小武士 ~KOBUSHI~

崗本 健太郎

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第31話 修行の成果

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翌朝起きてみると既に起きていた秋奈が朝食を振る舞ってくれた。
「は~い、今日は麺の代わりに糸こんにゃくを使ったラーメンで~す。なんと1杯50キロカロリー。とってもヘルシーだよ~」
恐る恐る食べてみると、意外にも味は悪くはない。

「それから、特製牛ヒレ肉。熱湯で洗ったからカロリー半分だよ~」
 この合宿の後に組まれているという試合のため、日頃からウェイトを整えておこうと考えた五十嵐の発案であった。シャワーを浴び、練習着に着替えると、マスボクシングをするため、五十嵐から外へ出るように指示を出された。

「『マスボクシング』はパンチを寸止めして行うスパーリングのことだ。素手でやっても良いんだが、念のためグローブは付けて行うぞ。『ベアナックル』は危険だからな」
『ベアナックル』とは素手の拳のことであり、派手にノックアウトできるのが特徴だが、その分与えるダメージも大きいので現在はグローブの着用が必須となっている。因(ちな)みに1897年に行われた最後の『ベアナックルボクシング』は75ラウンドにも及んだ。

「五十嵐さんとやるのか。すまねえ、そんな状態なのに無理させちまって」
「なあに、これでも現役を退いてまだ四ヶ月だ。バシバシ鍛えてやる。忠次郎、ゴングを鳴らしてくれ」
それから二人は20ラウンドほど汗を流し、4人でカレーを食べた。昼食が終わると、五十嵐が明に話し掛けて来た。

「命は燃やすもの、寿命は削るものだ。旧態依然の考え方かもしれんが、俺はこれで良いと思っている。まだやれたと言って死ぬことが、一番後悔を残していると思うんだ」
 五十嵐の熱い思いに、明も同意せざるを得なかった。

「全くその通りだぜ。っていうか、何だか強い奴と闘ってる時に思うことがあるんだ。普段出せないような力が出せるような――不思議な感じになるんだ」
 五十嵐は不敵な笑みを浮かべると、満足そうに話した。

「それは『ミックスアップ』と言ってな。限界が限界でなくなることを言うんだ。ボクシングを通じて、己の成長を実感できているということさ」
 明は合点が行ったという風に首を縦に振った。
「そういうことだったのか。この何とも言えない高揚感の正体は。それなら早く続きをやろうぜ。この高ぶった感覚を忘れちまわねえうちに」

五十嵐も同じ思いであったのだろう。バシバシと拳を合わせ、やる気十分といったところか。
「そうだな。だんだんと底が見えなくなって来る。その先を俺にも見せてくれ」
その後二人は1分間のレスト以外は休憩も取らず、互いに拳を振るい続けた。マスボクシングの良い所は、身体的なダメージが少ないため、長時間の練習が可能な点でもある。そして5時間ぶっ続けでファイトした後、この日も座学を行った。

「WBA、WBCではライトフライ、IBF、WBOではジュニアフライという言い方をするんだ。あと、『タタカう』の漢字が違っているな。戈構えの戦うではなく、門構えの方の闘うが正しい。あと余談だが、ボクシングのように1対1で闘う場合を『ファイト』球技のように複数対複数で戦う場合を『バトル』と言うんだ。ボクサーなら、これくらいは覚えておけ」

 五十嵐はその日教えることをピックアップしたメモを見ながら、明にひたすらノートを取らせた。
「ああ、任しとけって。東大受験ばりに覚えてやるぜ」
そんな話をしながら、夜が更けるのはあっという間であった。学校のノートは捨ててしまった明も、このノートは生涯大切に持ち続け、事あるごとに眺めていた。


そして月日は流れ、迎えた最終日。明は朝起きてから、頻りに何か叩いているようだ。
『パンチングボール』
 明はこの猫パンチマシーンがわりと気に入っていた。それは、現実の辛いことを一時的にでも忘れられるからだ。無心になり精神と対話することで、己の感覚を研ぎ澄ませることができるのも、このマシンの利点である。一通りメニューが終わり、一休みしていると、徐(おもむろ)に五十嵐が入って来た。
「ボクサーたる者、常に肩を冷やさないようにしろ」
そう言って明の肩にタオルを掛けてくれた。

「ああ、ありがとよ。いよいよ今日か」二人とも少し気が重い感じである。
「臆することはない。お前はよくやったさ。今日はただその『確認』だ」
1ラウンドだけ全力で試合。だが、明にも五十嵐にもこのファイトには暗黙の了解があった。

『スマッシュ』を炸裂させる。
痛んだ身体にムチ打っている五十嵐には酷な話だが、手加減できるような容易な話では勿論ない。考えを巡らせているうちに、準備が整ってしまった。
「分かっているな」

 『スマッシュ』を成功させろ、手を抜くな。この言葉にはその二重の意味が込められていた。
『カンッ』
ゴングが鳴ると両者牽制し合うが、明の身体の『キレ』は2ヶ月前とは比べ物にならなかった。秋奈と米原が固唾を飲んで見守る中、いよいよその瞬間は訪れた。

 踏み込んだ刹那、明の体重は4割ほどしか掛からなかった。大切に使い込んだシューズがボロボロになり、技の衝撃に耐えられず穴が開いてしまったからだ。だが『スマッシュ』は見事に炸裂し、五十嵐の時間は止まっていた。
「成功か。五十嵐さん、大丈夫なのか?」

 明がそう口にした後、五十嵐は生気を取り戻した。
「はあ、はあ、大丈夫だ。それより、試合は4ヶ月後だ。それまで気力を保ち続けるんだぞ」五十嵐はまだ少し苦しそうだ。

「任せとけって。俺と引き分けた奴に勝った野郎だ。気を抜くなんてこと、できる筈ねえよな」明は言葉とは裏腹に、自信たっぷりと言った様子だ。
二人が軽くシャワーを浴びた後、四人でリングとその周辺を掃除し、車に乗ってペンションを後にした。


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