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翌日の昼休み、翔太は教室でカツサンドをかじっていた石田に頼んでみた。
「いつから、二十万も貸してくれなんて言う阿呆に成り下がったお前は」石田は白い目を向けて首を振った。
「頼むよ。夏休みにバイトして必ず返すから。借用書書いても良い」
「何だか知らないが、必死みたいだな」
「そうなんだ。頼む」
「だが断る」
石田はきっぱりと言った。無理もない。石田は今度の夏休みにバイクを購入し、九州まで旅行する計画を立てていた。そのために免許を取り、半年間、放課後にコンビニでバイトしていたのだ。
「お前の苦労も楽しみも承知の上だ。そこを曲げて頼む」
「嫌だね」
翔太は息を吐いた。こうなることは予測済みだった。
「なら、こうしよう」
怪訝な顔をする石田の前に、カバンからおもちゃ屋のロゴが入った紙袋を取り出し、袋を開ける。中身は未開封のトランプだった。
「ゲームは簡単。この中からお前が選んだカードを俺が当てる。チャンスは三回。そのうちに当てたら俺の勝ち。全部外したらお前の勝ちだ」
石田はトランプを手に取り、紙パックのコーヒー牛乳をすすりなから矯めつ眇めつ眺める。ぱこ、と紙パックが内側にへこむ。ストローを口にくわえながら訊いた。
「で、どんないかさま仕込んでるんだ?」
「ねえよそんなもん」翔太は大仰に手を振って見せた。
少なくともそのトランプには何の仕掛けもしていない。それを石田に理解して貰うために、わざわざ新品のトランプを買ってきたのだ。
「そのためにわざわざ学校にこんなもの持ってきたのかお前」
石田は紙パックを握りつぶし、隅のゴミ箱に放り投げる。潰れた紙パックはゴミ箱の端に跳ね返り、床に転がった。石田が舌打ちする。
「この方が盛り上がるかと思ってな」翔太は石田の側を離れ、落ちた紙パックを拾い上げ、ゴミ箱に捨てる。それに、と翔太は心の中で付け加える。石田が確実に答えを知っているゲームでないと意味がない。
「お前なら乗ってくれると思ってさ、頼むよ。金森も吉村も付き合い悪くてよ。それに、ちゃんと金なら用意してある」
一万円札六枚を机の上に並べて見せる。石田が目を瞠った。
「お前、新しいジャケットとメット欲しいって言っていたよな。これなら、買えるだろ。どうだ?」
石田は操り人形のように頷いた。
「グッド」翔太は親指を立てる。
石田にトランプを渡し、封を切って貰う。それからカードを一枚選び、マジックで印を付けた後で、カードを扇のように広げて貰うよう指示した。これなら、石田が正解のカードを見失う心配はない。
「それじゃ、いくぜ」
一回目、二回目はあっさり外れた。
「「畜生」翔太は呻いた。「何で外れるんだよ。石田、俺のボビーに細工したんじゃねえだろうな」
「してねえよ。それと、トランプに名前付けてるのかお前?」石田が呆れたように言った。
「やばい、シャレになんねえ」翔太は机に突っ伏し、頭を掻く。
「どうする? 止めとくか」
「冗談。こうなったら一か八かだ。絶対、当ててやるからな」
語気をわざと荒らげると、石田はついて行けない、という風に首を振った。
前振りはこのくらいでいいだろう。
翔太は前のめりになると、カードを指さしながらゆっくりと右から左へと滑らせる。カードに熱中する振りをしながら上目遣いで石田を見やると、心の中で唱える。嘘・嘘・嘘。
指先が一枚のカードの前を行き過ぎようとした時、石田が言った。
「それは違う」
その途端、石田の顔から血の気が引く。この前の矢島と似た、自分の発言が信じられないという驚きが表情に出ている。
翔太はにやりとそのカードを掴み、カードの束から引っこ抜いた。
カードにはマジックで星形のマークがついていた。
「俺の勝ちだな」
石田に『正解のカードを否定する』よう嘘をつかせたのだが、うまくいった。これで残りは二回。
石田は頭を抱え、悔しそうに翔太を見つめた。
「これでツーリングは延期だよ畜生」
ごめんな、石田。翔太は心の中で謝った。始めからギャンブルとして成立してないゲームに嵌めることになってしまった。今度、宿題見せてやるよ。あと食堂の食事券も奢ってやるから。
「今度は負けねえからな藤川」
「ああ」
翔太は頷いた。本当、良い奴だよお前は。俺と違って。
翌日の放課後、沙希子を一階の階段下に呼び出した。階段下には運動会や文化祭の小道具が放置されている。滅多に人は通らない。遠くから部活の掛け声が聞こえるだけだ。
沙希子は約束の時間より遅れてやってきた。その目は何故か緊張に強ばっている。階段下を選んだのは金のやり取りを人に見られるのを嫌ったためだが、妙なことをされると警戒しているのかも知れない。
「ほれ」
翔太はぶっきらぼうに勝ち取った二十万円を差し出す。沙希子は翔太の手の中のお金に視線を移すと、呆気にとられた顔をした。
「何これ?」
「二十万円。一昨日、電話でいるって言ったじゃねえか」
「は?」沙希子は間の抜けた声を上げた。「でも、そんな金ねえって言ってたじゃん」
「今日入ったんだよ。ほれ、買うんだろ指輪。先輩へのプレゼントに」
沙希子は受け取らなかった。二十枚の一万円札をまじまじと見つめる。その瞳に怒りと苛立ちの気配が浮かぶ。出来の悪いテストを見せられた母親のように見えた。
喜々として金を受け取る沙希子を予想していた翔太は訝った。
「どうした? 早く受け取れよ」
「馬鹿じゃないのアンタ」
沙希子は吐き捨てるように言った。
「普通さ、あり得ないでしょ。二十万だよ、二十万。なにマジで集めてんの。あんなの、ネタだよネタ」腹を抱え、大声で嘲笑する。
「パシリもここまで行くと笑えるね。アンタさ、男のプライドってないの? 何、私が死ねって言ったら死んでくれんの?」
「………」
「すっげえ忠誠心。うわ、ハチ公みたい。ほれ、ワンて鳴いてみろよ」
「いらないのか?」沙希子の言葉を遮って言った。声が震えているのが自分でもよく分かる。表情を能面のように固定し、暴発しそうな衝動をかろうじて堪える。
「いらないのなら、いいや。自分で使うから」
「ちょっと待って。いる。いるから」
沙希子は素早い手つきで翔太の手からお札を奪い取る。
「ゴメンゴメン。金ないのはマジなんだけどさ。まさか持ってくるなんて思わなかったからつい。サンキュー藤川。必ず返すから、何なら借用書書こうか?」
「いらねえ」
そんなもの書いてもらったところでどうせ踏み倒されるに決まってる。
「あっそ。それじゃ」
沙希子は握りしめた二十万円ごと手を振り、去っていった。翔太はその背中を見送りながらくすぶっていた衝動が胸の奥で疼くのを感じた。不意に目に入った壁を思い切り蹴り上げた。鈍い痛みが爪先に響いた。
「だったら、最初から頼むんじゃねえよ」
何で俺が怒られなければならないんだ。金がいるって言ったのはそっちだろう。訳が分からない。殴ってやればよかった、と思う。そうすれば、こんなに息苦しい思いをすることもなかっただろう。殴って髪の毛引きずり回す。泣いても叫んでも許さない。仰向けにひっくり返ったところにのしかかり、そして………。
そこで翔太は首を振り、危険な妄想を振り払った。どうせ、俺には無理だ。大きく深呼吸するとポケットに手を突っ込み、背を丸めて歩き出した。
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