海の中の入道雲

幸甚

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「行ってくる…」
僕は、ある中学校に通っている普通の中学生だ。
明日から念願の夏休み。僕は、部活にも入っていなかったので、課題を終わらせ、山に出かける、というルーティーンを毎年繰り返している。山で寝そべって真っ昼間から寝ているのだ。たまに、森の探検などもする。毎年と言ってもこのルーティーンは、まだ二回しか経験していないが。
僕の家の裏にすぐ、うちが所有している山があるので、最近、暇さえあればいつもそこへ出かけている。家は二階建てで二階へ上がると、山の緑が見える。鮮やかに煌めき、風で靡く。森の命と澄み渡った空気、少し冷たくて、不思議なモノを感じさせながら。
僕の部屋は一階にあり、二階は主に荷物置き場になっている。ので、二階はあまり立ち寄りたくない。それに僕の部屋から山が見えないのが、ちょっと気に入らない。
ここで一つ、山の話をしよう。山の所有権は正確に言うと、おじいちゃんのお父さんの土地なのだが、二年前おじいちゃんが倒れて最近死んだので、よく分からない。おじいちゃんは、口癖のように、
「絶対に、山に一人で入ってはいかんぞ」
と限りなく低い声で言っていた。おじいちゃんの風貌から、口からでる言葉には重みがあった。
小さい頃、山に気軽に入れると言うよりは、おじいちゃんの畑仕事のついでに、付いて行くことしかなかったので、何かが弾けるように最近、山に籠もっている。毎回行くごとに、何かが毎回違っていて学校生活なんかよりも、変化に気付く事ができ、成長したようで嬉しい。山を吹き抜ける風は、何時も違うがやはり、ほんのり甘く、清々しい風だ。
突然で悪いが、おじいちゃんが一人で山に行っては行けないと言うのは、少女の幽霊がでるからだという。おじいちゃんは、小さい頃、その幽霊を偶然見つけ、悍ましい笑顔で睨みつけられたという。少女は、目に涙を浮かべながら満面の笑みでおじいちゃんに、
「お父さん」
と、見た目にはそぐわない低い声でボソッと一言いって、刃物を振り回し、追いかけてきたそうだ。その後のことは、記憶にないらしい。
おじいちゃんは、嘘をつくような人ではないので、多少信じている。といっても、この山の事件から五十年は昔の事なので、例え幽霊がいたとしても、今もいるとは限らない、とも思う。
今日は、おじいちゃんの命日。死んだのは、二年前。病気で案外簡単にポックリ逝ってしまった。
そして、夏休みの宿題が馬鹿みたいに出た。読書感想文やらワークやら、部活が夏休み中に無い人は良いがのは、ほぼ毎日部活がある人は大変だろうな~、と、想像だけしてあげる。僕の頭の良さは、上の下の下、ぐらいだろう。一応習ったところは理解しているつもりだ。
これから星座の勉強をするので、夏休み前に理科の先生から、夏の夜空は絶対に見とけ、と言われた。空は夜よりも夕方の方が好きなのだが、たまには、夜空も良いなと自室から夜の十一時山に向かって歩き始めた。
静かに玄関を開けて、懐中電灯を手に家を出る。夜風が、体中に染みた。うっすら蝉の声が聞こえる。目を閉じると、眠りたくなってしまう。
足音をたてずに忍び寄るように、家の裏に回り込む。月光で陰ができる。懐中電灯の真っ直ぐな光が見える。
どうせならと言うことで、山の最頂部に登ることにして照らされながら、草をかき分け、虫をよけ、急いで歩く。何時も、山に行くときは、おじいちゃんが前に使っていた倉庫みたいな蔵の様な建造物の横をすれ違わないといけない。この建物は、見るからに雰囲気が漂っていて、あまり近寄りたくない。そそくさと急な斜面を駆け上る。
少し高くなって平らに平べったくなっている場所があるので、休憩ついでに家を振り返る。近くの道路には、車が一台も流れていない。
山の中腹で、月の光に照らされている自分の街を眺める。雲の流れが速い。風が夜の空間に響く。
無意識の中で気配を感じ取ったのか、闇の海の森を自分の街を背に睨みつける。
「誰か、いるのか?」
懐中電灯を右往左往に煌めかす。すると、大きな岩みたいなモノを見つけ、一歩一歩、着実に木の葉を踏みながらクシャクシャと音を立てて歩く。この森に、岩なんてあったけなー、と強がりで余裕をぶっこく。ふと、子供のようにも見えた。まさかとは思っていたが、もしかしたらもあるかもしれないので、顔があったら見える位置に近寄る。そーっと、そーっと、顔を覗くと、女の子が体育座りで眠って座っていた。「マジが」と思わず声に出してしまい、少女がピクッと体を痙攣させた。そして、不気味な風で身震いをする。
驚きの後に恐怖が大津波のように押し寄せてきた。その理由は勿論、おじいちゃんが言っていた幽霊を思い出したからである。
少女の幽霊は、黒いワンピースの様な服装に、泥や砂を纏わらせていて何でか、岩と勘違いしてしまった。
僕は、恐怖のあまり懐中電灯を雑木林に投げ捨て、一心不乱に家に向かって走っていった。懐中電灯の光が右往左往に煌めく。大きな段差もジャンプして、転びそうになっても、暗い前を見ながら、後ろなんか振り向かずに、息が切れるのもを恐れずに、走った。走らないと、「殺される」気がした。玄関が視界に入り、乱雑に扉を開け、急いで自室に入り、布団にくるまった。心臓が、グラスの全員、叱られているときに自分だけ名指しで当てられたときぐらいバクバクしている。
「ハーーーアっ、ハーーーアっ、フーーっ」
そして、今さっき起きたことを、冷静に理解する。
「山に、女の子が、あれが、幽霊か」
言葉に出すと、少し落ち着いた気がしてまた、深く深呼吸する。
おじいちゃんが行っていたことが本当だとしたら、あの少女は、確実に、だ。
もし僕が、おじいちゃんの話を聞いていなかったら、真っ先に"助けてあげる"はず。
この時ほど、おじいちゃんに会いたいと思ったことはない。
どうしたら良い?助けてあげるのか?分からない。僕には、動くことが出来なかった。
少女の方は、悍ましい笑顔を僕の残り香に見せつけながら、低い声で、こう呟いた。
「お父さん」
と。



私には、指が五本ある。それに、足だって、頭だって心だってあるのに訳も分からず、小さい蔵の様な建物に無理矢理押し込まれ、鍵をかけられる。
私はあの時、八歳だった。今まで優しく接してくれたお母さんが、泣きながら、
「ごめんねぇ…っ、ごめんねっ」
と言って今まで味わったことのない強さで、押し込む。私も泣きながら、助けを求める。
「出してっ、何するのママァーっ、怖いよー」
声を精一杯出しても、何も変わらず、疲れるだけだと言うことに気付いた。倉の中は完全な闇。自分の手すら見えない。もしかしたら、目の前に穴があるかもしれない。そんな事を考えてしまい、一歩も動くことが出来なかった。もしかしたら、の恐怖が私の体を締め付ける。
この時、この家族に何があったのか説明すると、この家族の一族の習わしでこの家に生まれて八歳になると、あの倉に入り、眠るまで一人で過ごさないといけないのだ。
"未来に行って、『自分を生ませないように』運命をねじ曲げる。
何故、「自分を生ませないようにする」のかと言うと、一つ理由があった。
たった一つの理由が、そう、山に伝わる【少女】の存在だった。
【少女】は、神になり昔から様々な人に拝められてきた。例を例えるならば、山神などに。【少女】は、山神に幼い頃拾われたのだ。山神は、彼女を放ることが出来なかった心優しい人間だ。そう、山神は、かつては人間。【少女】も最近まで人間で、完全に未練を捨て切れていないという。
なのに、父親同然の山神を殺したのは何故だろうか。






僕は、あの件からやっぱり何かこの山にいることを確信し、見つけることにした。ついでに、懐中電灯を拾っていく。実は、あの懐中電灯は以外と良いやつで、お母さんに拾って来いと言われたのである。
でも、一人だと怖い。当然だ。目の前に泣いている少女を見て、助けることも出来なかった奴が、また一人で行って何が変わる?意味もなく山に立ち入るのは、懲り懲りなので、数少ない友達と山に行くことにする。

「だーーっはっはっ、幽霊なんているわけないでしょうが」
「いや、絶っ対に、いたんだよ」
幽霊など微塵も信じていない友達の中山和喜が大声で笑う。和喜は、野球部の部員のように丸坊主にしている。なのに野球未経験で帰宅部だ。
「見たのか、幽霊?」
笑かしてくる目的丸見えで、急に深刻な面持ちで、彼は問った。
「ああ、見ちゃった」
なんとか笑いをこらえて、目を見て言った。
「その幽霊、どこにいたの?」
「あの、山」
「なん、だとっ。やっぱり俺はあそこにいると思ってたんだよね~」
和喜は真剣さ、ゼロ。
ここで、先生が教室には行ってくる。話の途中で別れ、三つ離れた廊下側の席に着く。
出席を取り、一限目の数学が始まる。二限目の、三限目のと、いつもどうり時間が過ぎていく。下校の時間になり、二人とも帰宅部なので一緒に家路につく。下駄箱の前で和喜を見つけたので、話しかける。
「和喜、一緒に帰ろう」
「おお、良いぜ、幽霊のこと聞かせてくれよ」
僕は、不意に、気配を感じた。
あってはならないモノがある気がして。勢いよく振り返る。そこには、同じクラスの、オカルト大好きな古谷美来がいた。よく僕に話しかけてくるが、色々と面倒くさいので、幽霊のことは言わないことにする。
「や、どしたの」
美来が、ニヤける。
「いや、何でもない」
必死に動揺を隠す。
「おー、美来、これから幽霊見に行くんだけど来るか?」
和喜、やってくれたな、と思った。美来と俺は、席が隣で訳の分からない話しかしてこない。しかし、頭は何故か相当切れる。ショートヘアが似合い、柑橘系のような良い香りがいつも漂っている。長くこんな事を言っていると変態だと思われるのでやめておくが、長所を挙げれば、話しやすくフレンドリー。短所を挙げると、人の話を聞かない。等々。
和樹の言葉に、小学生のような喜び方をして、
「行くっ」
その一言を言ったとき、美来の目の色が変わった。
基本的に、悪い人ではないんだが、僕に、一昨日テストの点数勝負を挑んできた。僕が負けることは確実に分かっているのに。しかも、負けた方は、ある"賭"をなし得なければならない。
美来の賭・・・心霊スポットに付き合って。
僕の賭・・・僕の前でオカルト話さないで。
僕の賭は、実になることが有り得ないほど美来は頭がいいので、本心を言った。

結局、三人であの山に行くことになった。ちなみに美来も部活に入っていない。その理由は、宇宙の果てよりも分からない。
「どこに、あるの?」
美来が、興奮した様子で喉を鳴らし鼻息を荒らす。
「そりゃあの山、だろ」
「あの山?」
「僕の家の裏の山だよ」
和喜は、雰囲気を出すためか「あの山」としか言わない。
「あんな所に、幽霊いるの?」
「あんな所で悪いけど、幽霊はこの目ではっきり見た」
美来に、いきなりあんな所発言されたので、一応噛み付く。
「ヤバッ、ねえねえ、行くの明日にしない?」
美来らしからぬ発言だったので少し驚いた。
「何だよ、もう怖くなったのか」
和喜が、笑顔で煽る。
「んな訳ないでしょ、明日土曜日じゃん。だ、か、ら」
悪魔のような笑みを浮かべながら、美来は言った。
「だから?」
僕と和喜は、唾を飲んだ。あの口から何が発せられるんだ。ヤバい、ヤバいぞ。
「三人で、あの山に、キャンプしない?やるなら確実に、絶対に見たいから」
僕には、理解が出来なかった。やっぱり、美来にはついていけない。
「ないないないない。それは、」
和喜は、僕が喋っている途中に割って入り、
「いいね」
と、指を鳴らして僕に向かって親指をたてた。
「明日、良い?」
美来と和喜が、上目遣いで僕を眺める。美来の上目遣いには一瞬ドキッとしたが、瞬きをして、赤く染まった空をみる。
幽霊を見ていなかったら、絶対的にOKを出していなかったが、どうしてもこの二人に、いる、と言うことを信じてもらいたかった。それに数少ない友人だ。少女を見捨ててきてしまった後悔もあるし、どうしても、もう一回行きたかった。
しばらくの沈黙の後、無言でグッドサインを出した。
「目的は、幽霊を見ることで、何かあったら、すぐに帰る。それでいいね?」
奇しくも、上目遣いが効いて、サインを出してしまった。
僕って単純だな、と期待と不安を交あわせながら心の中で呟いた。
キャンプするのは、明日、土曜日。三人とも部活に入っていないので、朝九時に、僕の家集合になった。主にする事としては、森の探検。幽霊を見たら、さっき述べたように、すぐに皆に知らせ、家に帰る、ということにもなった。
親には、基本的にキャンプすることは言わずに、友達の家に遊びに行く、と伝えてとも言ってある。親に幽霊見つけたいからキャンプしていい?と質問して、いいよと帰す親がどこにいるか。二人の親については詳しく知らないが、最低限の礼儀は備わっていることに期待する。
僕の方も、親には友達と「ちょっと山行ってくる」と軽く言ってきただけだった。すると、幸いなことに、明日両親は二人とも仕事があるそうだ。これは、ラッキーと思い、山から吹く風を浴びながら、就寝した。
翌朝、今の時間は、九時二十二分。家の前には僕一人。なんと、二人とも楽しみすぎて寝坊してきてしまったらしい。美来が、楽しみだという事は分かるが、いまいち和喜が何で楽しみなのかが分からない。
十分後、道路の一角から、大荷物を持った美来がヘトヘト、ゾンビのように歩いてきた。
「ごめん、遅れた」
倒れそうな勢いで美来が座り込む。
座り込んだ瞬間、和喜が物凄いスピードで一直線に走ってきた。
「すまん、遅れた」
二人とも、大体同じ事を言うので、鼻で笑い微笑む。
「二人とも、大丈夫?」
「ああ、大丈夫」
と和喜が。
「うん、大丈夫」
と美来が。
「ちょっと休憩したら、山に行こっか。今日家に誰もいないから入って」
家の中に二人が入り、荷物を下ろす。美来の荷物は、修学旅行に行くときぐらいの量があった。
「そのバックの中、何入ってるの?」
水を飲んでいる美来に質問した。
「カメラとか、着替えとか、大体着替えかな」
「多分、そんなに必要ないと思うけど」
「だって、一泊するでしょ?」
僕は、凍った。息も出来ないぐらいに。そして、キャンプの意味を初めて悟った。マージーか。泊まる、だと。
「和喜も、泊まる気なの?」
慎重に慎重にゆっくり聞き出す。でも、その荷物の量からして、
「ああ、もちろん泊まる気でいるけど」
僕は、更に凍った。解凍には、いや、想像とここから違う。想像していたのは、一日ちょっと山を簡単に散歩するぐらいの感じ。でも、二人とも、真夏に長袖長ズボンを着ていて準備満タン。バッグの横のポケットからは虫除けミストも見える。帽子も首まで隠せるやつ。
「ま、さ、か、泊まる気はなかったとかいいませんよね~」
またもや現れる美来の悪魔のような笑み。
「うんうんうんうんうん、勿論、何を言いますか~美来隊員」
汗が額から流れる。終わった。でも少し、嬉しかった。

二人がこの山で泊まっていくと言うことは正直予想外だったが、友達とキャンプなんてしたことがなかったので純粋にワクワクしている。美来のリュックの中が大きかったのは中にテントが入っているからだという。そして、和喜が要らないことを言う。
「俺テント持ってきてないけど、どうすればいい?」
じゃあ何で泊まる気満々なんだよと、突っ込みを入れたくなる。しかし、僕の家にもテントなんて無い。この問題をどう返してくる。美来の事だから、「野宿お疲れさまでーす」とか平気で言うと思ってたけど、
「三人で、川の字になって寝ようか。このテントお父さんの大きいやつだから大丈夫だと思うよ」
優しい、一面が垣間見えた。
「でも、変な事したらお父さんに言って、二度と学校に行けなくしてやるから」
そう言って声を上げて笑う。美来のお父さんはPTAの会長を務めており、影響力は絶大だ。優しいのかよく分からなっていく。
「そりゃ、当然だよね~、和喜?」
「当たり前だろ~。あはあはアハハ」
「じゃ、行こっか」
「あの、荷物少し持とうか?」
僕は、少し緊張感を持って発言した、つもりだ。
「ありがと」
美来は微笑み、二人の男を手のひらにのせた。女って、美来って、当たり前だけど、隙がないな~としみじみ思う。
何でか、美来が僕に荷物を渡すとき、手が少し重なって、
「今、ドキッとした?」
無邪気な向日葵畑のような笑み。わざとやったのかもしれないが図星だ。が、
次の瞬間、助け船を出すかのようにタイミング良く、和喜が美来の背中にむかって虫除けミストを一発噴射した。勿論、安全に考慮して、顔の方は狙わず。この時ほど、和喜に感謝したことはない。
美来は、僕の方に荷物をちょびっとしか持たせてくれなかった。それもそのはず、着替えが主なら、僕に持たせるわけがないのだ。
ということで、弄ばれながら無事?家を後に出発した。

「案外、広いんだね~」
美来は見上げると、息を吸い上げるように静かに言った。
「で、幽霊どこにいたの?」
真っ直ぐな目で、美来は僕に視線を合わせながら問った。
「もうちょっと奥だったはずなんだけど、あんま覚えてないんだよね」
「おいっ、あの小屋なんだ?」
おどけた表情で和喜が僕の後ろに回る。
「ただの小屋だけど」
前まではおじいちゃんが使っていたが、ただの今は物置。鎌や鍬などの農具が主にも眠っている。
「和喜、怖がりすぎでしょ」
美来がいつもどうり森に響く声で笑う。
「ドンっ」
突然、小屋の中から鈍い音がした。簡潔に低い音。恐らく、"何かいる”。
「えっ、何?」
いきなりにいきなりが重なり、美来が僕の腕を掴む。この時だけ、恐怖は死んでいた。和喜が、
「誰か、いるのか?」
と僕に顔を向ける。
家族の存在の有無を確認したんだろう。だが答えは、ノーだ。
恐怖が突き抜ける。
もう一発、「ドンっ」と、不気味で神妙な空気と共に森に響く。吹き抜ける風が、目の前から向かって、倒れそうになってくる。
「ねぇ、誰か、いるんじゃないの?」
僕は、美来の靡く髪を見ながら視線を逸らす事が出来なかった。

彼女の僕の鳥肌の立った腕を掴む力が次第に強くなる。
何が起きている?誰かいるのか。白昼堂々と、こんな薄汚い小屋にはいるバカなんているのだろうか。でも、誰かいるなら、この状況は相当アウトだ。今一番しなければならない行動は、逃げる。
でも、何を思ったのか和喜が一歩づつ小屋に向かって歩き始めた。僕は、恐怖と腕を力強く掴まれているので動くことができない。その間にも、「ダンっ」何かが落ちたような音。
「和喜、離れろ」
無声音で警戒を促す。
和喜は、こちらを振り向かずに左手だけで僕たちを宥めるように手を動かす。
僕は、耐えきれなくなり、美来に捕まれている腕をなりふり構わず振りほどき、和喜の左腕を掴む。右手には、生々しく美来の腕の感触が残っていた。
「危ない、逃げよう」
「うん、ここで迷ってる暇はないよ」
後ろから美来も応援する。やはり、美来も馬鹿じゃない、冷静な判断は出来ている。しかし、流石の美来でもただ今すぐ逃げたいだけなのかもしれない。
「ごめん、俺の探求心は抑えられない」
それだけ言って、吐き捨て、小屋に向かって走っていく。
「和喜っ」
僕と美来の声が重なる。
和喜が、薄汚れた扉をガタゴトと、壊れそうな勢いで開く。
この瞬間、三人は息を呑んだであろう。僕は、動けなかった。和喜の方は、ほぼ無意識のうちにやっており、自分の中にいなかった。
「ダッ」
気持ちいいぐらいの破裂音で扉が完全に開く。
中から現れたのは、小さな野生動物のハクビシンだった。
和喜が、避けてハクビシンが森にガサガサと消えていった。
「良かった」
三人とも安堵のため息を深くつく。
「ちょっと和喜、あぶないでしょう。もし幽霊とか変な奴だったらどうするつもりだったのよ」
彼の大胆にも程がある行動に対して、美来が怒る。
「ごめんごめん、でも、動物で良かった」
「今度こんな事したら、一生話してやんないからね」
和喜の命に危険が及ぶのを恐れて、彼女らしい優しさを見せた。
「とりあえず、行く?それとも、もう帰る?」
この質問の解答をして欲しいのは、和喜だ。いきなり約束を破り、自分勝手な行動をした。なので、彼の目を見て真剣に言った。
「進もう」
和喜は、それだけ言って前を向いて、歩き始めた。ついさっきまでの行動を忘れたように。後ろを振り向かないか和喜の背中は、いつもどうり、面白かった。
「ん、じゃ、行こっか」
美来もあまり気にしていないらしく、僕も二人の背中を追う。
言葉を交わさずに、山を黙々と登る。少し高くなって平らに平べったくなっている場所に五分歩くと着いた。三人が後ろを振り向き、太陽に照らされた街を見る。和喜と美来からは汗が光っていた。
「綺麗だねー」
「あっ、あそこ俺ん家じゃね」
「えーどこ?」
「ほらあそこの赤い屋根」
和喜が指を指す。美来は、目を凝らしてせっかくの顔が台無しになるような形相で睨みつけている。
「見えない」
「まあ、俺視力、五はあるからね~」
いや、アフリカ人かよ、っと突っ込みを入れたくなるが、美来が、
「絶対嘘でしょ、それ」
と、俺の夢を叶えてくれた。
「ねぇ、二人とも、早速で悪いんだけど、ここしか寝られる場所無いからここを拠点にするって事で良い?」
まさか、ノーは来ないよなと若干警戒する。
「別にここで良いんじゃね」
和喜が、晴れるような顔で返す。
「私もここで良いと思うけど」
「分かった。ここを拠点にこれから歩こう」
「うん」と小気味いい返事が帰ってくる。
木と、虫と、自然しかない森の中を一列で歩いていく。美来は、真ん中。僕と和喜が護るようにして。目的地をつくらず、迷わないように慎重に確かに足取りを上げていく。途中で、美来がスズメバチを見つけ、泣き出しそうな声で「キャアアアアアアー」と叫び、前にいた僕を盾にしたのはこっちの話。そして、和喜があろう事か虫除けスプレーを蜂に向かって連射していたのは、最高だった。
「オラぁぁぁぁぁぁぁ、どけぇぇぇぇぇぇぇぇ」
「おいぃー、蜂を興奮させるなー!危ないだろ!」
後ろから押し出されるようにして駆け巡り、蜂の窮地を抜け出し、前へ進み始める。

三十分か一時間か分からないが経って、森の静寂が耳に住み着いたとき、一番後ろにいた和喜が右を向いて大声で、
「おいっ、あれなんだ?」
右前には、見たこともないぐらいに大きな廃墟があった。見るからに誰も住んでいなそうだ。壁には雑草が巻きつき、暗い印象しか与えてくれない。
僕の頭の中には、夜に出会った少女の幽霊の事しか頭になかった。
僕は、頭を抱え、暗夜に戻る。

今私がいるのは、頂点。万物の景色。
父同然の山神を左腕だけで殺した。なんの感情も溢れてこなかった。私にしてみれば父親ずらした気持ちの悪いモノだった。
皆が私を認めてくれるのに、あれだけの特別になりたくなかった。
私は、私以外の特別が現れることを恐れた。みんなが、自分だけを見てほしかった。何も見ていてほしくない。

私は神。全てを知る必要がある。
今でも思う、とは何か。

私は、両親に捨てられた。いても存在する意味がないと、いない方が私たちが幸せになるからと。自分の事しか考えられない二人に「怒り」などの感情は湧いてこなかった。
微塵も、だ。
私も奇遇なことに両親が二人が嫌いだ。父は私を殴り、母は大声で私に向かって声を荒げる。山にある一軒家だったのでどれだけ音を立てても苦情の一件もこない。
毎日毎日毎日、私を一歩ずつ一マスずつ、雑巾で拭いていくかのように『人』としての気持ちを抜かれていった。
そのおかげか、笑えなかった。し、笑いたくなかった。私は幸せになっちゃいけないと周りから認められ、求められたかだ。
「早く死ね」
と、少ない睡眠時間以外は、いつも聞こえてきた。聞き慣れてきて、今では蝉の鳴き声とさほど変わらない。
両親が痺れを切らしたのか、私を遠く離れた山に捨てた。
恐らく、今の両親は幸せに過ごしているだろう。その理由は勿論、《私がいない》から。
泣くこともしないで、枯れた木の葉を見つめる。
そして程なくして気配なく現れたのは、山神だった。
「大丈夫か?」
限りなく低い声。言葉の中には、感じられない暖かみがある。私には分かった。だが、私は、「大丈夫?」と言う言葉が嫌いだ。何故なら、答えが一つしかないから。
「はい」
無表情で顔を見ることすらせずに、冷徹に答えた。
「ハッハッハ、面白いやつだなぁ。お前、名前は何だ?」
大きな声で、笑う。
「名前なんて無い」
笑顔を切り崩すべく場の空気を壊す。
「じゃあ、俺が名前を付けてやる。お前は、ーーーだ」
私は耐えきれなくなり、
「お願い、消えて」
「おい、そのままじゃ死ぬぞ。俺の家にこないか」
「消えてっ!」
人生で初めてとでも言うべきか、高い声を荒げる。温もりが辛く、責められている気がして、やりきれなくなった。
「私は幸せになちゃいけないの!皆それを望んでるの!私なんかいない方がいいのっ!」
「早く死にたいの!名前なんて付けないでっ!!!」
山神は、ゆっくりと跪き、落ち葉がパキパキと音を鳴らす。
そして、私を抱き締めた。見合わないほどの微弱な力で。
私は初めて、感情から涙が溢れてきた。
「うっう、止めてよ…」
「お前は、俺のだ。幸せになろう。一緒に」
私はいつの間にか太い首に手を巻きつけ、瞼を閉じ、温もりを感じながら、嗚咽を上げ、過去を捨てた。
遠い昔、私には名前がなかった。でも今、名前はある。「咲月」と。
月が出ていたかは分からなかったが、確かにあの時、夜が一刻と迫っていた。

月が私を咲かせた。
感情のない私は、月に魅せられ、山神に感謝し、、、緩やかな日々を過ごしていった。







「お父さん、また山に行くの?」
私が、山神をお父さんと呼ぶのが定着していったあの頃。
「ああ、留守番頼む」
そう言って、私の頭を撫でる。
一人きり。山神の家は、決して広いとは言えないが、温かみのある家だった。
「独りじゃつまんないー」
寝転んで仰向けになる。
そして、目を閉じる。



































深い山の社にて、会合が行われていた。
「オイ、貴様人間を拾っただろう?」
「はい。でも彼女は決して我々に危害は加えません。ここに約束します」
そっぽを向いて、
「そいつは、神になるぞ」
「神?」
「その女は我々にとって、悪魔だ」


勿論、山神と言っても上に値する存在はいる。


咲月を悪魔と言ったのは、年齢九千歳の人目おかれている衽神だ。







































「そいつを、殺せ」











私は、その後、父親に殺されそうになった。
殺されると確実に思ったから、殺した。正当防衛しただけ。でも皆、分かってくれるはずがない。
私が、生きているのだから。



山神は、せめて少しでも痛く無い方法で、と考えていたらしいが、それがまた、ぬるかった。包丁で一突き。出来るはずがないのだ。毎日毎日、
「お父さん」
と呼ばれていたのだから。山で死ぬはずだった彼女を、優しさで家族の一員に入れた。そうだ、山神にとって、咲月は家族だったのだ。
殺したくなかった。結果的に、死んで良かったのかもしれない。



再び独りになってしまった少女は、山神の血を純白の細い腕を見せつけながら、すくい上げた。赤い血。真っ赤に染まった腕。
感情など、と強がって考えていたからかもしれない。
赤い手、飛沫が儚く散った壁、目の前のかつての父。涙が出てきた。熱い涙が、床を溶かしそうなほどに。
扉を、ゆっくり開ける。すると、赤く染まった奇妙な月。
すべてを、始めるにはちょうど良かったのかもしれない。
「お父さん」
吐き捨てるように小さく呟くと、風に吹かれたからか、鳥肌が全身を巡った。
「また一人きりかぁー。ふふ、楽しみ」
自然と笑みがこぼれるように、感情は成長したと思う。だが、皮肉なことに『お父さん』に届くことはなかった。






「君、名前は?」
「咲月」
黒い空間で何も不思議に思わず、心だけで会話を始める。
「何か好きなものある?」
「リンゴ」
「りんごかぁ。美味しいよね」
「どうして咲月ちゃんはここにいるの?」
「帰りたくないから」
「喧嘩でもしちゃった?」
「うん」
何でここにいるのか。何で彼女と話しているのか。ここはどこだ?
そんな単純なことに気付けなかった。

「あなたの名前は?」
「僕の名前は、和喜」
「良い名前」
「ありがとう?」
「咲月ちゃんは、仲直りしたいと思わない?」
「思わない」
「うーん、そっかぁ」
「ねぇ、取引しない」
「何を?」


「いい?この後、アナタを含めた三人が私を助けにここに来るの。でもここにくるまでは、最低でも三年はかかるの。 死ぬか、裏切るか選んで」




最高に趣味の悪い幼い笑顔。虫唾が先走り、恐怖に溺れた。





「さぁ、はやく」








一秒、世界が止まったかのように、錯覚させるような時が流れた。決して記憶に遺るはずのない奇妙で神秘的な時間。
「和喜が、、、いない」
辺りを見渡しながら美来が言った言葉を、すぐに理解することが出来なかった。
「和喜がいないっ?」
後ろを振り返ると、ダッ、と地面が揺れるわけでもないのに、また時が止まったような不思議な今が流れる。
「和喜が、いる」
この言葉を漏らしたのは美来だ。
そう、今和喜が目の前にいる。真顔でまっすぐ前を向いている。あまり見ることのない表情に、目が奪われる。








「ちょっと待って。どうしていきなりそんな取引になるの?」
「アナタが一番分かってそうだから」
ふふ、と闇の空間で無邪気に笑う。
「裏切るの方法は、簡単。女の方を、殺して」
「殺す?!」
「そう。彼女が死ねば、運命は簡単に変わるのよ」
「ダンゴムシでも踏み潰すようにね」
仄かに血の匂いがした。
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