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不意打ちの約束 12

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「お前っ…て、ヤツはッ」

呻くような声がJDの喉奥から絞り出される。
怒っているとも、呆れているともつかないJDの声に肩を竦めた青年は、恐る恐る背後の恋人を振り返った。
音から感情は類推できたとしても、目の前の愛しい人が浮かべる表情は、青年の気持ちを容易たやすく振り回す。
いつも底抜けに明るく、達観したような笑い方ばかり見せる青年だったが、今は伺うような不安気な眼差しで、JDの顔を覗き込んでいた。

「…怒った?」

太陽が陰っていくような声とでも、言うべきか。青年の自信のなさそうな言葉を聞くと、JDは眉尻を下げて笑って見せた。

「いや、怒ってねぇよ…、…お前のだってのは、その通りだからな」

実際、青年の突飛な行動に呆れてはいが、怒ってはいなかったのだ。
JDの掌が、青年の頭の上に乗る。軽く一度、二度と頭の上で掌を弾ませてから離すと、両手で顔を覆う青年の姿が目に飛び込んだ。
今度は何事かと、焦ったJDが慌てて口を開いた。

「おい…」
「あ゛ぁ゛~…好きぃ~」

JDの声に重なって、絞り出されるような呻き声が青年の指の隙間から漏れた。
悶絶しながら身をよじり、仰け反っていく青年の姿を見ると、JDの心配は一瞬にして腹の底に引っ込んだ。
心配して損をした、とまでは言わないが、青年の大袈裟な仕草にJDは思わず溜息を漏らし、一段高く設置されたDJブースに向けて踵を返す。

「…、…そろそろ準備してくる」

そのまま歩き出そうとしたJDの手が、不意に掴まれる。身体が傾き、引き寄せられたかと思うと、耳元に吐息が掛かった。
湿り気を帯びた熱は、間違いなく青年のものだ。

「ね、JD」

低く、甘く、柔らかい音が鼓膜を擽る。
二人きりの時だけ注がれる青年の特別な声は、背筋を舐められるような震えと、魂が愛撫されるような恍惚でJDの身体を苛んだ。
JDは思わず肩を竦めると、自分の反応の初心うぶさに決まり悪そうに眉を苦虫を歪める。

「何だよ、神様」

手慣れた青年と違って、どうしても場馴れしていない自分の恥ずかしさを隠すために、少しぶっきらぼうにJDは問いかける。
ついでに視線を向けると、思いのほか、真剣な青年の眼差しにぶつかることになった。JDは思わず気圧されるとたじろいで、身を引こうとした。
しかし、青年の唇がJDの掌に押し当てられた瞬間、身体が動かなくなる。
触れた青年の唇はまるで火のように熱く、JDの神経を焼き尽くす感情に溢れていた。

こんな唇で、何を言うつもりなのだろうか。
緊張を覚えたJDは、息を飲んで青年の言葉を待った。

「な…シようぜ。俺もう、待てねぇや。JDの全部が欲しい」
「はっ?」

何を言っているんだ、この男は。
JDの顔には、そうデカデカと書かれていた。
青年はそんなJDに悪戯が成功した子供のように笑い掛けると、掴んでいた手を離して、軽やかに身を翻した。

「じゃ、俺聴いてるから」

JDの答えも聞かずに青年は軽く手を振ると、ムービングライトが踊るホールの中へと飛び込んでいった。
一人残されたJDの手は、青年を呼び止めようとして中途半端に前に伸ばされたまま、虚しく空を掴んでいた。

「え…、…マジかよ…」

JDは唖然とした声を漏らすと、スタッフに呼ばれるまでその場から動けず、佇んでいたのだった。
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