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出会い編
第1話 金子くん
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急な坂道を上っていくと、ようやく校舎が見えてくる。
すでに十時を回った学校は、活動を始めていた。校庭からホイッスルの音が微かに耳に届く。昇降口へ行き、靴を履き替えた。溜息が出てしまうのを止められない。
三階の教室まで階段を上っていく。授業中なので、廊下には誰一人いない。時々教師の声が響いている。足取りが重くなる。
いっそ引き返してしまおうか、と思った。が、ここまで来てまた戻るのも億劫だ。諦めて、また歩を進めた。
教室に着くと、恐る恐るドアを開けた。教師が彼の方を見ると、それにつられて皆が視線を向けた。頭を深く下げると、教師は大きな息を吐く。
「矢田部。今、何時だと思ってる」
答えられずに立ち尽くしていると、
「遅刻するならするって、連絡くらいするものだろう。常識がないね。君の親御さん」
「あの……母は仕事でいなくて。学校に行こうと思って玄関まで行ったところで気分が悪くなってしまって。すみませんでした」
か細い声で謝罪する。胃が気持ち悪かった。
教師がまだ何か言おうと口を開きかけた時だった。学級委員の金子が立ち上がった。
「先生。お怒りはごもっともですが、そろそろ授業をしてもらえないでしょうか。矢田部君一人の為に、うちのクラスは遅れをとってしまいます」
「あ、ああ」
教師は金子の言葉に納得したのか、授業を再開した。皆も黒板の方を向き、視線から逃れることが出来た。自分の席に着くと、急いで教科書を取り出した。
授業が終わると、すぐに金子の席へ向かい、
「金子くん。さっきはありがとう」
声を掛けられて金子は、首を傾げた。
「僕、何か君に感謝されるようなことしたっけ。むしろ、ちょっと失礼なこと言ったと思うけど」
「そんなことないよ。本当に助かったんだ。ありがとう」
重ねて礼を言うと、金子は小さく笑った。
「そうそう。話は変わるんだけどさ。矢田部。君さ、バンドって興味ある? ロックバンド。高校生の兄貴からチケット渡されてさ。二枚。僕はもちろん行くんだけど、一緒に行ってくれないかな。チケット代よこせとか言わないから。実は今日なんだけど。どうかな」
「今日? 何も予定はないけど。何時からなの?」
訊くと、金子はカバンを探り、
「あ、これこれ。十八時オープンって書いてある。待ち合わせて、一緒に行こうよ」
「うん」
なんとなく、行ってみようという気になった。普段は少しでも早く家に帰って家事をしようと思うのに。
矢田部恭一は、母と二人暮らしだった。父親がどんな人かは知らない。会ったことがない。生きているのか死んでしまったのかも知らない。ただ、二人で生きてきた。そのことに恭一は、何の不満もなかった。
家のことで出来ることは、何でも進んでやった。そうすると、母は喜んでくれた。彼女の笑顔が見たくて、またやった。今では、するのが当たり前になっている。母は、いつも感謝の言葉を、笑顔とともにくれる。嫌なことがあった日でも、それで癒される。
そんな恭一が、何故かこのライヴに行きたいと思った。
「なかなかこういうのって声かけにくくってね。良かった。矢田部がOKしてくれて。本当に助かったよ」
金子も喜んでくれているので、まあいいかと思う恭一だった。
すでに十時を回った学校は、活動を始めていた。校庭からホイッスルの音が微かに耳に届く。昇降口へ行き、靴を履き替えた。溜息が出てしまうのを止められない。
三階の教室まで階段を上っていく。授業中なので、廊下には誰一人いない。時々教師の声が響いている。足取りが重くなる。
いっそ引き返してしまおうか、と思った。が、ここまで来てまた戻るのも億劫だ。諦めて、また歩を進めた。
教室に着くと、恐る恐るドアを開けた。教師が彼の方を見ると、それにつられて皆が視線を向けた。頭を深く下げると、教師は大きな息を吐く。
「矢田部。今、何時だと思ってる」
答えられずに立ち尽くしていると、
「遅刻するならするって、連絡くらいするものだろう。常識がないね。君の親御さん」
「あの……母は仕事でいなくて。学校に行こうと思って玄関まで行ったところで気分が悪くなってしまって。すみませんでした」
か細い声で謝罪する。胃が気持ち悪かった。
教師がまだ何か言おうと口を開きかけた時だった。学級委員の金子が立ち上がった。
「先生。お怒りはごもっともですが、そろそろ授業をしてもらえないでしょうか。矢田部君一人の為に、うちのクラスは遅れをとってしまいます」
「あ、ああ」
教師は金子の言葉に納得したのか、授業を再開した。皆も黒板の方を向き、視線から逃れることが出来た。自分の席に着くと、急いで教科書を取り出した。
授業が終わると、すぐに金子の席へ向かい、
「金子くん。さっきはありがとう」
声を掛けられて金子は、首を傾げた。
「僕、何か君に感謝されるようなことしたっけ。むしろ、ちょっと失礼なこと言ったと思うけど」
「そんなことないよ。本当に助かったんだ。ありがとう」
重ねて礼を言うと、金子は小さく笑った。
「そうそう。話は変わるんだけどさ。矢田部。君さ、バンドって興味ある? ロックバンド。高校生の兄貴からチケット渡されてさ。二枚。僕はもちろん行くんだけど、一緒に行ってくれないかな。チケット代よこせとか言わないから。実は今日なんだけど。どうかな」
「今日? 何も予定はないけど。何時からなの?」
訊くと、金子はカバンを探り、
「あ、これこれ。十八時オープンって書いてある。待ち合わせて、一緒に行こうよ」
「うん」
なんとなく、行ってみようという気になった。普段は少しでも早く家に帰って家事をしようと思うのに。
矢田部恭一は、母と二人暮らしだった。父親がどんな人かは知らない。会ったことがない。生きているのか死んでしまったのかも知らない。ただ、二人で生きてきた。そのことに恭一は、何の不満もなかった。
家のことで出来ることは、何でも進んでやった。そうすると、母は喜んでくれた。彼女の笑顔が見たくて、またやった。今では、するのが当たり前になっている。母は、いつも感謝の言葉を、笑顔とともにくれる。嫌なことがあった日でも、それで癒される。
そんな恭一が、何故かこのライヴに行きたいと思った。
「なかなかこういうのって声かけにくくってね。良かった。矢田部がOKしてくれて。本当に助かったよ」
金子も喜んでくれているので、まあいいかと思う恭一だった。
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