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Family…幸せになろうよ (10)
しおりを挟む明確に時間を約束していたわけでは無いけれど、店が開く頃に出掛けましょうかと言い出したのは僕の方だったのに。
「きっと、待ち切れなくなって、呼びに来たんだろうなあ」
酒臭いままで出掛けるわけには行かないと、慌ててシャワーを浴びながら、雄大に付き合ってしまった昨夜の事を後悔する。
結局昨夜は二人で酒を飲みながら、明け方近くまで過ごしてしまった。雄大を送り出した後は酔いのせいもあって、アラームをセットする事すらせずに、そのままばったりと眠ってしまったのだ。
「何着て行ったら良いんだ?」
ざっと身体を洗い流し、髭も剃り終えて出て来たところで動きが止まる。
普段職場に行く時のような格好では、昨日とのギャップがあり過ぎるだろうし、かといって夜の街に繰り出す時のような派手な格好じゃ、昼間は人目に付き過ぎる。
「ああ、もうっ、迷ってる時間なんてないか」
待たせていると思えばこんな事に費やす時間も申し訳なくて。昨日穿いていたスキニーのジーンズにTシャツを身に付ける。湿ったままの髪の毛はワックスで流し、眼鏡だけは掛けてみた。
昼の僕と、夜の僕との折衷案。どっちの僕を知っている人から見られても、僕だと分かるような、分からないような微妙なライン。
財布と携帯を尻のポケットに捩じ込み、部屋のカギだけを手に、僕は大急ぎで部屋を出た。
「あ、なぁやくん!」
「え? あれ?」
「早かったっすね」
「ああ、はい……ずっと外にいたんですか?」
玄関を一歩出たところで、敷地フェンスの側にしゃがみ込む二人の姿が目に入る。開閉音に気付いた苑良が嬉しそうに駆けて来るのを見ながら鍵を掛けていると、寄って来た苑良に手を引かれる。
「なぁやくん、ありさんいるよ!」
「蟻?」
「部屋に戻ろうと思ったら、苑良が蟻の行進見付けちゃって」
観察に付き合わされてましたと、濱田が屈託の無い笑顔で笑う。笑った顔が苑良とそっくりなのは、さすがDNAというべきなのだろうか。
「ほらね! いっぱいいるでしょ?」
きらきらと輝く瞳につられるように一緒にしゃがみ込めば、確かに足元には列を成す小さな蟻の行列が。
こんなものに目を向けるのなんて、いつ以来だろうか。
夜を共にする時に感じるひと時の温もりとも違う、優しい小さな手の温かさを感じながら、穢れている自分がその手を取っている事に、何だか少し罪悪感を抱いてしまう。
「蟻さんは一生懸命働いてるから、僕達は邪魔をしないように出掛けようか?」
「うんっ」
「とりあえず大き目のスーパーと、商店街と……あ、保育園までの道は大丈夫ですか?」
「……すみません、自信無いです」
苑良に声を掛けて立ち上がれば、犬が耳を垂れるように濱田が項垂れた。
そういえば方向音痴って言ってたっけ……と前日の会話を思い出し、恥ずかしそうな濱田の様子に笑いを誘われる。
「それじゃあ、一度保育園までの道を辿ってみましょうか?」
「よろしくお願いします」
僕の提案に、ちょっぴり赤くなりながら頭を下げる濱田に頷きを返せば、Tシャツの裾をくんっと引っ張られた。
「そらがいくとこ? そらのほいくえん?」
「そうだよ、ちゃんと道を覚えられるかな?」
「られる! はやくいこう、なぁやくんっ、とおもっ」
「わっ、こら苑良っ」
飛び上がって喜ぶ苑良を真ん中に、僕らはまるで擬似家族のように手を繋ぎ歩き出した。それが妙に気恥ずかしくて……妙に幸せに感じて。僕の心の中は、初めて感じるその感情に戸惑っていた。
アパートから徒歩で十分ほどの距離にある保育園。土曜日という事もあって、この時間園にいる児童はまばらだった。
「とお、とおっ、おすなばがあるよっ」
「うわあ、本当だ……苑良、お前あんま泥んこにならないでくれよ?」
「やだっ、そらね、いっぱいあそぶんだもん」
「ええー洗濯大変なんだぞ」
フェンスから見える運動場の様子に、濱田に肩車をされて中を見ていた苑良が、嬉しそうに笑う。週明けからここへの編入が決まっているとあって、苑良は待ち切れないようだ。
「なぁやくん、そらのほいくえん!」
「沢山お友達が出来ると良いね」
「うんっ」
微笑ましい二人の様子を、一歩離れて見ていた僕を振り向いて告げる苑良に笑顔を返しながら、自分の過去を思えば心が曇る。
(沢山のお友達、か……)
僕自身は恋人も友達も必要無いと、そんな存在に振り回されて傷付けられるなんて事は、二度としたくないと、未だに人と接する事に臆病だというのに。苑良に対しては真逆な事を言っている自分に気付いて、自嘲が漏れる。
(だけど……独りは寂しいから……)
こんな風に煌く笑顔で笑う苑良には、僕のような思いはさせたくない。沢山の友達に囲まれて、泣いたり笑ったり、そんな楽しい毎日を過ごして欲しい。
知り合って幾らも時間は過ぎていないのに、僕にそう思わせるのはきっと、初めて身近で接する子供だということもあるのだろう。
ゲイの僕には、自分の子供を持つ事は叶わない夢だから。
溢れる未来のある苑良に、自分の夢を重ねてしまっているのかもしれない。
「そろそろ行きましょうか? ここまでの道は、もう大丈夫ですか?」
「あ、はい。ありがとうございます!」
運動場で遊んでいた園児達が、中へと戻って行く。建物上部に掛かっている時計を見れば、時刻は既にお昼近くになっていた。
誰もいなくなった運動場を寂しそうに見つめる苑良を見て、濱田に声を掛ける。
「商店街のパン屋さんでパンでも買って、公園で食べましょうか? 天気も良いですし」
「パンやさん?」
「うっわあ、パン屋なんてめっちゃ久しぶり! ここんとこスーパーの値引きシール貼ってるパンしか食ってないんで嬉しいっす! 苑良、今日は贅沢するぞー!」
「おーっ!」
このまま帰ったのでは近所の案内という当初の目的が果たせないと、軽い気持ちで口にした提案だったのだけれど……借金があると言っていた事を、改めて思い出す。
父親の工場が抱えた負債だというからには、それなりの額があるに違いない。大分借金も減ったという話だったけれど、僕が想像するよりも、返済はきっと大変なのだろう。
二人の様子が余りに楽しげだったから、そんな話を聞いた事すら忘れていた。
(迷惑だったかな――)
一瞬過ぎった思いも、二人の笑顔のおかげで薄れていく。
「なぁやくん、パンやさんいこうっ」
「……うん、行こうか」
スーパーで買うよりも割高だろうパン屋。けれど二人が本当に喜んでいるようだったから。その事にホッとしながら商店街へと足を向けた。
「成宮さん、ありがとう」
「え? 何が?」
「俺普段、苑良に我慢ばっかさせてるんで……こういうの、すっげえ嬉しい」
苑良はクリームパンと牛乳。僕はサンドイッチに惣菜パンをひとつ、濱田はそれにプラスして惣菜パンをもう一個。飲み物は途中の自販機で仕入れて向かった、パン屋の脇の道を入った所にある公園。
ベンチに腰を下ろした僕に、間に苑良を挟んで座った濱田が深々と頭を下げた。
「借金があるって話すると、結構腫れ物に触るみたいにされるんすよね。そりゃ、贅沢な暮らしは出来ないけど……だからってそんな落ちぶれた生活はしてねえよ! って言いたくなる事もあったりで」
「濱田さん――」
「だからこうやって、俺に借金ある事を知った後も、態度変えずに接してもらえてすげえ嬉しいんです」
慣れた手付きで苑良の世話を焼きながら、濱田はそう言って笑顔を見せた。
「パン、おいしいねっ」
「美味いか? 苑良のひと口くれよ」
「やだっ」
楽しそうな遣り取りに、変に気を遣い過ぎるのも良くは無いのだと、改めて気付かされた。同情や蔑みの眼差しで見られることの、表現し難い思いは、僕にも良く分かる。
「お仕事って、今日はお休みですか?」
「昼の分は明日まで休み貰ってるんです。夜は今日から出なきゃならないんですけどね」
「え、じゃあ……夜って、苑良一人になるんですか?」
「夜間保育に預けられれば良いんですけど、高いんですよね。毎日預けてたら稼ぎがなくなっちまうし。土日は二十四時間やってる託児所に預ける予定なんで、それだけで手一杯なんすよ……まあ、引越してくる前も、夜は一人で留守番させてたんで、何とかなります」
「そう、ですか」
他人の家庭の事だ。僕なんかに口を挟める事じゃないし、僕にはどうする事も出来ない事。分かっているけれど、まだこんなに小さいのに、たった一人で濱田の帰りを待つ苑良を思うと、気持ちが沈む。
「なんで、本当に申し訳ないんですけど、もし俺がいない時になんかあったら……そん時は面倒掛けると思うんですけど、よろしくお願いします!」
「あ、はい。僕で、役に立てる事があるなら……」
「なるべく迷惑掛けないように言っておくんで。な、苑良? 一人でも大丈夫だよな?」
「……うん、そら、おとこのこだから、だいじょぶ」
苦笑の中に罪悪感を滲ませた濱田の口から出た『一人』という単語に、苑良の表情からそれまで浮かんでいた笑顔が消えた。
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