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Family…幸せになろうよ (19)
しおりを挟む僕は翌日、久しぶりにいつものバーを訪れた。
思い切り肌を出したタンクトップの上に、ざっくりと作られた、だぼだぼの半袖のパーカを羽織り、下はサルエルタイプのチェック柄のパンツを合わせた。
「どうしたの、タカ? あんたらしくない格好しちゃって」
「そう?」
「そうよぉ、いつもはもっとこう、綺麗形オシャレな格好の癖に」
少し若ぶって、いつもよりもノリで声が掛けられ易いようにと意識したコーディネートに身を包んで、カウンターに腰を下ろした僕に、ママが驚いた顔をする。
「ちょっとね。たまにはいいかと思って」
「まあ似合ってなくはないけどぉ」
「ビール頂戴」
首を傾げるママに肩を竦めて見せた僕は、突っ込みが入る前にとさっさと注文を済ませた。早いところ相手を見付けないと、ママの雰囲気からして、雄大に連絡が行くかもしれないからだ。
今日はそれほど選り好みするつもりはない。変な性癖を持ってるような相手は御免だけれど、僕を抱いてくれて、とことん乱れさせてくれるやつなら、誰でも良いと思っていた。
数年ぶりに自覚してしまった感情を葬り去る為なら、相手なんて誰だって構わない。
「はい、ビール」
「ありがと」
ママからグラスを受け取って直ぐだった。
「久しぶり」
「え?」
「俺のこと覚えてる? 最近全然会えなかったから、河岸変えたのかと思ってた」
「ああ……久しぶり。ちょっと忙しくて来れなかっただけだよ」
声を掛けて来たのは、僕よりも幾つか若い、年下の男。
何度かこの店で顔を合わせた事はあったけれど、こうして会話を交わすのは初めてかもしれない。
「今日ってもう、決まった人いたりする?」
「いや……」
「マジ? じゃあさ、俺なんてどう?」
「ちょっとっ! タカはあんたなんかには勿体無いわよ」
パッと見ただけでも、いかにも軽そうな、今時の若者といった風体。
今までは大人びて見えるように、艶が出るようにと意識した格好でこの店に来ていた僕。声を掛けても相手にしてもらえなそうで、遠目で見ているだけだったのだと男は言う。
今日は声を掛けても大丈夫そうだったから、と笑った顔が……ほんの少し、本当に掠る程度だったけれど、濱田に似ている気がした。
「――ひと晩だけで後腐れ無し、って約束出来るなら……付き合っても良いよ」
「マジ? ラッキー! もち約束するし! それ飲んだら出ようぜ」
「分かった」
「タカっ! あんたちょっとは落ち着いたと思ってたのに!」
「もう、ママうるさい。ずっと品行方正にしてたんだから、僕だって久々にハメ外したいんだってば」
予想していた以上にあっさりと決まってしまった今夜の相手。普段夜を共に過ごす相手とは違ったタイプだったけれど、それでも構わないと思った。
「……後で後悔しても知らないわよ」
「後悔なんてしないよ――」
「そうそう! 俺ずっとタカさんと一回お願いしたかったんだよね、だからママは邪魔しないでよ」
「もうっ、本当に知らないからね!」
僕を心配してくれているママの気持ちは、痛いくらいに伝わってはいたけれど……心にあるのは叶う事の無い恋なのだ。濱田で無いのならば、誰が相手だって、僕にとって大差は無い。
どんなに恋焦がれても、ノンケの濱田と身体を繋ぐ事なんて出来るはずが無いのだから、だったら違う相手を求めて、溢れ出しそうな感情を発散させてもバチは当たらないだろう。
僕がグラスの中身を空けたところで、二人並んで席を立った。
ママの視線が僕の背中に向けられている事は分かっていたけれど、薄く微笑みを返すに留めて店を出る。
「場所、どっか希望とかある?」
「外じゃ無ければ、何処でも良いよ」
「やっべ、俺、暴発しそう。既に前屈みな感じなんだけど?」
「……若いんだから、何度だっていけるだろ?」
そうする事が当然だと言わんばかりに並んで歩く僕の腰に手を回す男に、わざと意味深な言葉を投げ掛けてやる。自分で言った言葉に嘘は無かったらしい。若干前のめりに歩く男の、僕の腰へと回された腕にくっと力が籠もった。
その目的だけに使用される場所を目指し歩く僕らの姿を、通りを挟んだ場所から見つめる瞳には気付かぬまま、僕は男に寄り添いながら足を進めた。
日付も変わった深夜、重い足を引き摺りながらアパートを目指す。
表通りはまだネオンに照らされ、昼と大して変わらない明るさがあるというのに、少し通りを外れただけで寝静まった住宅が立ち並ぶ。
無理をして明るくしているネオン街が、まるで今夜の僕のようで。
静まり返った住宅街の仄暗さが、まるで僕の心を映しているようで。
(本当、最悪――)
先ほどまで僕の身体を這い回っていた男の手を思い出しては、つい眉根が寄ってしまう。
(何で、濱田さんに似てるなんて思ったんだろう)
ちらりとでもそんな事を思ってしまった数時間前の自分が、悔やまれてならない。当然ながら、彼は濱田とは全くの別人だったし、若さに任せた勢いだけのセックスは苦痛すら感じるほどの行為だった。
「……ママの言った通りになっちゃったか」
前戯もそこそこに、広がり切っていない蕾を抉じ開けて入り込んで来た男の欲望。そもそも彼を相手にテクニックを期待してはいなかったけれど、望んでいたような快感は得られないままで終わってしまった繋がり。
『タカさん……ね、気持ちいい?』
『ん……っ』
僕の上で腰を使いながらの言葉に閉じていた瞳を開いた瞬間、求めていた温もりとは掛け離れている事に気付いて、薄ら寒くなった。
―――― 違う……
寂しさを埋める為だったはずの行為。
濱田を忘れたくて選んだはずの行為。
それなのに、抱かれていて浮かぶのは、たった一人の顔だけだった。そんな虚しい繋がりの中で、改めて自覚させられた自分の想いが、歯痒くて、切なくて。
それでもそんな想いとは裏腹に、男の身体なんて即物的に出来ている。性器を刺激されれば勃起もするし、前立腺を擦り上げられれば射精もする。
身体はスッキリとしたはずだというのに、少しも満たされた気になれないのは、そこに一欠けらの心も伴っていないからなのだろう。
店を出た際に僕が口にした 『若いんだから…… 』という言葉通り、彼は一度じゃ終わってくれなくて。このところ大人しくしていた僕にとっては、本当にもう勘弁してくれと頼みたくなるほど頑張ってはくれたのだけれど。
「結局、芽を摘み取るなんて、出来ないんだな……」
自嘲しながら漏らした呟きが、足音と共に夜の街へと溶け込んでいく。消し去る事が出来ない感情ならば、せめてばれないように、気付かれないように。
そんな決意を深めただけの時間だった。
痛む身体を騙しながら歩く僕の背後から、駆け寄って来る足音が聞こえたのは、アパートまでもう残り僅かといったところでだった。
「由高っ」
「っ……雄大」
背後からグイと腕を引かれて身を竦めれば、そこにいたのは雄大だった。
機嫌の悪そうな表情に、やはりママから連絡が行ったのかと思い当たり溜息が零れた。
「痛いから放せって」
「逃げねえ?」
「逃げるも何も……お前、僕の家知ってるんだし」
僕の言葉に渋々腕を放してくれた雄大と共に、部屋へと向かう。どちらもそれきり口を開く事が無いままの道のりは、やけに長く感じた。
僕が鍵を開けるのを待ち兼ねたように、ずかずかと部屋に上がり込んだ雄大が、勝手に冷蔵庫を漁り出す。
「ビールもらうぞ」
「僕にも取って……」
疲れた身体をソファに沈めながら雄大の声に反応を返せば、軽い舌打ちと共にいらついた仕草で扉を閉めた雄大が、それでも僕の分の缶も持って近付いて来た。
「ほら」
「……ありがと」
ソファ下に腰を落ち着けた雄大がプルタブを引き上げる音に、僕も力無く缶を開ける。
ごくごくと音を立てて嚥下する雄大に視線を向けながらひと口啜ったビールは、あまり美味しいとは感じられなかった。
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