【完結】君と風のリズム

いなば海羽丸

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妖精の願い(3-3)

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 こんなに平和な田舎で、犯罪などあるはずがない。そう、自分自身に言い聞かせる。それからおそるおそる、それぞれの馬房ばぼうの中をのぞいた。

 ロリポップ、ウイングレイ、フィリップ、ワイリー。みんな、どの馬もわらの上に横になったり、座り込んで眠っている。彼らの穏やかな寝顔を見れば、ほっと安堵あんどし、僕は胸を撫で下ろした。やはり、さっきの物音は勘違いだったのかもしれない。

「よかったぁ……」

 思わず呟いた。だが――、次の瞬間。僕は奥の馬房ばぼうを見て、目をみはった。

「……っ」

 声を失った。目はそこに釘付けになったまま離せない。なにか、馬房ばぼうの中が光り輝いている。これは月灯りでそう見えるとか、電灯がどこかに反射しているのでもない。明らかに、青白く光っている。そうして気付いた。そこは――スノーケルピーの馬房ばぼうだ。

「スノーケルピー……!」

 なにが起こっているのか全くわからない。しかも、こんな異変を前にして冷静ではいられず、僕は慌ててそこへ駆けつけた。すると――。

「え――」

 そこはスノーケルピーの馬房ばぼう。つまり、その部屋の中にはスノーケルピーという葦毛あしげの馬しかいないはずだった。ところが今、そこにいるのは馬ではない。人だ。しかも、その体からは青白い光が輝いている。その光はすぐに消え去ったが、僕はもう光の正体など、どうでもよかった。

「あ、あんた、誰だ……! ここでなにをしてる!」

 恐怖で足が震えながらも、必死に声を振り絞り、フォークを振りかざす。何度確認しても、馬房ばぼうには今、馬ではなく、人――恐らくは青年が一人いるだけ。灰色をした長い髪の、背の高い青年だ。

 いつもそこにいるはずのスノーケルピーはどこにもいない。周りを見渡しても、どこにも葦毛あしげ馬の姿は見えなかった。僕はハッとする。この青年、もしかしたら、馬泥棒かもしれない。

「ケッ、ケルピーは……、スノーケルピーをどこへやったんだ……!」

 おどおどした声しか出せなくて情けないが、それでもフォークを突きつけ、必死に問う。すると、青年は柔らかな笑みを見せて、口を開いた。

「オリバー……。君、来てくれたんだね」
「な……」

 青年が僕の名前を呼んだ。妙だ。僕はこの青年を知らない。少なくとも、彼はこのウィンダミア乗馬クラブで働いている従業員ではない。僕はますます混乱して、とにかくその青年に向かってフォークを向けた。しかし、彼は馬房ばぼうからいとも簡単に出てきてしまって、僕の持つそれを難なく取り上げてしまったのだ。

 彼は取り上げたフォークを馬房ばぼうの中へぽい、と放り投げた。同時に馬房ばぼうには、カーン……という金属音が鳴り響く。

「ちょ……っ、なにをするんだ! 返せ!」
「オリバー、怒らないで。ぼくだよ」

 青年が近づいてきて、そう言った。まろやかな声と口調で、笑みまで見せている。どういうことか全くわからない。僕はまゆをしかめ、身構えた。

「僕は君なんか知らないよ。どうして、君が僕を知ってるのかわからないけど……」
「あぁ……、そうか……」
「それより、スノーケルピーはどうしたんだ……! 答えろ!」

 僕は声を荒らげる。青年は残念そうな表情をして、自分の体や手や足を、確認するようにくまなく見ている。全く奇妙だった。よく見れば、青年は裸足で、瞳は左右違った色をしている。

 左目が青、右目は褐色かっしょく――あるいは、琥珀色といってもいいかもしれない。少し尖ったような耳には青く美しいピアスが揺れている。なんだか服も変だ。どう見ても、流行はやりの服ではない。まるでおとぎ話か、昔の絵画に描かれたような雰囲気がある。おまけに尻の辺りには、ふさふさとしたしっぽがついていた。

 ん……? しっぽ?

 今、僕の頭の中は大混乱していて、冷静ではない。しかし、彼が奇妙で、普通ではないということだけは理解できた。なぜなら、どんなに風変わりで奇妙な人間にも、しっぽは存在しない。

「どうなってるんだ……。君は……」
「オリバー、ぼくだよ。わからない?」
「わ、わ、わかるわけ――」
「ぼくをちゃんと見てよ」

 言われなくても、さっきから穴がくほど見ている。だが、知らないのだ。こんな容姿で、夜更けに馬房ばぼうに忍び込む青年なんか、僕の知り合いにはたったの一人も思い当たらない。ところが、青年は僕の肩をぐっと強くつかみ、瞳をのぞき込むようにして顔を近づけた。

「な……っ、なにす……」
「ね、ぼくの目を見て」
「やめろよ、離せ……!」
「オリバー……」
「離せって……! トーマスさんを――社長を呼ぶからな……!」

 慌てて振り放そうとしたものの、青年の力はあまりに強かった。もうどうしようもなくなって、僕は大声を出そうとする。ところが、次の瞬間――。

「ん……、うっ」

 突如、唇に温かい熱が重なってふさがれた。呼吸ができない。苦しくなって思わず目をつむると、柔らかな感触と同時に、頭の中には映像が次々と浮かび、入ってきた。まるで夢でも見ているような感覚だ。

「んぅ……」

 それは、いつも通りの朝の風景だった。従業員たちが馬房ばぼうの中で忙しく動き回り、馬の世話をしているのが見える。だが、その中で僕はじっとこちらを見つめる馬の姿に気がつき、そこへ誘われるように近づいた。見つめていたのは、スノーケルピーだった。

 スノーケルピー……。

 そっと手を伸ばす。そういえば、いつかもこんなことがあったかもしれない、と思い出しながら。だが、次の瞬間、僕の心臓が跳ねた。

『オリバー……、君は優しくしてくれる?』

 思わず、ハッと目を開けた。それからつかまれていた肩をなんとか振り放し、青年を突き飛ばす。
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