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Family…幸せになろうよ (23)
しおりを挟むアプローチだなんて、思ってもみなかった。
これまでただ寝るだけを目的とした誘いなら何度も受けたし、自分からも仕掛けてきた。けれど本気の恋愛なんて経験が無いから、少しも気付けていなかった。
嬉しい、嬉しかった、でもそれ以上に……。
「こ、困る……そんな、事――何でこんな、急に……」
そうだよ、困る。
突然そんな事を言われても、今の僕には心の準備が何ひとつ出来ていない。
第一苑良はどうするつもりなんだ? 何て説明するんだ?
母親が亡くなってさほど月日も経っていないはずなのに、新しく彼女を作るどころか、相手が男、それも僕だなんて。
まだ幼い苑良の心に、傷を付けてしまう事にはならないのか?
それにもしも、もしも僕が彼を受け入れて、世間に知られてしまったら? 僕だけが偏見の目で見られるのなら、まだ我慢できる。あの頃の辛い経験があるから、僕だけならそれも乗り越えられるだろう。
だけど僕のせいで、彼らまで辛い目に合ったとしたら……そんなことは耐えられない。
「困る……か――そうだよなあ……コブ付きで借金もあるような男から好きだなんて言われたって、困るよな、ごめん」
視線を合わせる事も出来ずに、ただ狼狽えて口篭もる僕に、目の前の顔が寂しげに歪んだ笑みを浮かべた。
違うのに……そんな事を気にしているわけじゃないのに、上手く言葉が出てこない。
苑良の事は可愛いと思うし、濱田が一生懸命頑張って、借金を返そうと努力していることも、それと同時に苑良の子育てもしっかりやっていることも、この数ヶ月一緒に過ごして来た僕は知っている。
ただ僕はまだ、大事にしたいと思い始めたばかりの気持ちを、突然揺さぶられたことが怖かっただけなんだ。
一歩を踏み出す勇気を積み上げる前に、足元を崩されていくような感覚が怖くて。
「違っ、そういう意味じゃな――」
「じゃあどういう意味で? 付き合ってるヤツ、いるの? たまにここにも来る、あのレストランの人?」
濱田の辛そうな顔を見たくなくて、言葉も纏まらないまま必死で頭を振った僕の耳に届いたのは、意外な言葉で。
「そんなんじゃ……付き合ってる人なんていないし、雄大はただの友達だよ」
何故そんな勘違いをされたのかも分からない。雄大とは本当に友達以外の何の関係もないのだ。キスのひとつもした事がない。
否定の言葉を口にした僕を見て、濱田の表情が少しだけホッとしたものに変わった。その事に安堵したけれど、次の瞬間僕は再び硬直することになってしまった。
「じゃあ、俺が相手じゃ恋愛対象として見れないってこと? 可能性は全然無い?」
「だって、僕は男だし――」
「男だなんて最初から分かってる! だからずっと言えなかったんじゃないか……なのに、この前の土曜日、ゲイバーから出て来たよね、男と一緒に」
「……え」
今この人は、何て言った?
「ああいうのが成宮さんのタイプなの?」
見られていた?
濱田への想いを押し込めたい一心で、久々に繰り出した夜の街。初めて知った虚しいだけのセックスは、心が痛んだだけだった。
けれどそのおかげではっきりと自覚できた濱田への想い。
僕にとっての転機となったあの一夜を……よりにもよって、濱田に目撃されていただなんて。
「俺が働いてるホストクラブ、あの店のすぐ近くにあるんだ。お客さん見送りに外出たら、あんたが男と店の中から出てきた。じっくり時間掛けようと思ってたのに、あんなの見ちゃったら焦るだろ?」
「違っ……濱田さ、僕は、僕……」
「違う? 違わないでしょ? そりゃ珍しいなって服着てたけど……俺が成宮さんを見間違えるはずない。眼鏡のあんたも、素顔のあんたも知ってるんだし」
首を横に振る事しか出来ない僕を見て、濱田の眉が寄った。
腑に落ちないという表情の彼に、それでも僕の方から、その事実を肯定する言葉を告げる事は出来なかった。
何からどう伝えれば良いのだろう。
男と連れ立って出て来たところを見られていたのならば、そこから何処へ向かったのかも、容易に想像が付くだろう。向かった先で何があったかも、濱田には分かっているに違いない。
「あの、店は…雄大の、お兄さんがやってる店で……それで――」
「え……」
そういう意味で僕の事を好きだと言ってくれた濱田だから、僕がゲイだと知っても、きっと受け止めてくれる。
そう信じられるのに、それでも尚、軽蔑されてしまう事が怖くて。隠す事無く話してしまおうと思う気持ちも確かにあるのに、どうしても言葉に詰まってしまう。
「お兄さん……そう、なんだ――」
「あ、の……濱田、さん?」
「なんだそっか。そういうことか」
途切れ途切れではあったけれど、気持ちを伝えなければと言葉を探す。こんな僕に正面から想いを伝えてくれた濱田の気持ちに、僕も応えたいと思った。
どんなに怖くても、きちんと順を追って話せば分かってくれるはず。
覚悟を決めて顔を上げた時に、それまで痛いほど僕に注がれていた濱田の視線が、ふっと外された。目の前にあったのは、顔を起こした僕とは対照的に、顔を俯けた濱田の姿だった。
「ごめん。そうだよな、ゲイバーから出て来たからって、ゲイだとは限らないよな……気分悪かったでしょ? ほんとごめん」
「え? あの、濱田さんっ」
「すぐに吹っ切るのは無理だけど頑張って諦めるし、なるべく顔合わせないようにするからさ」
「濱田さんっ、何言って――」
どうしたら良いのか分からなかった。
僕は何を間違えたのだろう。どの言葉が彼を傷付けたのか、混乱する思考の中では思い付くことも出来ない。
「隣に住んでる男が自分を狙ってるとかって、気持ち悪いかもしれないけど、そこは勘弁して? ほら俺、引越す金も無いしさ」
「そんな事思ってない!」
「ああそれと、俺の事は無視しても良いから、苑良とはこれまで通り付き合ってやってくれると嬉しい」
「ちょっと濱田さん、違うってば」
僕と顔を合わせようとしないまま、濱田の口からは滝のように言葉が流れ落ちる。
急に変わった態度に戸惑いながらも、何か誤解をしているらしい濱田と、もう一度ちゃんと話がしたくて。
僕の話を聞いて欲しくて、必死に口を挟もうとしたけれど、僕の言葉に被せるように次々発せられる言葉に、気圧されるばかりだった。
「マジでごめん! 勝手な事ばっか言ってごめんっ、さっきの話は忘れて! んじゃ、苑良起きちまうとまずいから帰るわ、おやすみっ!」
「待って、濱田さん、濱田さんっ!」
狼狽えるばかりの僕の前から、言いたい事だけ言い置いた濱田が身を翻す。靴下のまま慌てて玄関へ飛び降り、閉じかけた扉を開けば、既に濱田の姿は隣室の玄関の中へ消えていた。
「濱田さん、僕の話も聞いてってば!」
縋るように扉を叩きながら、僕は何度も濱田の名を呼んだ。けれど聞こえて来たのは、絞り出すような小さな声。
『ごめん……苑良が起きるから――』
「あ……でも、濱田さんっ」
『成宮さん明日も仕事でしょ? 早く休んだ方が良いよ、おやすみ』
「濱田さんっ」
開かれる事の無い扉に焦れながら、精一杯の勇気で語り掛ける僕の耳に届いたのは、消えてしまいそうな掠れた声だった。
苦しげで、けれどとても優しい声が、胸に突き刺さる。
「――聞いてよ…僕はまだ、何も話せてない……ねえ、濱田さん」
玄関扉の向こうに彼の気配はあるのに、それきり扉の内側から、言葉が返ってくる事は無かった。
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