TS女子になるって、正直結構疲れるもんですよね。

星加のん

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第五章 パラレル

第154話 大油田交響曲

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 今私は、例の怪しげなおじさんと共に黒塗りのメルセデスに同乗中だ。
 MSの施設があるという房総方面に向かってしばらくの間走ることになるだろうけど、このおじさんと二人で楽しい道中になるイメージが湧かない。
 車中にはわたしとMSのおじさんと、そして運転手さんの三人だけだ。

 さて、この日に備えて十一夜家は朧さんを中心に色々とリサーチや計画を立ててくれたようだ。
 わたしには必要最低限のことしか知らされていないが、必要以上に知ったところで混乱をきたすだけなので問題ない。
 十一夜君のお手製編みぐるみキーホルダーは当然肌身離さず持っておくように言われているが、今回はそれだけでなくGPSカプセルなるものを渡されている。
 今日の朝飲むように言われていて、24時間から72時間ほどで排泄されてしまうそうだ。
 ただ、超小型なのでバッテリーが18時間程度しか保たないそうで、GPSとして機能するのもその時間内ということになる。
 まぁ、万が一に備えてというものなので、基本お世話になることもないかと思うが、言いつけ通り今朝食後に飲んでおいた。

 そしてもうひとつすごい通信装置を装着されている。
 奥歯に被せる形になっていて、見た目は普通に歯だ。
 ところがこれが骨伝導によって音漏れなく朧さんからの通信を聴くことができるというすごい代物だ。めちゃハイテクな現代型スパイって感じ。
 何かスパイ映画にでもキャスティングされたような気分だが、もちろん浮かれてる場合ではない。

 そして車は高速道路へ。
 そういえばこのおじさん、名前を名乗らない。特に名前を呼び合うほどの間柄ではないけども、向こうはわたしが華名咲の人間であることを知っている。
 わたしはこの人がMSの人間ということは知っているけど、名前すら知らないんだよなぁ。

「あのぉ……」

「はい、何でしょう?」

「お名前、伺っても?」

「あぁ~、これは大変失礼しました。わたし、まだ名乗っていませんでしたかね。わたくしこういう者です」

 そう言って男は名刺をよこした。

油田あぶらだ修巳おさみさん」

 肩書が生命神秘研究所所長となってる。
 所長さんのくせに結構あちこち出歩いてる気がするけどいいの? まぁ、わたしにとってはどうでもいいことだけど。

「えぇ、油田です。名前はギトギトした印象ですが、わたし自身はサバサバした人間ですよ」

 うわ、出た。自称サバサバ系。
 女子だったら地雷のタイプだわ。
 わたしサバサバしてるからって自分で言う女と、わたし中身おじさんだからっていう女は地雷の確率高いっていうのは、自分が女になってからの経験則だ。

「所長さんなんですね」

「まぁ、所長と言っても仕事内容はあれこれと幅広くて、いわゆる所長っていう所長と実態はだいぶ違いますけどね。あ、申し遅れましたが、わたくしはMistery & Scienceという研究組織に所属しておりまして、そのうちのひとつの研究所を任されているわけなんですな」

 あれ、この人MSって前にも言ってなかったんだっけ? そういえばもしかして本人から聞いたんじゃなくて、朧さんの調査で分かったんだっけか。まぁでも黛君を拉致しておいて目撃者のわたしにあれだけ堂々と話しかけてきたんだから、正体隠す気は微塵もなかったよね。

「失礼ですけど、油田さんっておいくつなんですか?」

「おぉ、わたしですか。いくつに見えます? なんて飲み屋でひとりで飲んでる女性みたいなめんどくさいことは言いませんよ。えぇ、54になります」

「54歳ですか。へぇ~」

「おや、年の割に若く見えてましたか?」

「アハハ。見た目通りかと……」

「ホホホ。そうですかそうですか。正直ですねぇ」

「アハハ。いやぁ、それほどでも」

 これでもだいぶサービスした方で、実際にはもっと老けて見えるんだけど。うちのお祖母ちゃん五十代だけどもっと若いし。

 とそこに朧さんからの骨伝導無線が入った。

『いいですね、その調子でどんなことでもいいのでそれとなく情報を引き出してください』

 もちろんこれは車中でわたしにしか聞こえていない。わたしの方はと言えば、十一夜君謹製編みぐるみでマイクオンにしてあるので、こちらの音声はこの編みぐるみ経由で朧さんに送られる仕組みだ。
 でも何を話せばいいのかなぁ……。

「油田さんってご家族はいらっしゃるんですか?」

「えぇ、おりますよ。愚息が二人ほど。連れ合いには残念ながら病気で先立たれましたがね」

「あら、奥様残念でしたね。でも愚息とか言っちゃダメですよ。日本人の悪い習慣だと思います。そこは愛息ということで」

「おっほっほ。これは参りましたな。確かにそうですねぇ、愛息が二人おります。下の子は海外に留学中でしてね」

「そうなんですか。寂しくないですか?」

「いやぁ、まあそういう気持ちもなくはないのですが、どこででも元気にやってくれればそれでいいという気持ちが大半ですよ。息子なんてそんなもんかと」

 何だ、こんな胡散臭うさんくさいおじさんだけど、家庭では普通にお父さんなんだな。

「そんなもんですかぁ、へぇ~。ちなみにどちらにご留学を?」

「アメリカです。あちらで勉強したいことがあるとかで、つい先日のことですよ」

「アメリカですかぁ。アメリカはハワイとロスとそれからニューヨークは旅行で行きましたけど、息子さんはどちらへ?」

「ボストンですよ」

「ボストン。あー、よく知らないけど、でも歴史のあるところですよね」

「そうですなぁ。ボストンと言えば、なんでもアメリカ始まりの地と言われているらしいですからねぇ」

「へぇ~、そうなんですか」

『ヒットしました。油田延人のぶと20歳。留学は留学ですが、MITに編入していますね。相当優秀です』

 朧さんからの情報だ。こちらの会話を盗聴してリアルタイムに情報収集しているようだ。
 それにしてもこの胡散臭いおじさんから随分と優秀な子供が育ったもんだ。

『先ほどから一定距離を保ち追尾している車両あり。念のためナンバーを照会されたし』

 ちょっと不穏な情報が入ってきて朧さんは仲間とやり取りしている。それがこちらにも一方的に聞こえてきてるだけだけど、にわかに彼らのやり取りが多くなっていて少し緊張する。

『華名咲さん、仕様上我々の通信がそのまま聞こえていると思いますが、ご心配なく。追尾車両の件は念のためです。全て我々に任せていただいて大丈夫ですので。これから我々は専用チャンネルに切り替えますのでしばらくこちらからの音声は途絶えますが、そちらの音声は別回線で拾ってますので聞こえてます。では』

 こういう気遣いはさすが朧さんだ。
 少し安心して肩の力を抜く。

「もうすぐですよ。オーシャンビューが美しくて見事なところなんです。最近入ったシェフの料理も美味いんですこれが」

「へぇ~、楽しみ!」

 なんて分かりやすく喜んで見せると、油田さんは嬉しそうに頬をゆるめた。こういうところは案外普通の人っぽいんだけどいかんせん胡散臭さは拭いきれない。それにMSの怪しい人なのは間違いない。
 
 ま、そもそもこちらは事前に海辺に近い場所だということくらいは知っているんだけどね。
 そして油田さんが今褒めたシェフも、実はすみれさんの息がかかっているというね。
 わたしの周りの人たちが最強すぎる。

「さあ、到着しましたよ」

 油田さんの言葉通り、わたしたちの乗る車両は門扉をまたいでくだんの施設の敷地内に悠々ゆうゆうと入る。
 玄関前の車寄せに停車させると運転手さんは軽い身のこなしでわたしたちが乗る後部ドアを開けてくれた。

「さすが生粋きっすいのお嬢様だけあって、堂に入ったものですな」

 うちはお祖父ちゃん以外は専属の運転手はいない(会社では別みたいだけど)けど、何かの時には父たちの会社の専属運転手さんが出張ってきてくれるので、まぁ、こういったときの立ち居振る舞いに慣れていると言えばそうかもしれない。
 だけど決して『生粋のお嬢様』ではないんだなこれが。後天的にお嬢様になっちゃったわけで。

「ではどうぞこちらへ」

 油田さんにガイドされて建物の中へと進む。
 建物の外観も名のある建築家が手掛けたのだろうと思わせるお金のかかっていそうなデザインだ。
 さすがMS。宗教組織のていを取っているだけあってお金が集まるんだろうなぁ。
 エレベーターに乗って上の階へと昇る。

 そして通された広い部屋は、海に面した側が一面ガラスの嵌め殺しになっている。確かに林越しに見事な景観を放っている。

 接客係の男性がすっと近づいてきて椅子を引いてくれた。
 大きめの丸テーブルには、真っ白だがよく見ると絹糸で細かなアラベスクの織り込まれたテーブルクロスの上に、海を思わせる鮮やかなブルーのテーブルランナーが敷かれている。

 わたしたちが席に着いたところで、どこに控えていたのか少し時代遅れのメイクの女性がスタスタわたしたちのテーブルに近づいてきた。

「相席よろしいかしら」

「中野さん、随分と不躾ですね。今日は正式にわたしがこのお嬢さんを招待したのです。ご遠慮ください」

 油田さんはやや険のある態度で中野さんという女性に拒絶を示す。

「まあそう言わずに」

 露ほども感じていないといった様子で中野さんという女性は接客係の男性に目配せすると、彼女が座る椅子が引かれた。

「あらためて、はじめまして。華名咲かなさき夏葉かようさんとおっしゃるのよね。わたしは中野なかの恵美子えみこと申します」

 自己紹介して中野女史は腰掛けたまま深々とお辞儀した。
 けっこう派手目のショッキングピンクのシャネルスーツに身を包み、細く書いた眉毛がキュッと上がっている。別に怒っているとかではなさそうで、多分普段からこんな眉毛なのだろう。

「どうもはじめまして、中野さん」

 油田さんもすでに気にした風はなく、接客係からメニューを受け取っている。
 その隙きを狙ったのか、中野さんがわたしの目をしっかりと見て、声に出さずに口を動かしてこう言ったように見えた。

――――男女おとこおんな
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