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三章 人因怨呪
第七十一話 処分 ‐ソノゴ‐
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文化祭前の賑やかさとは別に、落ち着かない騒がしさが混ざる校舎。時刻は正午を迎え、生徒達は昼休み時間を各々の過ごし方をしている。
昼食を摂る者、食料を求めて売店に行く者、まだ文化祭の準備をしている者。そして、さっき起こった騒ぎの話を口にする者。
ある廊下の片隅で、一年生の女子生徒が今しがた仕入れた話題で盛り上がっていた。
「ねぇ、聞いた? なんかさ、体育館で喧嘩があったんだって」
「聞いた聞いた。さっき体育館に居た友達が言ってた。凄かったらしいね」
「救急車が来て何人か運ばれてたの見たよ。怪我した人かわいそう、せっかく今日から文化祭だったのに」
「なんか聞いた話だと、救急車で運ばれたのはみんな不良達らしいよ。ウチの生徒は無事だったんだって」
「そうなの? 予定通り午後から開会式するって先生が言ってたし、そんな大変な事は起きなかったんだ」
「でも、不良が暴れて色々と壊されたみたいだよ。あと、その不良達と喧嘩した人が一人……」
すれ違う者は皆、並べる言葉は違えど同じ話題を話している。
面白がる者がいれば、怖がる者もいて、無関心な者と様々。
先程の女子生徒の横を過ぎれば、今度は三年生の男子生徒が二人、同じ話題をネタに話をしていた。
「でさぁ、そんで入ってきた不良共を殴りまくってたってよ」
「馬乗りでボコボコにしたんだろ? 床に結構な血もあったらしいぜ」
「マジかよ、えげつねぇー。どっちが不良か分かんねぇじゃん」
「普段から喧嘩してるって噂あって、今日も顔に怪我してたんだってよ。それも喧嘩の傷じゃねぇかって皆が言ってるぜ」
どこを歩いても、どこに行っても、誰を見ても。耳に入ってくるのは同じもの。
又聞きしたのに付け足し、自分の憶測を決めて付けて、噂を事実だと疑わずに広め。好き勝手に言いたい放題。
廊下を足早に歩いていた一人の女子生徒が、耳に入る周りの声に堪らず足を止めた。
「みんな、何も知らないくせに……!」
背中まであるポニーテールを垂らして、和歌は俯いて呟いた。
昼休みの喧騒にその声はかき消され、誰の耳にも入らず届かない。
その人の優しさを知らないで、理由も言い分も聞かないで。話が盛り上がる部分だけを盛り付けて勝手に面白がる。
他人の無神経さと、身勝手さに。和歌は悔しさのあまりに手を強く握り締めた。
「あ、やっと和歌みっけた。どこに行ってたのさ、探したんだよ」
「利奈。ちょっと用があって……」
「全くもう、気付いたら居なくなってるんだもん」
「……ごめん」
和歌が利奈と呼んだ女子生徒はクラスメイトで、ショートカットの黒髪に部活焼けした肌が特徴的。クラスで特に仲がいい間柄である。
気付かれないように握り拳を解くが、和歌は表情は暗く曇ったまま。二人は一緒に廊下を歩き出す。
「どこもかしこも、あの話で持ちきりだねぇ」
「みんな面白がってるだけよ」
「まぁねー。不良がお礼参りに学校へ乗り込んでくるなんてさ、一昔前の漫画かドラマの話だよ。不良に掴まれた時はどうなるかと思ったけど、和歌も怪我がなくて良かったよ」
「私は古々乃木君が助けてくれたから。じゃなきゃ私もどうなってたか……」
「古々乃木君って近寄りづらい雰囲気あるせいか、前からいい噂はなかったからねぇ。和歌も文化祭準備で手を焼いてたじゃない」
「それは、そうだけど……」
「それに今日なんて顔にたくさん怪我してたじゃん? 絆創膏とかガーゼ貼ってさ。きっとあれも喧嘩の傷だよ。じゃなきゃあんなに怪我なんてしないって」
「違う! 供助君はそんなんじゃ!」
「え、ちょ……和歌?」
「そんなんじゃ……」
和歌は立ち止まり、肩を小さく震わせる。
誰も分かっていない。分かってくれない。供助の行動を、考えを。供助という人間を。
それは分かっていた筈だった。周りが分かってくれない事を、理解していたと思っていた。
しかし、見栄えの悪い優しさがあまりに救われなくて。可愛そうで。和歌は悲しく、悔しく、向け場のない怒りに苛まれる。
「私、先生に停学を取り消してくれるようにもう一回頼んでくる!」
「ちょっと、和歌! もう少しで開会式が始まるよ!?」
和歌は職員室へと向かおうと振り返り、利奈の言葉を振り切って走り出す。
が、数歩のところで腕を掴まれて足を止めさせられた。
「やめとけ、委員長。どうせ行っても無駄だって」
「田辺君……」
和歌の腕を掴んでを止めたのは、クラスメイトの太一だった。
普段は明るくとっつきやすい性格の太一だが、今は表情が硬く、少し曇っているのが分かる。
「そうだ、りっちー。裁縫班が呼んでたぞ。なんか手伝って欲しいってさ」
「え、でも……」
「委員長の事は大丈夫。すぐ教室に連れて戻るからさ」
「……うん、わかった。先に戻ってるね」
りっちーとは利奈のあだ名で、親しい友達はそう呼んでいる。
和歌へ心配する眼差しを向けたあと、利奈は太一に任せて先に教室へと戻っていった。
「学校中、供助君の話題ばかり……なんにも知らないのに、知った風に好き勝手言って……」
「そういうもんだよ。知らないからこそ、ああやって面白そうに話せるんだ」
「私、やっぱり納得出来ない! もう一回職員室に行ってくる!」
「もう一回って……やっぱりさっきまで職員室に行ってたのか。どうせ何を言ったって、もう処分は変わらないって」
「あの時、供助君が助けてくれなかったら……あのままじゃ誰かが怪我をして、もしかしたら文化祭すら出来なかったかも知れないのに……」
和歌は悔し涙で瞳を潤ませ、肩は悔しさで震わせる。
「なのに供助君だけが停学処分なんて、納得出来る訳ないじゃない……!」
一週間の停学。それが供助に与えられた処分だった。理由は言うまでもなく、校内で暴力騒動を起こした為である。
暴力を振るった理由はなんであれ、問題を起こして校則を破った以上、罰は必要だと。校長、教頭、学年主任と担任が話し合った結果、停学となった。
体育館での被害は少なく、壊された物も修復できる範囲であった為、文化祭は予定通り行われるという放送が一時間前に流れた。
しかし、それに貢献した供助だけが文化祭への参加が認められない。不巫怨口女に続いて、身を挺して不良達から守ってくれたというのに。
こんな教師達が出した決定に、和歌と太一は納得する筈もない。
「そりゃ俺だってこの結果には納得してないよ。でも、頭の固い奴らは何を言っても考えを変えやしない」
「私達を守ってくれただけなのに……なんで供助君だけが罰を受けなきゃいけないの」
「あいつはこうなる事を分かって、自分だけで手を出したんだ。だから俺達には会いもせずに、知らない内に帰ってたんだろ。会えば俺達がうるさく騒ぐからってさ」
太一と和歌が供助の処分を知ったのは、既に供助が学校から帰ったあと。
騒動のあとに体育館で待機していた二人は、戻ってきた担任に話を聞いた時にはもう、供助は学校には居なかった。
なぜ供助だけなのか。なんで罰を受けなきゃならないのか。二人は必死に教師達に説得したが、結果が覆る事は無かった。
「だったら俺達は、あいつが守ってくれた文化祭を成功させなきゃいけないだろ」
和歌の腕から手を離して、太一は小さく肩を竦める。
「供助は文化祭が成功したかどうかなんて興味無いかもしんないけどさ、あいつがしてくれた事を……俺は無駄にはしたくない」
「……そっか、そうだね。そうだよね」
「委員長がどっか行ってクラスの皆が心配してたし、そろそろ教室に戻ろうぜ」
「んっし、委員長の私がいつまでもしょげてらんないもんねっ!」
和歌は両手で頬を叩き、自分へ気合を入れる。
パチン、と小気味のいい音が廊下に鳴り、さっきまでの気鬱さは顔から消えていた。
「供助さ、あの化け物退治の仕事……高校に入ってすぐから始めてたんだってさ」
「そう、なんだ。そんな前から……」
「あいつはこうやって、ずっと人が知らない所で何かを助けてたりしたんだろうなぁ」
「……うん。すごいね、供助君は」
「あぁ、すげぇわ」
廊下を歩きながら、二人は。
同い年の人間で、同じ学生で、一人の友人が背負っているものを。生き方を。
報われず、認められず、気付かれなくとも。良い部分も悪い部分も含めて、他人の目を気にしない生き方。
それを当然のようにして、日常茶飯事だと表にも出さない。そんな彼を、心の底からの恭敬を言葉にした。
◇ ◇ ◇
友人にそんな事を言われてるとは露知らず。
その頃、供助は見慣れた通学路を歩いていた。
「一週間の停学かぁ……横田さんにも体を休めろって言われてたし、丁度良いっちゃ丁度良いか」
だらだらと歩き、猫背みたく丸まった後ろ姿には哀愁も寂寥も無い。
あるのはいつもと変わらない怠惰感だけ。まだ抜けきれていない昨夜の疲れからか、大きな欠伸を空に向ける。
不良達の乱入によって起きた、体育館での暴力騒動。供助が不良達を相手にして学校や生徒達に被害は無かったが、問題の渦中に居た供助は一週間の停学処分がくだされた。
しかし、悲観もせず、卑屈にもならず、不貞腐れもしない。供助はいきなり連休を貰った程度にしか思っていなかった。こうなる事は予想していたし、覚悟もあって行動をしたのだから。
だが、それとは別で生まれた一つの問題に、供助は軽く頭を悩ませていた。
「昼飯、どうすっかな……」
悩みの原因。それは本日の昼飯であった。
「学食で食う気だったから家に帰っても何も無ぇんだよなぁ」
今日は割安で提供している学食で済まそうと思っていたのだが、まさかの停学で学校から追い出されてしまった。
いつもなら前日に買った半額弁当を持って行くが、昨夜の事件後に猫又が弁当を一つ食べてしまったので、買い置き分が一つ少なくなってしまったのだ。
そのせいで供助の分が減り、今日は久々に学食を利用しようとしていた。のだが、それは無理になったので困っていた。
帰り道のある公園。そこのベンチに座って、供助は休憩ついでに昼飯を何にするか考えてきた。
「あーっ! にゃろめ、供助っ!」
「ん?」
ベンチの後ろ。茂みの中から名前を呼ばれ、供助は背もたれに腕を回して後ろを見やる。
すると、勢い良く茂みから飛び出る黒い影。デジャブ。
「誰が迷い猫だの!? お前が遠くまで投げおったせいでオーバーランしたではないか!」
「んっだ、猫又か。こんなとこで何してんだ?」
「こんなとこでも何も、供助が私の事を投げたせいではないか!」
プンスコと怒ってはいるが、今は猫の姿。迫力もなければ恐怖もない。
他人から見れば変な踊りをして、可愛らしくじゃれてる姿にしか見えないだろう。
「む? そういえば供助、なんでこんな所にいるんだの? 文化祭はどうした?」
「あぁ、色々あってな。個人的な休みってヤツだ」
「それってただのサボりって言うんじゃないかの」
「ま、そんなもんだ」
ぴょこんと軽く飛んでベンチに座る猫又。供助は質問に小さく笑いながら答え、公園を見渡す。
平日の真昼間……ではなく、学校に行ったが今日は土曜日。誰かしら人が居るかと思えるが、今は誰一人いない。
時間は正午を過ぎている。ここで遊ぶような小さい子供は一旦家に帰り、お昼ご飯を食べている頃。
自分たち以外に人がいない事をちゃんと確認して、猫又は供助と話をしていた。
「つーか、怪我してんだからウロウロ歩き回ってんじゃねぇよ」
「怪我しとるのは供助もではないか。しかも、朝より怪我が増えておらんか?」
「言ったろ、色々あったんだよ」
猫又が供助の顔を見ると、朝には無かった真新しい包帯が頭に巻かれていた。
適当に答えて流す供助であったが、それだけで猫又は何かあった事はなんとなく察する。
詳しく話さずとも、新しく怪我が増えて、文化祭があるのに学校から帰宅。全てが分からずとも、なんとなく何かがあったんだと気付く。
「という事は、文化祭の出店はお預けか。楽しみにしてたんだがの」
「お預けも何も学校に来んじゃねぇよ」
「ドネルケバブ食べたかったのぅ、ドネルケバブ」
「だからなんだよ、そのドネルケバブって」
ドネルケバブとは香辛料やヨーグルトなどで味を付けた肉を切り、それをパンなどで野菜と一緒に挟んで食べるトルコ料理である。
なぜ猫又がこんなマイナーな料理を知っているかは謎。妖怪とは言え猫なのに雑食過ぎでなかろうか。
「昼飯どうすっかな。牛丼でも買って帰るか」
「牛丼っ!? 私はチーズ牛丼がいいの!」
「お前ぇには家に半額弁当があるだろうが」
「昼は文化祭の出店物を食べるつもりだったから、朝ご飯に二つペロンだの」
「はぁ!? おまっ……!」
「という訳でお腹ヘリコプターだの」
昨夜食われて少なくなった分、自分のを削って譲ったというのに……まさかの一食に二つも食われるとは思ってもいなかった。
猫又の食い意地の張りっぷりに、供助はあまりの呆れに頭を抱えて項垂れる。
もう怒るのも面倒で、何か言い返すのがくだらなく感じてしまう。真面目に相手をするのがバカバカしい。
「あ、そういえば途中のコンビニでオニギリ百円セールやってたの」
「じゃ牛丼じゃなくてそっちにするか。家に近ぇし」
「オニギリなら私はあれ、あれがいいの! ソーセージが海苔で巻かれてるヤツ!」
「わかったわかった、買ってやるからもう喋んな。誰が見てるか分かんねぇんだからよ」
「やたっ! 久しぶりに食べれ……」
「じゃねぇだろ」
「にゃー」
「よし」
供助はベンチから腰を浮かせて、大きく背を伸ばす。
昨夜の傷が体中がまだ痛むが、我慢できない程でもないし、そこまで辛くもない。
猫又もベンチから降り、供助の足元に付いていく。
「あ、あと半熟玉子のヤツも食べたいの」
「だから喋んなっての」
「にゃー」
空はいい天気で、青と白が半々。風も無くて、九月下旬でもまだ秋の前。暑さが少し残る。
今頃は学校の体育館で文化祭の開会式が始まっている頃。多くの生徒が学校行事の一大イベントに心躍らせ、楽しい二日間になるだろう。
その枠から追い出された一人の少年。けれど、それは決して悲しむ事だけではない。確かに報われない扱いを受けはしたが、それでもそれ以上に得たものがあった。
少年の事情を知り、常識を逸した異常へ理解を示し、それでも受け入れてくれた心からの友人。
きっとこの先、友人の存在は大きな支えとなっていくだろう。
昼食を摂る者、食料を求めて売店に行く者、まだ文化祭の準備をしている者。そして、さっき起こった騒ぎの話を口にする者。
ある廊下の片隅で、一年生の女子生徒が今しがた仕入れた話題で盛り上がっていた。
「ねぇ、聞いた? なんかさ、体育館で喧嘩があったんだって」
「聞いた聞いた。さっき体育館に居た友達が言ってた。凄かったらしいね」
「救急車が来て何人か運ばれてたの見たよ。怪我した人かわいそう、せっかく今日から文化祭だったのに」
「なんか聞いた話だと、救急車で運ばれたのはみんな不良達らしいよ。ウチの生徒は無事だったんだって」
「そうなの? 予定通り午後から開会式するって先生が言ってたし、そんな大変な事は起きなかったんだ」
「でも、不良が暴れて色々と壊されたみたいだよ。あと、その不良達と喧嘩した人が一人……」
すれ違う者は皆、並べる言葉は違えど同じ話題を話している。
面白がる者がいれば、怖がる者もいて、無関心な者と様々。
先程の女子生徒の横を過ぎれば、今度は三年生の男子生徒が二人、同じ話題をネタに話をしていた。
「でさぁ、そんで入ってきた不良共を殴りまくってたってよ」
「馬乗りでボコボコにしたんだろ? 床に結構な血もあったらしいぜ」
「マジかよ、えげつねぇー。どっちが不良か分かんねぇじゃん」
「普段から喧嘩してるって噂あって、今日も顔に怪我してたんだってよ。それも喧嘩の傷じゃねぇかって皆が言ってるぜ」
どこを歩いても、どこに行っても、誰を見ても。耳に入ってくるのは同じもの。
又聞きしたのに付け足し、自分の憶測を決めて付けて、噂を事実だと疑わずに広め。好き勝手に言いたい放題。
廊下を足早に歩いていた一人の女子生徒が、耳に入る周りの声に堪らず足を止めた。
「みんな、何も知らないくせに……!」
背中まであるポニーテールを垂らして、和歌は俯いて呟いた。
昼休みの喧騒にその声はかき消され、誰の耳にも入らず届かない。
その人の優しさを知らないで、理由も言い分も聞かないで。話が盛り上がる部分だけを盛り付けて勝手に面白がる。
他人の無神経さと、身勝手さに。和歌は悔しさのあまりに手を強く握り締めた。
「あ、やっと和歌みっけた。どこに行ってたのさ、探したんだよ」
「利奈。ちょっと用があって……」
「全くもう、気付いたら居なくなってるんだもん」
「……ごめん」
和歌が利奈と呼んだ女子生徒はクラスメイトで、ショートカットの黒髪に部活焼けした肌が特徴的。クラスで特に仲がいい間柄である。
気付かれないように握り拳を解くが、和歌は表情は暗く曇ったまま。二人は一緒に廊下を歩き出す。
「どこもかしこも、あの話で持ちきりだねぇ」
「みんな面白がってるだけよ」
「まぁねー。不良がお礼参りに学校へ乗り込んでくるなんてさ、一昔前の漫画かドラマの話だよ。不良に掴まれた時はどうなるかと思ったけど、和歌も怪我がなくて良かったよ」
「私は古々乃木君が助けてくれたから。じゃなきゃ私もどうなってたか……」
「古々乃木君って近寄りづらい雰囲気あるせいか、前からいい噂はなかったからねぇ。和歌も文化祭準備で手を焼いてたじゃない」
「それは、そうだけど……」
「それに今日なんて顔にたくさん怪我してたじゃん? 絆創膏とかガーゼ貼ってさ。きっとあれも喧嘩の傷だよ。じゃなきゃあんなに怪我なんてしないって」
「違う! 供助君はそんなんじゃ!」
「え、ちょ……和歌?」
「そんなんじゃ……」
和歌は立ち止まり、肩を小さく震わせる。
誰も分かっていない。分かってくれない。供助の行動を、考えを。供助という人間を。
それは分かっていた筈だった。周りが分かってくれない事を、理解していたと思っていた。
しかし、見栄えの悪い優しさがあまりに救われなくて。可愛そうで。和歌は悲しく、悔しく、向け場のない怒りに苛まれる。
「私、先生に停学を取り消してくれるようにもう一回頼んでくる!」
「ちょっと、和歌! もう少しで開会式が始まるよ!?」
和歌は職員室へと向かおうと振り返り、利奈の言葉を振り切って走り出す。
が、数歩のところで腕を掴まれて足を止めさせられた。
「やめとけ、委員長。どうせ行っても無駄だって」
「田辺君……」
和歌の腕を掴んでを止めたのは、クラスメイトの太一だった。
普段は明るくとっつきやすい性格の太一だが、今は表情が硬く、少し曇っているのが分かる。
「そうだ、りっちー。裁縫班が呼んでたぞ。なんか手伝って欲しいってさ」
「え、でも……」
「委員長の事は大丈夫。すぐ教室に連れて戻るからさ」
「……うん、わかった。先に戻ってるね」
りっちーとは利奈のあだ名で、親しい友達はそう呼んでいる。
和歌へ心配する眼差しを向けたあと、利奈は太一に任せて先に教室へと戻っていった。
「学校中、供助君の話題ばかり……なんにも知らないのに、知った風に好き勝手言って……」
「そういうもんだよ。知らないからこそ、ああやって面白そうに話せるんだ」
「私、やっぱり納得出来ない! もう一回職員室に行ってくる!」
「もう一回って……やっぱりさっきまで職員室に行ってたのか。どうせ何を言ったって、もう処分は変わらないって」
「あの時、供助君が助けてくれなかったら……あのままじゃ誰かが怪我をして、もしかしたら文化祭すら出来なかったかも知れないのに……」
和歌は悔し涙で瞳を潤ませ、肩は悔しさで震わせる。
「なのに供助君だけが停学処分なんて、納得出来る訳ないじゃない……!」
一週間の停学。それが供助に与えられた処分だった。理由は言うまでもなく、校内で暴力騒動を起こした為である。
暴力を振るった理由はなんであれ、問題を起こして校則を破った以上、罰は必要だと。校長、教頭、学年主任と担任が話し合った結果、停学となった。
体育館での被害は少なく、壊された物も修復できる範囲であった為、文化祭は予定通り行われるという放送が一時間前に流れた。
しかし、それに貢献した供助だけが文化祭への参加が認められない。不巫怨口女に続いて、身を挺して不良達から守ってくれたというのに。
こんな教師達が出した決定に、和歌と太一は納得する筈もない。
「そりゃ俺だってこの結果には納得してないよ。でも、頭の固い奴らは何を言っても考えを変えやしない」
「私達を守ってくれただけなのに……なんで供助君だけが罰を受けなきゃいけないの」
「あいつはこうなる事を分かって、自分だけで手を出したんだ。だから俺達には会いもせずに、知らない内に帰ってたんだろ。会えば俺達がうるさく騒ぐからってさ」
太一と和歌が供助の処分を知ったのは、既に供助が学校から帰ったあと。
騒動のあとに体育館で待機していた二人は、戻ってきた担任に話を聞いた時にはもう、供助は学校には居なかった。
なぜ供助だけなのか。なんで罰を受けなきゃならないのか。二人は必死に教師達に説得したが、結果が覆る事は無かった。
「だったら俺達は、あいつが守ってくれた文化祭を成功させなきゃいけないだろ」
和歌の腕から手を離して、太一は小さく肩を竦める。
「供助は文化祭が成功したかどうかなんて興味無いかもしんないけどさ、あいつがしてくれた事を……俺は無駄にはしたくない」
「……そっか、そうだね。そうだよね」
「委員長がどっか行ってクラスの皆が心配してたし、そろそろ教室に戻ろうぜ」
「んっし、委員長の私がいつまでもしょげてらんないもんねっ!」
和歌は両手で頬を叩き、自分へ気合を入れる。
パチン、と小気味のいい音が廊下に鳴り、さっきまでの気鬱さは顔から消えていた。
「供助さ、あの化け物退治の仕事……高校に入ってすぐから始めてたんだってさ」
「そう、なんだ。そんな前から……」
「あいつはこうやって、ずっと人が知らない所で何かを助けてたりしたんだろうなぁ」
「……うん。すごいね、供助君は」
「あぁ、すげぇわ」
廊下を歩きながら、二人は。
同い年の人間で、同じ学生で、一人の友人が背負っているものを。生き方を。
報われず、認められず、気付かれなくとも。良い部分も悪い部分も含めて、他人の目を気にしない生き方。
それを当然のようにして、日常茶飯事だと表にも出さない。そんな彼を、心の底からの恭敬を言葉にした。
◇ ◇ ◇
友人にそんな事を言われてるとは露知らず。
その頃、供助は見慣れた通学路を歩いていた。
「一週間の停学かぁ……横田さんにも体を休めろって言われてたし、丁度良いっちゃ丁度良いか」
だらだらと歩き、猫背みたく丸まった後ろ姿には哀愁も寂寥も無い。
あるのはいつもと変わらない怠惰感だけ。まだ抜けきれていない昨夜の疲れからか、大きな欠伸を空に向ける。
不良達の乱入によって起きた、体育館での暴力騒動。供助が不良達を相手にして学校や生徒達に被害は無かったが、問題の渦中に居た供助は一週間の停学処分がくだされた。
しかし、悲観もせず、卑屈にもならず、不貞腐れもしない。供助はいきなり連休を貰った程度にしか思っていなかった。こうなる事は予想していたし、覚悟もあって行動をしたのだから。
だが、それとは別で生まれた一つの問題に、供助は軽く頭を悩ませていた。
「昼飯、どうすっかな……」
悩みの原因。それは本日の昼飯であった。
「学食で食う気だったから家に帰っても何も無ぇんだよなぁ」
今日は割安で提供している学食で済まそうと思っていたのだが、まさかの停学で学校から追い出されてしまった。
いつもなら前日に買った半額弁当を持って行くが、昨夜の事件後に猫又が弁当を一つ食べてしまったので、買い置き分が一つ少なくなってしまったのだ。
そのせいで供助の分が減り、今日は久々に学食を利用しようとしていた。のだが、それは無理になったので困っていた。
帰り道のある公園。そこのベンチに座って、供助は休憩ついでに昼飯を何にするか考えてきた。
「あーっ! にゃろめ、供助っ!」
「ん?」
ベンチの後ろ。茂みの中から名前を呼ばれ、供助は背もたれに腕を回して後ろを見やる。
すると、勢い良く茂みから飛び出る黒い影。デジャブ。
「誰が迷い猫だの!? お前が遠くまで投げおったせいでオーバーランしたではないか!」
「んっだ、猫又か。こんなとこで何してんだ?」
「こんなとこでも何も、供助が私の事を投げたせいではないか!」
プンスコと怒ってはいるが、今は猫の姿。迫力もなければ恐怖もない。
他人から見れば変な踊りをして、可愛らしくじゃれてる姿にしか見えないだろう。
「む? そういえば供助、なんでこんな所にいるんだの? 文化祭はどうした?」
「あぁ、色々あってな。個人的な休みってヤツだ」
「それってただのサボりって言うんじゃないかの」
「ま、そんなもんだ」
ぴょこんと軽く飛んでベンチに座る猫又。供助は質問に小さく笑いながら答え、公園を見渡す。
平日の真昼間……ではなく、学校に行ったが今日は土曜日。誰かしら人が居るかと思えるが、今は誰一人いない。
時間は正午を過ぎている。ここで遊ぶような小さい子供は一旦家に帰り、お昼ご飯を食べている頃。
自分たち以外に人がいない事をちゃんと確認して、猫又は供助と話をしていた。
「つーか、怪我してんだからウロウロ歩き回ってんじゃねぇよ」
「怪我しとるのは供助もではないか。しかも、朝より怪我が増えておらんか?」
「言ったろ、色々あったんだよ」
猫又が供助の顔を見ると、朝には無かった真新しい包帯が頭に巻かれていた。
適当に答えて流す供助であったが、それだけで猫又は何かあった事はなんとなく察する。
詳しく話さずとも、新しく怪我が増えて、文化祭があるのに学校から帰宅。全てが分からずとも、なんとなく何かがあったんだと気付く。
「という事は、文化祭の出店はお預けか。楽しみにしてたんだがの」
「お預けも何も学校に来んじゃねぇよ」
「ドネルケバブ食べたかったのぅ、ドネルケバブ」
「だからなんだよ、そのドネルケバブって」
ドネルケバブとは香辛料やヨーグルトなどで味を付けた肉を切り、それをパンなどで野菜と一緒に挟んで食べるトルコ料理である。
なぜ猫又がこんなマイナーな料理を知っているかは謎。妖怪とは言え猫なのに雑食過ぎでなかろうか。
「昼飯どうすっかな。牛丼でも買って帰るか」
「牛丼っ!? 私はチーズ牛丼がいいの!」
「お前ぇには家に半額弁当があるだろうが」
「昼は文化祭の出店物を食べるつもりだったから、朝ご飯に二つペロンだの」
「はぁ!? おまっ……!」
「という訳でお腹ヘリコプターだの」
昨夜食われて少なくなった分、自分のを削って譲ったというのに……まさかの一食に二つも食われるとは思ってもいなかった。
猫又の食い意地の張りっぷりに、供助はあまりの呆れに頭を抱えて項垂れる。
もう怒るのも面倒で、何か言い返すのがくだらなく感じてしまう。真面目に相手をするのがバカバカしい。
「あ、そういえば途中のコンビニでオニギリ百円セールやってたの」
「じゃ牛丼じゃなくてそっちにするか。家に近ぇし」
「オニギリなら私はあれ、あれがいいの! ソーセージが海苔で巻かれてるヤツ!」
「わかったわかった、買ってやるからもう喋んな。誰が見てるか分かんねぇんだからよ」
「やたっ! 久しぶりに食べれ……」
「じゃねぇだろ」
「にゃー」
「よし」
供助はベンチから腰を浮かせて、大きく背を伸ばす。
昨夜の傷が体中がまだ痛むが、我慢できない程でもないし、そこまで辛くもない。
猫又もベンチから降り、供助の足元に付いていく。
「あ、あと半熟玉子のヤツも食べたいの」
「だから喋んなっての」
「にゃー」
空はいい天気で、青と白が半々。風も無くて、九月下旬でもまだ秋の前。暑さが少し残る。
今頃は学校の体育館で文化祭の開会式が始まっている頃。多くの生徒が学校行事の一大イベントに心躍らせ、楽しい二日間になるだろう。
その枠から追い出された一人の少年。けれど、それは決して悲しむ事だけではない。確かに報われない扱いを受けはしたが、それでもそれ以上に得たものがあった。
少年の事情を知り、常識を逸した異常へ理解を示し、それでも受け入れてくれた心からの友人。
きっとこの先、友人の存在は大きな支えとなっていくだろう。
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「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
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