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Ⅰ.小学校での生活
クラスのボッチが恋愛する話。1
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小学校高学年──それは、思春期入りかけの子供達による、男女間の激しい闘争に溢れる場所。
ここ、私立水野小学校・六年二組はとりわけその争いが酷かった。
クラス内は完全に男女に分かれ、毎日飽きる事なく口汚く罵り合い、時には暴力を振るう事すらあった。
男子は好き勝手に行動し、女子をそれを神経質なまでに咎め、男子はそれを煽っていく……という無限ループの中で、彼等彼女等はブーメランという事にも気付かずに互いを貶める。
自分のクラスから問題を出したくないと報告をしない担任。同じような理由で教育委員会に報告をする事のない校長。無能な大人共に囲まれても幼い彼等はそれを知ることなく、その行為を疑う事なく、信じたままに、同級生を蔑む。
そんな児童の中に、しかし常に無表情の男子が一人いた。
「ちょっと男子! ちゃんと掃除してよ!」
教室の中に絶叫が響き渡る。
現在は給食前に行う清掃の時間だ。各児童がそれぞれの場所で清掃に励んでいる中、件の六年二組でも、クラスの計六人が分担して清掃をしていた。
しかし、その途中で二名の男子がお喋りに夢中になるあまり、手を動かすのを忘れていた。さらにタチが悪いのは、その男子二人はクラスの二大派閥──男子連合のトップ二人だったのだ。そして運が悪いことに、その場に居合わせていたのは、二代派閥のもう片方たる女子連盟のトップの女子だった。
男子という男子を問答無用で恨む彼女は、そのカリスマ性によって瞬く間に女子のトップに立ち、やがて他の女子を巻き込んで男子達と徹底抗戦をしていたのだ。
そんな彼女──櫻井 凛子は、事あるごとに男子に難癖を付けては諍いを起こしているのだ。
今回もまた、そのうちの一つだ。一見すれば凛子が正しいが、実際には内容などどうでもいいのだ。ただこうして、男子に喧嘩を売る事ができれば。
「はぁ? しらねえよ、そんなん。女子共で勝手にやってりゃいいだろうが」
凛子の売った喧嘩を、激情に任せてこれまた喧嘩腰で買ったのは男子のトップ──井上 直哉は、もう一人の男子──佐藤 啓と歓談に戻っていた。
「………………ふんっ」
それを見た凛子は、二人の男子を説得する事を諦めたのか、一緒に居た二人の取り巻き女子と一緒に清掃に戻った。
そして、この日常茶飯事のやり取りを箒を掃きながら見ていた三人目の男子──伊零 志貴は、誰にも気付かれずに小さく溜息を吐いていた。
(そんなにギャーギャー騒ぐ元気があるんだったら、さっさと掃除してくれよ。さっきから俺しかやってないじゃん。ていうか、先生も黙ってないでなんか言ってくれよ。いくら上が怖いからって、流石にやる事くらいはやらせた方が良いと思うんだけどな)
そんな恨み言を声に出すことなく、彼は黙って箒を掃き続ける。
声に出したところで、女子からは睨まれ、男子からはイジメられる。そんな未来が分かっているからこそ、彼はそれを言葉にすることはない。
──分かっていても、声を出して立ち上がるべき。などと綺麗事をほざく大人がいるが、志貴に言わせてみればそういう大人こそが一番子供に寄り添えていない。
そんなことをすれば、立ち上がった子供がその後どうなるかなど言わずもがなだろう。それでも大人は、子供の今と、そして未来を壊してでも、立ち上がれと言うのだろうか? まあ、言う奴は言うのだが。
ともあれ。志貴としては、毎日のように目の前で繰り広げられる派閥争いには一切の興味も無いが、だからといって今の(本人としては)平和な小学校生活をわざわざ自分からぶち壊す必要も無いと思っているので、これといって問題を起こすこともない。
故に彼はどちらにも与しない。女子と敵対するわけでもなく、かといって男子に協力的なわけでもない。所謂、中立的立場──ボッチとして、無意味な闘争を俯瞰から眺めているだけだ。
──キーンコーンカーンコーン
ふと、鐘の音が聞こえた。
どこにも学校でも流れていそうなこの音は、この時間ならば丁度清掃の終了時刻にして、給食の準備開始時刻を示している。
結局、教室の半分も掃除できなかった六人は、さっさと掃除道具を仕舞うと、給食の準備を手伝う。といっても、やることなど大して無いので、ボーッと眺めているだけだ。
何やら、また男子が仕事をサボりだし、女子がそれを喧しく注意する──要するに、いつもの光景が広がっていたのだが、志貴にとってはどうでもいいことなので、眺めることしかしない。
男子を働くように促すとか、女子にもうちょっと寛容になるように言うとか、先生に注意するように頼むとか、出来ることなどいくらでもあるのだろう。けれど、それでも志貴は動かない。それによる、メリットが存在しないからだ。
別にこれで給食が食べれなくなったところで、たった一食分を抜くくらいならばどうということも無いし、それ以上にこの口喧嘩に介入するのは心底めんどくさい。
(はぁ……これは、また給食を食べる時間が遅れる流れか。…………ん? あれは、保健室の高槻先生? ──って、ああ、いつものか)
教室の中でも、比較的窓側の方に立っていた志貴だったが、彼の視界にある人物が映り込む。
ボサボサの長い茶髪を無造作に後ろで纏めて一括りにしている白衣の女性だ。彼女は、この水野小学校の保険医である高槻 智恵だ。
彼が智恵の存在に気づいた事を理解したのであろう彼女は、チョイチョイと小さく手招きをする。それを見た彼は、慣れた動きで教室の外へと出て行く。幸いな事に、教室内ではあーだこーだと男女で言い争っているので、元々目立つ方ではない志貴の動きを注意する者などいなかった。
「ごめんね、給食前に呼び出しちゃって」
「いえ。丁度、教室もめんどくさくなっていましたし……それに、俺を呼ぶって事はアイツが俺を呼んでいるんでしょう? なら、断る理由はありませんよ」
「相変わらずのシスコンっぷりねぇ」
六年生の教室は三階に位置するため、一階にある保健室に向かうために志貴と智恵の二人は廊下を歩いていた。各教室から楽しそうな声が聞こえてくるが、志貴の確認できうる限りでは、喧嘩などの声は一つも聞こえない。勿論、今日のデザート賭けた命懸けの勝負の叫び声などは聞こえてくるが、それでも本気の喧嘩なんかの声は耳に入ってきはしない。
改めて、あんな無益な争いをするのはあのクラスだけなんだな、と少しの諦観を覚えた志貴はいつのまにか到着していた保健室の扉を開ける。
消毒液などの臭いが彼の鼻を擽るが、それを気にせずに進んでいく。そして志貴は、ベッドの上に寝転ぶ一人の少女の元へ行く。
年の頃は小学校四年生ほどに見える。窓から微かに入り込む陽光を受けて煌めくストレートの黒髪は、彼女の膝裏あたりまで伸ばしてあるために、現在の上半身だけを起こした状態では、殆どがベッドの上に流れている。
ドングリのように丸っこい黒い純粋な双眸は、真っ直ぐに志貴を見つめている。初見でこの二人の邂逅を見れば、小さな恋人のようにも見えるかもしれないが、両者はそのような関係ではない。何故ならばこの二人は、
「あ、来てくれたんだね、お兄ちゃん」
──兄妹なのだから。
「お前が呼んでるんだ、当然だろ」
妹の美咲を撫でながら、志貴はそう言う。
撫でられた美咲の方も、目を細めて兄からの愛を全力で受けている。
そして、彼女の口から思わず「えへへ……」と漏れ出してからおよそ十数秒が経った時、
「──コホンッ。とりあえず、給食を食べるんでしょ? 早く食べないと時間が来ちゃうし、さっさと食べちゃいましょう。
思わせぶりな咳をした智恵は、そのまま近くの机に置いてある給食が乗っているトレーを志貴へと渡した。
「ありがとうございます。──それじゃ美咲、どれから食べる?」
トレーを受け取った彼は、ベッドの近くに置いてある丸椅子に座ると、すぐ隣に置いてあるもう一つの丸椅子にトレーを置いた。
「う~ん……じゃあ、サラダからお願い」
「あいよ、了解。それじゃ、ほれ」
美咲からの依頼を受け取った志貴は、トレーからサラダの入った皿と箸を取った。そして皿の中からサラダを一掴みすると、それを美咲の口にまで運んだ。
「あーんっ。……えへへ、美味しいなぁ」
「そうか? いつもと同じだと思うけど」
「まったく、お兄ちゃんは分かってないね。お兄ちゃんが食べさせてくれた、この事実以上の調味料なんて存在しないんだから」
「ふーん、そんなものなのかね」
「ふふ、それよりもお兄ちゃん……」
「ん?」
「か、間接キス……だね?」
「ああ、そっか。美咲に食わせた箸でそのまま食っちゃったからな。悪い、次からは別の箸を使うから……」
「ダメっ!」
保健室に、絶叫が響いた。
保険医用の席で給食を食べていた智恵も、何事かと二人のいる方を眺めていた。
「お兄ちゃんとの間接キスをむざむざ捨てるなんて……それこそ、天地がひっくり返ってもあり得ないよっ」
「そ、そうか……」
妹の熱弁に、志貴は曖昧な返事しかできなかった。
今はまだ、こうして兄を慕う妹でいてくれるだろうし、それは今後数年くらいは揺るがないだろう。でも、美咲が高校生にもなれば今のままでいられるとは限らない。少なくとも、こうして無償の愛情を見せてくれる事は無くなるだろう。
そう考えると、なんだか目から汗が流れそうになってきた。
「──? お兄ちゃん、どうかしたの?」
いきなり泣きそうな顔をした志貴を見た美咲は、小首を傾げていた。
「……いや、いつかは美咲にも反抗期とか来るのかなぁ、と思って。もし美咲に『志貴なんか大嫌いっ」とか言われたら、多分俺立ち直れない……」
「──ふふ、大丈夫だよ。だって私が、お兄ちゃんの事を嫌いになるわけがないじゃん。だからお兄ちゃんも、できればそんな事は考えないでほしいな」
「…………………………」
美咲のその言葉を聴いた志貴は、言葉が出なかった。
そうだ、自分はなんと愚かな考えをしていたのだろう。美咲が嫌う? そんな、あるかも分からない未来を邪推したところで、いったい何になると言うのだろう。そんな事を考える暇があるのだったら、美咲といれる今この一瞬を謳歌した方が何倍もお得だ。
「そうだな。悪い、手が止まってたな。ほれ、次はこの焼き魚でも食べるか」
そうして再び、彼は妹に箸を向ける。
ちなみに、志貴も美咲もあまり食べる方ではないので、こうして彼が食べさせる時は一人分の給食を二人で分けて食べている。あまった方は、恐らくクラスメイトが勝手に分けて食べているだろうし気にする事でもない。
そうして二人は、他人(というか智恵)から見れば甘い空間でイチャイチャしながら給食を食べ終えたのだった。
ここ、私立水野小学校・六年二組はとりわけその争いが酷かった。
クラス内は完全に男女に分かれ、毎日飽きる事なく口汚く罵り合い、時には暴力を振るう事すらあった。
男子は好き勝手に行動し、女子をそれを神経質なまでに咎め、男子はそれを煽っていく……という無限ループの中で、彼等彼女等はブーメランという事にも気付かずに互いを貶める。
自分のクラスから問題を出したくないと報告をしない担任。同じような理由で教育委員会に報告をする事のない校長。無能な大人共に囲まれても幼い彼等はそれを知ることなく、その行為を疑う事なく、信じたままに、同級生を蔑む。
そんな児童の中に、しかし常に無表情の男子が一人いた。
「ちょっと男子! ちゃんと掃除してよ!」
教室の中に絶叫が響き渡る。
現在は給食前に行う清掃の時間だ。各児童がそれぞれの場所で清掃に励んでいる中、件の六年二組でも、クラスの計六人が分担して清掃をしていた。
しかし、その途中で二名の男子がお喋りに夢中になるあまり、手を動かすのを忘れていた。さらにタチが悪いのは、その男子二人はクラスの二大派閥──男子連合のトップ二人だったのだ。そして運が悪いことに、その場に居合わせていたのは、二代派閥のもう片方たる女子連盟のトップの女子だった。
男子という男子を問答無用で恨む彼女は、そのカリスマ性によって瞬く間に女子のトップに立ち、やがて他の女子を巻き込んで男子達と徹底抗戦をしていたのだ。
そんな彼女──櫻井 凛子は、事あるごとに男子に難癖を付けては諍いを起こしているのだ。
今回もまた、そのうちの一つだ。一見すれば凛子が正しいが、実際には内容などどうでもいいのだ。ただこうして、男子に喧嘩を売る事ができれば。
「はぁ? しらねえよ、そんなん。女子共で勝手にやってりゃいいだろうが」
凛子の売った喧嘩を、激情に任せてこれまた喧嘩腰で買ったのは男子のトップ──井上 直哉は、もう一人の男子──佐藤 啓と歓談に戻っていた。
「………………ふんっ」
それを見た凛子は、二人の男子を説得する事を諦めたのか、一緒に居た二人の取り巻き女子と一緒に清掃に戻った。
そして、この日常茶飯事のやり取りを箒を掃きながら見ていた三人目の男子──伊零 志貴は、誰にも気付かれずに小さく溜息を吐いていた。
(そんなにギャーギャー騒ぐ元気があるんだったら、さっさと掃除してくれよ。さっきから俺しかやってないじゃん。ていうか、先生も黙ってないでなんか言ってくれよ。いくら上が怖いからって、流石にやる事くらいはやらせた方が良いと思うんだけどな)
そんな恨み言を声に出すことなく、彼は黙って箒を掃き続ける。
声に出したところで、女子からは睨まれ、男子からはイジメられる。そんな未来が分かっているからこそ、彼はそれを言葉にすることはない。
──分かっていても、声を出して立ち上がるべき。などと綺麗事をほざく大人がいるが、志貴に言わせてみればそういう大人こそが一番子供に寄り添えていない。
そんなことをすれば、立ち上がった子供がその後どうなるかなど言わずもがなだろう。それでも大人は、子供の今と、そして未来を壊してでも、立ち上がれと言うのだろうか? まあ、言う奴は言うのだが。
ともあれ。志貴としては、毎日のように目の前で繰り広げられる派閥争いには一切の興味も無いが、だからといって今の(本人としては)平和な小学校生活をわざわざ自分からぶち壊す必要も無いと思っているので、これといって問題を起こすこともない。
故に彼はどちらにも与しない。女子と敵対するわけでもなく、かといって男子に協力的なわけでもない。所謂、中立的立場──ボッチとして、無意味な闘争を俯瞰から眺めているだけだ。
──キーンコーンカーンコーン
ふと、鐘の音が聞こえた。
どこにも学校でも流れていそうなこの音は、この時間ならば丁度清掃の終了時刻にして、給食の準備開始時刻を示している。
結局、教室の半分も掃除できなかった六人は、さっさと掃除道具を仕舞うと、給食の準備を手伝う。といっても、やることなど大して無いので、ボーッと眺めているだけだ。
何やら、また男子が仕事をサボりだし、女子がそれを喧しく注意する──要するに、いつもの光景が広がっていたのだが、志貴にとってはどうでもいいことなので、眺めることしかしない。
男子を働くように促すとか、女子にもうちょっと寛容になるように言うとか、先生に注意するように頼むとか、出来ることなどいくらでもあるのだろう。けれど、それでも志貴は動かない。それによる、メリットが存在しないからだ。
別にこれで給食が食べれなくなったところで、たった一食分を抜くくらいならばどうということも無いし、それ以上にこの口喧嘩に介入するのは心底めんどくさい。
(はぁ……これは、また給食を食べる時間が遅れる流れか。…………ん? あれは、保健室の高槻先生? ──って、ああ、いつものか)
教室の中でも、比較的窓側の方に立っていた志貴だったが、彼の視界にある人物が映り込む。
ボサボサの長い茶髪を無造作に後ろで纏めて一括りにしている白衣の女性だ。彼女は、この水野小学校の保険医である高槻 智恵だ。
彼が智恵の存在に気づいた事を理解したのであろう彼女は、チョイチョイと小さく手招きをする。それを見た彼は、慣れた動きで教室の外へと出て行く。幸いな事に、教室内ではあーだこーだと男女で言い争っているので、元々目立つ方ではない志貴の動きを注意する者などいなかった。
「ごめんね、給食前に呼び出しちゃって」
「いえ。丁度、教室もめんどくさくなっていましたし……それに、俺を呼ぶって事はアイツが俺を呼んでいるんでしょう? なら、断る理由はありませんよ」
「相変わらずのシスコンっぷりねぇ」
六年生の教室は三階に位置するため、一階にある保健室に向かうために志貴と智恵の二人は廊下を歩いていた。各教室から楽しそうな声が聞こえてくるが、志貴の確認できうる限りでは、喧嘩などの声は一つも聞こえない。勿論、今日のデザート賭けた命懸けの勝負の叫び声などは聞こえてくるが、それでも本気の喧嘩なんかの声は耳に入ってきはしない。
改めて、あんな無益な争いをするのはあのクラスだけなんだな、と少しの諦観を覚えた志貴はいつのまにか到着していた保健室の扉を開ける。
消毒液などの臭いが彼の鼻を擽るが、それを気にせずに進んでいく。そして志貴は、ベッドの上に寝転ぶ一人の少女の元へ行く。
年の頃は小学校四年生ほどに見える。窓から微かに入り込む陽光を受けて煌めくストレートの黒髪は、彼女の膝裏あたりまで伸ばしてあるために、現在の上半身だけを起こした状態では、殆どがベッドの上に流れている。
ドングリのように丸っこい黒い純粋な双眸は、真っ直ぐに志貴を見つめている。初見でこの二人の邂逅を見れば、小さな恋人のようにも見えるかもしれないが、両者はそのような関係ではない。何故ならばこの二人は、
「あ、来てくれたんだね、お兄ちゃん」
──兄妹なのだから。
「お前が呼んでるんだ、当然だろ」
妹の美咲を撫でながら、志貴はそう言う。
撫でられた美咲の方も、目を細めて兄からの愛を全力で受けている。
そして、彼女の口から思わず「えへへ……」と漏れ出してからおよそ十数秒が経った時、
「──コホンッ。とりあえず、給食を食べるんでしょ? 早く食べないと時間が来ちゃうし、さっさと食べちゃいましょう。
思わせぶりな咳をした智恵は、そのまま近くの机に置いてある給食が乗っているトレーを志貴へと渡した。
「ありがとうございます。──それじゃ美咲、どれから食べる?」
トレーを受け取った彼は、ベッドの近くに置いてある丸椅子に座ると、すぐ隣に置いてあるもう一つの丸椅子にトレーを置いた。
「う~ん……じゃあ、サラダからお願い」
「あいよ、了解。それじゃ、ほれ」
美咲からの依頼を受け取った志貴は、トレーからサラダの入った皿と箸を取った。そして皿の中からサラダを一掴みすると、それを美咲の口にまで運んだ。
「あーんっ。……えへへ、美味しいなぁ」
「そうか? いつもと同じだと思うけど」
「まったく、お兄ちゃんは分かってないね。お兄ちゃんが食べさせてくれた、この事実以上の調味料なんて存在しないんだから」
「ふーん、そんなものなのかね」
「ふふ、それよりもお兄ちゃん……」
「ん?」
「か、間接キス……だね?」
「ああ、そっか。美咲に食わせた箸でそのまま食っちゃったからな。悪い、次からは別の箸を使うから……」
「ダメっ!」
保健室に、絶叫が響いた。
保険医用の席で給食を食べていた智恵も、何事かと二人のいる方を眺めていた。
「お兄ちゃんとの間接キスをむざむざ捨てるなんて……それこそ、天地がひっくり返ってもあり得ないよっ」
「そ、そうか……」
妹の熱弁に、志貴は曖昧な返事しかできなかった。
今はまだ、こうして兄を慕う妹でいてくれるだろうし、それは今後数年くらいは揺るがないだろう。でも、美咲が高校生にもなれば今のままでいられるとは限らない。少なくとも、こうして無償の愛情を見せてくれる事は無くなるだろう。
そう考えると、なんだか目から汗が流れそうになってきた。
「──? お兄ちゃん、どうかしたの?」
いきなり泣きそうな顔をした志貴を見た美咲は、小首を傾げていた。
「……いや、いつかは美咲にも反抗期とか来るのかなぁ、と思って。もし美咲に『志貴なんか大嫌いっ」とか言われたら、多分俺立ち直れない……」
「──ふふ、大丈夫だよ。だって私が、お兄ちゃんの事を嫌いになるわけがないじゃん。だからお兄ちゃんも、できればそんな事は考えないでほしいな」
「…………………………」
美咲のその言葉を聴いた志貴は、言葉が出なかった。
そうだ、自分はなんと愚かな考えをしていたのだろう。美咲が嫌う? そんな、あるかも分からない未来を邪推したところで、いったい何になると言うのだろう。そんな事を考える暇があるのだったら、美咲といれる今この一瞬を謳歌した方が何倍もお得だ。
「そうだな。悪い、手が止まってたな。ほれ、次はこの焼き魚でも食べるか」
そうして再び、彼は妹に箸を向ける。
ちなみに、志貴も美咲もあまり食べる方ではないので、こうして彼が食べさせる時は一人分の給食を二人で分けて食べている。あまった方は、恐らくクラスメイトが勝手に分けて食べているだろうし気にする事でもない。
そうして二人は、他人(というか智恵)から見れば甘い空間でイチャイチャしながら給食を食べ終えたのだった。
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