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第二十章 失踪(ルーカス/ミランダルート)

200.秘密のアジト

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「エッ、エニアスさん……」


 洞窟の入り口からまだ数歩進んだだけである。

 もうそこには月明かりさえ届かず、自分の足元どころか、鼻先すら見る事も叶わない暗闇がただ静かに横たわっていた。

 人は全ての視界が奪われると、その上下感覚すらおかしくなるのかもしれない。

 ルーカスは、寄る術の無い虚無の空間を、ただあてもなく、ひたすら漂っている様な恐怖感にさいなまれる事となる。

 唯一の救いは、彼の左隣。

 そこには、彼の左腕を抱きかかえながら、彼を信じて付いて来てくれる少女がいるのだ。

『何があろうと彼女を守る』……そう、心に誓ったルーカスである。この程度の事で弱音を吐く事など出来ようはずも無い。


「ミッ、ミランダ……ぼぼぼ、僕が付いてるから大丈夫だよ。何があっても、へへ、平気だからねっ」 


 彼は精一杯の虚勢を張りつつも、恐らく怯えているであろう彼女の方へと振り返った。


「あっ、ルーカスゥ、足元危ないよぉ。そこちょっとそこへこんでるから。それに、ほらほら、急がないとエニアスさん、行っちゃうよぉ」


「へぁ?」


 彼の左肩。そこにはエメラルドグリーンに輝く光の玉が二つ。真っ暗闇の空中に彷徨いながら浮かんでいるでは無いかっ!


「ふおぅっ!」


 思わず体を海老反りにして、その光の玉を避けようとするルーカス。


「何やってるのぉ。私よ、ワ・タ・シ! ミランダよっ! もぉ、ルーカスったら、だらしが無いわねぇ。ふふふっ!」


「はわわわわ、ミランダ? この光の玉は、ミランダなの? どうして? どうしてこんなんなっちゃったの?」


 あまりの衝撃に、半分何を言っているのか訳が分からなくなるルーカス少年。


「もぉ、ルーカス慌てすぎぃ。これは私の目だよぉ。それに、私達は割と夜目が利くから、このぐらいなら大体見えるんだよぉ。あははっ、おっかしいのぉ」


 ミランダはなおも楽しそうに笑っている。

 そして、彼女が笑う度に、空中のエメラルドグリーンに輝く二つの玉が明滅するのだ。


「ふぉぉぉ、吃驚びっくりしたぁぁ」


 今度は逆に、彼女の腕を手繰り寄せる様にして、胸に抱えるルーカス。


「あぁん、もう、ルーカスったら、積極的ねぇ」


 急に腕を掴まれ、驚きを隠せないミランダ。

 しかし、彼女からは少し怯えた様子のルーカスの表情が手に取る様に分かるのである。

 そんなルーカスの表情と行動が、彼女の母性本能に火を付ける。


「もぅ、よちよち。ルーカスちゃんは、ママが恋しいのよねぇ。私がママになってあげるからねっ」


 ミランダはとっても楽しそうにルーカスの頭を抱きかかえながら、その頭をゆっくりと撫で始めたのである。


「ほらほら、泣かないの? あらぁ? どうしたの? お腹が空いたの? おっぱい飲む?」


 ここまでくれば完全に『おままごと』である。

 もし、日中にそんな事をされたとしても、恥ずかしすぎて、とても付き合ってなどいられないはずなのだが、ここは暗闇であり、しかもには二人きり。彼の中の羞恥心は既にこの暗闇の中で行方不明となっている。

 しかも、彼女の言葉が極めつけだった。『……おっぱい飲む?』

 もちろんルーカスとしては是非頂きたいし、万難を排してご相伴に預かりたいものである。


「うん、飲みまちゅ!」


 ついにのセリフを吐いてしまうルーカス。


 ――ホウッ


 と、その瞬間、周囲が昼間の様な明るい光に照らし出されたのである。


「はうはうはう!」


「ルーカスさん。今は割と急いでいる所です。お姉さんの容態も落ち着いているとは言え、改善した訳じゃありやせん。乳繰ちちくり合うのは、もう少し落ち着いてからにしてもらえやすか?」


 ルーカスの数歩先、そこには、オイルランプを片手にあきれた様に立ち尽くすエニアスの姿があった。

 先に洞窟内へと入ったエニアスは、わざわざ明かり携えて、中々入って来ない二人を迎えに来てくれたのである。

 先ほどは昼間の様に……とも思われたその光は、オイルランプの細々としたともしびでしかなかったのである。あまりの闇の深さに、その僅かな光ですら、明るく感じられたのであろう。 


「はぁぁぁ、すみません。エニアスさん」


「えへへへ。ごめんなさい。エニアスさん」


 二人は揃って頭を下げると、急いでエニアスの元へと駆け寄って行く。

 無事、自分の近くまで二人が来た事を確認したエニアスは、やおらオイルランプを洞窟の右手の壁へと翳し始めた。


「少し分かり辛いのですが……ほら、ここに横穴があるんです」


 確かにエニアスが翳すオイルランプの先には、ひと一人がようやく通れるぐらいの横穴が穿たれていたのである。


「この奥が、マヴリガータの秘密のアジトになってやす」
 

 エニアスはそう告げると、二人を先導する様にその横穴の中へと入って行こうとする。


「あぁ、それから、入り口には『結界』が張られておりやす。入る時に少し『ピリッ』としますんで、注意して下さい」


 何の事だか分からないまでも、とにかく頷きながらエニアスの後へと続く二人。


「はうっ!」「キャッ!」


 確かに横穴の中に一歩足を踏み込んだとたん、脹脛ふくらはぎの辺りに『ピリッ』とした痛みが走る。


「元々この洞窟には、レッサーウルフの群れが住み付いてるんですよ。そのお陰もあって、誰もこの洞窟には近寄りやせん。ただ、この横穴は『結界』の効果もあって、レッサーウルフ達は入って来ない様になってるんです」


 ランプを片手に『結界』の理由を説明するエニアス。

 そして、距離にして数メートル。通路の様な横穴を抜けると、そこにはかなり大きな空洞が広がっていた。


「わぁぁ、意外と中は広いんですねぇ」


 今入って来たばかりの横穴とは比較にならない程に広いその空間は、やろうと思えば、小さな家一軒丸ごと収められる程の大きさを誇っていた。更に天井に至っては、かなりの高さがあるのだろう。その天頂部分は、小さなランプの光では照らし出す事も出来ず、深い闇に覆われたままとなっている。


「えぇ、ここはどうやら縦穴になっているらしいですね。朝日が昇ると、天井の一部から光が差し込んで来やす。なので、雨が降れば壁伝いに雨水を集める事も出来やすが……」


 エニアスはそう言いながら、壁際に置いてある樽の蓋を持ち上げてみる。


「残念ながら、最近良い天気が続いてやしたから、水がありませんね。後で誰かに運ばせやしょう」


 エニアスはそう言いながら、手近な樽や棚の中を物色中だ。どうやら、かなり長い間使われていなかったのだろう。棚や樽の上には、かなりの埃が堆積している様にも見える。


「……お姉ちゃん」


 ルーカスが後ろを振り返ると、壁際の方に並べられている複数の簡易ベッドの内の一つに、薄紅色の髪を持つ彼女の姉が静かに横たえられていたのだ。

 早速、姉の方へと駆け寄るミランダ。


「あぁ、ミランダさん。ちょっと急な話だったものですから、ここには使えそうな水や食料が全然ありやせん。なるべく早く戻って来やすので、それまではここでお姉さんの様子をてあげていて下さい」

「それから、用を足す際は、右手奥の方に一段下がった場所がありやす。そこは海面が見えているはずですので、そちらでお願いしやす。ただ、暗くなってますので、くれぐれも海にだけは落ちない様に気を付けて下さい」


 ミランダは無言のまま、大きく頷いている様だ。

 その様子を満足そうに眺めるエニアス。


「それじゃあ、ルーカスさん。もう一仕事、お願い出来やすか?」


「へいっ!」


 元気よく返事をするルーカス。

 この場所アジトがかなり安全な場所であると理解したルーカスは、先程まで感じていた不安も何処へやら、急に元気が漲って来た様だ。


「それじゃあ、ミランダ。ちょっと行って来るよ。必ず戻って来るから、ここで待っててねっ」


「うん。分かった。待ってる。ルーカスも気を付けてねっ」


 ミランダからの励ましの言葉を背に受け、ルーカスはエニアスの後を追って横穴の方へと駆け出して行ったのだった。

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