暁の彼方

Mono

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#2 物語始動の軌跡

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 初めて俺が人の目を見て名前を呼んだあの日、俺の全てが変わった。

 父の虐待も、母の怒号も、祖母達の命令も、祖父達の暴力も、周囲からのイジメも、あらゆる理不尽が消えた。

 その日から俺は、幸せを知った。

 ズボラで怠け者でついでに過保護なアインと共に過ごした数年間は、まるで御伽噺のようにキラキラと輝いて新鮮な毎日だった。

 家事をする傍ら、一般常識や勉強を教えてもらったり、さらには魔術に興味を持った俺に魔術を教えてくれもした。あいつにしたって決して暇ではない筈なのだが、それでもスケジュールの合間を縫って俺に構ってくれていた。それに関しては感謝してもしきれないし、今の俺があるのはアインのお陰だと言っても過言ではないだろう。

 だからこそ俺は、あいつのことを──

「──愛しているんだ」

「…………勝手に人の独白に入ってくるな」

 件のアインの書斎を掃除していた俺に、後ろから声が囁かれた。

 甘く蕩けるような、その声を俺が聞き間違える筈がない。何せおよそ数年間もの間、殆どこの声しか聴かなかったのだから。間違えようがない。

 俺が溜息混じりに振り返ると、そこには笑みを浮かべたアインの姿があった。

 鮮やかな桃色をした髪はいつかと変わらず背中まで伸びており、透き通るかのような紫紺の瞳は俺のことをジッと見つめている。この数年間で身長の伸びた俺はアインを少し越しており、こいつはやや俺を見上げるようになった。

 過不足ない完璧なプロモーションを誇るその体を白い女性用の軍服のようなもので包み、スラリと伸びる艶かしい肢体が覗ける。

 しかし、彼女の容姿について語るときにもっとも注目すべきなのはそこではないだろう。

「しかしお前、数年前から全然見た目変わってないよな。ぶっちゃけ今いくつ?」

 そう、彼女──アインは初めてあった数年前からまったくもって容姿が変わっていないのだ。

 相変わらず二十代前半程度にしか見えないし、綺麗さの中にどこか可愛さを内包したかのような顔をしている。

 いくらなんでも数年の歳月を経て、これっぽっちも見た目が変わらないのはおかしい。そう考えた俺がアインにそう訊くと、

「レ・ン・? 女の子に歳は訊いちゃいけないって、私教えなかったっけ?」

 アインは満面の笑みだった。もっとも、まるで夜空に落とされた不知火のような笑みなのだが。

「はい、その通りでございます」

 なんだろう、いつ見てもこいつのこの笑顔だけは妙に恐怖を感じるのだ。なんというか、魂の根本的な部分で恐怖をしているのだ。…………それはつまり、それだけ歳の話題がタブーということなのだろう。

「まったく、レンはいくつになってもデリカシーを覚えないんだから」

「覚える必要がないからな」

「……どういう意味?」

 俺が会う女性などほぼ一人しかいない。それはつまりそういうことだと皮肉を言うと、アインが怪訝そうな目で俺を見つめているので、俺は適当に誤魔化す。

「さあな? それよりその書類誤字ってるぞ、ちゃんと直しとけ」

「へ? あ、ホントだ。ありがとね、レン──愛してる」

「はいはい、そうですねー」

 この豪邸を見ても分かる通り、アインは魔術師の中でもかなり偉いポジションにいるらしく、書類仕事などもかなりあるようだ。彼女はそれを基本的に家でやるのだが、今日も例に漏れず書斎で書類と睨めっこをしていたのだ。

 そして俺はその手伝いをすることもあったため、一瞥して書類のミスを見つけるくらいはわけない。

 彼女の「愛している」発言にしても日常茶飯事のためにこれといって意識することもない。

 アインは普段から事あるごとにに「大好き」だとか「愛してる」とか言ってくる。始めは驚いていたが、慣れというのは不思議なもので、数年も経てばどうとも思わなくなっているのだ。

「あ、そうだ。これレン関連のだから目を通しておいて」

「ん。…………ん?」

 適当に返事をして受け取った俺は、その紙に目を向けると今度は疑問の言葉を出してしまう。

「ちょっと待てアイン。これは一体、どういうことだ?」

「どういうことも何も、そのままの意味だよ?」

「いや、いやいや、いやいやいや。おかしいだろ。なんで俺の────編入手続きが完了してるんだよ⁉︎」

 俺が《レン・ソフオウルの編入手続きについて》と書かれた紙をアインの机に叩きつけると、アインはバツの悪そうな顔をしながら言った。

「……まあ、一言もなかったのは悪かったとは思っているよ。でもさ、私としてもそろそろ君に外の世界を知ってもらいたいんだ。そのために、ちょっと強引なことをしちゃったのは謝るよ」

「外の世界なんて、俺には……」

「ううん、その経験はこの先の人生に絶対に生かされるから。それにレンはもう少し一般世間に触れてもいいと思うしね」

 ──必要ない。そう言うとした瞬間、アインは首を横に振りながら言った。そこには俺のことを心配する親心のようなものも感じられた。

「で、でも大丈夫なのか?」

「大丈夫だよ。まあ、初めての学園生活には不安を覚えるかもしれないけど……」

「いやそうじゃなくて、この家のこと」

「…………………………あ」

「そんなことだろうと思った……」

「で、でも最近は私もレンの役に立とうと頑張って家事を覚えているし……」

「そうだな。この間、家が突風に吹き飛ばされそうになったのには心底驚いたけどな」

「うぐっ」

「…………………………本当に大丈夫なのかよ?」

「うぅ…………でも、私頑張るよ! だって君が頑張るんだから、私も相応に頑張らないと!」

 そう言って「よしっ」と気合を入れるアインの姿は…………まあ、心配にもなるが、同時にどこか頼りになる姿でもあった。

「そっか……分かったよ。どちらにしても手続きは終わっているみたいだし、ここで俺がゴネても無駄だろうからな」

「えへへ、ありがとね」

 やれやれと俺が肩を竦めると、アインは嬉しそうに笑ってみせた。

「ていうか、この《フェイト魔術学園》ってのは、どんなとこなんだ? 名前から魔術を教える学園ってのは分かったけど……」

「大陸でも有数の魔術師が何人もいる、この帝国──その中でも最高峰と言われる魔術学園、それがそのフェイト魔術学園だよ」

 想像していた一〇倍くらい凄いところだった。

 まあでも考えてみれば、このアインが俺を入れようとしているくらいだし、ある意味納得かもしれない。

「結構凄いとこなんだな」

「まあね。というかフェイトの名前くらいは帝国民の殆どが知ってるからね」

「くっ、ここぞとばかりに……」

 確かに俺はこいつから最低限の一般常識は教わった。けれどそれはあくまで最低限であり、こういった世間一般に誰もが知っているような事柄に関してはかなり疎いのだ。そしてそれは恐らく、教わって覚えるようなものでもないということも重々理解しているつもりだ。

「転入は来週から。全寮制の学園だから、今のうちに荷物は纏めておいてね。仕事に関しては既に協会に取り計らっておいたから、安心してね」

「まったく、準備が良すぎだろ……」

「だって大好きなレンの為だからね、当然だよ」

「そうかよ……とりあえず俺は荷物の整理でもしてるから、必要な書類とかあったら部屋に持ってきておいてくれ」

「うん、了解」

 俺の為だからというその気力がそのまま家事へのやる気に変換されればどんなに良いことか……そんな風に考えながら、俺は書斎を後にした。

 そのまま自分の部屋にまで着いた俺は早速荷物の整理を始める。

 この家の内装と同じく飾りっ気のないこの部屋は、必要最低限の物しか置いておらず、面白みの欠片も無い。あのアインの私室ですら最近は可愛げがあるというのにだ。

「まずは着替えとかの必需品からだな。そうなると……」

 それから俺は暫くの間、荷物の準備をしていた。途中で書類を渡しに来たアインが俺の下着を盗もうとしたが、何とか阻止した。……あいつが本気で魔術を使ったせいで家の中が荒れまくったので、アインにはその修復を頼んでおいた。

「うぅ……修復終わったよー……」

 ぐったりとした様子で俺の部屋に入ってきたアインは、そのままボフっという音を立ててベッドに倒れてしまった。──一応言っておくが、俺のベッドにである。

「お前、堂々と人のベッドを占領するなよ」

「えー、いいじゃん。それにこうしていると、なんというか、レンに抱き締められているような……幸せな気分になれるんだよ~」

「知るか、出ていけ」

「そんな殺生な⁉︎ 一生のお願いだから、もうちょっとだけ……」

「……お前の一生安すぎない? ていうか、そんなに包まれたいなら──ほら」

「ふぇ?」

 ベッドでジタバタするアインを無理矢理起こした俺はそのまま彼女を抱き締める。
 当のアインは顔を真っ赤にしながら「あぅ……」としか言っていないが、こんなことで部屋から出せるならいくらでもしてやる。

「ほら、満足したならさっさと……」

「ダメ。もうちょっとだけ……」

「…………仕方ないな、少しだけだぞ」

「うん、ありがと。あともっと強く抱きしめて、なでなでと甘い言葉の囁きも追加で」

「注文感覚で言うなよ……まあ、いいけどさ」

 苦笑しながらも俺は左手でアインを更に強く抱きしめて、右手で彼女の頭を優しく撫でてやる。加えて耳元で「可愛いよ」とか「お前が一番綺麗だ」とか「ずっと一緒にいよう」とか、それっぽい言葉を囁いた。とはいえ、本で得た言葉だしどこまで甘いのかは分からないけれど。

 …………………………ていうか、痛い。

 俺がこいつを撫でたりするたびに、俺の背中に回っている腕の抱き返す力がどんどん強くなっていっているのだ。

 タンマ、痛い痛い痛い。結構ガチ目に痛い。肋骨が悲鳴を上げそうだ。

「えへへ~、もうっプロポーズなんて気が早いよ~。でも、君がどうしてもっていうんなら、私も吝かじゃないし……その時は私が養ってあげるからレンはずっと家に居てくれればいいんだよ? 間違っても外に出て、私以外の女と会っちゃダメだよ。というか見るのも許さないからね。だって君の一番は私なんだから、他の女なんて必要ないしね。勿論、私もレン以外の男なんて要らないよ。仕事柄、他の男を視界に入れたり、あまつさえ話さないといけないのは辛いし、吐き気もするけど、器の大きいレンなら許してくれるよね。それに普段から他の男と話す時は事務的な事以外は一切口を開かないように心がけているんだよ。えへへ、もっと褒めてくれてもいいんだよ? 君以外の男が存在すること自体が耐えられないし、できるなら全人類を絶滅させたいところだけど、そんなことをしたらレンが困っちゃうからね。一応、やめておくね。でも、もしも君が許してくれるならこの世界を君と私だけの楽園にできるから、いつでも言ってね。君に色目を使う女共と穢らわしい男共の全てを惨たらしく惨殺してあげるから。大丈夫、外は赤く染まっちゃうかもしれないけど、この家だけは綺麗なままにしてみせるからね。汚い花火が打ち上がるかもしれないけど、君は何にも気にしなくていいんだよ。だって全部私がやるんだから。レンが責任を感じる必要も、負う必要も無いんだよ。君はただ、私だけを見て、私だけを感じていればいいの。それだけで私は満足だから。君と私しか存在しない楽園──そのためだったらなんだってしてみせるからね。きっとその先にレンの追い求めていた幸せが存在してるの。私はそう信じてるよ。私は君が命令するんだったら、なんだってしてみせるよ。死ねと言えば死ぬし、殺せと言えば殺す。レンがやれと言えば、心底イヤだけど他の男と交わることだって躊躇わないよ。勿論、君はそんなこと命じないだろうけどね。私と一つになるのは三千世界で君だけだって決まっているんだから。だからほら、いつでも押し倒してくれていいんだよ? 君が望むのなら、どんなに特殊なプレイだってやってみせるよ。他の女が良いって言うのなら私がそいつになる。どんな手段を用いてでも君を満足させてみせるよ。まあでも私も処女だから上手くできるかは分からないんだけど、それでもお姉さんとしてレンを絶頂に導くくらいならこなしてみせるよ。私としては希望を言うなら、イチャラブがいいけどね。二人で愛を確かめ合うように喘ぎ、そして最後には一緒に達する──そんな風にできればそれが一番だと思っているよ。それに精力増強の魔術を使えば、何回でも何十回でも連続でできるしね。それこそ一日中、獣のように快楽に浸ることもできるよ。君は若いんだから、それこそ不眠不休で三日三晩私を貪ってくれても全然良いんだよ? うふふ、君にそんなことをされたらそれこそ私の方が堕ちちゃいそうだけどね。私ね、いつでも君が私に欲情してくれるように毎日、勝負下着を着けてるんだ。だから、ね? 今ここで私を襲ってくれてもいいんだよ。自分で言うのもあれだけど、私って結構良いスタイルしてると思うんだよね。君が望むのなら、口でも胸でも腋でも膝でも、どこでだってシゴいてあげるよ。勿論、最後は中に出さないと許さないけどね。ちゃーんと私を孕ませて、責任を取ってほしいな。男の子だもんね、そのくらいはしてくれるよね。その為にも、うん、今すぐ始めようか。初めては痛いって聞くけど、そんなの魔術でもどうとでもなるから大丈夫だよ。それじゃあ、ほら。早く寝室に行こっか♪」

 あー、また始まったよ。

 時折こいつはこうして暴走するときがある。そうなると、こんな感じに早口で語ってくるので、俺は適当に相槌を打ちながら聞き流している。

 まあまあよくあることなので、今更気にする必要も無いし、言われた通りにこいつの頭を撫でるだけだ。甘い言葉に関しては、今言ったところでアインの耳には入らないだろうし、一旦中断だ。

「ほら、早く~……ねぇ、一緒に行こう、よ…………」

 一度に色々言い過ぎて疲れたのだろう。彼女は俺に体を寄りかからせると、そのまま寝てしまった。

「まったく……とりあえず、部屋まで運ぶか」

 このままの体勢ではお互いに辛いので、俺はアインを背中に背負っておんぶすると、そのままアインの私室まで向かった。

 初めて俺がこの家に来た時から、この部屋はかなり様変わりしていた。

 壁には可愛らしい猫のマークが描かれた壁紙が貼ってあるし、床にも巷で流行っているらしいゆるキャラの絨毯が敷いてある。ベッドの布団などもピンク色に変わったし、それ以外にも女の子らしい小物が飾ってある。こうして見ると、普通の女の子の部屋にしか見えない。

 先の暴走も、きっと彼女なりのストレスの発散なのだろう。彼女に世話になっている俺としては、特に止める必要も無いし、こうして疲れたアインを部屋まで運ぶのも含めていつものことだ。

「うし、これでオッケーだな」

 彼女の部屋に着いた俺はそのままアインをベッドに寝かせた。

「……ありがとう、アイン。これからもよろしく頼むよ」

 そう言った俺は、アインの頭をできるだけ優しく撫でて部屋を後にした。出る直前に一瞥した彼女の表情が、だらしなく崩れていたのはご愛嬌だろう。
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