興味深く読みページをめくっていった。
 だが、ある項目の大見出しに、カンデラは軽い驚きを覚えた。
「!?」
 その見出しは、それまで考えた事もないものだった。真っ白なページの真ん中に、太い書体で見出しが書かれていた。

 『太陽と惑星に棲む精霊』

「太陽と惑星に棲む精霊…?」
 カンデラは、見出しをそのまま読み上げる。なぜか、その先を開くのがカンデラには恐ろしく思えて仕方なかった。



 静寂に包まれた通路を、マグショットが進む。やはり猫であるため、足音もほぼ無音である。
「ここか」
 通路が終わり、その先には少女氷魔が言ったとおりの、中央に大階段が伸びたホールが広がっていた。大階段の両脇にも扉がある。しかし、マグショットの目的は大階段を登った先にいる相手である。
 ホールには何者の気配もないことを、マグショットは確認した。
「……」
 まだ先には進まず、床、壁、天井をよく観察する。そしてマグショットは、入り口の両脇に飾られている花瓶をひとつ掴むと、大階段の手前にドンと投げた。花瓶は盛大に割れ、床に散乱する。
 すると、花瓶が床に落ちた衝撃とともに、床下から長い無数の槍が飛び出した。
「ふん」
 マグショットは鼻白んだ。
「相変わらず見え透いた真似をする。見破られるとわかっていながら、ご苦労なことだ」
 槍が引っ込んだのを確認すると、マグショットは何ら警戒する様子も見せず、前に進み出た。すると、左右の壁や天井、床から、矢、槍、球の類が雨あられと襲いかかってきた。
「大層なもてなしだ」
 言いながらマグショットはその全てを見切り、ゆるやかにかわしながら大階段の最下段まで到達した。階段に足をかけた瞬間、猛然と上に向かって駆け出す。するとマグショットが走り出したと同時に、大階段は最下段から順に、上に向かって崩壊を始めた。その速度はマグショットが走るスピードに比べれば、取るに足りないものである。
 もはや悪態をつくのも面倒になったマグショットは、階段を登った先に見える両開きの扉に向かって、悠然と歩いて行った。

 マグショットが扉に近付くと、扉は音もなく開いた。
「……」
 扉の奥の広間は、左右に青紫の水がきらめく池があり、その手前に華美なデザインの柱が並び、柱の間には氷の百合や薔薇が生けられた花瓶が置かれていた。その間に敷かれた絨毯の先に、豪華な椅子が置かれている。だが、誰も座ってはおらず、閉じられた傘を持った、ドレスの少女の人形がその上にぽつんと座らされていた。
「以前に相まみえたのは何百年前だったか。全く変わっておらんな」
 誰もいない広間に、マグショットの低い声が響く。すると、椅子に置かれていた人形が突然動き始め、椅子を降りてトコトコと歩き出した。椅子の左右の柱の陰から、ドレスを着た少女氷魔が一体ずつ現れ、人形に付き従うように陣取る。明らかに、マグショットに対して警戒していた。
「あなた達は下がりなさい」
 ゆったりと巻いたツインテールの人形がそう言うと、氷魔たちは静かに一歩下がる。
「お久しぶりです、マグショット様。お変わりないようで、安心いたしましたわ」
「それはこっちのセリフだ。安心、という文言を除いてな」
「相変わらずですこと」
 そう言いながら、さらに前に進み出る。
「お噂は聞き及んでおりましたわ。城に楯突く謎の拳士がいると。そのような御仁、あなた以外におりません。いずれ、こちらにおいでになると楽しみにしておりました」
「貴様はどうなのだ、ロードライト。玉座まがいの椅子に座って、まるで女王だな。さては王位でも簒奪するつもりか」
 マグショットの放った冗談に、ロードライトと呼ばれた人形は一瞬黙って、小さく笑い始めた。
「ふふふ、面白いこと」
「俺はこんな城の犬になる気はない。この城は落とす」
「そのような事が可能だと?」
「答えにはなっていないが、不可能と思っている者には永遠に不可能だろうよ」
 マグショットの堂々たる態度に、ロードライトは小さく唇の端を上げた。マグショットは再び問いかける。
「もう一度訊ねる。ロードライト、貴様は氷魔皇帝の臣下の座に甘んじるつもりか」
「だとしたら?」
「この場で倒す」
 一切の迷いを見せず、マグショットはそう言い放った。
「答えを聞かせてもらおう」
「かつて、あなたが言われた事をそのままお返しいたしましょう。我ら、武に生きる者に言葉は無用。否、拳こそが我らの言葉」
 そう言うとロードライトは、傘の先端をマグショットに真っ直ぐ向けた。
「答えは我が拳にお訊きなさい」
「よかろう」
 マグショットもまた、構えを取ってロードライトの目を見据える。少女氷魔たちは、壁に下がって控えていた。
 荘厳華麗にきらめく氷の広間で、マグショットとロードライトは無言で対峙する。その静寂の中には、凄まじいまでの緊迫感が満ちていた。
 両者の対峙は、永遠に続くかと思われた。だがその静寂は、寸分の差もなく同時に振るわれた両者の拳で破られた。
「ええ――いっ!!」
「おあたぁ!!」
 二人が動いた瞬間、広間の気圧が変化し、風が巻き起こった。池の水面が揺れる。
 互いに繰り出された拳と拳が真正面から激突し、衝撃波が空間を揺るがした。
「その拳、いささかも衰えてはおらぬようだな」
「あなたこそ」
 二人はニヤリと笑い、離れていったん距離を置く。しかし、間髪入れず再び両者は接近した。
「せいや――っ!!」
「ふん!!」
 今度は、蹴りと蹴りの応酬が始まった。脚がぶつかり合うごとに、雷のようなエネルギーの衝突が起こる。その重みで、床に亀裂が入った。
 マグショットはごくわずか一瞬、時間にして0.01秒にも満たない、ロードライトが見せた隙を突いて、胴体に蹴りを入れた。しかし、ロードライトはそれを、傘の柄で絡め取るようにして防いだのだった。
「!」
 よもやかわされるとは思わなかったマグショットは、そのままロードライトの傘の柄で脚をひねられ、後方に投げ出されてしまった。
「うおっ!」
 マグショットがバランスを崩したその隙を逃さず、ロードライトは傘で突きを入れてきた。マグショットはギリギリでかわすものの、ジャージが裂ける程であった。
「うぬ!!」
 身体を反転させ着地すると、マグショットは二本のサイを取り出して傘を受け止めた。
「さすがです、マグショット。並の相手であれば、今頃この傘に貫かれて息絶えていたでしょう」
「俺の蹴りにここまで完璧に対応できる者もいない。さすが、この俺の片目を奪っただけの事はある」
「懐かしいこと」
 ロードライトはマグショットの左目の傷を見た。それはかつて、ロードライトの傘によってつけられたものである。
「あの戦いの最中、今回ほど巨大ではなく不完全だった氷巌城は、その姿を維持できないまま消滅してしまった」
「俺達の決着がつかないままな」
「しかし今、この強大にして堅固なる氷巌城が再誕した。決着をつけるのは、今をおいて他にありませんわ」
 ロードライトの目が紅く光る。
「望むところよ。俺はそのためにここに来たのだ」
 マグショットは、ロードライトの傘を跳ね上げると後退し、両腕を交差させて張り出すようにサイを構えた。サイの刃に青白いエネルギーがゆらめく。
 ロードライトもまた、突き出した傘に紅いエネルギーを満たした。それはまるで炎のようだった。
 一瞬の緊張のあと、両者は跳躍して互いの技を繰り出した。
「双爪十字斬!!」
「ガーネットクラッシュ!!」
 二本のサイと傘のエネルギーが激突し、目も眩むほどのスパークが起こる。青白い稲妻と、血のように紅い竜巻が、空間にエネルギーの嵐を巻き起こした。柱や天井にまで、わずかに亀裂が入る。
「うぬうう!!!」
「くっ…!!」
 両者の力は完全に互角だった。そのエネルギーに耐えきれず、二本のサイと傘は同時に折れ、砕け散ってしまった。
 マグショットとロードライトはエネルギーが弾けたタイミングで飛び退り、拳の構えを取る。
「強い…以前より」
 ロードライトは感嘆する様子で言った。髪飾りにヒビが入ったかと思うと、音を立てて床に落ちる。
「貴様もな。まるで何かを決意したかのような強さを感じる」
「……」
「俺も、そういう奴を一人知っている。たった一人で戦いを始め、決意するたびに強くなる。そういう戦士だ。今のお前の目は、あいつの目によく似ている」
「あなたに、そこまで言わしめる相手など、この氷巌城に他にいるとは思えません。件の、侵入者の少女ですね」
 ロードライトの唇がわずかに歪む。
「口惜しいわ。あなたにそれほど言わしめるなんて」
「会ってみたらどうだ。案外、お前と気が合うかも知れんぞ」
「戯言を!!!」
 ロードライトは一瞬でマグショットの懐に飛び込み、傘を捨てて自由になった両手で高速の突きを繰り出した。マグショットはそれをいなすように逸らし、受け止める。
「ロードライト、お前の拳は何かに唯々諾々と付き従う者の拳ではない!意志を持った者の拳だ!」
「黙りなさい!!」
「お前は、何のために強くなりたいのだ!!」
 マグショットの一喝に、ロードライトは拳を止めて一歩下がった。拳を下げ、睨むようにマグショットの目を見据える。
「…そんなこと、わたくしには解らない」
 震える声でロードライトは言った。
「かつて、あなたの戦いを見た時、私はあなたの拳に美を見出した。まるで舞のようだと思った。それまで、踊る人形として美しさを誇っていた己の何かを、打ち砕かれた思いだった」
 ロードライトの呟きを、マグショットは黙って聞いていた。
「美しさとは何なのか、私はわからなくなった。だから私は、あなたを倒さなくてはならないと思った。絶対に」
「ロードライト」
 マグショットは静かに言った。
「お前は俺と同類だ。自分の在り方に、常に疑問を抱いている。その謎を解くために、高みを目指そうとする」
「……」
「俺がここに来たのは、決着をつけるためだ。俺とお前が、互いに道を見付けるために、それぞれの決着をつけるために、ここに来た」
「それぞれの、決着?」
 その言葉は、ロードライトに理解しがたい何かをもたらしたようだった。
「そうだ。強さとは何か。何のために強くあるのか。心に迷いがあるうちは、今より強くなる事などできん」
「なればこそ、わたくし達は闘う以外にない。決着がつくまで」
「どちらか、あるいは両者がここに斃れる事になる。それでも構わんのだな」
 マグショットの問いかけに、ロードライトは真っ直ぐな瞳を向けた。
「覚悟のうえです」
「…わかった」
 そう言うとマグショットは、改めて拳を構えた。それまでの構えとは違う、両腕で三日月を描くような構えだった。
「極仙白狼拳のマグショット、奥義を尽くしてお前の覚悟に応えよう」
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