猫文-ねこふみ-

四季人

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猫文

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 曲がり角を過ぎた男みたいに、ベランダの柵にもたれながら、赤く染まっていく太陽を見つめ、哀愁を感じるなんて、生意気だろうか。
(休み、無駄にしたな……)
 煙草の煙を夕焼け空に向かって吐き出しながら、胸中でごちた。
 無駄といっても、台所の洗い物と、溜まっていた洗濯物はキレイに片付いたのだから、正確には無駄じゃあない。
 とはいえ、たまの休みを家事だけで終えてしまうなんて、社会人2年目としては、やっぱり切なかった。
 日頃から少しずつ家事を進めておけば、休日はフリーになるんだけど、……かといって、デートする相手も遊びに行く元気もない週末をどう過ごせば良いかなんて、僕にはよく分からない。
 学生時代はぼーっとしててもつるむ相手はいたし、退屈で灰色な時間なんて滅多に無かったが、社会に出たらそうもいかない。
 そうなのだ。そんなことになるなら、もっと熱心に友情を深めておけばよかった。なぜ誰も教えてくれなかったんだろう。
 学生時代のLINEグループのトークページを、ただ懐かしむ為にとっておいて、煙草に火をつけるたびに(僕にも友達がいたんだけどなぁ……)なんて自分を慰めてるなんて、惨めで哀れだ。

 なぁん。

 喉の奥に絡む様な鳴き声に、僕はビックリして視線を下げる。
 白猫だ。
 柵にかけたサンダル履きの足に、ふわりと尻尾の先を絡ませて、ガラスの眼でこちらを見上げていた。
 僕は、突然の来客に微笑みかけて、
「…………え?」
 ここ、3階だぞ? ……と、不恰好にキョロキョロ見回した。
 一体、どうやって迷い込んで来たんだろう、この猫。

 なん。

 僕の足の周りをくるりと歩き回って、彼女(いや、彼かも?)はデニムパンツに身体を擦り付ける。
 なんだか、とても人懐っこい。
 幻でも見てるのか、と思ったが、裾についた毛を見て、現実だと確信する。
 本能のままに、でも上品で。その様を見て、僕は彼女……うん、事実はともかく、ここは〝彼女〟としておこう……彼女から目を離せなくなった。
 彼女が驚いて逃げ出さない様に、そろり、と柵から離れ、ベランダの隅に置きっ放しにしている木製のグラウンドチェアに腰掛けた。
 使い古しの灰皿に吸い殻を押し付け、近づいてくるのを期待して待つ。

 なぁん。……ふあぁ。

 でも、彼女は少し離れたところで、こてん、と横になって、ただじっとこちらを見つめたままだった。
 それでも、ありがたい。
 卒業してから1年半、ここまで親切に距離を詰めてきてくれたのは、キミが初めてだ。

 そのまま、10分。
 カラ、と近くで窓を開ける音がして、白猫は耳を立てて振り返る。
 彼女はうちと隣の部屋のベランダとを仕切っている防火扉をじっと見つめた後、おもむろに立ち上がって細い身体をぐぐぅと伸ばすと、僕を一瞥してから、ベランダの柵の方へ歩いて行き、20センチ足らずの幅しかないコンクリートの上をつるりと歩いて、防火扉の向こうへ消えていった。
 ははぁ。……なるほど。
 僕はすっかり感心して、彼女の余韻が残るベランダを一度見渡してから、くすりと笑って、部屋に戻った。


 それから何日かに一度は、彼女が僕の部屋のベランダでくつろいでる姿を見かける様になった。
 隣の住人の飼い猫らしいというのは分かったが、当の住人はまだ見かけた事がない。
 飼い猫がこちらのベランダに遊びに来ている事は向こうも知ってると思うけれど、その件があるからこそ、余計に顔を合わせるのは気まずかった。
 何かの切っ掛けで、もし「迷惑をかけているかも」と思われてしまうと、やっと知り合えた小さな友だちと会えなくなってしまうかも知れない。
 気まぐれに訪れる彼女が、今の僕にはささやかな安らぎになっていたから、それが叶わなくなるのは避けたかった。

 彼女がやって来ると、僕はそれまでやっていたことを止め、ベランダに出て、グラウンドチェアに腰掛ける
 そして、お腹に日差しを受けている彼女を眺めるだけの穏やかな時間を過ごすのが楽しみになっていた。
 そんなある日、ペットボトルのアイスティーを少しずつ含みながら彼女を待っていると、

 なぁん。

 いつもより曇った声色を上げてやってきた彼女は、クシュクシュした布製の首輪のような物をつけていた。
 へぇ、珍しい。キミもおしゃれしたりするんだ。
 などと、僕は微笑ましく彼女を見ていたけれど、どうもご本人はその飾りが気に入らないのか、しきりに後ろ足で首に巻き付いたそれを取ろうとしている。
 そして、
 
 なん。

 こちらを見て、不満そうな声で短く訴えてきた。
 気が引けたが、友人たっての願いだし、無視するのも忍びないので、僕は彼女に近づいて、せめて位置を直してあげようと手を伸ばした。
 サラサラした素材のそれを摘んだ瞬間、待ってましたとばかりに彼女はそこから頭を抜き取り、僕の手には、彼女の首飾りが残され、て……。

 ……。

 手のひらに乗ったそれを見て、僕の思考が停止する。
 小さな友だちの首に巻きついていたのは、それこそ首輪でも飾りでもない。

 女性用の、下着だった。

「えぇ、キミ、これは、まずいよ……」
 僕はどういう顔をしたら良いかわからないまま、友人をなじる様な目で見た。
 首周りがスッキリした彼女は、頭をぷるん、と振って

 にゃあん。

 と、満足げに鳴いた。
 対して僕は、まるで、ピンを抜いた手榴弾を渡されたような気分だ。
 どうすればいいんだ、これ……。
 いけないと思いつつ、友人がほんのりとボロボロにしてしまったそれをしばし観察して、どう処理すべきか必死に考える。
 お隣さんが家にいるタイミングを見てインターホンを鳴らして返すのも、なんだかご近所トラブルに発展しそうで怖いし、かと言って、また彼女に巻き付けて持ち帰ってもらうのも、さっきまでの様子を知っているだけに、可哀想に思えてしまって、出来ない。
 未だかつてない厄介な問題に直面している僕を尻目に、彼女は呑気に欠伸している。
 あぁ、キミの事は友だちだと思ってたのに。まいったな……。
 そう思っていると、

 カララ、と仕切りの向こうで窓が開く音がして、彼女はいつものように、そそくさと帰って行ってしまった。
 なんて薄情な。
 残された僕、残されたパンツ。
 良い方法が何も思い付かないまま、僕は途方に暮れた。


 1週間後、ベランダにやってきた白猫を見て、僕はおや、と思った。
 彼女は濃いピンクの首輪をしていた。

 なぁん。

 部屋の中の僕を呼ぶように鳴いた彼女に近寄ると、首輪の喉元に下がった小さなチャームがきらりと揺れた。
 真鍮色をした、妙に目立つ円筒状のそれをしげしげと見つめた僕は、そろりと手を伸ばして触れてみる。
 チャームは首輪の金具にフックで繋がれていた。
 僕は何となく理由を察して、彼女の背を撫でてやりながら、それを外す。
 思った通り、それは捻って蓋が外せる容器になっていて、中にはレシートくらいの大きさの紙が丁寧に巻かれて収められていた。
 開くと、小さくて几帳面な字がつらつらと並んでいた。

『突然のお手紙、失礼します。
 隣の305号室に住んでいる三宅です。
 つかぬコトをお聞きしますが……。
 もしかして……ウチのさくら、
 何か、そちらに忘れ物をしていませんか?
 意味不明だったらゴメンナサイ、
 忘れてください。』

 その文面に、ドキリとする。
 ぼんやりはぐらかした書き方ではあるけど、忘れ物なんて、この前彼女が首に巻き付けて持ってきてしまった〝あれ〟の他に考えられない。
 僕は、柵の間から下界を見下ろしてる白猫の後頭部を見つめる。
 キミも、随分と責任の重い任務を背負ってきたもんだな。
 結局、〝例の物〟はどうしたら良いか分からず、カフェの紙バッグに入れて、今も部屋の隅に置きっぱなしになっていた。
 返した方がいいのか、それとも処分した方がいいのか、決めあぐねて、放置したままなのだ。
 でも、今はとにかく、持ち主が寄越したこの手紙の返事をどうするべきか考えよう。
 僕は一旦部屋に戻ると、何かの景品でもらったメモパッドにペンを走らせる。

『304の一条です。
 こちらこそ、すいません。
 その忘れ物には心当たりがあります。
 どうしたらいいですか?』

 走り書きしたそれを隣の部屋のドアポストに投函しようと玄関に行きかけ、はたと止まって、振り返る。
 お隣さんの白猫は、今はベランダのグラウンドチェアの上でくつろいでいた。
 それを見て、僕は少しだけ思案する。
 彼女がメッセンジャーになっていたことに、何か意味があるように感じて、僕は、おもむろにメモ用紙を小さく巻く。そして例の円筒状のカプセルに収めて、彼女の首輪にかちゃりとつけた。
「さくらちゃん、だっけ。お返事入れたから、ご主人様に届けてくれる?」

 なん。

 こちらを見て返事をした彼女の頭を手のひらで撫でてやると、気持ちよさそうに目をつむって額で押し返してきた。
「うん、頼んだよ」
 僕が言うと、それが通じたのか、さくらちゃんはぎゅうと伸びをして、お隣のベランダへと消えていった。
 ふふ、とその様子を見送っていると、仕切りの向こうで、

 じゃりり、

 ……とサンダルを擦るような物音がした。
 思わず息を潜める。
 まさか、お隣さん、今までずっと、この仕切りの向こうにいた……?
 じゃあ、今猫に話しかけてしまっていた事も、聞かれてしまったのか。
 一瞬恥ずかしさで、かぁと顔が熱くなったが、まぁ今更気にしても手遅れか……と思い直し、さらりと流すことにする。
 そのまま、何となく聞こえて来る微かな物音と、猫ののびやかな鳴き声に、
(あぁ、今また返事を書いてるのかな……)
 なんて、想像をする。
 声を掛けてしまえば一瞬なんだろうけど、それをしない。
 玄関のドアポストに入れれば、もっと手間もないのに、あえて白猫に手紙を運ばせた。
 なんとなく、そこにほんの少しの遊びといじらしさが見えて、僕は姿も知らない友人の飼い主に、強く興味を惹かれた。

 手紙の返事を携えて、小さな配達人が再び僕の元へやって来る。
 早速中身を確認すると、

『あ、やっぱりそうでしたか💦

 ご迷惑をおかけいたしました。
 それで、一つお願いなんですが、
 忘れ物はウチのドアノブにかけて
 もらえますか?
 終わったらインターホンを押して
 もらえると助かります。

 よろしくお願いします🙏🏻』

 手書きの絵文字混じりに、そう書いてあった。
 それだけで相手の人となりが少しだけ見えて、僕は少しだけホッとした。
 断定はできないけど、忘れ物の件も含めて、僕とそんなに歳は変わらなくて、こういうやり取りが好きなユーモアがある人なんだろうなと思ったからだ。

 僕はリビングに戻って、例の忘れ物が入った紙製のバッグを掴むと、玄関を出た。
 そして、手紙の指示通りにドアノブにバッグを引っ掛けると、インターホンを押す。
 実際、ここでじっと待っていれば、お隣さんがどんな人か見る事は出来る。
 でも、ほんのわずかなやり取りで作り上げた関係性というか、信頼感を無くしたくなかったので、僕はインターホンの音が鳴り止むより先に、自分の部屋に戻った。
 ベランダに出ると、友人は「上手くやったか?」と言わんばかりにこちらを見上げて、小さく鳴いた。
「もちろん。……キミのご主人様、面白いね」
 きっと、お隣さんは今頃玄関に向かっているだろう。僕は小声で彼女にそう言った。


 その後も、何となくさくらちゃんの首輪につけたカプセルを通して、僕とお隣さんは短い手紙のやり取りを続けていた。
 先日の忘れ物の経緯なんかもそうで、

『わたしが洗濯物をたたんだあと、
 ソファの上に置きっぱなしにしてたのが
 いけないんです💦
 よく崩されたり、巣にされたりして。

 その時もぐちゃぐちゃにされてて、
 片付けてたら〝1枚足りない!〟って
 なっちゃって😆』

 僕は、目を通しながら吹き出す。
 そして、小さな友人を見て、
「さくらちゃん、あまりご主人様を困らせちゃダメだよ?」
 と。とりあえず言っておく。

 にゃん。

 でも、心の中では、それがきっかけでこの新しい楽しみが出来たんだよな、と、こっそり感謝していた。
 それに、
「キミが時々妙に甘い匂いなのは、それかぁ」
 僕は納得して、彼女のアゴを撫でる。
 うっとりしてる彼女からは、今日も甘めの柔軟剤の香りがする。
 それがなんとなく気になっていたから、僕は彼女が遊びに来るようになってから煙草を吸うのはやめていた。
 そして僕はグラウンドチェアに腰掛けて、キャンプ用の折り畳みローテーブルの上で返事を書く、

『なるほど😆
 それであの日は引っかかっちゃったまま
 こっちにきちゃったんですね。
 でも、事故とかにならなくて
 ホントによかったです!』

 LINEのように短い内容の手紙をしたためて、また白猫に託す。
 彼女は自分の役目がわかってきたのか、首輪に真鍮のカプセルを取り付けられると、にぁん、と一つ鳴いて、ご主人の元へと戻って行くのだ。
 僕は、この僕らだけのやり取りをとても気に入っていたから、お隣さんの連絡先を聞こうなんて野暮はしなかった。
 ただ、白猫のさくらを介して、とりとめもない会話のように短文のやり取りを楽しむだけだ。
 何日かに一度の休みはベランダで過ごす事が多くなり、そうでない平日も、朝の準備中に小さな配達人が窓枠をカリカリと掻いてくるので、以前のような寂しさは感じなくなってきた。
 そんな事が増えたので、朝は窓を開けるようにして、すぐに返事を書けるようにメモとペンは常に持ち歩くようにしていた。
 こうやって、楽しみの事情に合わせて生活のルーティンが変化するのは楽しい。

 ………………

『そういえば、コーヒーお好きなんでしたっけ?
 和菓子屋の向かいにオープンしたカフェ、
 美味しかったし、居心地も良かったですよ☺️』
 
『あのお店、ずっと気になっていたんです。
 へー、おいしいんだ。
 今度行ってみようかな😊』

『2杯目以降のおかわりが安いし、
 クラブハウスサンドも具がたっぷりでした!
 オススメですよ!』

 ………………

『そうそう、気がつくと増えていっちゃうんです、
 ネコの写真集🐾 また買っちゃって😆』

『いいんですかー? さくらちゃんいるのに😅
 見てる時に嫉妬したり、ジャマされたり
 そういうのないんですか?😁』

『ありますよー😆
 開いてると不満そうにすり寄ってきて。
 さくらの目が届くところに置いたせいで、
 一冊ツメとぎに使われちゃって、
 ボロボロにされちゃった事もあります😭
 高かったのにいい……』

 ………………

 すぐに返ってこない返事を、心待ちにしながらベランダの椅子に腰掛ける。
 この時間の掛かる受け答えだって、楽しみの一つだった。

 でも、僕は大事な事を見落としていた。

 もっと早く……軽く一枚羽織るようになった時期に、気が付くべきだったのだ。
 季節が変わり、しまった、と思った時には、もう遅かった。
 木枯らしが肌を刺す時期になると、小さな配達人は外に出るのを躊躇うようになったのか、めっきり見かけなくなってしまったのだ。
 今更後悔してもどうにもならない。
 壁一枚隔てた僕らは、共通の白い友人がいないと会話する事もままならない。
 だけど、それは、直接会ったり、やり取りをする勇気がなかったからだとか、そういう事じゃない。
 それこそ、確かめ合った訳でもないけれど。
 1匹の白猫がメッセージを運んでくれて、少ししてから返事を持って来てくれる……ただそれだけが、嬉しかった。
 そんな緩い交流を望んだのは僕ら2人ともだったのだから、これは仕方がないことなのだろう。
 僕は、満たされない気分で日々を過ごし、休みの日は寒空の下で、また煙草の煙を吐き出すようになっていた。
 今まで通り手紙を書いて、配達人を待たずに隣の部屋のドアポストに入れてくれば、また会話を再開できるかも知れない。
 でも、それは違うと思った。
 きっと、距離を縮めてしまったら、今までのような会話ではなくなってしまう。
 そう考えてるのが僕だけじゃないから、きっとウチのドアポストにも手紙が入る事がないのだろう。
 半面、けれど、とも思う。
 もしかしたら、猫の郵便を寂しんでいるのは僕の方だけだったのかも知れない。
 彼女がウチのベランダに来るまで僕には話し相手がいなかったけれど、相手もそうだとは限らない。
 僕にとっては大事な時間だったけれど、それこそ相手にとっては気紛れの暇潰しだったのかも。
 そして、それを確かめる術も、今はもう、ない。
 モヤモヤした気持ちを煙草の煙に混ぜて、冷たい色の曇天に撒き散らす。
 けれど、そんな事で気持ちが晴れる事は無かった。
 ただ、あの小さな白い友人の温もりが恋しかった。


 久々に良い陽気の日だった。
 僕はいつものように煙草とライターを持ってベランダに出る。
 窓越しでは暖かく感じた陽射しだけれど、冬の足音を感じさせる冷たい空気はどうにもならない。
 一本咥えて、ライターの火を近づけようとした時、

 なぁん。

 懐かしい声が、澄んだ空気に響いた。
「さくら?」
 僕は思わず呼び掛ける。
 続いて、じゃり、というサンダルが立てる足音。
 ……あぁ、いるんだ、いま、この防火扉の仕切りの向こうに。
 しばらくすると、仕切りの陰から、懐かしい顔がひょっこりと現れた。
 最後に見た時と変わらない彼女のその様子に、心の底からホッとする。
 およそ2週間ぶりに顔を見せてくれた彼女は、僕の方へ、すすす、と近づいてきて、

 にぁん。

 と、軽く挨拶してくれた。
 僕は嬉しくなって、しゃがみ込んで彼女の頭を撫で、彼女の首に下がった真鍮製のカプセルを取った。

『こんにちは、一条さん☺️
 こうして、さくらに手紙を届けてもらうのは
 とても久しぶりな気がします。

 外が涼しくなってから、この子もあまり
 ベランダに出たがらなくなっていたんですが、
 やっぱりあなたが恋しいのか、ここ最近は
 毎日しきりに窓を開けようとしています。
 今日は暖かいので、もしかしたら、と思い、
 この手紙を書いています。

 正直に言うと……この子だけじゃなくて。
 私も少し、寂しいです。
 当たり前だった手紙のやり取りが無くなって、
 なんだかとっても大事な日課を無くしたような
 そんな気分です……。

 スミマセン、
 こんなコトを突然言われても、迷惑ですよね』

 僕は最後まで読み終えて、慌てて部屋へ飛び込んだ。
 いい陽気だと言っても、ゆっくりしていたら、あっという間に肌寒くなる。だから、急いでメモにペンを走らせた。

『お久しぶりです、三宅さん😄

 迷惑だなんて、とんでもないです!
 実は、僕もまったく同じ事を考えていました。
 こっちのベランダに遊びに来るさくらも、
 この子が持ってきてくれる手紙も……
 いつの間にか、僕はすごく楽しみにしていて。
 それが無くなった途端、なんだか寂しさで
 胸にぽっかり穴が空いたような……
 そんな気分でした。

 そこで、もしよかったら━━』

 そこまで書いた時、足元で小さな友人は寒さからか、ぶるる、と身体を震わせて、仕切りの方を向いた。
 まずい!
「さくら! ちょっとまって!」
 僕は慌てて書き途中の手紙を丸めると、いつも通りカプセルに収めて、さくらの首輪にカチャリと提げた。
 そんな僕の手からも逃れるようにして、彼女はするりとベランダの柵の方へ向かい、こちらを一瞥してから、主人の待つ仕切りの向こうへと消えてしまった。

 ……あぁ、どうしよう。

 そんな後悔を余所に、仕切りの向こうでガラス戸をカラカラと閉める音がした。
 あぁ、きっともう、滅多にない機会だったのに……。
 こめかみを押さえ、ベランダを忙しなくウロウロしながら、僕は途方に暮れて溜め息をつく。
 考えても仕方のない事かも知れない。
 けれど、と……そこで僕の足が止まる。

 あの時、僕は、
 最後に、何を伝えたかったんだろう━━?

 白猫が運ぶ手紙を介した会話が好きだったし、それ以上を望んではいなかった。
 そう感じていたのは間違いないんだ。
 でも。
 そんな繋がりの形を、どうしても守りたいという気持ちよりも。
 今は、途切れかけた細い糸が、もう一度縁り直された嬉しさの方が、ずっと優っていて。

 僕は。

 煙草の火を消して、部屋に戻って、
 そのまま真っ直ぐリビングを通り抜けて、玄関のスニーカーを雑に履く。

 これで、いいのか? ……後悔するかも。

 そんな、諦めを誘うような言葉が頭に浮かんで、ドアノブを掴んだ手から力が抜けそうになる。

 いいや、こうしたいんだ。……今の僕は━━。

 そう強く言い聞かせて、ガチャリとドアを開ける。

「え……っ⁉︎」
 そんな声を上げたのは、僕じゃなかった。
 目に飛び込んできたのは、長い栗色の髪と、色白の肌。
 そして、その腕に抱かれた……

 なぁん。

 ガラスの目でこちらを覗き込む、一匹の白猫。
 刹那に、全部を理解する。
 猫を抱いたこの人は、初めて逢うけど、ずっと前から知っていた人だ。
「「はじめまして」」
 僕らは同時に同じ言葉を口にして、照れてしまう。
「305の三宅です」
「304の一条です」
 知ってる相手に自己紹介するのは、なんだか不思議な感じがした。
 三宅さんは、恥ずかしいのか、そわそわしながら目線を逸らし、
「もしよかったら━━」
 ……それは、僕の書きかけの手紙の、最後の一文と同じで、
「━━もう少し、一緒にお話ししませんか?」
 ……僕がそこに、書きそびれた言葉を足した。
 三宅さんはこちらを見て、少し驚いた顔をした後、微笑みながら頷く。
 僕は、たまらず嬉しくなって、
「やぁ、さくら……」
 小さな友人に目線を合わせる。
「━━随分大きな〝お返事〟を運んできてくれたんだね。……ありがとう」

 なぁん。

 白い友人は、得意げに一つ鳴いた。

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