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美女と魔獣とヤベー奴 *主従愛*
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春うらら。
お貴族様のご婚約者様同士が、今日も今日とて仲睦まじく、交流のためのお茶会を開いております。
「次期伯爵…様、虫」
「ほげえっ!」
悲惨な声を上げながら、社交界きっての美女伯爵令嬢アンリエッタの婚約者、伯爵令息タリネスは回転しながら地面に落ちた。握った拳を思い切り振り抜いた形で止まっているのは、アンリエッタの侍女ロロ。何事にも動じない、無表情がトレードマークだ。
タリネスは腫れ上がった頬を押さえ、鼻と口から流れる血を拭いながら起き上がる。
「虫を退治するのに、そんなに全力で来なくてもいいのではないかな。振りかぶって思い切り体重を乗せて来たよね」
驚愕の瞳でタリネスはロロを見る。ロロは侍女然とした立ち姿に戻っており、頭を下げる。
「今すぐ確実に息の根を止めねばと気合いが入ってしまいまして」
「それ、虫の話だよね?そうだよね?」
それに答えることなく、ロロはそっと侍女の控える位置に戻る。そこにはロロの愛魔獣ネロが寝そべっている。主が戻ると嬉しそうに喉を鳴らして擦り寄る可愛い奴だ。タリネスに手を貸すことなくネロと戯れることはいつものことなので、タリネスは気にすることなく、倒れた椅子を自分で起こして座り直す。
「しかしアンリエッタといると頻繁に虫に狙われるな、私は。おかげで体が丈夫になった気がするよ」
交流の度にロロに殴られることが日常となっているタリネスは、かなり打たれ強くなっていた。ちょっとやそっとではへこたれない。ただ、交流会の度に満身創痍で帰ってくる息子に、タリネスの両親は不安を覚えてはいる。
「タリネス様、どうぞ」
あらあら、とアンリエッタも慣れた様子で濡れたタオルを差し出す。ありがとうと受け取り、腫れた頬を冷やしながら、ふと思い出したようにタリネスはロロに尋ねた。
「そう言えば今更だけど、いつも次期伯爵と呼ぶが、伯爵令息ではダメなのか?変な呼び方をするな、ロロは」
「本当に今更だな。普通だと思いますが」
しばし見つめ合う。
気を取り直し。
「それにロロが私を呼ぶとき、伯爵と様の間に、何か間があるように感じるのだが、何なのだ?」
「気のせいですね」
になれるかも、になれるといいですね、になれるかな?などの、カッコ笑いと後に付きそうな言葉を心内でその間に入れているだけだ。何事もないようなら、確かにタリネスが継承するのだが。
「そうか。まあいい。少し歩くか、アンリエッタ」
アンリエッタの邸だが、タリネスが主導する。タリネスは少々常識知らずな行動を取ることがある。悪意があるわけではない。頭が足りないだけだ。悪い人間でもない。使用人の暴言や暴行にも、不敬だの何だのと貴族という地位を振りかざすことをしない。とにかくタリネスという人間は、良くも悪くも常識知らずなのだ。
「アンリエッタ、もう少し早く歩けないか?まったぐぎゃああぁっ?!」
突然拳大の石が飛んできて、タリネスの後頭部に直撃した。
「次期伯爵…様、虫。お嬢様、ご無事ですか」
常識外れな言動、特にアンリエッタを大切にしないと、虫が現れるらしい。
「まあ、ロロ。わたくしは何ともありませんわ。それよりタリネス様が」
「間に合わないと思い、手近なもので咄嗟に退治を試みました」
「おまえの仕業かあっ!」
元気に起き上がったタリネスに、ロロは舌打ちをして頭を下げる。
「お怪我がないようで何よりです」
「怪我してる、怪我してるよ、思いっきり!何見てるのかなあ?!」
「そうですか。では手当てをいたしましょう。患部をお見せ下さい。さあ早く」
右手にノコギリ、左手にハンマーを持ったロロが躙り寄る。
「に、日曜大工、の話と間違えていないよね?ね?」
どこから出したんだろう、と考えながら、ロロを思い留まらせようと両手を前に突き出しながら後退る。
「いや、よく考えたら怪我していなかった。ロロが正しい。疑って悪かった!ごめんなさい!」
謝罪の出来るタリネス。そんな二人のやり取りを、アンリエッタはいつだって微笑ましく見守っている。
「なあ、ロロよ。いつも思うが、いつもそんなに虫がいるのか?」
大工セットを手放したロロに安堵の息を吐きつつ、タリネスはやはり今更なことを尋ねる。
「“そんなに”はいません。いつもひとんっんんっでございます」
ひと…ひと?
しばし見つめ合う。
「いや、一度に出る数ではなく」
「ああ、仕留められていないので、いつも同じものです」
私を見る目がハンターのソレだ、とタリネスはゴクリと喉を鳴らした。
「え、仕留められてなかったの?だ、だが、そうか。虫の見分けがつくとは、すごいな、ロロは」
褒めてみたが、やはり私を見る目が、とタリネスはそっと視線を外す。
「あ、ああ、そうだ、ネロ、向こうに」
魔獣ネロに逃げ場を求めようとして。
「――?!――!」
ネロに頭から上半身を噛まれたタリネスは、ネロの口の中で何かを叫んでいる。
「格下から名前を呼ばれて不快だよね。でもまだこんなのでも一応お嬢様の婚約者だから、放してあげて」
食べても美味しくないどころか害になりそうだと思っているので食べたりはしないが、体の一部がなくなってもいいんじゃないかなくらいには思っているネロ。だから、渋々タリネスを解放する。
「大丈夫?」
食べたらバカがうつると思っているので、ネロの顔を撫でながら、心配そうに見つめるロロ。ネロは心配無用だと言うように、ロロの頬をベロリと舐めた。
「私の心配はないのかなあ」
涎でびちゃびちゃのタリネスは、地面に捨てられながら遠い目をする。そんなタリネスに、ロロは相変わらず無表情のままサムズアップをした。
「ネロが本気でしたら、次期伯爵…様の胴体は噛み千切られておりますよ」
だから大丈夫、と。
「怖いことを言うなあ。一応好かれていると思っていれば良いか」
ネロの涎を滴らせる自分の有り様に顔を顰めつつ、タリネスはやれやれと溜め息を吐く。そんなタリネスに、ロロは軽く頭を下げた。
「おめでたい頭でございます」
「なんて?」
行動と言葉の乖離に、タリネスの脳が理解を拒否した。
「お召し物どころかお顔全体までネロの涎で大変なことになっております。ネロの涎は耐性のない者は麻痺します。お嬢様に付いたら大変ですのでとっととお帰りになった方が世のため人のためではございませんか」
タリネスの屋敷の方向を指さしながら、ロロは親切に指摘する。ちなみにタリネスは耐性ありだ。何故かはご想像にお任せする。
「言い方に悪意を感じるのだが」
タリネスは、首を傾げる。
「次期伯爵…様が狭量故そう感じるのでございましょう」
「あれ?貶めてる?」
そこへ。
「そろそろお時間でございます、お嬢様」
今回のお茶会は、残念ながらこれにておしまいだ。終了を告げるロロに、アンリエッタはおっとりと微笑み、タリネスはつい入ってしまっている肩の力が抜けた。
「ではアンリエッタ、またな」
「ご機嫌よう、タリネス様」
門まで見送り、柔らかく手を振るアンリエッタ。
ネロの涎をボタボタと垂らしながら馬車に乗り込む姿は、何だかシュールだった。
*おしまい*
タリネス様、アホなだけで気のいい奴です。
だからかまわれているのです。
作者もキライではない。
お貴族様のご婚約者様同士が、今日も今日とて仲睦まじく、交流のためのお茶会を開いております。
「次期伯爵…様、虫」
「ほげえっ!」
悲惨な声を上げながら、社交界きっての美女伯爵令嬢アンリエッタの婚約者、伯爵令息タリネスは回転しながら地面に落ちた。握った拳を思い切り振り抜いた形で止まっているのは、アンリエッタの侍女ロロ。何事にも動じない、無表情がトレードマークだ。
タリネスは腫れ上がった頬を押さえ、鼻と口から流れる血を拭いながら起き上がる。
「虫を退治するのに、そんなに全力で来なくてもいいのではないかな。振りかぶって思い切り体重を乗せて来たよね」
驚愕の瞳でタリネスはロロを見る。ロロは侍女然とした立ち姿に戻っており、頭を下げる。
「今すぐ確実に息の根を止めねばと気合いが入ってしまいまして」
「それ、虫の話だよね?そうだよね?」
それに答えることなく、ロロはそっと侍女の控える位置に戻る。そこにはロロの愛魔獣ネロが寝そべっている。主が戻ると嬉しそうに喉を鳴らして擦り寄る可愛い奴だ。タリネスに手を貸すことなくネロと戯れることはいつものことなので、タリネスは気にすることなく、倒れた椅子を自分で起こして座り直す。
「しかしアンリエッタといると頻繁に虫に狙われるな、私は。おかげで体が丈夫になった気がするよ」
交流の度にロロに殴られることが日常となっているタリネスは、かなり打たれ強くなっていた。ちょっとやそっとではへこたれない。ただ、交流会の度に満身創痍で帰ってくる息子に、タリネスの両親は不安を覚えてはいる。
「タリネス様、どうぞ」
あらあら、とアンリエッタも慣れた様子で濡れたタオルを差し出す。ありがとうと受け取り、腫れた頬を冷やしながら、ふと思い出したようにタリネスはロロに尋ねた。
「そう言えば今更だけど、いつも次期伯爵と呼ぶが、伯爵令息ではダメなのか?変な呼び方をするな、ロロは」
「本当に今更だな。普通だと思いますが」
しばし見つめ合う。
気を取り直し。
「それにロロが私を呼ぶとき、伯爵と様の間に、何か間があるように感じるのだが、何なのだ?」
「気のせいですね」
になれるかも、になれるといいですね、になれるかな?などの、カッコ笑いと後に付きそうな言葉を心内でその間に入れているだけだ。何事もないようなら、確かにタリネスが継承するのだが。
「そうか。まあいい。少し歩くか、アンリエッタ」
アンリエッタの邸だが、タリネスが主導する。タリネスは少々常識知らずな行動を取ることがある。悪意があるわけではない。頭が足りないだけだ。悪い人間でもない。使用人の暴言や暴行にも、不敬だの何だのと貴族という地位を振りかざすことをしない。とにかくタリネスという人間は、良くも悪くも常識知らずなのだ。
「アンリエッタ、もう少し早く歩けないか?まったぐぎゃああぁっ?!」
突然拳大の石が飛んできて、タリネスの後頭部に直撃した。
「次期伯爵…様、虫。お嬢様、ご無事ですか」
常識外れな言動、特にアンリエッタを大切にしないと、虫が現れるらしい。
「まあ、ロロ。わたくしは何ともありませんわ。それよりタリネス様が」
「間に合わないと思い、手近なもので咄嗟に退治を試みました」
「おまえの仕業かあっ!」
元気に起き上がったタリネスに、ロロは舌打ちをして頭を下げる。
「お怪我がないようで何よりです」
「怪我してる、怪我してるよ、思いっきり!何見てるのかなあ?!」
「そうですか。では手当てをいたしましょう。患部をお見せ下さい。さあ早く」
右手にノコギリ、左手にハンマーを持ったロロが躙り寄る。
「に、日曜大工、の話と間違えていないよね?ね?」
どこから出したんだろう、と考えながら、ロロを思い留まらせようと両手を前に突き出しながら後退る。
「いや、よく考えたら怪我していなかった。ロロが正しい。疑って悪かった!ごめんなさい!」
謝罪の出来るタリネス。そんな二人のやり取りを、アンリエッタはいつだって微笑ましく見守っている。
「なあ、ロロよ。いつも思うが、いつもそんなに虫がいるのか?」
大工セットを手放したロロに安堵の息を吐きつつ、タリネスはやはり今更なことを尋ねる。
「“そんなに”はいません。いつもひとんっんんっでございます」
ひと…ひと?
しばし見つめ合う。
「いや、一度に出る数ではなく」
「ああ、仕留められていないので、いつも同じものです」
私を見る目がハンターのソレだ、とタリネスはゴクリと喉を鳴らした。
「え、仕留められてなかったの?だ、だが、そうか。虫の見分けがつくとは、すごいな、ロロは」
褒めてみたが、やはり私を見る目が、とタリネスはそっと視線を外す。
「あ、ああ、そうだ、ネロ、向こうに」
魔獣ネロに逃げ場を求めようとして。
「――?!――!」
ネロに頭から上半身を噛まれたタリネスは、ネロの口の中で何かを叫んでいる。
「格下から名前を呼ばれて不快だよね。でもまだこんなのでも一応お嬢様の婚約者だから、放してあげて」
食べても美味しくないどころか害になりそうだと思っているので食べたりはしないが、体の一部がなくなってもいいんじゃないかなくらいには思っているネロ。だから、渋々タリネスを解放する。
「大丈夫?」
食べたらバカがうつると思っているので、ネロの顔を撫でながら、心配そうに見つめるロロ。ネロは心配無用だと言うように、ロロの頬をベロリと舐めた。
「私の心配はないのかなあ」
涎でびちゃびちゃのタリネスは、地面に捨てられながら遠い目をする。そんなタリネスに、ロロは相変わらず無表情のままサムズアップをした。
「ネロが本気でしたら、次期伯爵…様の胴体は噛み千切られておりますよ」
だから大丈夫、と。
「怖いことを言うなあ。一応好かれていると思っていれば良いか」
ネロの涎を滴らせる自分の有り様に顔を顰めつつ、タリネスはやれやれと溜め息を吐く。そんなタリネスに、ロロは軽く頭を下げた。
「おめでたい頭でございます」
「なんて?」
行動と言葉の乖離に、タリネスの脳が理解を拒否した。
「お召し物どころかお顔全体までネロの涎で大変なことになっております。ネロの涎は耐性のない者は麻痺します。お嬢様に付いたら大変ですのでとっととお帰りになった方が世のため人のためではございませんか」
タリネスの屋敷の方向を指さしながら、ロロは親切に指摘する。ちなみにタリネスは耐性ありだ。何故かはご想像にお任せする。
「言い方に悪意を感じるのだが」
タリネスは、首を傾げる。
「次期伯爵…様が狭量故そう感じるのでございましょう」
「あれ?貶めてる?」
そこへ。
「そろそろお時間でございます、お嬢様」
今回のお茶会は、残念ながらこれにておしまいだ。終了を告げるロロに、アンリエッタはおっとりと微笑み、タリネスはつい入ってしまっている肩の力が抜けた。
「ではアンリエッタ、またな」
「ご機嫌よう、タリネス様」
門まで見送り、柔らかく手を振るアンリエッタ。
ネロの涎をボタボタと垂らしながら馬車に乗り込む姿は、何だかシュールだった。
*おしまい*
タリネス様、アホなだけで気のいい奴です。
だからかまわれているのです。
作者もキライではない。
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