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中学時代
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そもそも数ヶ月前、中学生だった当時の僕は平々凡々な人間だった。
いいや、容姿だけ見たら中の下だ。
いかにもお母さんがカットしましたって髪型、真っ黒の重たい髪。安物の粗悪品なせいで、今時珍しいぐらい分厚い眼鏡をかけてたから昔のマンガに出てくるガリ勉のキャラクターみたいだった。
暗くて目立たなくて、クラスに友達が一人しかいない大人しい男子――それが僕だ。
部活をしていなかった中学生活は、無味無臭の、何の事件もなかった三年間だった。
そんな僕でも、一人だけ、大人になってもそれだけは忘れないだろう――ってぐらいに好きな女子がいた。
三年間クラスが一緒だった、斉藤愛海さん。癖っ毛を髪の根元のあたりで一つ結びにした、控えめで目立たない人。
僕みたいな男にも笑顔で接してくれて、優しくて、とても好きだった。
三学期に入って、受験やなんやらで殆ど生徒が登校してこなくなったある日、ほんの偶然で、僕と斉藤さんはクラスに二人きりになった。
僕は既に県外の全寮制の男子高校へ推薦入学が決まっていて(父が通っていた高校で、僕がここに通うことは生まれた時点で既に決まっていた)、他の人たちよりもちょっとだけ余裕があって。
どうせ最後なんだからと、ありったけの勇気を出して、三年間大事に育ててきた思いを告白した。
「あの、あの、僕、斉藤さんがずっと好きだったんだ」
多分顔を真赤にしていただろう。僕の告白は、斉藤さんの彼女らしくないけたたましい笑い声で弾き飛ばされた。
「冗談やめてよね。あんたが私を好きだなんて、他の人に知られるのも恥ずかしいわ。ちょっと優しくしてやっただけで好かれちゃ迷惑なのよね。ストーカーなんかには絶対ならないでよ」
ふんぞり返って巻くしたてると、彼女は笑い足りないようにしながら席に座った。
僕は呆然として、教室を出た。
余りのショックで、それから先の行動が曖昧なんだけど、とにかく、僕はさ迷い歩いた挙句、公衆電話に入り込み、兄さんに連絡をいれていた。
今年成人した僕の兄は、高校を出てから大学にも行かず定職にも付かずにぶらぶらしている。一人暮らしをしているんだけどいわゆる住所不定で、彼女や友人の家をブラブラさ迷って暮らしていた。
警察官である父とは全く折り合いが会わず、顔をあわせるたび大喧嘩になる。
そのせいでとうとうお盆にもお正月にも家に帰ってこなくなった。
放蕩する兄のようにはなるなと、僕だけはいい成績で学校を卒業して大学に行けと、次男の僕に対する躾が厳しくなってうんざりもしているのだけど。
家は今時珍しくお父さんの力ばかりが強い、昭和の家みたいな男尊女卑の家庭だ。
父さんと、後継ぎである兄さんがステーキを食べている横で、次男の僕と母さんのメニューはご飯と味噌汁と目玉焼き、なんて夕食も珍しくなかった。
それだけ兄は優遇されてたのに、結局、僕に全部を押し付けて行った。
少し苦手で身勝手な兄だけど、こんな時に頼れるといったらこの人しかいない。
「どうすれば、兄さんみたいになれるかな」
兄さんみたいに、ピアスの穴を10個は開けて、髪を金髪に染めて――なんて過激な変身までは望んではいない。
ただ、今とは違う自分になりたかった。
兄さんは「ようやく色気づいてきやがったか」と面白そうに笑い、彼女だという女性と二人で待ち合わせの場所に来た。
彼女さんは初め、僕の顔を見て、兄さんと全然似てないと腹を抱えて笑っていたものの、僕の眼鏡を取ると、感心したみたいに「悪くないわ」と唇を吊り上げた。
「超可愛い子じゃない。どうして今まで手入れもせずにほったらかしているのか不思議なくらい」
「俺と違って色気がねえんだよ。こいつの私服見たら驚くぜ。全部九百八十円なの」
「あはは、そんな感じね。ねぇ、お小遣い溜め込んでるんでしょ? 出しなさいよ。お姉さんが変えてあげるから」
「まあ、今日ぐらいは俺が奢ってやるさ。可愛い弟だしな」
「可愛い弟!」
何が面白いのか、彼女さんが手を叩いて笑う。
まず最初に連れて行かれたのは、眼科と併設している眼鏡屋だった。
分厚い眼鏡を外され「怖いからいやだ」と訴えるのも無視され、コンタクトの練習をさせられて、そして、次に連れて行かれたのは美容室だ。
「あら、いいわね。あなた髪を整えたら映えるわよ。ちょっと写真を撮らせなさいよ。うちのモデルにしたいわ」
男性なのに女言葉の、髭がやたら濃いおじさんが僕の頭をかき回してくる。
あーともうーとも応えられないでいると「無料にしてくれるんなら、何枚でも撮らせてやるぜ」と兄さんが口を挟んだ。
「あら、しっかりしてるのね。いいわよ、タダにしてあげる」
それから何枚も写真を撮られて、頭にいろいろされて、何時間も椅子に座りっぱなしになった。
ゆうに五時間近くも座っていただろうか。
僕の髪にされたのは六種類以上。後から伝票を見せてもらったんだけど、合計が四万円だったのだけが強烈で、何をされたのか覚えてない。記憶にあるのはカラーリングとカットぐらいだ。
「じゃじゃーん」
美容師さんは、手品でも見せるようにケープを取り払うと、椅子をぐるりと回し、いちゃつきながら待っていた二人に「どう?」と首を傾げた。
「おー、すっげー。さすが!」
兄さんと彼女さんがぱちぱちと手を叩いて絶賛する。
僕自身、変わった、と思った。毎日見ている顔だから言うほどの感動はないけれど。
。
「可愛いわ~。特大のパネルにして、お店の前に飾っておくからね。また来て頂戴ね、ボウヤ」
おじさんは腰をくねらせながら写真を撮る。パネル!? それは嫌だよ、恥ずかし過ぎる……! で、でも、そういえば代金は四万円だった。たたが散髪に四万も払うぐらいなら、パネルを飾られた方がいい。かな?
「いきなり見た目が良くなったからって、ナルシストになるんじゃねえぞ」
兄ちゃんは面白そうに笑う。
「そんなはずないよ」
自分を好きになれるほど自分への愛着はない。
「お前も高校を卒業したら、さっさとあんな家、出ちまえよ」
帰り道、思いも寄らぬ真剣な口調で言われて、僕はちょっと驚いて兄さんを見上げた。
「何一つ面白いこともねぇ、つまんねぇ家だ。石頭の親父の、ワケの判らないルールばっかり詰め込まれたしょうもない家だ……。とっとと出ちまえ。そうしないと、お前はどんどん馬鹿になるぞ」
どんどん馬鹿になるって、どういうことなんだろう。
見るテレビはNHKばっかりだし、国会の討論のことなんて、僕はクラスの誰よりも知っているのに。
僕の考えが読めたのか、兄ちゃんは片手に彼女を纏わり付かせたままに、煙草を足で踏み消した。
「賢いってのは、教科書に載ってる文章を覚えることじゃねえ。硬いばっかりじゃ賢くは生きれねぇんだ。……オレの負け惜しみにも聴こえるかもしれないが事実なんだよ。まぁいいか。気ぃつけて帰れよ」
兄ちゃんが角を曲がろうとしたその時、どういった偶然なのか、仕事帰りの父さんが通りかかった。
「芳雄か……」
父さんは汚らしいものでも見るかのように眉根を寄せた。
「相変わらず定職にも付かずにぶらぶらしてるのか?」
「悪いね、その通りだよ」
父さんはさして大男というわけではないが、四角いでかい顔のせいか、やたらと大きく見える。柔道で署内三位という体はがっちりとしていて、どちらかといえば華奢な方に入る兄さんなんか片手で吹き飛ばされそうだ。
「父親に向かってなんだその口の聞き方は」
「わりーけど、これからバイトなんだ。あんたの小言はまた今度聞かせてくれや」
「ふざけるな!」
兄ちゃんは飄々と父さんの怒声を交わして遠ざかっていく。
父さんは炎の噴出しそうな眼光で兄さんの後姿を睨みつけていたが、踵を返すと僕の髪の毛をがしりと掴んだ。
「いた……ッ」
「何だこの髪の色は。染めてきたのか? お前はまだ学生なんだぞ、分不相応な格好をするんじゃない!」
「いた、痛いよ、お父さん……!」
丁度近所のおばさんが通りかかって、体面を気にする父はあっけなく僕を離してくれた。
「いいか、お前は芳雄のようにはなるな。羽鳥家の跡取りはお前なのだからな。あの家も、土地も、いずれはお前の物になるんだぞ」
「………………」
父さんはどうやら、家や土地を手にするのが僕にとって最上の幸せなのだ――と思っている節がある。嬉しいだろう、喜べと、無理やり喜ばされているような気がする。
別段、僕は土地や家が僕の名義になったって嬉しくはないんだけどな。
そんなことを言おうものなら、お前は子供だから世の中を舐めているんだ! と怒鳴られるのが目に見えているので、黙って口をつぐんだ。
「帰るぞ」
歩き出した父さんに続いていく。どんどん馬鹿になる……。その意味がちょっとだけ掴めた様な気がした。
翌日、教室前で僕は立ち止まった。
教室の中からは、ぎゃはははは、と、昨日、斉藤さんが僕を笑った声と同じ笑い声が聞こえてくる。
恥ずかしくて誰にもいえないっていってたけど、僕の話をしているのかも。
怖くて、教室へ入る勇気が出なかった。
「どうしたの? ってあれ……羽鳥君なの……?」
「尾田君……」
僕よりも体の小さい尾田君が顔を覗き込んで来た。
「髪切ったんだ。スゴイ。かっこよく……というか、綺麗になったよ。何でこんな所で止まってんのさ。中に入りなよ」
有無を言わせずにドアを開けてしまう。僕は背中を押されて、つんのめるように中へ入っていった。
「でさ~、羽鳥が――」
廊下に近い位置、ドアに背を向けて座っていた斉藤さんの声がはっきりと聴こえてきた。あぁやっぱり、僕のことを話していたのか。
もう悲しいとも思わなかった。
「お早う、斉藤さん」
なるべく大きな声で挨拶をして、さほど離れていない机に座る。
斉藤さんはぽかんと僕の顔を凝視した。
「……羽鳥……君なの……?」
「昨日はごめんね、もう忘れてくれないかな」
できる限りの笑顔で答える。昨日までの僕じゃ、小さくなって声をかける事もできなかっただろう。生まれ変わったからこそ、笑顔になれた。
兄さんに相談してよかった。
「うぉ、なんだよ羽鳥、お前、眼鏡を取ったら美少女なんて、少女漫画な展開を今更するかぁ? もう卒業だってのに」
あけすけに明るいクラス委員、明神が遠くからでかい声でからかってきた。
「だ、誰が美少女だよ……」
それこそ真赤になっていただろう。それだけ反論して僕は俯いた。
「美少女だよ。うわ、オレ、好みかも」
「ちょっ……!」
無理やり抱き寄せられる。
「なぁ斉藤さん、写真撮ってくれねえ?」
明神が斉藤さんにデジカメを渡す。机の上に二人して無理やり座って、抱き寄せられたままで写真を撮られた。
「オレも撮らせてくれよ。はい、ちゅー」
「ぎゃー、止めろ!」
次は明神の取り巻きの一人。無理やりキスをされそうになって、また真赤になって押しのける。
「ははは、羽鳥可愛~~~」
「やめろったら!」
ひとしきり暴れた後、ぜぇぜぇと息を切らしてしまった。他の連中は全然平気そうなのに。部活をしていた他の連中と、勉強しかしてこなかった僕とじゃ、基礎体力が違いすぎる。
「お前、高校どこだっけ? 南高校?」
明神が一番近い公立の進学校の名前を挙げる。
「ううん、僕は京北台高校なんだ。S県の、全寮制の男子校」
「え? 県外なのか? どうして?」
「父さんがその学校の卒業生でさ。息子は絶対そこへ通わせるって決めてたんだよ」
「マジで? そんなの有りなんかよ? お前、行きたい学校とかあったんじゃねえの?」
そんなものはなかった。将来なりたい職業があるわけじゃないし、行きたい大学があったわけでもなかった。
「別に、ないよ」
首を振ると、男子生徒たちは困惑した顔を向かい合わせた。
「でも、やばくねぇの?」
「何が?」
「ほら、男子校ってあるっつーじゃん。ホモとか。お前、絶対狙われるって」
真剣な顔に、僕は噴出してしまった。
「そんなのあるわけないじゃん。そもそも、僕なんて歯牙にもかけられないよ」
「そりゃ、昨日までのお前ならそうかもしれないけど、でも今はヤバイって……」
昨日までのって……。随分はっきりと言ってくれるな明神。そうか、昨日までの僕と今の僕じゃそんなに違うのか。
「自分に当てはめて考えてみなよ。周りに女の子がいないからって、手近な男で済ませようなんて思う? 思わないだろ?」
「そりゃー思わないけどさ……。」
明神はいい淀んだが、きっぱりと続けた。
「でも、お前ならありかも」
僕はちょっとだけ絶句してしまった。
それから一ヶ月ぐらいの間に、いろんな事があった。不思議なことに一面識もない後輩に告白されたり、「ずっと前から気になってたの」と百%嘘だ! とわかるかなり疲れる告白をしてきた同級生もいた。そうか、僕って結構もてる男だったんだな。
彼女が出来た事が無い。それどころか、人からの好意を受けた経験も無い。
どうして最初から身なりに気を使っておかなかったんだ、とちょっと残念になってしまう。
そして、なんととどめは。
「こないだはごめん……ね、良かったら、メールのやり取りだけでもしない?」
斉藤さんだ。
大切でたまらなかった人なのに、僕の視線は彼女が仇敵であるかのように尖っていた。
僕は君に手ひどく振られたのに。
大切に三年間培ってきた物が、さらさらと音を立てて消え失せていった。
罵詈雑言を投げつけようとする自分に気が付いて、慌てて「ごめん、携帯持ってないから」とだけいい捨てて踵を返す。
その思い出を最後に、三年間通い続けてきた学び舎を卒業したのだった。
いいや、容姿だけ見たら中の下だ。
いかにもお母さんがカットしましたって髪型、真っ黒の重たい髪。安物の粗悪品なせいで、今時珍しいぐらい分厚い眼鏡をかけてたから昔のマンガに出てくるガリ勉のキャラクターみたいだった。
暗くて目立たなくて、クラスに友達が一人しかいない大人しい男子――それが僕だ。
部活をしていなかった中学生活は、無味無臭の、何の事件もなかった三年間だった。
そんな僕でも、一人だけ、大人になってもそれだけは忘れないだろう――ってぐらいに好きな女子がいた。
三年間クラスが一緒だった、斉藤愛海さん。癖っ毛を髪の根元のあたりで一つ結びにした、控えめで目立たない人。
僕みたいな男にも笑顔で接してくれて、優しくて、とても好きだった。
三学期に入って、受験やなんやらで殆ど生徒が登校してこなくなったある日、ほんの偶然で、僕と斉藤さんはクラスに二人きりになった。
僕は既に県外の全寮制の男子高校へ推薦入学が決まっていて(父が通っていた高校で、僕がここに通うことは生まれた時点で既に決まっていた)、他の人たちよりもちょっとだけ余裕があって。
どうせ最後なんだからと、ありったけの勇気を出して、三年間大事に育ててきた思いを告白した。
「あの、あの、僕、斉藤さんがずっと好きだったんだ」
多分顔を真赤にしていただろう。僕の告白は、斉藤さんの彼女らしくないけたたましい笑い声で弾き飛ばされた。
「冗談やめてよね。あんたが私を好きだなんて、他の人に知られるのも恥ずかしいわ。ちょっと優しくしてやっただけで好かれちゃ迷惑なのよね。ストーカーなんかには絶対ならないでよ」
ふんぞり返って巻くしたてると、彼女は笑い足りないようにしながら席に座った。
僕は呆然として、教室を出た。
余りのショックで、それから先の行動が曖昧なんだけど、とにかく、僕はさ迷い歩いた挙句、公衆電話に入り込み、兄さんに連絡をいれていた。
今年成人した僕の兄は、高校を出てから大学にも行かず定職にも付かずにぶらぶらしている。一人暮らしをしているんだけどいわゆる住所不定で、彼女や友人の家をブラブラさ迷って暮らしていた。
警察官である父とは全く折り合いが会わず、顔をあわせるたび大喧嘩になる。
そのせいでとうとうお盆にもお正月にも家に帰ってこなくなった。
放蕩する兄のようにはなるなと、僕だけはいい成績で学校を卒業して大学に行けと、次男の僕に対する躾が厳しくなってうんざりもしているのだけど。
家は今時珍しくお父さんの力ばかりが強い、昭和の家みたいな男尊女卑の家庭だ。
父さんと、後継ぎである兄さんがステーキを食べている横で、次男の僕と母さんのメニューはご飯と味噌汁と目玉焼き、なんて夕食も珍しくなかった。
それだけ兄は優遇されてたのに、結局、僕に全部を押し付けて行った。
少し苦手で身勝手な兄だけど、こんな時に頼れるといったらこの人しかいない。
「どうすれば、兄さんみたいになれるかな」
兄さんみたいに、ピアスの穴を10個は開けて、髪を金髪に染めて――なんて過激な変身までは望んではいない。
ただ、今とは違う自分になりたかった。
兄さんは「ようやく色気づいてきやがったか」と面白そうに笑い、彼女だという女性と二人で待ち合わせの場所に来た。
彼女さんは初め、僕の顔を見て、兄さんと全然似てないと腹を抱えて笑っていたものの、僕の眼鏡を取ると、感心したみたいに「悪くないわ」と唇を吊り上げた。
「超可愛い子じゃない。どうして今まで手入れもせずにほったらかしているのか不思議なくらい」
「俺と違って色気がねえんだよ。こいつの私服見たら驚くぜ。全部九百八十円なの」
「あはは、そんな感じね。ねぇ、お小遣い溜め込んでるんでしょ? 出しなさいよ。お姉さんが変えてあげるから」
「まあ、今日ぐらいは俺が奢ってやるさ。可愛い弟だしな」
「可愛い弟!」
何が面白いのか、彼女さんが手を叩いて笑う。
まず最初に連れて行かれたのは、眼科と併設している眼鏡屋だった。
分厚い眼鏡を外され「怖いからいやだ」と訴えるのも無視され、コンタクトの練習をさせられて、そして、次に連れて行かれたのは美容室だ。
「あら、いいわね。あなた髪を整えたら映えるわよ。ちょっと写真を撮らせなさいよ。うちのモデルにしたいわ」
男性なのに女言葉の、髭がやたら濃いおじさんが僕の頭をかき回してくる。
あーともうーとも応えられないでいると「無料にしてくれるんなら、何枚でも撮らせてやるぜ」と兄さんが口を挟んだ。
「あら、しっかりしてるのね。いいわよ、タダにしてあげる」
それから何枚も写真を撮られて、頭にいろいろされて、何時間も椅子に座りっぱなしになった。
ゆうに五時間近くも座っていただろうか。
僕の髪にされたのは六種類以上。後から伝票を見せてもらったんだけど、合計が四万円だったのだけが強烈で、何をされたのか覚えてない。記憶にあるのはカラーリングとカットぐらいだ。
「じゃじゃーん」
美容師さんは、手品でも見せるようにケープを取り払うと、椅子をぐるりと回し、いちゃつきながら待っていた二人に「どう?」と首を傾げた。
「おー、すっげー。さすが!」
兄さんと彼女さんがぱちぱちと手を叩いて絶賛する。
僕自身、変わった、と思った。毎日見ている顔だから言うほどの感動はないけれど。
。
「可愛いわ~。特大のパネルにして、お店の前に飾っておくからね。また来て頂戴ね、ボウヤ」
おじさんは腰をくねらせながら写真を撮る。パネル!? それは嫌だよ、恥ずかし過ぎる……! で、でも、そういえば代金は四万円だった。たたが散髪に四万も払うぐらいなら、パネルを飾られた方がいい。かな?
「いきなり見た目が良くなったからって、ナルシストになるんじゃねえぞ」
兄ちゃんは面白そうに笑う。
「そんなはずないよ」
自分を好きになれるほど自分への愛着はない。
「お前も高校を卒業したら、さっさとあんな家、出ちまえよ」
帰り道、思いも寄らぬ真剣な口調で言われて、僕はちょっと驚いて兄さんを見上げた。
「何一つ面白いこともねぇ、つまんねぇ家だ。石頭の親父の、ワケの判らないルールばっかり詰め込まれたしょうもない家だ……。とっとと出ちまえ。そうしないと、お前はどんどん馬鹿になるぞ」
どんどん馬鹿になるって、どういうことなんだろう。
見るテレビはNHKばっかりだし、国会の討論のことなんて、僕はクラスの誰よりも知っているのに。
僕の考えが読めたのか、兄ちゃんは片手に彼女を纏わり付かせたままに、煙草を足で踏み消した。
「賢いってのは、教科書に載ってる文章を覚えることじゃねえ。硬いばっかりじゃ賢くは生きれねぇんだ。……オレの負け惜しみにも聴こえるかもしれないが事実なんだよ。まぁいいか。気ぃつけて帰れよ」
兄ちゃんが角を曲がろうとしたその時、どういった偶然なのか、仕事帰りの父さんが通りかかった。
「芳雄か……」
父さんは汚らしいものでも見るかのように眉根を寄せた。
「相変わらず定職にも付かずにぶらぶらしてるのか?」
「悪いね、その通りだよ」
父さんはさして大男というわけではないが、四角いでかい顔のせいか、やたらと大きく見える。柔道で署内三位という体はがっちりとしていて、どちらかといえば華奢な方に入る兄さんなんか片手で吹き飛ばされそうだ。
「父親に向かってなんだその口の聞き方は」
「わりーけど、これからバイトなんだ。あんたの小言はまた今度聞かせてくれや」
「ふざけるな!」
兄ちゃんは飄々と父さんの怒声を交わして遠ざかっていく。
父さんは炎の噴出しそうな眼光で兄さんの後姿を睨みつけていたが、踵を返すと僕の髪の毛をがしりと掴んだ。
「いた……ッ」
「何だこの髪の色は。染めてきたのか? お前はまだ学生なんだぞ、分不相応な格好をするんじゃない!」
「いた、痛いよ、お父さん……!」
丁度近所のおばさんが通りかかって、体面を気にする父はあっけなく僕を離してくれた。
「いいか、お前は芳雄のようにはなるな。羽鳥家の跡取りはお前なのだからな。あの家も、土地も、いずれはお前の物になるんだぞ」
「………………」
父さんはどうやら、家や土地を手にするのが僕にとって最上の幸せなのだ――と思っている節がある。嬉しいだろう、喜べと、無理やり喜ばされているような気がする。
別段、僕は土地や家が僕の名義になったって嬉しくはないんだけどな。
そんなことを言おうものなら、お前は子供だから世の中を舐めているんだ! と怒鳴られるのが目に見えているので、黙って口をつぐんだ。
「帰るぞ」
歩き出した父さんに続いていく。どんどん馬鹿になる……。その意味がちょっとだけ掴めた様な気がした。
翌日、教室前で僕は立ち止まった。
教室の中からは、ぎゃはははは、と、昨日、斉藤さんが僕を笑った声と同じ笑い声が聞こえてくる。
恥ずかしくて誰にもいえないっていってたけど、僕の話をしているのかも。
怖くて、教室へ入る勇気が出なかった。
「どうしたの? ってあれ……羽鳥君なの……?」
「尾田君……」
僕よりも体の小さい尾田君が顔を覗き込んで来た。
「髪切ったんだ。スゴイ。かっこよく……というか、綺麗になったよ。何でこんな所で止まってんのさ。中に入りなよ」
有無を言わせずにドアを開けてしまう。僕は背中を押されて、つんのめるように中へ入っていった。
「でさ~、羽鳥が――」
廊下に近い位置、ドアに背を向けて座っていた斉藤さんの声がはっきりと聴こえてきた。あぁやっぱり、僕のことを話していたのか。
もう悲しいとも思わなかった。
「お早う、斉藤さん」
なるべく大きな声で挨拶をして、さほど離れていない机に座る。
斉藤さんはぽかんと僕の顔を凝視した。
「……羽鳥……君なの……?」
「昨日はごめんね、もう忘れてくれないかな」
できる限りの笑顔で答える。昨日までの僕じゃ、小さくなって声をかける事もできなかっただろう。生まれ変わったからこそ、笑顔になれた。
兄さんに相談してよかった。
「うぉ、なんだよ羽鳥、お前、眼鏡を取ったら美少女なんて、少女漫画な展開を今更するかぁ? もう卒業だってのに」
あけすけに明るいクラス委員、明神が遠くからでかい声でからかってきた。
「だ、誰が美少女だよ……」
それこそ真赤になっていただろう。それだけ反論して僕は俯いた。
「美少女だよ。うわ、オレ、好みかも」
「ちょっ……!」
無理やり抱き寄せられる。
「なぁ斉藤さん、写真撮ってくれねえ?」
明神が斉藤さんにデジカメを渡す。机の上に二人して無理やり座って、抱き寄せられたままで写真を撮られた。
「オレも撮らせてくれよ。はい、ちゅー」
「ぎゃー、止めろ!」
次は明神の取り巻きの一人。無理やりキスをされそうになって、また真赤になって押しのける。
「ははは、羽鳥可愛~~~」
「やめろったら!」
ひとしきり暴れた後、ぜぇぜぇと息を切らしてしまった。他の連中は全然平気そうなのに。部活をしていた他の連中と、勉強しかしてこなかった僕とじゃ、基礎体力が違いすぎる。
「お前、高校どこだっけ? 南高校?」
明神が一番近い公立の進学校の名前を挙げる。
「ううん、僕は京北台高校なんだ。S県の、全寮制の男子校」
「え? 県外なのか? どうして?」
「父さんがその学校の卒業生でさ。息子は絶対そこへ通わせるって決めてたんだよ」
「マジで? そんなの有りなんかよ? お前、行きたい学校とかあったんじゃねえの?」
そんなものはなかった。将来なりたい職業があるわけじゃないし、行きたい大学があったわけでもなかった。
「別に、ないよ」
首を振ると、男子生徒たちは困惑した顔を向かい合わせた。
「でも、やばくねぇの?」
「何が?」
「ほら、男子校ってあるっつーじゃん。ホモとか。お前、絶対狙われるって」
真剣な顔に、僕は噴出してしまった。
「そんなのあるわけないじゃん。そもそも、僕なんて歯牙にもかけられないよ」
「そりゃ、昨日までのお前ならそうかもしれないけど、でも今はヤバイって……」
昨日までのって……。随分はっきりと言ってくれるな明神。そうか、昨日までの僕と今の僕じゃそんなに違うのか。
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「そりゃー思わないけどさ……。」
明神はいい淀んだが、きっぱりと続けた。
「でも、お前ならありかも」
僕はちょっとだけ絶句してしまった。
それから一ヶ月ぐらいの間に、いろんな事があった。不思議なことに一面識もない後輩に告白されたり、「ずっと前から気になってたの」と百%嘘だ! とわかるかなり疲れる告白をしてきた同級生もいた。そうか、僕って結構もてる男だったんだな。
彼女が出来た事が無い。それどころか、人からの好意を受けた経験も無い。
どうして最初から身なりに気を使っておかなかったんだ、とちょっと残念になってしまう。
そして、なんととどめは。
「こないだはごめん……ね、良かったら、メールのやり取りだけでもしない?」
斉藤さんだ。
大切でたまらなかった人なのに、僕の視線は彼女が仇敵であるかのように尖っていた。
僕は君に手ひどく振られたのに。
大切に三年間培ってきた物が、さらさらと音を立てて消え失せていった。
罵詈雑言を投げつけようとする自分に気が付いて、慌てて「ごめん、携帯持ってないから」とだけいい捨てて踵を返す。
その思い出を最後に、三年間通い続けてきた学び舎を卒業したのだった。
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だが、社畜思考が抜けず**「これはマーケティング施策か?」**と疑うばかり。
そして、モテすぎて業務過多状態に陥る。
弁当争奪戦、放課後のデート攻勢…悠真の平穏は完全に崩壊。
そんな中、唯一冷静な男・藤崎颯斗の存在に救われる。
颯斗はやたらと落ち着いていて、悠真をさりげなくフォローする。
「お前といると、楽だ」
次第に悠真の中で、彼の存在が大きくなっていき――。
「お前、俺から逃げるな」
颯斗の言葉に、悠真の心は大きく揺れ動く。
転生×学園ラブコメ×じわじわ迫る恋。
これは、悠真が「本当に選ぶべきもの」を見つける物語。
続編『元社畜の俺、大学生になってまたモテすぎてるけど、今度は恋人がいるので無理です』
かつてブラック企業で心を擦り減らし、過労死した元社畜の男・藤堂悠真は、
転生した高校時代を経て、無事に大学生になった――
恋人である藤崎颯斗と共に。
だが、大学という“自由すぎる”世界は、ふたりの関係を少しずつ揺らがせていく。
「付き合ってるけど、誰にも言っていない」
その選択が、予想以上のすれ違いを生んでいった。
モテ地獄の再来、空気を読み続ける日々、
そして自分で自分を苦しめていた“頑張る癖”。
甘えたくても甘えられない――
そんな悠真の隣で、颯斗はずっと静かに手を差し伸べ続ける。
過去に縛られていた悠真が、未来を見つめ直すまでの
じれ甘・再構築・すれ違いと回復のキャンパス・ラブストーリー。
今度こそ、言葉にする。
「好きだよ」って、ちゃんと。
【完結】悪役令息の伴侶(予定)に転生しました
* ゆるゆ
BL
攻略対象しか見えてない悪役令息の伴侶(予定)なんか、こっちからお断りだ! って思ったのに……! 前世の記憶がよみがえり、反省しました。
BLゲームの世界で、推しに逢うために頑張りはじめた、名前も顔も身長もないモブの快進撃が始まる──! といいな!(笑)
本編完結しました!
おまけのお話を時々更新しています。
きーちゃんと皆の動画をつくりました!
もしよかったら、お話と一緒に楽しんでくださったら、とてもうれしいです。
インスタ @yuruyu0 絵もあがります
Youtube @BL小説動画
プロフのwebサイトから両方に飛べるので、もしよかったら!
本編以降のお話、恋愛ルートも、おまけのお話の更新も、アルファポリスさまだけですー!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
借金のカタに同居したら、毎日甘く溺愛されてます
なの
BL
父親の残した借金を背負い、掛け持ちバイトで食いつなぐ毎日。
そんな俺の前に現れたのは──御曹司の男。
「借金は俺が肩代わりする。その代わり、今日からお前は俺のものだ」
脅すように言ってきたくせに、実際はやたらと優しいし、甘すぎる……!
高級スイーツを買ってきたり、風邪をひけば看病してくれたり、これって本当に借金返済のはずだったよな!?
借金から始まる強制同居は、いつしか恋へと変わっていく──。
冷酷な御曹司 × 借金持ち庶民の同居生活は、溺愛だらけで逃げ場なし!?
短編小説です。サクッと読んでいただけると嬉しいです。
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