41 / 50
41.愛してる
しおりを挟む
彼が、少しだけ目を見開いて、涙を拭っていた指先が止まる。その美しいターコイズブルーの瞳を一心に見つめて、私はしゃくりあげながら、駄々をこねるように訴えた。
今の私をあの時の女性が見たのなら、成長したのに何も変わっていないと呆れてしまうかもしれない。……でも、でも、どうしても。
「ずっと、ずっと、このまま、……レクスせんぱいと、いたい。……ぜんぶにせものでも、それでも、……ふたりでいれば、きっとさみしくないから、だから」
ローブをきつく握りしめて、まるで我儘を言う子供みたいに泣きじゃくる私に、彼はほんの少しだけ、迷うように瞳を揺らして。
けれど、僅かに唇を震わせて、きつく胸元を握りしめた彼は、……私の手を取ることはなく、ただくしゃりと、泣きそうな笑みを浮かべた。
「……すごく、すごく魅力的なお誘いだけど。駄目だよ、待ってる人がいるから」
彼の声は優しいのに、そこにはとても頑なな意思が籠っていて、……私なんかじゃそれは覆せないことを、よく知っていて。それでもとても受け入れることなんてできなかったから、私は顔を真っ赤にしてぼろぼろと涙を溢した。
彼が困ったように何度も拭ってくれるのに、その仕草にどうしようもない愛しさが滲んでいて、そんなの止まってくれるわけがない。
「っやだ、やだあ……っ」
「──シェルちゃん、」
「……っおねがい、いわないで、ききたく、ない、」
あんなに、彼に言って欲しかったはずの言葉で。ずっとずっと、そのたったの五文字がほしくて、努力していたはずだった。……でも、今は。
その言葉がどんな意味を持つのか、私はもう知ってしまったから。恋人同士ならきっと簡単に達成できる条件だからと、安易に決められたそれが、今では酷く残酷なものに思えた。
拒絶するように耳を塞いだ私に、彼は少しだけ震える息を吐き出すと、そっと、私のことを引き寄せた。その躊躇いがちな手つきが、恨んでしまいたくなるくらいに優しくて、だからとても、拒むことなんてできなくて。
壊れ物みたいに腕の中に閉じ込められて、八つ当たりみたいに彼の胸に額を擦り付けるのに、その温もりがどうしようもなく愛しかったから、また涙が溢れていく。
諦めたように耳を塞いでいた手を外して彼の胸に縋り付けば、彼はほんの少しだけ、私の頭に頬を擦り寄せた。
しゃらりと、彼のピアスの装飾がぶつかる軽やかな音がして、彼のものなのか、花のものなのかも分からない甘く優しい香りが、慰めるように舞い上がる。こうしていられるだけで、確かに溢れてくる想いがあって、彼に触れていられることが、幸せで。
……今なら、それだけでいいと、心から思えるのに。──彼もきっとそうだったなんて、全部、本当に今更だった。
「……自業自得だけど。でも、本当は、ずっと伝えたかった。──やっと、言える……」
万感の想いが込められたその声は震えていて、聞きたくないのに、それでも受け取らなければいけないものだと、どうしようもなく理解していたから。
だから私はただ彼の温もりに縋り付いて、きつく目を瞑った。もうどうしようもできないと分かっていても、唯一できる最後の抵抗みたいに。……それは頭痛と共に響いた声が、教えてくれたこと。
この幸せな夢から、覚める条件は、
「──愛してる、シェルタ。……さようなら」
『レクスがシェルタに、愛を告げること』
彼がその言葉を口にした瞬間に、ぶわ、と風が巻き上がって、はっと息を呑んだ瞬間にはもう、あれだけすぐ側にあったはずの彼の温もりは離れてしまっていた。
重力に逆らって、雪と見紛うような美しい白い花弁が巻き上がり、欠けることのない満月に吸い込まれるようにして天に昇っていく。それは泣いてしまうそうなほどに美しくて、それなのに酷く、切ない光景だった。
どんどん視界を遮り埋め尽くしていく花弁の向こう側で、彼が寂しげな笑みを浮かべているのが見えて、私は必死になって手を伸ばした。
何かを叫ぼうと口を開いても、もう声は出てくれなくて、盛り上がった涙が花吹雪と共に攫われていく。
──……あれだけ、私の言葉を欲しがったくせに。何度も何度も強請ったくせに、こういうときばかり何も言わせないなんて不公平だ。
やっと、聞くことができたのに。私も、まだ彼に、……伝えたいことが、あるのに。
別棟も、学園も地面も、全てが均衡を失って、ゆっくりと崩れていく。夜空に輝く星々と欠けることのない満月に、大きな亀裂が入るのが遠く見えて、ただそこに残されたスノウモルの大木だけが、まるで誰かの代わりに泣いているみたいに、尽きることなく花弁を降らせていた。
花弁の隙間から、ターコイズブルーの瞳が私を捉えて、愛しさを滲ませたそれがゆっくりと細められる。ふと彼が腕を上げて、その掌の中に、雫型の魔石が収まっているのが見えて思わず目を見開いた。
……大怪我をした彼の元を離れなければいけなかった時、せめてもと思って置いていった、私の。
視界を遮るほどに舞い踊る白い花弁の先で、彼がゆっくりと目を伏せて、まるで何かを誓うように厳かに、そっと魔石に唇を寄せた。
「─────」
彼の唇が短く何かを模って、ふわりと青い光が灯った気がしたのに、やがて花弁に遮られ、その姿さえも見えなくなる。
ただ彼が、遠く、遠く離れていくのを感じて、私にはそれが全てで。胸が張り裂けそうなくらいに痛くて仕方なくて、けれどどれほどに泣いたって、……もう、幸せな夢は終わってしまったという現実だけが、そこに横たわっていた。
何もかも、彼と過ごした日々を示す全てが、花嵐に攫われて儚く崩れていく。天へと届いた花弁に驚いたように月が落っこちてまた陽が昇り、争うようにそれを繰り返していれば、煽られたように空に割り入る亀裂が広がった。
けれど今にもそれが崩れて、空の破片が降り注ぐというその時に、……まるでそれを支えるかのように、どれほどに見上げてもその全貌を把握できないほどに大きな、紫の光を帯びた精緻な魔法陣が空一杯に広がって、どこか遠くから、早く、という聞き覚えのある声が響いた気がした。……そしてそれに応えるような、小さな猫の鳴き声も。
そこから、何がどうなったのか、私には分からない。目の前の景色が目まぐるしく入れ替わって、朝も晩も、過去も未来もそこにはあって、全てがごちゃまぜになってやがて収束して。
音の全てが遠くへ消え去って、それを追いかけるように、花の嵐も遠ざかっていった。
……ただ。意識が解ける直前まで、どこに行けばいいのかも分からず子供のように泣き続ける私を、小さな猫の鳴き声が、導き続けてくれていたような気がして。
泣き疲れて、地面に横たわり目を閉じれば、酷く懐かしい温かい手のひらが頭に触れる感覚が、その温度が、慰めのように疲弊した心に染み渡った。
ぽん、と労うように手を置いてから、私の髪をひと束掬って馴染んだ重みを結いつけ、その誰かの手は名残惜しむように離れていく。
──約束、守れたじゃないか、という、とても慕わしくて柔らかい声と共に。
今の私をあの時の女性が見たのなら、成長したのに何も変わっていないと呆れてしまうかもしれない。……でも、でも、どうしても。
「ずっと、ずっと、このまま、……レクスせんぱいと、いたい。……ぜんぶにせものでも、それでも、……ふたりでいれば、きっとさみしくないから、だから」
ローブをきつく握りしめて、まるで我儘を言う子供みたいに泣きじゃくる私に、彼はほんの少しだけ、迷うように瞳を揺らして。
けれど、僅かに唇を震わせて、きつく胸元を握りしめた彼は、……私の手を取ることはなく、ただくしゃりと、泣きそうな笑みを浮かべた。
「……すごく、すごく魅力的なお誘いだけど。駄目だよ、待ってる人がいるから」
彼の声は優しいのに、そこにはとても頑なな意思が籠っていて、……私なんかじゃそれは覆せないことを、よく知っていて。それでもとても受け入れることなんてできなかったから、私は顔を真っ赤にしてぼろぼろと涙を溢した。
彼が困ったように何度も拭ってくれるのに、その仕草にどうしようもない愛しさが滲んでいて、そんなの止まってくれるわけがない。
「っやだ、やだあ……っ」
「──シェルちゃん、」
「……っおねがい、いわないで、ききたく、ない、」
あんなに、彼に言って欲しかったはずの言葉で。ずっとずっと、そのたったの五文字がほしくて、努力していたはずだった。……でも、今は。
その言葉がどんな意味を持つのか、私はもう知ってしまったから。恋人同士ならきっと簡単に達成できる条件だからと、安易に決められたそれが、今では酷く残酷なものに思えた。
拒絶するように耳を塞いだ私に、彼は少しだけ震える息を吐き出すと、そっと、私のことを引き寄せた。その躊躇いがちな手つきが、恨んでしまいたくなるくらいに優しくて、だからとても、拒むことなんてできなくて。
壊れ物みたいに腕の中に閉じ込められて、八つ当たりみたいに彼の胸に額を擦り付けるのに、その温もりがどうしようもなく愛しかったから、また涙が溢れていく。
諦めたように耳を塞いでいた手を外して彼の胸に縋り付けば、彼はほんの少しだけ、私の頭に頬を擦り寄せた。
しゃらりと、彼のピアスの装飾がぶつかる軽やかな音がして、彼のものなのか、花のものなのかも分からない甘く優しい香りが、慰めるように舞い上がる。こうしていられるだけで、確かに溢れてくる想いがあって、彼に触れていられることが、幸せで。
……今なら、それだけでいいと、心から思えるのに。──彼もきっとそうだったなんて、全部、本当に今更だった。
「……自業自得だけど。でも、本当は、ずっと伝えたかった。──やっと、言える……」
万感の想いが込められたその声は震えていて、聞きたくないのに、それでも受け取らなければいけないものだと、どうしようもなく理解していたから。
だから私はただ彼の温もりに縋り付いて、きつく目を瞑った。もうどうしようもできないと分かっていても、唯一できる最後の抵抗みたいに。……それは頭痛と共に響いた声が、教えてくれたこと。
この幸せな夢から、覚める条件は、
「──愛してる、シェルタ。……さようなら」
『レクスがシェルタに、愛を告げること』
彼がその言葉を口にした瞬間に、ぶわ、と風が巻き上がって、はっと息を呑んだ瞬間にはもう、あれだけすぐ側にあったはずの彼の温もりは離れてしまっていた。
重力に逆らって、雪と見紛うような美しい白い花弁が巻き上がり、欠けることのない満月に吸い込まれるようにして天に昇っていく。それは泣いてしまうそうなほどに美しくて、それなのに酷く、切ない光景だった。
どんどん視界を遮り埋め尽くしていく花弁の向こう側で、彼が寂しげな笑みを浮かべているのが見えて、私は必死になって手を伸ばした。
何かを叫ぼうと口を開いても、もう声は出てくれなくて、盛り上がった涙が花吹雪と共に攫われていく。
──……あれだけ、私の言葉を欲しがったくせに。何度も何度も強請ったくせに、こういうときばかり何も言わせないなんて不公平だ。
やっと、聞くことができたのに。私も、まだ彼に、……伝えたいことが、あるのに。
別棟も、学園も地面も、全てが均衡を失って、ゆっくりと崩れていく。夜空に輝く星々と欠けることのない満月に、大きな亀裂が入るのが遠く見えて、ただそこに残されたスノウモルの大木だけが、まるで誰かの代わりに泣いているみたいに、尽きることなく花弁を降らせていた。
花弁の隙間から、ターコイズブルーの瞳が私を捉えて、愛しさを滲ませたそれがゆっくりと細められる。ふと彼が腕を上げて、その掌の中に、雫型の魔石が収まっているのが見えて思わず目を見開いた。
……大怪我をした彼の元を離れなければいけなかった時、せめてもと思って置いていった、私の。
視界を遮るほどに舞い踊る白い花弁の先で、彼がゆっくりと目を伏せて、まるで何かを誓うように厳かに、そっと魔石に唇を寄せた。
「─────」
彼の唇が短く何かを模って、ふわりと青い光が灯った気がしたのに、やがて花弁に遮られ、その姿さえも見えなくなる。
ただ彼が、遠く、遠く離れていくのを感じて、私にはそれが全てで。胸が張り裂けそうなくらいに痛くて仕方なくて、けれどどれほどに泣いたって、……もう、幸せな夢は終わってしまったという現実だけが、そこに横たわっていた。
何もかも、彼と過ごした日々を示す全てが、花嵐に攫われて儚く崩れていく。天へと届いた花弁に驚いたように月が落っこちてまた陽が昇り、争うようにそれを繰り返していれば、煽られたように空に割り入る亀裂が広がった。
けれど今にもそれが崩れて、空の破片が降り注ぐというその時に、……まるでそれを支えるかのように、どれほどに見上げてもその全貌を把握できないほどに大きな、紫の光を帯びた精緻な魔法陣が空一杯に広がって、どこか遠くから、早く、という聞き覚えのある声が響いた気がした。……そしてそれに応えるような、小さな猫の鳴き声も。
そこから、何がどうなったのか、私には分からない。目の前の景色が目まぐるしく入れ替わって、朝も晩も、過去も未来もそこにはあって、全てがごちゃまぜになってやがて収束して。
音の全てが遠くへ消え去って、それを追いかけるように、花の嵐も遠ざかっていった。
……ただ。意識が解ける直前まで、どこに行けばいいのかも分からず子供のように泣き続ける私を、小さな猫の鳴き声が、導き続けてくれていたような気がして。
泣き疲れて、地面に横たわり目を閉じれば、酷く懐かしい温かい手のひらが頭に触れる感覚が、その温度が、慰めのように疲弊した心に染み渡った。
ぽん、と労うように手を置いてから、私の髪をひと束掬って馴染んだ重みを結いつけ、その誰かの手は名残惜しむように離れていく。
──約束、守れたじゃないか、という、とても慕わしくて柔らかい声と共に。
0
あなたにおすすめの小説
完結 愚王の側妃として嫁ぐはずの姉が逃げました
らむ
恋愛
とある国に食欲に色欲に娯楽に遊び呆け果てには金にもがめついと噂の、見た目も醜い王がいる。
そんな愚王の側妃として嫁ぐのは姉のはずだったのに、失踪したために代わりに嫁ぐことになった妹の私。
しかしいざ対面してみると、なんだか噂とは違うような…
完結決定済み
エリート警察官の溺愛は甘く切ない
日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。
両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉
靴屋の娘と三人のお兄様
こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!?
※小説家になろうにも投稿しています。
一途な皇帝は心を閉ざした令嬢を望む
浅海 景
恋愛
幼い頃からの婚約者であった王太子より婚約解消を告げられたシャーロット。傷心の最中に心無い言葉を聞き、信じていたものが全て偽りだったと思い込み、絶望のあまり心を閉ざしてしまう。そんな中、帝国から皇帝との縁談がもたらされ、侯爵令嬢としての責任を果たすべく承諾する。
「もう誰も信じない。私はただ責務を果たすだけ」
一方、皇帝はシャーロットを愛していると告げると、言葉通りに溺愛してきてシャーロットの心を揺らす。
傷つくことに怯えて心を閉ざす令嬢と一途に想い続ける青年皇帝の物語
イケメンエリート軍団??何ですかそれ??【イケメンエリートシリーズ第二弾】
便葉
恋愛
国内有数の豪華複合オフィスビルの27階にある
IT関連会社“EARTHonCIRCLE”略して“EOC”
謎多き噂の飛び交う外資系一流企業
日本内外のイケメンエリートが
集まる男のみの会社
そのイケメンエリート軍団の異色男子
ジャスティン・レスターの意外なお話
矢代木の実(23歳)
借金地獄の元カレから身をひそめるため
友達の家に居候のはずが友達に彼氏ができ
今はネットカフェを放浪中
「もしかして、君って、家出少女??」
ある日、ビルの駐車場をうろついてたら
金髪のイケメンの外人さんに
声をかけられました
「寝るとこないないなら、俺ん家に来る?
あ、俺は、ここの27階で働いてる
ジャスティンって言うんだ」
「………あ、でも」
「大丈夫、何も心配ないよ。だって俺は…
女の子には興味はないから」
異世界で王城生活~陛下の隣で~
遥
恋愛
女子大生の友梨香はキャンピングカーで一人旅の途中にトラックと衝突して、谷底へ転落し死亡した。けれど、気が付けば異世界に車ごと飛ばされ王城に落ちていた。神様の計らいでキャンピングカーの内部は電気も食料も永久に賄えるられる事になった。
グランティア王国の人達は異世界人の友梨香を客人として迎え入れてくれて。なぜか保護者となった国陛下シリウスはやたらと構ってくる。一度死んだ命だもん、これからは楽しく生きさせて頂きます!
※キャンピングカー、魔石効果などなどご都合主義です。
※のんびり更新。他サイトにも投稿しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる