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白夜の晩酌(2-2)
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けれど、いつまでも悲しんでいては、他人に気を遣わせるばかりで、いいことはなにひとつない。悲しんでいれば、慰めてくれる優しい人はいても、現実はなにも変わらず、やがてはそばにいる人まで悲しい顔をする。だから、僕はいつしか平気なフリをするようになった。もう何年も前のことなので、大丈夫です――と、笑顔を見せるようになった。そうすればたいていの場合、相手はホッとした顔をしてくれるはずなのだ。だが、ライルさんの反応は意外なものだった。
「へえ。オレも父親がいないんだけど、父親の気持ちを知りたいなんて思ったことは一度もないな」
「え――?」
「うちは母子家庭でさ。父親がいない家庭で育ったから、父さんってどんなもんか、よくわからないんだ」
「お父さん……。亡くなった……んですか?」
「いや、別れたんだって。オレがお腹にいるときだったらしいけど。たぶん、オレができたのが面倒で逃げたんだよ。母は今もそうは言わないけどね」
そう答えると、ライルさんは笑みを浮かべてから、瓶を口につけて、ぐい、と大きく傾けた。ごく、ごく、と喉を鳴らして飲む姿は、最初からいなかった父親のことなど、なんとも思っちゃいないさ――とでも言うようだった。
しかし、父親がいない生活を当然のように過ごしてきても、それが普通ではないことなど、どんな子どもにだってすぐにわかるはずだ。寂しくないはずはなかっただろうに――と彼の幼少期を想像すれば、その先は聞けなくなる。代わりに、僕は自分のことを話すことにした。
「僕は――……父と、あまりうまくいってなかったんです」
「ふうん。そうなんだ」
ライルさんは、特に興味がなさそうな口ぶりで相槌を打つ。そのせいか、僕はこれまでになく父のことを話しやすく感じていた。
「はい。父はとても厳しい人で、いつも怒っていました。僕には特に厳しくて、あの日も――」
「あの日?」
「ええ、火事になった日です」
あの日――。火事が起こり、なにもかも失った日。忘れもしない、七月一日。その日は僕の十二才の誕生日だった。あの頃、父は仕事が忙しく、夜遅くまで地下の工房に籠るせいで「おやすみ」を言えない夜も珍しくなかった。誕生日の夜も例外ではなく、家族みんなで、夜の七時にリビングに集まって夕食をとると約束していたのに、父は時間になっても現れなかった。大切な仕事が残っていると言って、いつものように地下の工房に籠り、注文を受けた鞍の作成に入ってしまったのだ。
「僕は、怒りました。家族の大切な日に、リビングにも上がってこれないほど、仕事が好きなのかって、僕や家族よりも仕事が大切な父さんなんか、知らないって――」
「へえ」
「家を飛び出して、公園へ行って……。ずいぶん、暇を潰しました。でも、どこへも行くところがないもんで、夜中、家へ戻ったんです。だけど、そのときにはもう、火が出ていて――」
「そうだったのか……」
「だから、それっきりなんです。僕は知りたいんですよ。どうして父がそんなに必死になって馬具を作っていたのか。馬の仕事ってそんなに魅せられてしまうものなのかどうか……」
父が生前、なにを思い、考え、夢見て馬具屋を営んでいたのか。それを今、墓前で訊ねても、決して答えは返ってこない。だから、僕は自分でそれを体験して知るしかなかった。
仕事人間だった父の思いを知る。それが、今の僕の目標だった。あいにく、馬具屋の雇用には恵まれなかったが、こうして今、馬に関連する仕事に携わることはできているから、ひとまずは及第点。前進といっていいだろう。ひと通り話し終えると、ライルさんは肩をすくめ、首を傾げた。
「残念だけど、オレにはわからないな。そもそも、オレは父親が欲しいなんて思ったこともなかったし。君の父親の気持ちも、さっぱりだよ。でも……、ひとつだけ言えることがある」
「……なんです?」
「馬はね、人を魅了する。人の心の中に、深く入ってくる」
「心の中……?」
「そう。なんていうか……、馬に乗ってると、目に見えないところで繋がってるような感じがするんだ。その神秘的な感覚にね、人は必ず魅せられる。それだけは間違いないよ」
「へえ……」
「君もそのうち乗るといい」
そう言ったあと、ライルさんは瓶に口をつけてから、立ち上がった。ジンの瓶はからっぽになったようだ。
「家族のこと、訊いてごめんな」
「あぁ、いえ……」
「オレは戻るよ。ここで、父親の気持ちがわかるといいな」
部屋を出ていくライルさんに、僕は手を振り、その背中を見送った。バタン、とドアが閉まり、僕はため息を吐く。
「魅せられる……か」
それだけの魅力がある。ライルさんはそう言っていた。きっと彼は、その魅力がどんなものなのかを知っているのだ。では、父もそうだったのだろうか。そしてルークさんも。ここにいる従業員のみんなや、トーマスさんも。みんな、知っているのだろうか。
父さんもそれを知っていたなら、僕も知りたい――。
ふと、再び思い出す。今日、頭の中に響いた青年の声と、目の前にいたスノーケルピーの瞳。美しく、儚さを思わせるような視線。柵越しに見え隠れする、灰色をした筋肉質な体。なにもかもが美しかった。あんな美しい馬の背に乗り、見えないところで繋がる、そんな神秘的な感覚に浸るのはどんなにか気持ちのいいことだろう。
スノーケルピー……。いつかあの子に乗ってみたいな……。
思い返せば思い返すほど、確信に近づいていく。あの声はやはり、スノーケルピーの声だったのかもしれない。信じられない気持ちもまだあるが、僕にはそうだとしか思えなかった。ここで馬に接して働いていれば、それが真実だとわかる日が、いつか来るかもしれない。そう思うと、明日がどうしようもなく待ち遠しくなる。馬たちに会うのも、世話をするのも、楽しみで胸が躍る。
こんな気持ち、はじめてだ……。
僕はベッドに寝転がって、電気を消す。ふと部屋の窓に目をやると、空はすっかり暗くなっていた。ちょうど月が高くなり始めて、窓からは月光が真っすぐに差していた。
「へえ。オレも父親がいないんだけど、父親の気持ちを知りたいなんて思ったことは一度もないな」
「え――?」
「うちは母子家庭でさ。父親がいない家庭で育ったから、父さんってどんなもんか、よくわからないんだ」
「お父さん……。亡くなった……んですか?」
「いや、別れたんだって。オレがお腹にいるときだったらしいけど。たぶん、オレができたのが面倒で逃げたんだよ。母は今もそうは言わないけどね」
そう答えると、ライルさんは笑みを浮かべてから、瓶を口につけて、ぐい、と大きく傾けた。ごく、ごく、と喉を鳴らして飲む姿は、最初からいなかった父親のことなど、なんとも思っちゃいないさ――とでも言うようだった。
しかし、父親がいない生活を当然のように過ごしてきても、それが普通ではないことなど、どんな子どもにだってすぐにわかるはずだ。寂しくないはずはなかっただろうに――と彼の幼少期を想像すれば、その先は聞けなくなる。代わりに、僕は自分のことを話すことにした。
「僕は――……父と、あまりうまくいってなかったんです」
「ふうん。そうなんだ」
ライルさんは、特に興味がなさそうな口ぶりで相槌を打つ。そのせいか、僕はこれまでになく父のことを話しやすく感じていた。
「はい。父はとても厳しい人で、いつも怒っていました。僕には特に厳しくて、あの日も――」
「あの日?」
「ええ、火事になった日です」
あの日――。火事が起こり、なにもかも失った日。忘れもしない、七月一日。その日は僕の十二才の誕生日だった。あの頃、父は仕事が忙しく、夜遅くまで地下の工房に籠るせいで「おやすみ」を言えない夜も珍しくなかった。誕生日の夜も例外ではなく、家族みんなで、夜の七時にリビングに集まって夕食をとると約束していたのに、父は時間になっても現れなかった。大切な仕事が残っていると言って、いつものように地下の工房に籠り、注文を受けた鞍の作成に入ってしまったのだ。
「僕は、怒りました。家族の大切な日に、リビングにも上がってこれないほど、仕事が好きなのかって、僕や家族よりも仕事が大切な父さんなんか、知らないって――」
「へえ」
「家を飛び出して、公園へ行って……。ずいぶん、暇を潰しました。でも、どこへも行くところがないもんで、夜中、家へ戻ったんです。だけど、そのときにはもう、火が出ていて――」
「そうだったのか……」
「だから、それっきりなんです。僕は知りたいんですよ。どうして父がそんなに必死になって馬具を作っていたのか。馬の仕事ってそんなに魅せられてしまうものなのかどうか……」
父が生前、なにを思い、考え、夢見て馬具屋を営んでいたのか。それを今、墓前で訊ねても、決して答えは返ってこない。だから、僕は自分でそれを体験して知るしかなかった。
仕事人間だった父の思いを知る。それが、今の僕の目標だった。あいにく、馬具屋の雇用には恵まれなかったが、こうして今、馬に関連する仕事に携わることはできているから、ひとまずは及第点。前進といっていいだろう。ひと通り話し終えると、ライルさんは肩をすくめ、首を傾げた。
「残念だけど、オレにはわからないな。そもそも、オレは父親が欲しいなんて思ったこともなかったし。君の父親の気持ちも、さっぱりだよ。でも……、ひとつだけ言えることがある」
「……なんです?」
「馬はね、人を魅了する。人の心の中に、深く入ってくる」
「心の中……?」
「そう。なんていうか……、馬に乗ってると、目に見えないところで繋がってるような感じがするんだ。その神秘的な感覚にね、人は必ず魅せられる。それだけは間違いないよ」
「へえ……」
「君もそのうち乗るといい」
そう言ったあと、ライルさんは瓶に口をつけてから、立ち上がった。ジンの瓶はからっぽになったようだ。
「家族のこと、訊いてごめんな」
「あぁ、いえ……」
「オレは戻るよ。ここで、父親の気持ちがわかるといいな」
部屋を出ていくライルさんに、僕は手を振り、その背中を見送った。バタン、とドアが閉まり、僕はため息を吐く。
「魅せられる……か」
それだけの魅力がある。ライルさんはそう言っていた。きっと彼は、その魅力がどんなものなのかを知っているのだ。では、父もそうだったのだろうか。そしてルークさんも。ここにいる従業員のみんなや、トーマスさんも。みんな、知っているのだろうか。
父さんもそれを知っていたなら、僕も知りたい――。
ふと、再び思い出す。今日、頭の中に響いた青年の声と、目の前にいたスノーケルピーの瞳。美しく、儚さを思わせるような視線。柵越しに見え隠れする、灰色をした筋肉質な体。なにもかもが美しかった。あんな美しい馬の背に乗り、見えないところで繋がる、そんな神秘的な感覚に浸るのはどんなにか気持ちのいいことだろう。
スノーケルピー……。いつかあの子に乗ってみたいな……。
思い返せば思い返すほど、確信に近づいていく。あの声はやはり、スノーケルピーの声だったのかもしれない。信じられない気持ちもまだあるが、僕にはそうだとしか思えなかった。ここで馬に接して働いていれば、それが真実だとわかる日が、いつか来るかもしれない。そう思うと、明日がどうしようもなく待ち遠しくなる。馬たちに会うのも、世話をするのも、楽しみで胸が躍る。
こんな気持ち、はじめてだ……。
僕はベッドに寝転がって、電気を消す。ふと部屋の窓に目をやると、空はすっかり暗くなっていた。ちょうど月が高くなり始めて、窓からは月光が真っすぐに差していた。
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