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第六章
Ⅴ
しおりを挟む舞台の話題は細々と続いていた。
「やっぱりハッピーエンドは観ていて安心します」
途中で勧めた酒のお陰か、緊張はほぐれたようだった。
「そうか。」
「あんなにまっすぐ想いを伝えられたら、素敵ですよね。」
そして、酒で気持ちが緩んでいたのは彼女だけではなかった。
「…ああいう男が好きなのか。」
そんなことを口走っていた。
俺も、あんなふうに思いを伝えたなら…
「えっ。そういうわけではないですが…」
…彼女は俺の質問を生真面目に受け取ったようだった。
そのまま何か考えている彼女に次の質問を投げ掛ける。
俺も少しだけ酔いが回ってきたらしい。
自分の言動を彼女がどう思うかより、彼女のことを知りたい気持ちが勝っていた。
「最後のシーン、納得できなかったか。」
「あ…」
「そんな顔をしていた。」
彼女は少し気まずそうな顔をして、口を開いた。
「…マリーがアレクをすんなりと受け入れたことが、凄いな、と。」
「恋人は家族を失った穴を埋められるものなのか、と。」
頭をガツンと殴られたような衝撃。
遠回しに、俺では彼女の生きる理由にはなれない、と言われているようだった。
何も言えずにいると、
「恋なんて、縁がなかったので。
恋人ができたら分かることなのかな。」
彼女はそう言って笑った。
次は心臓を掴まれたような衝撃。
「恋をしたことが、ない、のか?」
「お恥ずかしながら。」
…彼女は、まだ誰のものにもなったことがない。
「そう、なのか…」
のどが、渇く。
水分を求めグラスの中の液体を飲み干す。
…しまった、酒の方だった。
「龍海さんは恋をしたことはありますか。」
一人動揺していると、次は彼女に質問される。
周りの景色が少しぼんやりしてきた。
彼女の、酒で潤んだ瞳だけが店内の照明に反射してきらめいている。
「…ああ。」
素直に肯定する。
「俺も、初めて恋をしたのは、最近だ。」
君を、
「そうなんですか?お相手の方とは?」
君に、恋をしている。
「…まだ、何も。」
「そうなんですか…良い結果になるといいですね。」
「…あぁ。」
君が、好きなんだ。
「ご馳走さまでした。」
「あぁ。家まで送る。」
「…はい。」
今日は会計の時、いつもほど払う払わないの押し問答はなかった。
送ることも素直に受け入れられた。
彼女は隣で少しぼーっとしつつ歩き続けている。
そう、そのまま、赤信号を渡ろうとした。
「おい。」
「っあ。」
慌てて腕をつかむ。
「す、すみません。」
「気を付けろ。」
「はい…」
酒で少なからず気が大きくなっている俺は、もういつもの俺じゃないらしい。
彼女の驚きと恥じらいの混じった横顔をみて、この手を離すのが惜しくなった。
「っ、え。」
彼女の腕から手を下にすべらせ、彼女の手をつかむ。
手を繋ぐのは、彼女が変な男に絡まれたとき以来だ。
「えっと、龍海さん…」
「なんだ。」
彼女の戸惑いに気づかないふりをして返事をする。
「手…」
「また、赤信号を渡ろうとされたら困る」
もっともらしい理由をつける。
「う、でも…」
「まだ何かあるのか。」
食い下がる彼女。
次は何を言われるのか。
何を言われようと、今この手を離すつもりはないが。
「龍海さん、好きな人がいるのに、他の人と手を繋ぐとか…」
どこまでも彼女は真面目だった。
「それは気にしなくていい。」
俺の好きな人は、君だから。
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