レンタル彼女の彩子さん

タキテル

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第四話 真相とモテ男プロデュース

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 ☆
「ごめんなさい。二ノ宮様。実は今日のデートでおそらく最後になると思われます」
 彩子さんは突き放すように僕にそう言った。
「彩子さん、それはどういう意味ですか?」
 僕は訳も分からず質問を返した。
「実は私、本日でレンタル彼女を退職することになりました」
「た、退職? 一体どうしてそんな事を……」
「二ノ宮様は良き、依頼者だったので、お話しましょう。実は私、晴れて結婚することになりました。そのこともあり、意を決して退職に踏み切ったという訳です」
「結婚?」
 結婚という言葉に現実を突きつけられた気がした。まさにそれは僕にとって絶望そのものだった。恋人以前に結婚なのだから。
「そういう訳で二ノ宮様とのデートは本日をもって最後です。今まで私をご指名していただきありがとうございました」
 彩子さんは感謝の気持ちを込めて深々とお辞儀した。そんな彩子さんに僕は納得できずに怒りを露わにして反論する。
「待ってください!  納得できません。どうしてそんな急に……」
「そう言うだろうと思いました。では、証拠を見せましょう」
 彩子さんは取り乱している僕とは対照的に冷静な感じで言った。左手を見せつけて薬指にはめられている婚約指輪を確認させる。そして
「もう少しで私の婚約者が現れます。そうすれば納得してくれるでしょうか?」
「誰なんです? その婚約者とは?」
「あなたもよくご存知の方です――ちょうど現れたみたいですね」
 すると、後ろから彩子さんの婚約者と思われる男の声が聞こえる。
「よう、彩子! 待たせたな」
 僕の後ろに現れたのは宇尾島康介だった。予想外の展開に僕は戸惑いを隠せない。
「康介?? なんでここに?」
「なんでって、決まっているだろ。俺が彩子の婚約者だからだよ」
「は? え?」
 今の状況が理解出来ずに僕は目を疑う。
「そうゆう訳だから、ニノ! 俺らの前から消えてくれないかな? 恋敵はもう終わったんだよ。俺の勝利でな」
 康介は見下すように言った。
「あ、彩子さん嘘ですよね?」
 康介の言っていることが信じられず、僕は彩子さんに確認する。
「残念ですが、二ノ宮様――これは事実です。どうか私の前から消えてください。お願いします」
 彩子さんは頭を下げてお願いした。丁寧な言葉使いにも関わらず、大好きな彩子さんに毒を吐かれて、正常な状態ではいられなくなった。
「嘘だ。嘘だ。嘘だー!」
 僕の無情な叫び声が辺りに響いた。

「嘘だあぁぁ!!」
 僕は手を伸ばした。しかし手を伸ばした先は彩子さんではなく、自分の家の天井だった。僕の全身は汗でびっしょりと濡れていた。枕は湿っている。過呼吸をしている自分がいて辺りを見て言った。
「………………夢か?」
          ☆
 夢とは言え、彩子さんと康介が結婚するのは心臓に悪い。あまりにもリアルな夢をみてしまった僕は正夢があるのでは、と不安になる。今の彩子さんに結婚なんて考えられない。僕の勝手な予測だが、レンタル彼女なんてしている女とは付き合うのを躊躇しそうな仕事である。僕みたいな変わり者ではない限り、受け付けそうにないだろう。言ってみれば、キャバクラの出張版のような仕事である。
僕はあの時、彩子さんにどうしてレンタル彼女をしているのか、聞こうとした。結果としてうやむやになってしまったが、聞いてしまうのが怖くなる。彩子さんの事はなんでも知りたいと思っているが、こればかりは謎にしておくのも一つの手である。知りたいようで知りたくない。まるで頭の中の天使と悪魔が戦っているようなそんな感じである。

          ☆
『よう、ニノ! 暇、しているか?』
 電話に出た早々、康介の甲高い声が聞こえてくる。
「ど、どうしたの? 急に」
『いや~。この間は彩子とのデートを邪魔したみたいだからさ、お詫びと思ってだな! 良かったら遊びにでもいかないかなと思ってだな! どうだい? 今度の休みどこか行かないか?』
 この間と言うのは、奈良公園での一件で康介の予約で延長ができなかった事のやつだろう。
「考えておくよ」
 僕は大した用事がなかったが、とりあえず保留のつもりで言った。
『なんだ。ノリ悪いな。ニノ! 彩子以外の女知らないだろ? 勉強のつもりで少し手貸してくれないか?』
「え?」
『合コンだよ。人助けだと思って来てくれないか? 一人足りないからさ』
 合コンと言う単語に思わず反応する。現実世界に合コンが行われているとは思わなかった。実は内心興味があるイベントである。僕は即座に参加を決意することになる。
         ☆
「二ノ宮陸です。二五歳です。普通のサラリーマンをしています。よろしくお願いします」
 ぎこちない僕の挨拶が終わった。
 今日は康介に誘われて、三対三の合コンを開かれた。男組は僕と康介、そして、この合コンの主催者である天野という三十代のおじさんである。
 対する女組は派手な格好をしたギャル系の三人だった。
「二ノ宮君、硬―い! もっと気楽に行こーよ!」
 ギャルの一人が言った。
「あはは……」
 僕は初めての合コンに困惑していた。僕はどちらかと言えば人見知りの為、うまく口が回らない。それに、ギャル系の人たちは今まで関わったことがない部類の為、余計に口が回らないのだ。
 そんな僕に後ろから肩を叩かれた。
「リラックス、リラックス」
 横から康介が小声でそう言った。
 康介とも本日で二回目なので、正直、周りは知らない人だらけ。勢いでここまできてしまったけど、今になって後悔した。自分が思っているようなものと少し違った。僕はもう少し、彩子さんと似たような子が来てくれるのかと思い期待したが、目の前にいる彼女たちは彩子さんと似ても似つかずのブスであった――いや、ブスといっても彩子さんと比べるとレベルが低いというべきか。そうなると彩子さんに遠く及ばないことになる。彩子さんと他の女を比べてしまうと、どの女も普通以下に見えてしまう。それほど、彩子さんは輝いているということだ。
「王様ゲームするよ~!」
合コンが盛り上がった頃、天野はテンションやや高めで言った。
「イェーイ!!」
 ギャル達も盛り上がっている。
 割り箸で先端を隠し、六人がそれぞれ引く。
 僕は一番を引く。
「王様は僕ね!」
『王』と書かれた割り箸を見せて天野は言った。
「では、五番が一番にキスね」
 一番と言われて、僕はドキリとする。
「ニノ。お前一番か!」
 僕の割り箸を見て、康介は言った。
「五番は私よ」
 そう言ったのは黒ギャルだった。爪が異常に長い。ライオンよりも凶暴な手をしている。
「ニノ君冴えなくて好みじゃないけど、ルールだからじっとしていてね」
 黒ギャルは僕の方に迫ってくる。冴えなくて好みじゃないという言葉を頭で繰り返して落ち込む中、黒ギャルは僕の目の前にきた。
「失礼しまーす」
 普通に唇を差し出す黒ギャルに僕はオドオドする。
 ファーストキスは当然ながらない僕はこんな頭の悪そうな黒ギャルに差し出していいのだろうか。こんな遊びでファーストキスを済ませたくない。僕のファーストキスの相手はあの人ではないと嫌だ――そう、彩子さんに決まっている。
 キスを迫ってくる黒ギャルに僕は口走った。
「ブスが顔を近づけてくるな!!」
 部屋全体に響く声で言ってしまった。一瞬、刻が止まったかのように静まり返ったが、それに対し、黒ギャルは大激怒した。
「は? 誰がブスだって? ブサメンの分際でふざけるなよ、コラ!」
 女とは思えない暴言が飛び出した。楓にすらここまで威圧あるセリフを言われたことがないので、恐怖に狩られた。
「おい! てめぇ、もういっぺん言ってみろ! なんて言った?」
 僕は黒ギャルに胸ぐらを掴まれる。開いた口が閉じずに大口を開けて無抵抗で固まる僕。黒ギャルの逆鱗に触れてしまったのだ。
「表に出ろ」
 そう言って僕と黒ギャルは店の外に出た。店の外の人通りが少ない路地に連れてかれ、身を投げつけられた。
「いてっ」
「天野さん目当てで来て、お前の相手我慢してやろうとしていたのにブサメンにブスとか言われる筋合いなんてないんだよ」
 黒ギャルは吐き捨てるように言った。どうやら、黒ギャルは天野という男が目当てだったようだ。天野は大人ならではの独特の雰囲気があり、色気がある。自己紹介では会社の専務をしていると言い、地位もありそこそこのエリートであることは見て取れた。僕なんか眼中にもないようである。
「す、すいま……」
 謝ろうとしたが、なかなかうまく言葉が出ない。僕は何を怯えているというのだろうか。
「何言っているかわからないんだよ! 貧弱が!」
 黒ギャルは地面に這いつくばっている僕をヒールの高い踵で踏みつけた。かなり痛い。それを何度も何度も繰り返す黒ギャル。ヒールの踵がまるで鋭利の刃物のように僕の身体に突き刺さる。僕は無抵抗のまま、踏みつけられる。頭を抱えるがそれでも黒ギャルの攻撃は終わらない。サンドバックと化した僕は黒ギャルの怒りが収まるまで必死に耐えた。充分に及ぶ暴行が続き、ようやくことは収まった。道路に倒れこむ僕に向かって黒ギャルはこう吐き捨てた。
「今度、彼氏にボコってもらうから覚悟しな。うちの彼氏怖いから」
 気が済んだのか、そう言って、黒ギャルは合コンの部屋に戻っていった。
「…………彼氏もいて、合コン参加ってどういう神経しているんだよ」
 僕は一人、そんな事を言いながら、合コンの部屋には戻らずに傷を抑えながら、自宅へと足を運ぶのであった。
            ☆
「痛い……」
 僕は重い足取りでフラフラになりながら道を歩く。女の割に蹴る力が想像以上に強く、かなりのダメージを負った。おかげで身体中が痛い。これはまだいい方で、彩子さんとデートの時にいたヤンキーにやられた時の方が痛かった。
 少し塀に寄りかかり身体を休めた。こうしていた方が少し気が紛れた。
「大丈夫ですか?」
 休んでいる僕の後ろから女性に声をかけられた。僕は後ろを振り返る。
「あ……」
「あ……」
 お互いの目が合って固まった。声をかけてきたのは、スーパーの袋を持った彩子さんだった。マスクをしているが、マスクをしていようと僕からしたらすぐに彩子さんと判断がついた。どんなに変装していようと、僕なら彩子さんを見分けられる自信があるだろう。
 それにしても、どうしてこんなところに彩子さんがいるのだろうか。デートの時に偶然、待ち合わせ前に出会った時とは違い、正真正銘の偶然、彩子さんと出会ってしまった。これには運命を感じる。
「彩子さん……」
「二ノ宮さん……どうしたんですか? その傷」
 様ではなくさんと言う彩子さん。おそらく、仕事として話している訳ではないのでそのような言い方になったのであろう。
 彩子さんは僕の身体の傷を見て心配そうに言った。僕は女にやられたなんてそんなカッコ悪いことは言えず誤魔化す。
「少し、転んだだけです。なんともありません」
「そうは見えませんけど……?」
 偶然会えたことはずっと望んでいたことであり、本来この時はとても嬉しいはずなのだが、今の自分は見られたくなかった。こんな情けない姿を好きな人に見られるなんて――逃げたい。
 僕は彩子さんから逃げるように走り出した。恥ずかしい気持ちでいっぱいだから。とにかく彩子さんから離れたい――そう思った。
「あ、ちょっと!」
 後ろから彩子さんが呼び止める声がした。
 彩子さんごめんなさい。そう思いながら走る。しかし、僕の後ろでとんでもない駆け足が聞こえてくる。その音は一気に僕を抜き去って、僕の前に立ちはだかった。
「待ちなさいよ」
 彩子さんは息を切らすことなく、僕の前に現れたのである。あまりにも疾い速度で抜かされたものなので、僕は何も言えずに彩子さんを見つめる。もしかして、心配して僕を追いかけて来てくれたのだろうか? 期待したのも束の間、彩子さんは何かを差し出す。
「これ、落としましたよ」
 彩子さんが差し出したのは、僕のスマートフォンだった。どうやら、走った勢いによって落としてしまったのだろう。それをわざわざ、彩子さんは全力で走って来てくれたのだろう。そのことに感動しながら、お礼を言う。
「ありがとうございます」
「いえ、怪我しているのにあまり無茶しないでくださいね」
 彩子さんは走ってきた道を引き返す。どうやら、走った時にスーパーの袋を道路に置き去りにしてここまで走ってきたのであろう。二度手間させたことが申し訳なく思う。
「彩子さん、スーパーの袋があるということは……自宅はこの近くですか?」
 スーパーの袋を拾った彩子さんは僕の質問にじっと見つめる。
「――さぁ、どうでしょう? 案外、二ノ宮さんの近くかもしれませんね」
 そう言って彩子さんはなにやら意味ありげな事を口にする。
「……その袋、重そうですね――持ちましょうか?」
「いえ、結構です!」
 間を置かずに即答で言われてしまった。僕はそんなに頼りないと言うことなのだろうか。実際頼りないのだが……
「怪我人に荷物を持たすことはできませんので、むしろ私が肩を貸す立場ですよ」
 と、彩子さんは付け加えた。
「そうですか」
 僕は彩子さんから立ち去ろうとする。
「肩貸しましょうか? 仕方がないので」
 仕方がないと言いつつも、積極的に僕の手を肩に回す彩子さん。
「あ、ありがとうございます」
「いえ、大丈夫です」
 どうやら彩子さんは怪我人には優しいらしい。道で困っている人がいたら真っ先に助けに行くタイプなのだろう。僕だからという訳ではなく一般的にという意味でだが。また少し、彩子さんの人間性に惚れる要素ができた。
片手に僕の手、もう片方にスーパーの袋を器用に持つ彩子さんに僕はドキドキする。ゼロ距離で体温が直接伝わってくる。
「あ、僕の家、ここをまっすぐいったところを左に曲がったアパートです」
「奇遇ですね。私もその方角です」
 五分から十分ほど歩いて、ようやく自宅のアパートにたどり着いた。
「ここです。彩子さん、わざわざ送ってもらってありがとうございました」
「いえ。軟膏塗ってお大事にしてください」
「はい。彩子さんも一人で帰れますか? 夜道は危険ですので気をつけた方が……」
「それには心配ご無用です。もう帰りました」
「え?」
「私はここのアパートの大家ですので」
         ☆
「私はここのアパートの一階の一番奥の部屋です」
 そう付け加える彩子さん。
 彩子さんが僕のアパートの大家だって? 僕は目を疑った。そんなの有り得ないと。
だが、実際ここに住んで五年ほど経つが大家の姿は見たことがない。入居以来ずっと見たことがない。なぜだが分からないが、ここのアパートは住人と大家の接触は禁止という項目があった。あまり気にしていないが、僕自身も人との関わりはしたくなかったのでその条件を承諾してここに住み始めた。いつもやりとりは手紙や電話。電話の時は中年のおじさんの声であって彩子さんみたいな可愛い声なんてしていない。その事を彩子さんに言うと
「あ、それヘリウムガスで声を変えていました」
 と、言った。しかし、今まで気に留めていなかった大家の正体がまさか彩子さんだったとは思いもしなかった。
「ちなみに、二ノ宮さんのポストにレンタル彼女のチラシを入れたのも、私なんです」
 と、彩子さんからまさかの告白をされた。
「な、何故、そんな事を?」
「騙していた訳ではありませんが、これもビジネスの為です。こうして二ノ宮さんに打ち明けたのは、信頼したからと思ってくれて構いません。打ち明けたからといって、二ノ宮さんの私に対する思いを承諾したという訳ではありませんよ? そこだけは理解してください」
 当然といった感じで彩子さんは言い放った。
「騙していたつもりはなくても、僕に嘘を付いていたということですか?」
「何も嘘なんてついていませんよ? 私はビズネスの為に顧客を増やしたまでです――そう、二ノ宮さんみたいな男性の一人暮らしはターゲットとしては格好の的だった。ただ、それだけです。もっとも、二ノ宮さんがこれほど私にハマってしまうとは意外でしたが……」
「彩子さん! 前に質問しようとしたことを今、ここで聞いてもいいでしょうか?」
「…………はい、なんですか?」
「彩子さんはどうしてこうもビジネスだとか、レンタル彼女にこだわるのですか?」
「疑問を抱くのも無理がないでしょう。わかりました。お答えします――その前に一旦、家に帰らせてもらってよろしいですか? 冷凍食品があるので冷蔵庫に入れたいですし、あなたも包帯でも巻いた方がいいですよ?」
「…………それもそうですね。わかりました」
「では、一時間後にまたここで待ち合わせしましょう」
       ☆
「お待たせしました」
 一時間後、支度が済んだ彩子さんが現れた。先ほどの格好と違い、ラフではあるが、短パンにストッキングで上にフード付きの上着姿で現れた。僕は先ほどの服装のままだったが、軽く手当を施している。
「アパートの前で立ち話もなんなので、近くの公園に行きましょうか」
 彩子さんはそのように促す。
 近所の公園に来て、ベンチに腰を下ろす。辺りは暗いが、満月に光が照らされていた。
「大家と言っても、元々は父のものでした」
 腰を下ろすなり、彩子さんは語りだした。
「父は突然、姿を晦ましました。借金を私に押し付けて、行方不明になったのです。残ったのはあのアパートのみです」
「そんな……」
「母は既に死去。私は父の莫大な借金を返す為に、レンタル彼女の仕事を選びました。とにかく、普通に働いていても返せる額ではなかった。なので、頭を捻りました」
「その結果がレンタル彼女……ということですか?」
「はい。より多く稼げる仕事は何かと考えました。多く稼げるとしたらメディア系……例えば芸能人とか公共の場に出る仕事は好きではありません。元々、人に見られるのが好きじゃありませんから……。なので、私は隠れてできる仕事を探しました。そんな時にレンタル彼女と出会いました。この仕事が私に唯一稼げる職業だと思いました。稼ぐにはクチコミで増やすことですが、私はいろんなところにチラシを配った。努力の甲斐があり、今ではナンバーワンのレンタル彼女の座に立つことができました」
  彩子さんは自分の歩んできた道のりを語った。僕はそれを黙って聞いていた。裏でこんなにも辛い過去があったことに自分のことのように噛み締めた。
「と、まぁ、私の事情はそんな感じです。こんなこと言うのは、二ノ宮さんが初めてですよ」
「なんで僕なんかに教えてくれたんですか?」
「二ノ宮さんのお母さんが亡くなられたんのを知ってしまったからでしょうか」
「何故それを?」
 彩子さんにこのことを言った覚えはないのだが、何故知っているのだろうか。
「偶然聞いてしまったのです。部屋で楓さんと揉めていたのが気になって耳を澄ませていたらそのようなことが聞こえたので。なので、二ノ宮さんには言ってもいいかなって思ってしまったのかもしれませんね」
「あ、聞かれていたんですね。あの時の話。あ、そっか。彩子さんの部屋は僕の真下ですよね?」
「はい。聞くつもりはありませんでしたが聞こえました」
「いや、さっき耳を澄まして聞こうとしたって言いましたよね?」
「そうですね。盗み聞きしたことは認めます。ごめんなさい」
 彩子さんは深く頭を下げた。
「それと、一回しか会ったことありませんが、二ノ宮さんのお母様が亡くなられたことを知り、私は心が痛みました。二ノ宮さんもその日から外出が減っていてちゃんと食べているのか心配でしたので野菜をドアに引っ掛けておきました」
「あ、あれって彩子さんの仕業だったんですか?」
 ここで一つ謎が解けた。差出人がないレジ袋に入れられた野菜を置いたのは彩子さんだったのだ。それも知らずに僕は普通にそれを食べていた。
「はい。あえて名前は書きませんでした。私にできることはそんなことしかできませんので。野菜はしっかり取った方がいいですよ」
「…………」
「何を赤くなっているんですか? この変態」
 彩子さんにそう言われ、自分の顔が赤くなっていることを確認する。やばい。彩子さんがいつもより可愛く見える。(いつも可愛いのだが)
「あ、その……気遣いありがとうございました」
「いいんですよ。困ったらお互い様です」
「あの、彩子さんには本当の彼氏はいるんですか?」
 僕は気になっていたことを聞いた。
「私に彼氏は必要ないです」
 彩子さんは言い切った。『それに私の彼氏になった人は不幸になってしまう』と、付け加える。
「借金があるからですか?」
「それもありますね」
「借金っていくらあるんですか?」
 僕は彩子さんが本当の彼氏が作れない重荷である借金の額を聞いた。
「それだけは言えません。それに知ったとしてもどうすることもできないのですから聞くだけ無駄です」
 彩子さんに信頼されているとは言われても完全に信頼したとは言えないようだった。信頼されたというのはあくまでもほんの一部だけ。下手をしたら半分も信頼されていないのかもしれない。
「私の事を少しでも助けたいと思う気持ちがあるのでしたら、レンタル彼女として私をレンタルしてください。それがあなたにできる唯一の手助けになりますから」
「もちろんです。僕と彩子さんの関係ですもんね」
「はい。客とキャストの関係です」
「…………」
 彩子さんは客とキャストという言葉を強調させるようにニコッリと言うのに対し、僕はこれ以上届かない距離なのだと悟った。
 ピピピ! ピピピ! ピピピ!
 聞き覚えのある音が彩子さんから聞こえた。これはもしや……
「お、時間だ」
 彩子さんは腕まくりをして左腕に装着されていた腕時計を止める。
「レンタル彼女時間終了です。二ノ宮さん」
「え?」
 まず、始まったことすら知らないのにいきなり終了と宣告されて意味がわからなかった。
「私とタダで会えるなんて、そんな都合が良いこと思っていませんよね? もちろんこれもレンタル彼女として来ています」
「ちょ、ちょっと待って下さい。彩子さん、そんなの反則ですよ。第一、僕は依頼していませんし、詐欺じゃないですか」
「詐欺なんて人聞きが悪い。大丈夫ですよ。この間の無料分ですので、お金は取りません。これで一時間分のサービスは消えましたがね」
 と、彩子さんは小悪魔のように嘲笑う。
「ず、ずるい……」
 僕はただ、彩子さんにやられたといった感じだった。さっきまでの会話で一時間分のサービスタイムは消費してしまったようだ。知らない間に……
「私のこと、嫌いになりましたか?」
「いえ、全く」
「そんなに私のことが好きなんですね……」
 若干引くような感じで彩子さんは目を細める。どんな顔をしてもどんな行動をしていてもやはり彩子さんは可愛い。
 彩子さんに殺されても僕は許してしまいそうだ。それほど、彩子さんのことが好きで、好きで堪らないのだ。僕が彩子さんに思う気持ちはそれほど大きかった。なので――
「彩子さん!!」
「はい、なんでしょう」
「僕はあなたのことが好きです。その思いは変わることはありません」
「あ、そうですか」
 彩子さんは愛の告白も軽くあしらった。
「私は帰ります」
 彩子さんは公園をスタスタと歩いていく。しかし、出口のところで一時停止をして振り返った。
「あ、言い忘れていました。そういう人ではないと思っていますが、いくら私が大家だからといって、プライベートの接触は禁止です。同様にストーカー行為なんてしたらすぐに追い出しますし、警察にも言います。私の機嫌を損ねた場合も同じです。いいですね? 私と会いたいのであれば、レンタル彼女としてレンタルをしてくださいね。では、おやすみなさい」
 彩子さんは言いたいことだけを言って帰っていった。僕は復唱しながらその場に立ち止まっていた。やはり、彩子さんと会うのは容易ではないようだ。
           ☆
「彩子さん……」
 僕は自宅に帰り、ベッドに転がっていた。
 彩子さんの事情を知った僕は複雑な心境に侵されていた。レンタル彼女、借金、大家などが頭の中を蠢いていた。
「ん? ちょっと待てよ」
 僕はベッドから飛び起きて床に目を向けた。僕の部屋は208号室。そして彩子さんの部屋は108号室。
「……この下に彩子さんがいるってことだよな」
 ふと、気づいた。今まで自分が生活してきたこの部屋の真下にあの彩子さんが生活しているのだ。未だに信じられない。どうして今まで気づかなかったのかというくらいに。身近に好きな人がいるだけで親近感が湧く。しかし、彩子さんとの距離は縮まることはない。僕はストーカーをする勇気は初めからない。僕と彩子さんの二つの繋がりがあるだけまだ、ましであろう。
 大家と住人の関係――
 レンタル彼女と依頼者との関係――
 僕と彩子さんにはこの二つの関係が生まれた。そんな小さな繋がりがとても大切だった。
 僕は立ち上がった。
「レンタル彼女だからなんだ、大家だからなんだ。彩子さんに振り向いてもらうまで僕は諦めない」
 僕は決意する。
 彩子さんを彼女にする計画――
 その名の通り、僕は彩子さんを彼女にするべくプランを練る事にした。そう、僕はエベレストよりも高く、険しい山を登ることを決めたのである。その為に、僕はプライドを捨てて、ある人物に電話することを決めた。
         ☆
『……なんか用?』
 嫌そうな感じで楓は電話に応答した。
「あ、うん。元気か?」
 僕はひとまず、他愛のない話で徐々に本題に入る作戦に出る。
『うーん。まぁね。ボチボチってところ』
 楓は適当に答える。
「そっか。最近、ちゃんとやっているのかなって思ってさ」
『紛らわしい事言ってないで、本題言えば? どうせ、何か問題でもあるでしょ?』
 楓にはお見通しだった。女の勘は鋭いようだ。
「うん、よくわかったな」
『それはわかるわよ。嫌な予感しかしないんだけど?』
「実はちょっと電話じゃ、しにくい話なんだけど……」
『そ。いいわ。時間作ってあげても。その代わり、何か奢ってよね』
 楓がタダで相談に乗ってくれるとは最初から思っていなかった。これも予想通りだ。
「わかった。好きなもの奢るよ。いつなら時間取れそう?」
『来週の金曜日なら空いているよ。こっち来てよ』
 こっちというのは名古屋に来いということだろう。
「わかった。有休取るよ」
『オッケー。細かいことはまたメール頂戴』
「うん。それじゃ」
 僕は電話を切った。そして、日程を調整し、楓と会う約束をした。
           ☆
「よ! バカ兄ぃ。元気していたか?」
「…………どちら様でしょうか?」
 名古屋駅で待ち合わせた楓の姿は全体的に黒でハットの帽子、マスク、サングラスであり、よそから見たら変質者みたいな格好で近寄りがたい印象を感じた。
「うるさいわね。私、こう見えてもここでは有名になっているのよ? 知られたら大騒ぎになるわ」
 逆にその格好の方が目立つし、大騒ぎになると思ったが、あえてそれを言わず、せめて、サングラスだけでも外そうと試みる。
「コラ! なにするんだ! アホ、やめなさい。そんなことをしたら顔がバレるでしょうが!」
「いいからそれだけ取れよ――恥ずかしい」
「やめてー」
 なんとかサングラスを取ることに成功した。サングラスを取ると楓の目に違和感を覚える。
「ってかお前! サングラスもしてカラコンもしているとかどういう神経しているんだよ。目に悪いだろ、それ」
「いいじゃん、別に! アイドルなんだから」
「そんな無駄なことして――視力悪くなるからやめとけ」
「そんな無駄なこと??」
 人前で何故か口喧嘩になっていて、目線が気になり、冷静になる。
「とりあえず、どこか店に入ろう。話はそれからだ。ほら、行くぞ」
「チッ!」
 後ろから楓の舌打ちが聞こえたが、僕は構わずに楓の手を引いて少しでもその場から離れるべく急ぎ足で歩いた。
          ☆
 駅近くの洋風の店に訪れて、楓はパスタを頬張っていた。
「ここのパスタ最高」
「いくらアイドルと言っても楓はまだ、駆け出しだし、そこまで気を使って変装しても意味ないよ」
「は? それってどうゆう意味?」
 先ほどの話を持ち出して、楓の機嫌をまたしても損ねることになる。
「いや、別に……」
 話がややこしくなると思い、僕は目を逸した。
 それにしても楓はよく食べる。一応アイドルなのにこんなに食べてもいいのかと思ってしまう。また口にするとうるさいので、ここは思うだけにしておく。
 楓に会うのは、母の葬式以来だ。酷く落ち込んでいたが、今の楓を見ると、少し落ち着いているように見えた。いつまでも落ち込んでもいられないだろう。
「そういえば、小笠原って言う主治医いたでしょ?」
 楓はパスタを食べながら言う。
「うん」
「私もその人にママの遺書をもらったの。その時は読まなかったけど、後日読んだら、ママさ……兄を支えてあげなさいって書いてあった」
「そうなんだ」
「後、夢は絶対に叶えなさいって。だから、ママの期待に応えられるように一流のアイドル目指しているの。それがママの最後の願いだと思うから、絶対になってみせる」
 楓は汚らしくパスタを食べながら言っていたので、良い事を言っているが、している行動はアイドルではなかった。
「ところで、相談ってなに? 聞いてあげるから、ほら、言いなさいよ」
 今度はピザのチーズを伸ばしながら言う楓。聞く態度ではないが、聞くと言われているので、決意を込めて言うことにした。
「じゃ、言うけど、僕をモテ男にしてくれないか?」
 改まって言った僕に対し、楓は
「ふふ……あはははははっはははっ!」
 大爆笑。お腹を抱えながら、テーブルをドンドンと叩く楓。真剣に言ったが為に余計、可笑しかったみたいだ。その様子を僕は無表情で見守っていた。そうなることは予想できた展開だ。
「お兄ぃがモテ男って無理でしょ――ってか、想像もできないし」
 笑いながら言う楓。よほど、笑いのツボを付いたみたいだ。これ以上笑われたら、心が折れるからその辺にしてもらいたい。
「本気?」
「本気!」
 再び笑いそうになった楓だが、ここは笑いを堪えて話を進める。
「モテ男って具体的にどうしたいの?」
「彩子さんが振り向いてくれるような外見と中身にしてほしい」
「彩子さんって……あんた、まだ諦めてなかったの? てっきりあの時で関係が終わったと思っていたけど、違うの?」
「今もレンタル彼女として、客として接してくれている。けど、僕は本当の恋人になりたい。その為に楓の力が必要なんだよ」
「……ふーん。なるほどね。もしかして、ママの遺書にそう書かれていたの?」
「母さんは僕たちの関係は初めから知っていたみたい。母さんは本当の恋人になってくれって書かれていたよ。でも、書かれていたからそうするんじゃない。僕自身がそう望んでいるから、彩子さんが好きで、好きでたまらないから!」
「そうゆうことね――わかったわ、私が人肌脱いであげてもいいよ?」
「本当?」
「ええ。でも、あまり期待しないね。見掛けだけだから、中身は自分でなんとかしなさい」
「……わかった」
「そうね――じゃ、まず、そのダサい格好から変えましょうか」
           ☆
「ごちそうさま」
 お腹を抱えて店を出る楓。
 ここでも支払いは僕が払った。奢ると、来るときに約束していたので、余儀なく払ったのだ。伝票が追加の紙で重ねるに重ねて、最終的に追加の伝票の紙が筒に収まらなくなるほど平らげた楓。金額も通常より割高だ。好きなものを好きなだけ食べると、遠慮というのが一切ない。僕の財布の中身は楓の腹に消えたということになる。
「さ、私がお兄ぃの服をセレクトしてあげる」
 楓はノリノリで言った。僕の服がとてつもなくダサいと言われ、一から見直すことになった。僕は服にこだわらなかったので、センスがいいとは言えなかった。最近の服の流行もイマイチわからない。
「どこに行くの?」
 僕は言われるがままに楓の後をついて行く感じになる。
「とにかく来なさい」
 地下鉄に乗り、栄で降りて、徒歩で数分のところにあるデパートに訪れた。十階まであり、その中で楓は歩き周り、狙いを定める。
「これなんていいんじゃない?」
 楓が見つけたのは、革の素材でできた厚めの上着だった。
「ん~?」
 僕は首を傾げていた。こんなもの自分に似合うのだろうか、という思いだった。
「まずは試着してみなさいよ。すみませーん」
 楓は勝手に店員を呼び、試着をさせる。僕はそれに従い、仕方がない感じで試着した。
「どう?」
「……ちょっとセレクト間違えたわ」
 そう言って楓は次から次へと候補の服を持ってくる。
 ファッションショーみたいにテンポよく、さまざまな服を袖に通す。そんなこんなで、二時間かけて、一つの形が決まった。
 イメージとしては学校のブレザーに近い服装。お洒落な黒に水玉柄のカッターシャツに短めの赤いネクタイ、その上にスーツのような紺の上着、そして、細身のねずみ色のパンツ。見た目からしてお洒な服装になった。
「うん。悪くないよ。これならオタク臭いオーラは感じられないわ」
 楓は相づちを打ちながら言った。普段の僕の服装はオタク臭いオーラが出ていたというのだろうか。
「元々、ガリ……細身だから、そうゆう服は着こなせると思うよ」
 今、ガリガリと言おうとしたよね、絶対……。
「それで彩子ちゃんとデートしたら好きになると思うよ」
「まじで?」
 僕は迷わず、楓が薦めてくれた服を購入した。
「その服、着るなら革靴を履きなさいよ。間違っても、運動靴はありえないから」
「スーツ用の靴しかないけど?」
「…………靴屋に行きましょうか?」
「……はい」
 そう言って、僕と楓は靴屋に行った。自分では選べなかったので、ここでも楓が選んでくれた。悩みに悩んで、茶色の革靴を一足購入した。
「これで終わりか……」
「なに言っているの? まだに決まっているでしょうが!」
 楓は少し半ギレ気味で言った。
 僕はゴールのラインを踏み切ったと思ってしまったので、再び、走らされるのかと、少しガッカリした感情にやられる。
「他に何があるのさ」
「お次は、美容室よ」
「美容室?」
「うん。その無造作に伸びきった髪! 見ていて、むしり取りたくなるわ」
 やめてくれ。
「行くわよ! キモパーマ」
「…………」
 楓は言いたい放題になり、毒を吐き散らす。兄妹が逆転しそうだ。
 僕と楓は美容室に入り、僕は椅子に座らされる。
「短髪にしてください。後、できれば薄く茶髪にしてください」
 楓はお母さんのように自分の子供の髪型を勝手に決めるように店員に言う。僕の頭を勝手に決められてしまった。
 一時間後、注文通り仕上がった。自分が自分ではないみたいだ。まるで別人のような髪型になっていた。
「楓! 終わった……」
 カットと色染めから戻ったら、楓は待合の椅子でイビキをかいて寝ていた。さすがに一時間も待たされていたら眠くなるだろう。そう思い、優しく起こす。
「楓! 終わったぞ」
 僕は楓の肩を揺する。
「むにゃ?」
 楓は可愛らしい声を出す。目を擦り、僕の姿を確認する。
「ふぇ? お兄ぃ? すごいね、別人じゃん!」
 楓は僕の姿を見て驚く。
「キモパーマからプチイケメン風になってよかったね」
 プチ? 風? なんだかあまりいいように言われていないのだけはなんとなくわかる。
「基礎的なことはこれくらいかな。後は香水だとか、目に見えない努力をすることね」
「楓! 今日はありがとう。為になったよ。おかげでモテ男に一歩近づけた気がする」
「なによ、改まっちゃって――気持ち悪いわね」
 楓はそっぽを向いた。
「ケジメ……つけてくるよ。彩子さんと最高のデートをしてくる」
「その前に!」
 楓はちょっと待ったと言わんばかりに静止をさせた。
「今度は、私のお願い聞いてもらおうかしら」
「お願い?」
「今夜、私の家に泊まっていきなさい」
          ☆
「ス、ストーカー??」
「バカ! 声が大きい!」
 楓は僕の口を塞ぎ、人差し指を口元に当てた。
「実は最近、どこの誰だかわからないけど、後を付けられているのよ。無言電話も度々あるし!」
「それって間違いないのか? ただの悪戯ってことは……」
「ない!!」楓は言い切った。
「多分、私のファンだと思うの。ファンがいるのは嬉しいことだけど、こうゆうことされると迷惑なのよね」
 寒気がしたのか、楓は身体を擦る。
「お願いっていうのは、そのストーカーをなんとかしてもらいたいってことか」
「正解。でも、バカお兄ぃがなんとかできるだろうか……」
 楓は真面目に考え込む。その姿がなんだかけなされているようにしか見えない。
「僕も男だ。妹が困っていて助けられない兄ではないぞ」
「それは心強いわね。でも最近、毎日だから、もしかしたら今日もまた後付けられているかもしれないの」
「今は気配ないようだけど」
「今は一人じゃないからね。でも油断はできないわ」
 そう言って、楓は表情が暗くなる。
「楓。そんなことをする人の候補とかないのか?」
「さぁ。私もアイドルだからファンがしている可能性もあると思うの。そうなってくると、候補では無限大ね」
「楓ってそんな世間で有名になったのか?」
「失礼な!」
 楓は頬を膨らませていた。
 最寄りの駅から数分後、楓が住んでいるマンションにたどり着く。オートロック式で十二階建てのマンション。一人で住むのは贅沢なほどでかいマンションである。楓はここの九階の左隅に住んでいる。残念ながら僕がここに来るのは初めてのことである。
「二十の女にしては贅沢だな……」
 ここはアイドルの寮の施設である為、一般人は基本入ることは禁止されている。なので、こっそりと中に侵入する形になる。
「誰にも気づかれずに部屋に来るのよ。パパラッチとかしつこいから」
「了解」
 僕は人目を気にしながら、なんとか楓の部屋に入ることに成功した。
「お邪魔します」
「適当にくつろいでいって」
 そう言われ、楓の部屋に案内された僕は、部屋を見て驚いた。白で倒立された女の子の部屋。ぬいぐるみなどが配置されており、清潔感がある。僕の部屋とはまるで大違いである。
「綺麗だな」
「当然でしょ。お嬢様なんだから」
 楓は自分のことをお嬢様と思っているらしい。
「オムライスでいい?」
「え? うん」
 楓はエプロン姿でキッチンに立ち、手際よく調理を始めた。普段から家事は出来ているらしい。見渡す限り、手抜きの部分は一切ない。この時点で関心をしてしまった。
 三十分後、楓特製のオムライスがテーブルに並べられた。オムライスにはケチャップで『りく』と書かれている。
「はい。食べなさい」
 楓は素っ気ない感じでスプーンを渡す。
「――いただきます」
 僕は一口食べる。
「うまい!」
「まずいって言ったらただじゃおかないから」
 楓はニッコリと微笑む。
「楓は食べないのか?」
「うん。昼間食べ過ぎたからまだ、いらない」
 完食して、落ち着いた頃、話はストーカーについて戻る。
「始めに疑問を感じたのは、ひと月前、ママの葬式が終わった後の事……。私はアイドルとしての活動に起動が乗っていた頃、電車とか、街を歩いていると、何か視線を感じるようになった。最初は勘違いと思ったけど、日に日に、違和感じゃなくて、足音が聞こえてくるの。誰だがわからないけど、その足音は確実に迫ってくる。それを感じ始めた頃、毎日、無言電話がかかってくるようになるの。相手は非通知からだから全然わからなくて……」
「その電話は決まった時間にかかってくるのか?」
「いや……でも大体、夜の六時から十二時の間にかかってくるよ」
「と、なると、もしかしたら今日も……」
 現在の時刻は二一時二十三分。もし、毎日かかってくるのだとしたら、後、三時間以内にはかかってくることになる。
 ピピ! ピピ!
 楓のスマートフォンが鳴りだした。
「…………非通知よ」
 例のストーカーからの電話だ。
「貸して! 僕が出る」
 僕は楓のスマートフォンを受け取る。僕は非通知からの電話に出た。
「もしもし」
『…………』
「お前、楓のストーカーだろ? なんでこんなことをするんだ!」
『…………貴様、かえでんの何者だ?』
 かえでんと言うのは楓のアイドルの愛称である。
「僕は楓の兄貴だ。妹が困っている――これ以上楓に関わるな!」
『殺す、殺す、殺す、殺す、殺す……』
 電話の男は呪文のように『殺す』と、唱え続けた。
「け、警察呼ぶぞ!」
『兄貴なんて嘘だろ? いいのか? アイドルが男を部屋に連れ込んでいるなんて世間に知れても……』
 その言葉で僕は慌てて、カーテンを開けて、窓も開ける。
「え? お兄ぃ、どうしたの?」
 楓は僕の突然の動きに反応する。
 真下を見て、右、左と一八〇度をぐるりと窓の外の景色を目で追った。すると、こちらを見つめる人影を見つける。
「見つけた!」
「え? 何?」
「ストーカー見つけたよ! ちょっと捕まえてくる」
 そう言って、僕は玄関の方に行き、靴を履いて扉に手を伸ばす。
「え? 説明しろ!」
 楓は訳がわからない状態だった。
 タイミングよく、エレベータが来ていたので、一階のボタンを押す。
「おい! お前、正体見せろよ」
 僕は通話中の楓のスマートフォンに向かって叫んだ。
『なんだと、クソガキ。早く、かえでんに代われよ、コラ』
 いつの間にか、電話越しで口喧嘩のようになってしまった。
 僕はエレベータが開いたと同時に走り出した。
「生憎、楓は出さないよ! 今からお前を取っ捕まえるから覚悟しろよ」
『なんだと?』
「お前の姿、窓から見つけたからな」
『な、なに……』
 電話は切れてしまった。勘付かれて、男は逃げ出したのだろう。
 僕は男が監視していたと思われるポイントまでたどり着く。
「……いない――こっちか」
 僕は自分の勘を頼りに男が逃げていったと思われる方向に走り出した。走っていると、一人の男が歩いているのに気づいた。
「おーい!!」
 僕は走りながら、後ろ姿の男に向かって叫んだ。男は僕の声に気づき、こちらを振り向く。すると、男は僕の姿を見た瞬間、全力で走り出した。
「あ……」
 僕は走るスピードをあげて、男を追いかける。僕は体力的には平均以下。つまり、体力はあまりない方だった。なので、こうして、男を追いかけるのもしんどかった。長期戦に持ち込またら、こちらが不利になってしまう。
「はっはっ……ま、待て……」
 やばい。息があがってきた。このままでは逃げられてしまう。
 しかし、犯人もそれは同じだった。僕とほとんど距離が変わらない。
 男は公園に道を逸らして方向を変えた。逃げ切るのが難しいと判断してどこかに隠れる作戦かもしれない。僕も公園に入り、男の姿を捉え続けた。
 男は公園に逃げ込んだ時、何かに躓き、転んだ。
 運が味方をした。僕は男を取り押さえる。
「捕まえた!」
「う、うわー! やめてくれ!」
 男は帽子にマスク、サングラスで顔を隠していた。
「観念しろ! ストーカー野郎!」
 僕は勢いよくマスクとサングラスを取った。
「!」
 その顔を見た瞬間、目を疑った。
       ☆
「お兄ぃ! どこ行った!」
 道路で楓の馬鹿でかい声が聞こえてくる。近所迷惑になるからやめてほしいものだ。
「お?」
 楓は公園の方に目線が止まり、ようやくこちらに気がついたようだった。
「お兄ぃ……一体どうしたっていうの?」
 楓が目撃したとき、僕はストーカーを取り押さえた後だった。
「誰?」
 楓はこの男を見るのは初めてのようだった。しかし、僕はこの男を知っている。
「天野……さん。あんたが楓のストーカーだったのですか?」
 僕が取り押さえた男は、以前、合コンの主催者だった天野だった。直接の知り合いではなく、康介と知り合いで僕はたまたま数合わせで呼ばれたに過ぎない。つまり、天野と出会ったのは合コンの時の一度きりであったが、落ち着いた大人の雰囲気をもっていて、女性にモテていたイメージがあり、ストーカーをするようには見えない。
「おやおや、どこかで見たことあるかと思えば、二ノ宮君じゃないか」
 天野は取り押さえられながらケロッとした様子で言う。
「どうゆうこと?」楓は少しずつ距離を詰めながら言う。
「二ノ宮楓……二ノ宮陸……ほう、なるほど、兄妹と言うのは本当みたいだな」
「ちょっと! あんた、私にしつこくストーカーしていた人? お兄ぃと知り合い?」
「そういえば、二ノ宮君。君、女にボコられたって? 情けなく惨めだったって聞いたよ。あの後、君の弱さを笑いのネタに大盛り上がりしていたよ。はは、今思い出しても面白いよ。あれ? そういえば、前に会った時と少し雰囲気変わったかな?」
 天野は楓の質問には答えず、勝手に喋りだす。
「いつまで押さえつけている! 痛てぇんだよ」
天野は突然暴れだして抵抗した。僕の手を振りほどいて立ち上がり、距離を取る。
「見た目は変わったようだが、力は変わってないようだな。俺としたことがちょっと油断しちゃったな」
 天野は服に付いた汚れを手で払った。
「…………」
「何故、僕がここにいるのか、不思議そうな顔をしているな。いいだろう。ここまで追い詰めた褒美だ。俺の事情を話してやろう。俺は大の女好きでね。あらゆる女と関係を持てるように定期的に合コンを開いている。あの時は宇尾島を利用させてもらった。きた女はクソギャル共だったが、遊びにはちょうど良かった。そして、二ノ宮君。君のアドレスの中の女を奪わせてもらったよ」
「どうゆう……」
「はっ! 君がトイレに行っている隙に君のスマートフォンを拝借させてもらった。そして、その中の女の番号を奪った。君の中には、そこのかえでんしかいなかった。だが、そのかえでんが大当たりだ。まさか、メディアにいる女の連絡先を知っているとは思いもしなかったよ。それにかえでんは俺の好みの女でもある。絶対にほしい人材だった。理解できたかな?」
「…………最低」
 横で聞いていた楓はそう言い捨てた。
 まさか自分のせいで楓がストーカーにあっていたなんてショックだった。
「天野さん……いや、天野! こんなことしてただで済むと思うなよ!」
「お? やるか? 喧嘩はあまり自信ないが、君よりは強いよ――確実に」
 天野は挑発する。
「天野!」
 僕は挑発に乗ってしまった。喧嘩なんてしたことがないのにがむしゃらに天野に突っ込んだ。ただ、両手をグルグル振り回すだけの攻撃。天野は片足で僕を止めた。
「小学生か! コラ」
 天野は僕を軽く蹴り飛ばす。地面に倒れ込んだ僕に天野は足で押さえ付けた。グリグリしながら嘲笑う。
「オラ、オラ」
「痛い……」
 僕は何もできなかった。
「どうだい? かえでん。俺とやらせてくれたら許してやってもいいぞ」
「…………」
 楓は何も言わず、呆然と立ち尽くした。
「楓、逃げろ!」
「やめて! お願い!」
「答えはイエスととっていいのかな?」
 天野は勝ち誇った態度をとる。
「その役目は私の役目! お兄ぃを踏みつけるのは私以外したらダメなんだから!!」
 そっち? やめろと言うのは、僕を踏みつけるのは楓がする役目という意味のようだった。
「お兄ぃを痛めつけられるのは私だけなんだから、許可なくいじめるのは許さない!!」
 楓は別の意味で堪忍袋の尾が切れたみたいだ。まっすぐと僕と天野の方に走ってくる。
「勝手に!」
 楓による足蹴りが天野に炸裂
「私の役目を!」
 楓による拳で天野の頬にグーパン
「横取りしてるんじゃねぇー!」
 体制を崩した天野のつむじに左チョップがクリーンヒットでノックアウト。
天野は意識を失い、その場に倒れ込んだ。
「ふぅ」
「…………楓ってこんな強かったっけ」
 僕は呆然と楓の攻撃を見届けた。
「事件解決よ」
「うん……僕、必要なかったじゃん」
 天野はその後、僕が通報して警察に引き取られた。
         ☆
翌日、僕は楓の家で身支度をしていた。
「もう少しゆっくりしていけばいいのに」
「いや、やることあるからもう帰るよ」
 楓はもの寂しそうに僕を見つめる。
「楓、これから一人前になれるように頑張れよ。応援しているから」
「うん。彩子ちゃんって謎が多そうよね。大丈夫なの?」
 前の晩、僕は楓に彩子さんの事情について話した。レンタル彼女をしている理由、大家で真下に住んでいること。その他、これまでにあった彩子さんとのデートのことを僕は楓に話した。
「例え、どんな事情があっても、僕は彩子さんのことが好きなことについては変わらないよ――僕の運命の人だから」
「何カッコつけているのよ」
 楓は僕の頭を小突いた。
「痛い! 楓、意外と力強いからもう少し軽くやってくれよ」
「最近、身体鍛えているから強くなったかも。お兄ぃなんてイチコロかもね」
 ガチの喧嘩になれば、楓に負けてしまうだろう。楓は充分強くなった。天野を仕留めてしまったほどに……。
「無理だと思うけど、彩子ちゃんとうまくいけるように祈るわ」
 『無理だと思うけど』は余計だ。でも確かに今の関係ではゴールは見えてこないのは明白だ。ほとんど0に近い。それでも僕は彩子さんを諦めない。そう誓ったのだから。
「あ、そうそう」
 楓は何かを思い付いたように言う。
「私、その宇尾島って人よりか、お兄ぃのがチャンスあると思うよ」
「え? なんで?」
「女の勘ってやつよ」
「そう……なんだ」
「まぁ、せいぜい頑張りなさいよ」
 上から目線なところは相変わらずだが、楓は楓なりに励ましてくれていた。その言葉が嬉しかった。
「今度、彩子さん連れてくるから……本当の彼女として」
「期待してないけど、楽しみにしている。今度はレンタル彼女って嘘付くなよ~」
「うん。じゃ、行くよ。泊めくれてありがとう」
 僕は玄関の扉を引いた。
 僕はある程度のモテ男プロデュースが終わり、期待と不安が混ざり合って自宅のアパートに帰った。彩子さんに生まれ変わった自分を見せたい一心で。
          ☆
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