たったの五文字

シロツメクサ

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2.手を繋ぐ

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「シェルちゃんが探したいのって、錬金術の参考書でいーんだよね?……シェルちゃん?」

 声を掛けられて、私は思考の海から引き戻された。ぼんやりとしてしまっていた私に気が付いたのか、少し先で怪訝そうな表情を浮かべるレクス先輩に、慌てて笑顔を繕うと僅かな距離を埋めるように駆け寄った。
 隣に並んで何でもないように頬を掻けば、向けられる視線が柔らかなものに戻って胸を撫で下ろす。

「すいません、少しぼーっとしていて……今日返した本も面白くて昨夜読み耽ってしまったから、寝不足なのかも」

「へえ、そんなに面白かったんだ。なんて本?」

「えっと……『錬金薬の近代史~魔力量における効能の差異と研究の推移~』っていう……」

 正直に長いタイトルを誦じて見せれば、あの時の想像と寸分違わない表情でうえ、とレクス先輩が顔を顰めたものだから思わず苦笑を浮かべた。
 剣で名を馳せる彼は基本的に他の座学の成績も優秀だけれど、唯一本人が苦手だと公言しているのが、私の専門分野である錬金術なのだ。

 誰にでも得手不得手はあると理解しているけれど、やっぱり相手が大切な人だからこそ、自分の好きなものに少しでも興味を持ってくれたら嬉しいと思ってしまう。自重しようといつも自分に言い聞かせているのに、気がつけば私は拳を握って早口で熱く語り始めていた。

「ほ、本当に面白かったんですよ! 魔力量によって同じ錬金薬を服用したとしても、効能に差異が出ることは今では常識ですけど、その結論に辿り着くまでの歴代の研究者の様々な論文が纏められてて……! 例えば身体強化を施すような錬金薬であれば服用した本人の身体的素質によっての変化率が大きいですが、肉体を切り離した仮想空間では魔力量の多い方が空間の主導権を握るという証明をしたのは、この学園の卒業生でありあの伝説の錬金術師、アルヒ・ソルシエルで……!」

 夢中で語っていた私は、そこではっと口を抑えた。
 しまった、いつも話しすぎないように気をつけていたのに、今日は少し気が抜けていた。興味がない、なんなら苦手意識のある話題を押し付けられたって辟易するだけだろうと分かっていたのに。
……しかも、レクス先輩の前であの家の名前を出してしまうなんて。

「す、すいませんっ」

 迷惑そうな顔をされてしまっていたらどうしよう、ましてや怒らせてしまっていたら、と慌てて謝罪を口にして、恐る恐るレクス先輩の顔色を伺えば、想像とは違う優しく緩められた瞳と視線がぶつかって私は目を瞬いた。

「何で謝るのさ、変なシェルちゃん。それで? 魔力量の差で効能に違いが出るのって、自分よりも魔力の多い相手に対しては魔法が効きにくくなる、魔法使いと似たような原理なのかな」

「あ、それは現代の研究でも、その、色々な説が、あって……」

 へえ、魔法科の兄様ならそういうのも詳しいのかな、と呟くレクス先輩の視線は、既に私のお目当ての本を探すために本棚の間を彷徨っている。その横顔はやっぱり何度見ても機嫌を損ねているようには見えなくて、私はか細い声で問いかけた。

「あ、あの、こういう話、嫌じゃないですか……? 先輩、錬金術は苦手なのに」

「ん? 自分の彼女がキラキラした瞳で一生懸命話してくれることが嫌なわけないでしょ。目の前に分厚い本を置かれたって読む気はしないけど、シェルちゃんが説明してくれるなら、何時間だって聞けると思うよ」

 やっぱり錬金術は得意じゃないけど、シェルちゃんと会ってからは少しとっつく気にはなったかな、と微笑むレクス先輩に、私はぎゅうと胸が締め付けられた。
 彼が錬金術が苦手だと知ってからは、できるだけ自分の趣味を押し付けるようなことは避けようと一方的に気をつけていたけれど、それでもうっかり語りすぎてしまったかなと不安になったとき、彼はいつでも笑って聞いてくれていた。
 それがずっと不思議だったけれど、すごく嬉しくて、……そういうところが、とても好きで。これ以上を望むなんてばちが当たると思うから、私はいつだって聞きたいことを飲み込んでしまうのだ。

「あ、ほら、あそこの小説の棚の隣。シェルちゃんのお目当てじゃない?」

「は、はいっ」

 ふいに彼が、当たり前のように私の手を引いたから、返事が思わず上擦ってしまった。いくつも剣だこがあるその大きくて温かい掌に、ただ手を繋いだだけのことでばくばくと心臓の音が速くなっていって、どうか聞こえていませんようにと願わずにはいられない。

 手汗とか大丈夫かな、と不安を抱いていると、棚の前まで導いてくれたその手はあっさりと離れていった。本を選ぶのに両手が使えないのは不便だろうという配慮だと分かっているのに、あ、と小さく名残惜しげな声を漏らして、その手を目で追ってしまう。
 それに気が付かなかったらしいレクス先輩は、既に眉根を寄せた難しげな顔で、淡い光を放つ本の背表紙達を見つめていた。

……ここで、もうちょっとだけ手を繋いでいたいと、素直に言えるような勇気があったらよかったのにな。
 心の中でいくじなし、と自分に呟いてから、私はレクス先輩に倣ってお目当ての本棚へと視線を向けた。途端目に飛び込んできた魅力的なタイトル達に、少しばかり落ち込んでいた心が現金にもじんわりと癒されていく。
 彼が難しい顔をするのも無理はなくて、兎に角その本棚の一角は雑然としていた。

 紺や紫といった落ち着いて無難な色合いの背表紙の横に、分厚いショッキングピンクの本が並んでいたり、明らかに怪しいタイトルの本が並んでいたり。本の大きさから厚みまでばらばらの混沌としたそれは、レクス先輩でなくたって好き嫌いの分かれる分野であるということを分かりやすく示している。
 それでも、錬金科である私にはそこがきらきらと輝くお宝の山に見えていた。

 試しにと派手な色で分厚い「錬金薬レシピ全集」と銘打たれた本を手に取ってページを捲ってみれば、そこは錬金薬の作り方を説明する文字と図解でびっしりと埋め尽くされていた。
 体力増強や、集中力の増加といった実用的なものもあれば、好きな人と結ばれる、望んだ夢が見られるなんておまじないに近いもの。はたまたそのすぐ隣のページに異世界や平行世界と繋がると謳った突飛なものまでが載っていて、その混沌に私は胸を躍らせた。
 大きい泥ガエルに変身する錬金薬のレシピが目に入って、子供の時真っ先に試した懐かしいそれに思わず口元を緩める。

 錬金術と聞くと、馴染みのない人は何だかお堅い学問を思い浮かべることが多いようだけれど、とんでもない。むしろ魔力に関連する学問の中で、これほど異質なものはないと言ってもいいかもしれない。
 雑然、混沌、そして正規の手順を踏んで出版された書籍かどうかすら運次第。そうしてその混沌に心が躍る変わり者たちが、また新たな錬金薬を生み出していくのだ。
 私が夢中で読み耽っていると、横からそれを覗き込んだレクス先輩が小さくため息をついた。

「……シェルちゃんが楽しそうなのは良かったけど、やっぱり俺には錬金術の本は難しいかも。字が細かくてどこからどこまでがそのレシピの説明なのか分かんないし、そもそも用途が不明のものも多いし……このカツラが回転する錬金薬とか、材料が相手の頭髪なんだけど。どうやって作んのこれ」

「こ、この感じが好きで……あのでも、レクス先輩も自分の見たい本探してくださって大丈夫ですよ。私もゆっくり選びたいですし、せっかく図書室に来たんですから、先輩にも素敵な本との出会いがあったら嬉しいです」

 騎士科である彼は身体を動かすことの方が好きらしく、あまり熱心に読書をするタイプではないと知っているけれど、それでもこれだけ広い図書室の中なら何かいい出会いがあるかもしれない。私の説得に、レクス先輩は少し逡巡した後に頷いて返した。

「……まあ、シェルちゃんがそう言うなら、少し隣の棚でも見てようかな。シェルちゃんも好きなだけ見てていいし、気が済んだらいつでも声掛けてね」

「はい、ありがとうございます」

 微笑んで軽く手を振った先輩は、隣の小説が並べられた棚に向かったけれど、それでもすぐ声が届くような距離だ。せっかく広い図書室なのだし、もっと先輩が興味のありそうな分野を探しに行ってくれても良かったのだけれど、これ以上言い募っても先輩の厚意を無下にするようだしと、私は大人しく本棚と向き合い宝の山の物色を始めた。
……密かに子供のようにはしゃいでいる私を横目で見て、先輩が柔らかな笑みを浮かべていたことには気が付かないまま。
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