あなたへ

深崎香菜

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手紙

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彼女と過ごすはずだったバレンタイン。
しかし僕らはその存在を無視することにした。
彼女が悲しそうに
「…好きな人のためにチョコも作れない…買いにいけないなんてね」
と呟いたので僕らの間では二月十四日はただの二月十四日になった。
 
義理チョコと言って同じ科の子や
吉田さんが持ってきてくれたのも悪いとは思ったが
全て断ることにした。
それで問題が解決したとはいえない。
なんていっても彼女が未だにその日を悔やんでいるからだ。
でも僕は気にしないことにしている。
そりゃ、僕の目の前でそれを悔やんで泣きそうになったらいつも言う。
 
「その日は普通の日です。
 だから何を泣く必要があるんです?」
 
これで彼女はいつも頷きながら納得してくれるのだ。
 
 
僕はあっという間という感じで二年生に進級することが出来た。
 

そして僕らが付き合ってあと少しで一年が経とうとしていた。
プレゼントも決まっているし、
二人の一年を祝うところも決まっている。
お医者さんに無理を言って彼女の外出を許可してもらった。
(彼女には内緒だ)
当日まで内緒にしたかったものの、それは無理と判断し
十日前である今日に明かそうと思ってきたのだ。
僕は鼻歌交じりで彼女の病室に向う。
いつものようにノックをしてドアを開けた。
 
「…?明日香?」
 
病室は真っ暗だ。
リハビリだろうか?と思ったのだが、
奥のベッドの上にちょこんと座っている彼女が目に入った。
「明日香?どうした?
 電気くらいつけないと…」
「…ないで…」
「え?」
「来ないで…!!!!」
彼女は突然叫びだす。
僕は何事かと彼女に近づくが足音で彼女にバレテしまう。
「来ないでって言ってるでしょう!!
 帰って…帰って!!!」
「明日香、どうしたんだい?
 僕何かしたかい?明日香?」
そっと触れると彼女が僕の手を払った。
その行為にも驚いたのだが
もっと驚くべき光景が広がっていた。
 
「…そ…れ…」
 
ベッドの上にはたくさんの髪の毛。
彼女の手にも付着している。
長さからして…彼女のもの。
 
「来ないで…見ないで…嫌なの…
 痒いな…って…そしたら…スル…って…あ…ああ…あああああぁぁ…」
大きな声で泣き出す。
僕は何も言えずただ立ち尽くすだけ。
ゆっくりと彼女のベッドに近づき髪の毛を片付ける。
そして手を握った。
母の…言葉を思い出す。
 
「明日香。
 大丈夫だ。
 泣かないで?ね?」
 
「・・・・てよ・・・・・」
 
また聞き取れない声で彼女が話す。
聞き返すが返事はない。
僕はそのまま気にしないようにして彼女をそっと抱き寄せた。
そのときに彼女の身体が一瞬ビクっとする。
その反応に心がちくりと痛んだ気がしたが
僕はそのままギュっと抱きしめた。
彼女の頭が僕の顎のすぐ下にあった。
彼女は泣きながら
「ひっく…ひっく」
と、しゃっくりをし、僕は何も言わずに抱きしめつづける。
 
 
 
どれくらいの間こうしていたのだろうか。
彼女がもう一度口を開く。
今度はハッキリと聞き取れた。
 
 
「もう…殺して…?」
 
 
僕の身体が固まる。
まるで凍ったように動かない。
首を動かしたいのだがそれもうまくいかない…。
ただ、ただ彼女を抱きしめたまま
頭の中でループし続ける言葉の意味を探している。
 
彼女がゆっくりと僕の身体から離れた。
僕は彼女の顔をそっと見るのだが
とても悲しそうな顔だった。
「…か・・・・」
声を出そうとしたが空気が漏れたようになっただけで
音がうまく出せなかった。
彼女はそのまま何も言わずにベッドに寝転んだ。
「…帰って…ください」
その言葉がお湯となったのか
僕の身体は動くようになる。
「明日香…」
声もちゃんと出た。
彼女からの返事はもうない。
僕はヨロヨロと立ち上がった。
そのままフラフラとした足取りで病室を出る。
 
 
突然涙が溢れてきてそのまま崩れこんだ。
「ぁ・・・・あ・・・・」
何も言えず暗い廊下でただなきつづける。
途中誰かが来て僕に声を掛けた。
それにも反応が出来ず、その人は僕を支えて歩かせた。
 
気づけば手には暖かいココアが握られている。
 
「…お母さん…」
「…落ち着いた?」
時計を見るとどれくらい経ったのだろう。
面会時間ギリギリに到着したわけだが既にそれから三時間も過ぎていた。
「…明日香を…見たのね」
僕は小さく頷く。
「あれを見てショックを受けた?」
「…それはないとは言えません…
 けど、僕が…僕が…ショ…ック…なのは…」
また頭の中に響くあの言葉。
「あなたが病室の前で崩れこんでいて…
 何事かと聞いてもあなた返事しなくて私も覗いた…。
 ゴミ箱を見て驚いたの。
 あの子に聞いても帰ってとしか言われなくて…」
「…」
「あの子に何を言われたの?」
 
答えられなかった
 
答えたくなかった
 
答えてしまうと
 
また涙が溢れるだろうから…。
 
 
「亮介君」
 
ココアとは違う暖かさが手を包む。
手元に目を向けるとお母さんの手だった。
あぁ…確かに安心できるかもしれない。
「明日香が何を言ったのか…わからないけれど…」
「お母さん」
突然僕が口を開いたため少し驚いた顔をする。
「…僕の想いは…彼女に伝わっていなかったのでしょうか・・・
 今僕はお母さんにこうやって手を握ってもらってとても安心した気分になる。
 不安さえも和らげてもらっています。
 僕は…彼女にもそれができていると思っていた。
 僕が抱きしめることによって
 手を握ることによって彼女を安心させてあげていられていると…。
 なのに…なのに…通じていなかったのでしょうか…」
お母さんは首を横に振る。
 
「本当は渡しちゃいけなかったんだけど…コレ」
お母さんが差し出したのは白い封筒だった。
―亮ちゃんへ―
彼女の字だった。
「これは…?」
「…あの子が緑内障で視力を失う前に書いたみたい。
 もう大分見えていなかったから字が下手だけどって言っていたわ。
 あなたと別れようとしたときに…あの子は書いたの。
 あの子の気持ちがつまっていると思うわ。
 きっと…今も一緒だから…読んでみて?」
 
彼女が渡したところは見ていない。
けれど、彼女が最後に閉じたであろう封は誰にも破られることもなく
今までお母さんの胸に封印されていた封筒。
僕はゆっくりと封を開けた。
中からは二枚の便箋が出てきた。
 
『あなたへ』
 
書き出しはこうだ。
彼女がいつも呼ぶ『亮ちゃん』ではないのが変に思って笑ってしまう。
 
読み出すとそのまま止まらなくなった。
お母さんが傍にいるのも忘れて涙を流しながら何度も繰り返し読んだ。
 
―好きです。誰よりも、あなたが。―
 
彼女はこの手紙で自分のことを忘れろと言っていた。
僕は…きっと忘れることはできなかっただろう。
 
「…本当はあなたが駆けつけた後、
 この手紙は処分してって頼まれたのよ。
 けれど…捨てなくて良かった。
 明日香の想いは伝わった?」
僕は何度も頷く。
もう涙は止まらない。
手紙をギュっと抱きしめた。
 
「彼女は…僕に・・殺してと…言いました…」
お母さんがハっと息を呑んだ。
「何も…答えられなくて…体が…止まって…
 僕は…何も…出来なかった…」
お母さんの暖かい身体が僕を包み込む。
僕は枯れるんじゃないか?と思うほどの涙を流した。
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