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MELANCHOLY OF THE DEAD 〜死霊のゆううつ〜

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 去年の10月7日、カンザスの片田舎で最初の〝レヴナント〟が発見された。

 人類2番目の復活者は敬虔なキリスト教信者でも何でもなく、折れたピッチフォークの先が運悪く心臓に突き刺さった67歳の農夫だった。
 そして、これまた運の悪い29歳のパイカーが、ガソリンを分けてもらおうと農夫の家に立ち寄ったところ、見るもおぞましい歴史的瞬間に立ち会うハメになったというわけだ。
 デニムのオーバーオールを血に染めて、胸に錆びた金属が刺さり、青ざめた顔でにじり寄ってくる農夫を見て、パイカーはその場で悲鳴を上げてひっくり返った。
 彼が見たのはウォーキング・デッドのような洒落たモンスターなんかじゃなく、極々シンプルな歩く死体だったからだ。
 それでもネット世代の根性というやつで、パイカーは死んでもなお歩き回る農夫をスマホで撮影すると、納屋に停まっていた83年式ダッヂのピックアップトラックに乗り込んで、3マイル先のモーテルに転がり込んだそうだ。
 夜が明けると、パイカーの人生は大いなる渦の中に放り込まれ、文字通り180度変わった。
 コイツはあまり頭が良く無かったから、自分が見たモノを金儲けに利用したくても、効率のいい手段がわからなかった。
 知り合いを通じてネットに動画を上げたまでは良かったが、一人一台スマホを持つような時代で、死霊のはらわたよりもクオリティの低いゾンビ映像にいいねするヤツなんかまずいなかった。
 カネにならないと分かると、腹を立てたパイカーは地元の警察署に電話を掛け、例の農夫のいる住所を伝えたそうだ。
 警察だって普通はこんな与太話を取り合ったりしないもんだが、面白がった署長がパトカーを一台派遣すると、パイカーの証言よりも腐敗が進んだ農夫が、歯の折れたピッチフォークで干し草を集めてたらしい。
 署長は手柄に目が眩み、すぐさま急拵えで農夫の捕獲部隊を編成して出動させると、あちこちに電話を掛けまくった。
 そして半日後、彼の狙い通り、農夫は若い警官4人に連れられて、無事警察署の留置所にブチ込む事が出来た。
 鼻が曲がりそうな腐臭に耐えながら、エリア51の職員や、サングラスに黒スーツのウィル・スミスの到着を待っていた署長だったが、やってきたのはパッとしない保健所の職員5人とアイスクリームトラックだけだったらしい。
 彼は困惑した様子で、黒いアタッシュから機械的に取り出された書類にサインすると、彼らは腐った農夫をトラックの冷凍庫に押し込めて去っていった。
 後のインタビューでは、署長はローレン・コーハンとのツーショット写真を撮る夢が叶わなったと嘆いていた。どうでもいい話だ。

 そこから農夫の行方はよく分かっていない。
 あの保健所の職員を名乗った連中が、用意周到にアイスクリームトラックを持ってきた時点で、署長はもっと頭を回すべきだったが、もう手遅れだ。
 例のパイカーが伸びない再生数を気にするのをやめた頃、さらに驚くべき事が起こった。
 国内で同時多発的に死者が蘇る事案が確認されたのだ。
 心臓発作を起こした37歳男性、車にはねられた8歳女児、薬物の過剰摂取で心肺停止した19歳女性、末期の膵臓ガン患者だった59歳男性、家族が見守るなか老衰で亡くなった98歳女性……。
 来る日も来る日も、『死んだ人間が蘇った』という相談や問い合わせが、警察や病院、保健所や、FOXに相次いだ。ロメロのエージェントにまでDMを送ったヤツもいたらしい。
 幸い、ホラー映画のセオリーと違って、ウィルスによって生きた人間が突如歩く死者に変貌したり、死者に噛まれたり襲われたりという事案は起こらなかった。
 ……そうだ。
 不思議と、起き上がった死者達は、いずれも機械的に生前と同じ行動を取ろうとする。生前の名残りがそうさせるらしいが、よく分かっていない。
 とは言え、アメリカ全土で死人が蘇る案件がいくつも確認されちまったからには、ホワイトハウスもだんまりを決め込むのは不可能だった。
 そこで、前例の無いジョークのような国政放送をするハメになった。
「みなさん、どうか落ち着いて。周りで蘇った人々を見かけたら、臨時開設した衛生保安局特別対策室までご連絡ください」
 ……ふざけた話だ。
 こんな事態で落ち着くヤツがいたら、そいつこそどうかしてる。

 そして、〝48日〟と経たないうちに、死者が蘇る案件は全世界を覆った。
 真っ先に新種のウィルスじゃないかと囁かれ出したが、WHOはすぐにそれを否定した。
 某国の細菌兵器だとか、そもそも彼らは存在していなかっただとか、大手製薬会社のマッチポンプだとか、荒唐無稽なゴシップや陰謀論も合わせるとキリが無いが、そんな説得力の無い話は人々を疲れさせるだけで、何の役にも立たなかった。
 やがて、街中では当局のブルーの冷凍車をあちこちで見かけるようになった。
 そもそも、連中はいつ組織されたのか……それだって疑わしい、と、陰謀論者はザワついていたが、のんびり構えている間に、歩き出す死者は爆発的に増えたので、その内そんな事を気にする奴はいなくなっていった。
 医者や葬儀屋は死んだの蘇ったの話に振り回され、過労で倒れた奴の中にはそいつらの仲間入りしたのもいたとか……まぁ、そりゃ冗談だろうが。
 例のパイカーは、最初の一人の発見者として一財産を築いたが、逆に映画業界ではゾンビ物を撮れなくなって大混乱したと聞いた。
 ミラ・ジョボビッチは人気シリーズを終了していたお陰で胸を撫で下ろした事だろうが、ノーマン・リーダスは不憫だ。
 それから、おかしなカルトどもが騒ぎ立て、ギャングやヤクザどもは一儲けしようと銃と弾を買い漁りだした。ニュースに翻弄される小心者は、信仰か銃に救いを求めるからだ。
 だが、蘇った死者達はそいつらの皮算用をブチ壊しにした。
 何度も言うが、彼らは無為に人を襲わない。
 ゾンビ映画のように、襲って殺して増えたりする連中じゃないんだ。
 ゆっくり腐りながら、飲まず食わずで動くだけの彼らをどうしたらいいか、まだ誰もわかっちゃいなかった。
 結局、一番頼りになるのは、当局のブルーの冷凍車だけだった。
 噂じゃ、そのまま収容施設に運ばれ、安置されるらしいが……実は電子レンジの化け物みたいな建物で、骨も残さず灰にされるんだって話もある。
 陰謀論者が流した都市伝説かも知れないが、死者が蘇るこんな時代に、都市伝説もクソも無い。

 まだポリコレに配慮した呼び名が生まれる前、ネットには〝ゾンビ〟〝リビングデッド〟〝ウォーカー〟〝リターニー〟など、彼らを呼ぶのに幾つもの呼び名が存在した。
 身内から連中が出て差別を受ける人が増えたせいで、とりあえず表向きの呼び名だけでも必要になった。
 そんな11月下旬……骸骨やゴースト、ゾンビの仮装をいくらか自粛したハロウィンのひと月後。
 ついに〝言葉を喋る死者〟が現れた。
 病院で心停止した25歳の男は、どういう理屈か分からないが、それから36日間、普通に会話による意思疎通が可能だったそうだ。
 医学的には死んでいる彼と家族は、徐々に衰えていく生活能力が完全に失われてしまう前に、どのような〝最後の向こう〟を迎えるべきか、お互いの気持ちを整理しながら話し合ったそうだ。
 泣かせる話だ。本来なら叶わなかった死んだ家族と最後の会話ができたんだから。
 だが、そのとき問題になったのが、彼の人権だ。
 現行法では彼は死人なので、もちろん人権は無い。
 だが、自由意思のもと発言する〝トーカー〟の出現は、なんでも議論のネタにしちまうネットの過激派に目をつけられ、彼は『レヴナント人権運動』なんて大層なカンバンを掲げる連中の偶像にされちまった。
「死してなお意志を持ち、生活を続けられる彼らの権利を、政府は保証するべきだ!」
 若くて美人な娘に原稿を読ませ、人々の混乱に乗じながら、彼ら活動家はあちこちでデモを行なった。
 クジラ保護や菜食主義や、性的マイノリティの時と同じだ。最初は純粋な活動でも、人が増えれば集団の思想は濁っていく。彼らの活動の裏では、いつだってカネが動くからだ。
 結局その裏で、人権侵害の心配が無い死者を利用した、いかがわしいビジネスが横行し、レヴナント人権保護活動を巡った世論の対立は激化した。
 本物か偽物かは分からないが、各地で人格を残した蘇り……レヴナントが多数確認されるようになると、世間はますます混乱した。
 やがて人格を失って腐り果てていく彼らをどう扱うべきか、蘇った時点での意思の有無で区別をすべきなのかどうか、誰も正解を出せなかった。
 そして、「自分はレヴナントだ」と言い張っていた活動家の一人が、実は死んでなどいなかった事がバレると、この出口の見えない問題にストレスを抱えていた世間の怒りに火がついた。
 もうこうなっちまったら、正常な判断なんか出来る生者も死者もない。
 誰も彼もが思い思いの思想をブチ撒け、ぶつけ合い、終わりの見えない論争を繰り広げた。
 過激な宗教家は死者を墓に入れたがり、遺族は意志があるうちは共に暮らしたいと叫び、活動家は彼らを人間扱いしろと裁判所に火炎瓶を放り、貧困層はレヴナント特別給付を目当てに自殺者が増え、無垢な子どもたちは花を手にして〝みんな友だち〟を歌った。

 ……まさに、混沌そのものだ。

 * * * * *
 
 話は変わるが……、
 おとといの夜、36歳の黒人男性がシカゴのパイ店の前で活動家に因縁をつけられて撃たれた。
 9ミリの弾丸は彼の肋骨の隙間を通って、正確に心臓をブチ抜き、失血によるショックで死んだらしい。
 次に意識が戻った時、彼は自宅にいて、穴の空いた血塗れのシャツをシンクでせっせと洗っていた。
 何とも間抜けな話だ。
 撃たれたってのに、怒りも悲しみも湧いて来ない。
 ただ淡々と、血の汚れをレモン汁と炭酸水で洗い落とそうとしてるんだから、ハタから見たら、さぞ滑稽な姿だっただろう。
 彼は不毛な作業を止め、ゴミ箱に洗い掛けのシャツを放って、穴の空いた胸にダクトテープを巻くと、マックブックを持ってリビングのソファに腰掛けた。
 未練か、後悔かは分からないが、時間がある内に知っていることを、わかった事を書き留めずにはいられなかったってワケだ。
 とりわけ、これまで仕事として調査してきたレヴナントの事を。

 ……そう、

 それが、俺だ。

 だが、俺だっていつまでこの調子でいられるか分からない。
 俺も、3日後には、あのブルーの冷凍車に乗せられてるかも知れないし、運が良ければ10分後に何かのショックでこの意識が消えちまってるかも知れない。
 ……いや、運が悪ければ、か?
 率直に言えば、蘇ったお陰で死ぬって事が、よく分からなくなっちまった。
 今や、死んだ人間の8%はブルーの冷凍車に乗るそうだ。
 俺もその中の一人になるワケだし、生きてる連中が何も出来なきゃ、その数字が増える事はあっても、減る事はないだろう。

 俺が俺の言葉を書き出している間は、俺は俺なんだと思える。

 だが、こうしている間にも、デリートキーを押しっぱなしにしてるみたいに、少しずつ頭ん中から思考や記憶がスーッと消えていくのが分かる。
 以前の俺は、それが迫ってくる崖っぷちのようなモノかと思っていたが、いざ当事者になるとそうでも無い。
 ストロベリーフィールドでジョギングをした後、疲労感で眠りに落ちるような、そんな感覚だ。

 ……段々と、身体が言うことをきかなくなってきた。
 少し眠気も感じる。

 なんで世界がこんな事になっちまったのか見当もつかないが、嘆いたところで、起こってる現実は変わらない。
 今の俺に出来る事は、何でも良いから、生きてる連中に残していく事だけだ。

 ……今、冷凍車を手配した。

 最後に、リサ。
 元女房に始末を頼むのは気が咎めるが、頼めるのが君しかいなかった。
 コイツを〝ラストスピーチ〟として当局に提出して欲しい。
 それと、今更で悪い。
 愛してるよ。

                             了
 
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