TS女子になるって、正直結構疲れるもんですよね。

星加のん

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第四章 Love And Hate

第93話 見つめていたい

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「古来より、兎には様々な伝説や伝承があります。特に東アジアでは月と兎は切っても切れない関係と言えます」

 朧さんの話は、脈略のないように聞こえる昔話から始まった。

 月と兎といえば、杵持って兎が月で餅搗いてるっていう話のことかな?

 朧さんの話は続く。

「日本では兎は月で餅を搗いていると言われます。中国では杵を持った兎が不老不死の霊薬を作っていると言われています」

「へぇ~。それは知りませんでした」

 それにしてもこの雑学的なお話は、本筋と関係があるのだろうか……。
 朧さんってなんか無駄な拘りがあるから、ちょっと不安に思ったが、一応口を挟まず話の続きを伺う。

「古代サンスクリット語では月のことを兎を持つものとか、兎の印を持つものと表現します。というのも、これらの伝承の元になっているのは、インドの仏教説話とされています。兎が自分の身を食物として差し出したその自己犠牲への報いとして、帝釈天が月へ昇らせたという逸話です。しかし実は同様の逸話が、アステカやネイティブアメリカンたちの間にも受け継がれていて、日本でも今昔物語集に収められています」

 ほぉ。世界中で同じ話が伝承されているとは興味深い。文化人類学や民俗学的な話としては。
 問題は、それが話の本筋と関係あるのかどうかなんだが……。
 焦れながらもグッと我慢して話の続きに耳を傾ける。

「そんな兎ですが、古事記に有名な因幡の素兎という逸話が収められているのはご存知でしょう。その話の中では兎は狡猾な嘘をついて鰐を騙したかと思うと、次には八十神にまんまと嵌められて痛い目を見ます。そうかと思えば大国主命おおくにぬしのみことの結婚を予言したりと、コロコロとそのキャラクターを変えていきます」

 ふんふん。そのエピソードは知ってる。
 んで?

「それが兎です」

「……?」

「兎です」

「は?」

 そんな、「朧です」みたいに言われても……。

「ここまでの話はいいでしょうか? よければ……」

「はい、参考書戻しました。続きをどうぞ!」

 朧さんに最後まで言わせることなく、こっちから手順を示してやった。
 まどろっこしいんだよ、まったく。続き早よ。

「コホン……。えー、では続きを……。古来より我々月の一族は兎とは切っても切れない腐れ縁と申しますか……しばしば利用してきたのが兎でして……かと言って裏切られることもしばしば。それでもなお月は兎を飼う因果に縛られているのです」

 今ひとつ釈然としない説明だけども、要はうさぎ屋は十一夜家が利用したり裏切られたりを繰り返している因縁の相手ってことなのかなぁ?

「そして兎にも白兎黒兎、その他いろいろあります。それぞれが違う思惑で動いていて、月の一族も同様です。ある一族の思惑で兎を使っていても、別の一族にとっては不利益であったり、またその逆であったりと、兎に角複雑なのです。月の一族が直接動くと互いの利益不利益で衝突しかねませんが、兎を使うことで直接衝突することを避ける緩衝材としている面もあり、簡単にはいきません」

「それじゃあ、秘密結社うさぎ屋はその朧さんたちが兎と呼んでる存在の中の一派ということですか?」

「……肯定です」

 少し間があった。言ってもいいものか逡巡があったが、ここまでバレてるんじゃ仕方ないかと思ったんだろう。

「なるほどぉ………それで今のうさぎ屋は敵に回っていると……そういうことになりますか……?」

「……肯定です」

 表情をほとんど変えない朧さんが、珍しく苦虫を潰したような顔をした。
 細かな事情は分からないが、十一夜家を含む朧さん言うところの月の一族と、兎の一族とをめぐる因縁には、闇の歴史が絡む根深いものがあるのだろうことは察せられる。

「それで、桐島さんの親戚筋の兎拂とばらい家も兎の一派ってことになるんですか?」

「そこはお答えできません。お調べになる分には、ご自由に、どうぞ……」

 はい、すみれさんの暗躍確定……。
 武蔵たけぞうさんが頭を抱えるの図が目に浮かぶ。

 ふむ。そうかぁ………なんだかややこしい歴史的背景があるご様子。

 因みにうさぎ屋とMSとの結び付きはどうなんだろうか、気になるところだけど、訊いてもいいのかな……。

「あのぉ……MSとうさぎ屋は結託してる感じですか?」

「MSとうさぎ屋は利権を巡ってくっついたり離れたりを繰り返しているようです。そこは兎ですから。奴らに関しては、“ノイマンの返信”を巡って争っているとの情報があります」

「ノイマンの返信?」

「はい。天才数学者だったジョン・フォン・ノイマンです。1950年代、同じく数学者であったクルト・ゲーデルはある定理の解き方について、意見を求める手紙を病床のノイマンに宛てました。その返信が実在する証拠はありませんが、もしノイマンが健康な時に手紙がお送られていたなら、いわゆるP対NP問題はとっくに解決されていたであろうと言われています」

「P対NP問題……ですか?」

 なんのこっちゃだ。そんな専門的な話をされてもさっぱり分からないけれど、多分凄いことなんだろう。その大事な鍵となる手紙を取り合ってるわけか。

「はい。多くの数学者はP≠NPであろうと予想していますが、今のところ証明する手立ては見つかっていません。そしてもし主流の予想に反してP=NPだと証明された場合には、あらゆる複雑演算を爆速で行うことが可能になると言われています」

 はぁ~。多分思いっきり端折ってザクッと説明してくれたのだろうけど、革命的なことだということははっきり分かった。

「あ……。MSは生命の神秘の研究を、そして伝承に沿えば兎は不老不死の研究を……? その為には膨大な計算が必要だったり……? あぁ……そういうことか……」

「肯定です。それで奴らはくっついたり離れたり、その時々でメリットを追い求めているということです」

 なるほどぉ……何だか色々と糸が繋がったぞ。パズルのピースが随分揃ってきた感じだ。
 あとは足りないピースを見極めて集めて、それをどう当てはめていくかだ……。

 凄いっ!
 ここに来て急展開していることに、わたしは言い知れぬ高揚感を覚えずにはいられなかった。

「兎はあくまで目的が金や利益です。でもMSはそうじゃない。金の為に動いたとしても、それはあくまで目的の為の手段に過ぎない。奴らの目的は生命の神秘の究明です。その為にはなんでもやる連中だ……本当に危険なのは奴らです……」

 そう呟いてどこだか分からない遠くを見つめる朧さん。
 なんかちょっとかっこいい感じ出してるぞ。

 わたしは目の前の参考書を一冊取り出して左手に持ち替えてみたり、ページを捲ってみたり、また棚に戻してみたりしたが、朧さんは暫くの間、どこだか分からない遠くを見つめたままだった。

 視線の先には本しかないのに。
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