パワハラじじい、部下に刺されて異世界へ〜魔王だか知らんがワシより上に立つな〜

秋山春

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「無能が……」

 それが、真黒権蔵、六十四歳、営業会社社長の最期の言葉だった。

 机を叩き、怒鳴り、部下を詰めていたいつもの光景。だがその日、いつも俯いていた平社員、佐藤の様子がおかしかった。

 何を言っても、脅しをかけても、俯いたままで、真黒はその態度が無性に気に食わなかった。ズカズカと駆け寄り、胸ぐらを掴み上げた、その時だった。

 胸に妙な圧迫感を覚えた。
 火で炙られたような熱が広がり、シャツが真っ赤に染まった。真黒は床に崩れ落ち、天井の蛍光灯を見上げながら思った。

(最近の若いもんは、根性が足りん……)

 波が引くように力が抜けていく。
 視界が灰色にざらついて、遠くから糸に引かれるように、体から意識が離れていった。



 目を開けると、そこは草原だった。

 空はやたらと青く、どこを見ても雲ひとつなかった。真黒は仰向けに寝転がりながら、眉間に皺を寄せた。

「……ここはどこだ」

「天国、あるいは地獄と呼ばれる場所です」

 声の方へ振り向くと、銀髪の少女がいた。
 裸体の少女が太陽を隠すようにして真黒を見下ろしている。のっぺりとりした体は陶器のように艶やかで、真黒は、この少女が人間ではないことを確信した。

「真黒権蔵、あなたは死にました。これからは別の世界で第二の人生を送ってもらいます」

 真黒は鼻で笑った。

「くだらん夢だ。ワシはそんな現実逃避には興味ない。会社に戻って会議を——」

「戻れませんよ」

 少女はあっさり言った。

「あなたは部下に刺されて死にました。覚えてませんか?」

 真黒は、はっと表情を固くさせて胸を押さえた。

「刺された、か。まったく……部下の分際で」

 少女は感情のこもらない目で、真黒を見下ろしている。

「これをご覧ください」

 そう言って、指を鳴らす。
 円形に空間が歪み、その向こうに巨大な城が浮かび上がった。

「あれは魔王城。あなたの新しい職場です」

 真黒の口角が、わずかに上がった。

「ほう。魔王とな」

 少女は淡々と続ける。

「あなたには、あそこで魔王直属の配下として、死ぬまで身を粉にして働いてもらいます。魔王はこの世界の絶対的支配者です。あなたは彼の命令に決して——」

「待て」

 真黒はゆっくりと立ち上がった。
 草を踏みしめ、城を睨む。

「ワシより上に立つ、だと?」

 少女が眉根を寄せた。

「知らん世界だろうが、魔王だろうが関係ない。ワシは誰の下にもつかん」

 少女は初めて、わずかに目を見開いた。そして、どこか楽しそうに微笑んだ。

「この世界には勇者が召喚されています」

「勇者?」

「はい。あなたを刺した、あの部下です」

 真黒の目が驚きに染まった。

「……佐藤か」

「彼はこの世界で、魔王を倒すために力を与えられました。勇者を討ち取れば、魔王軍の英雄として、次期魔王の座を勝ち取ることができるでしょう」

 真黒は、城を見つめたまま笑った。

「いいだろう。佐藤の奴に教えてやる。無能はどんな立場を与えられようと無能に変わりないと言うことをな」

 少女は頷いて、もう一度指を鳴らした。
 すると空間の歪みが広がり、人が通れるほどの大きさになった。少女がそこを手で示した。

「さあ、ここがあなたの第二の職場です。いってらっしゃい。真黒権蔵」


2


 真黒が配属されてから三年後、魔王城は、異様な光景に包まれていた。

「おい、そこのオーク! 報告書は三行にまとめろと言っただろうが!」

「エルフの女共は体を使って情報を取ってこい!」

「ドラゴンは威嚇だけで帰るな! 成果を出せ!」

 魔族たちは震え上がっていた。
 真黒は魔族たちを叱責し、命令し、支配した。魔王ですら口を挟めず、城は真黒の会社になっていた。

「……真黒殿。少し、厳しすぎでは?」

 そういった魔王に、真黒は呆れたように首をふった。

「甘やかすから、人は腐る」

 その結果、魔王軍は異常な統率力を発揮し、周辺国を次々と制圧していった。

 魔王軍は確かに強くなった。
 だが同時に、疲弊し、歪み、恐怖で縛られていった。


3


 枯れ果てた大地のはるか向こうに、黒々としたものが蠢いている。

 隊列を組み、足並みを揃えてやって来るそれは、これまでの魔王軍とはあまりにもかけ離れていた。

 王国軍を率いる勇者一行の先頭で、佐藤は剣を構えたまま、息を呑んだ。

「この短期間でこれほど……社長、あなたはこの世界でも他者を恐怖で縛るのか」
 
 と、佐藤の脳裏に、会社での出来事がフラッシュバックした。会議室、怒鳴り声、机を叩く音。そして、ナイフが胸を貫く感触と——

 たまらず、頭を抑えてしゃがみ込むと、聖女の役を与えられた少女が駆けよってきた。

「サト様、大丈夫ですか?」

 少女の小さな手が、佐藤の手を力強く握った。戦前の緊張のせいか、少女の手はひんやりしている。それがかえって心地よかった。

「ありがとう。楽になったよ」

 礼を言うと、少女は恥ずかしそうに頬をかいた。
 そして、佐藤は立ち上がり剣を抜くと、空高く掲げた。

「決戦の時だ! いかに敵が強大でも我らが負けることはない! 白銀の女神より加護を与えられた、勇者がいる限り!」

 背後から歓声があがり、やがて波のように広がったそれは、大地をも震わせた。

「いざ、進め!」


3


 勇者進軍の知らせを受けとった真黒は、執務室で物思いに耽っていた。

「来たか、佐藤。成長したらしいが、所詮、無能は無能だ」

 補佐役の魔族が、おそるおそる、真黒に声をかけた。

「真黒様、勇者は強敵です。いったい、どのようにして打ち破るおつもりですか?」

 真黒は、苛立ち、こぶしで机を殴りつけた。
 補佐役が怯えたように身を縮める。

「作戦は完璧だ。お前たちはいつも通り、俺の指示通りに動けばいい。全軍に伝えておけ。勝手な判断はするな。俺の指示があるまで動くな。それで死ぬなら死ね、とな」

 補佐役は、出かかった言葉をぐっと飲み込むと、深々と頭を下げた。魔王軍は、いまや恐怖と服従で固められた、完璧な組織となっていた。


4


 魔王城前の平原。
 真黒は、一番高い尖塔の最上階に設けられた執務室の窓から戦場を見下ろしていた。

「前衛、まだ前に出るな。後衛は合図があるまで詠唱を始めるなよ」

 双眼鏡で戦場の様子を見ながら、首から下げた宝石型の通信装置を通して指示をだしている。戦場にいる補佐役がそれを受け取り、みなに伝えるのだ。

 勇者率いる王国軍が、そろそろ後衛に控える魔法隊の射程内に入る——入った。
 
「今だ! 放て!」

 しかし、待てども魔法が放たれる事はない。
 真黒は、通信装置の向こうにいるはずの補佐役を怒鳴りつけた。

「何をしている! 敵が迫っているぞ!」

 しかし、依然動きはない。
 背中を冷たい汗が伝う。元の世界の出来事が、真黒の頭をよぎった。

「もうたくさんだ!」

 通信装置から、悲鳴にも似た叫びが聞こえてきた。
 それは、確かに補佐役の声だった。

「俺はもう、あんたの命令では動かない! うんざりだ!」

「何を言っている! 貴様、俺に逆らうのか!」

 真黒は、自分の声が上擦り震えているのに気付いた。はらわたが煮えたぎるような怒りを抑えられず、思いきり机を叩きつけた。

「命令だ! 戦え! 甘えたことを抜かすな! 前を見ろ、敵がそこにいるんだぞ! 貴様、処罰されたいのか!」

 激情に駆られ、部屋中の物という物に当たり散らしながら、真黒は叫んだ。

 肺の中身を使い切り、大きく息を吸い込んだ時、タイミングを見計らっていたように、補佐役が話し始めた。

「三年だ……それだけの間、俺たちは休みなく働かされた。家族にもろくに会えず、失敗したら怒鳴られ、成果を上げても認められず、さらに仕事が増えるだけ。俺は……俺達は、あんたの奴隷じゃない! ただ使い潰されるだけの駒じゃないんだ!」
 
 真黒は、何も言葉がでず、口をパクパクさせながら聞いていた。やがて、通信装置から次々に声が聞こえてきた。

 他の魔族達が、補佐役に同調している声だった。
 ガラガラと金属音が聞こえて、真黒は、はっと息を呑んだ。慌てて双眼鏡で戦場を見わたして、目をみはった。

 魔王軍の兵達が、武器を捨てて降伏している。
 真黒は震える体を振り絞って、渾身の力で叫んだ。

「裏切り者どもがぁ!」
 
 その叫びに応える者はいなかった。


5


 城門が破られた。
 魔王を含め、この城に戦う意志のある者は残っていないのだから、当然だった。

 真黒は、めちゃくちゃに散らかった執務室で、ぐったりと椅子に腰掛けていた。

 と、扉の外から、たくさんの足音が聞こえた。
 規則正しく、迷いのない足取り。軍事訓練で何度も聞いた音だった。

 カチリ……と鍵を開ける音がして、剣を構えた兵士がなだれ込んで来た。その後に続いて、両手を後ろ手に拘束された補佐役と、佐藤がやってきた。

 佐藤は真黒を見やると、わずかに目を細めて執務室を見渡し、静かに息を吐いた。

「ずいぶん暴れましたね」

「昔みたいに後片付けをしてくれるか。ん?」

 兵士の一人が、前に出ようとしたが、佐藤が手で制した。

「社長」

 佐藤にそう呼ばれて、真黒は眉をひそめた。

「今は、魔王軍参謀長官だ」

「いえ、あなたは、最後まで社長でした」

「切れ味抜群だ。言葉のナイフも上手く使えるんだな」

「魔王軍参謀長官、真黒権蔵を、確保してください」

 兵士たちが一斉に動き、真黒の両腕に拘束具がはめられ、自由が奪われた。

「……殺さんのか」

「ひとまず、あなたは捕虜です。あとの事に僕は関与しないので、その後はどうなるかわかりません。ただ——」

 そういって真黒に背を向けると、一泊おいて、佐藤は続けた。

「僕が一度、あなたを殺している事は、国王に伝えておきます」



 城を出ると、空はどこまでも青色が続いていた。

 真黒は思わず立ち止まって、空をじっと見つめた。
 次の勤め先に着いてしまえば、きっと、この澄み渡るような青空を見ることは二度とない。
 
 真黒は、佐藤の哀れむような視線を感じながら、王国兵に連行されていった。
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