愛の花、その香り─

深崎香菜

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第一部 高校編

第三話 告白

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 わたしが間違いに気づいた時には、もう遅くて・・
 間に合わないということを教えてくれたのは、わたしの身体だった・・。

「ん……ふぁ、ん……ぅ」
「マナ……上手になったね?」
 愛香ちゃんが微笑む。わたしは恥ずかしくなり顔を背けた。
「駄目、こっちを見てくれないと」
 そう言いながら優しく顔の位置を戻される。さっきの言葉に返事するのが恥ずかしくて、今度は自分から唇を重ねた。
 自然と舌が絡まり合い、頭がぼーっとする。次第に胸がきゅんと高鳴りもっと、もっとと求めるようにしてキスは深く、深く……


 この頃わたしたちの“仲良し”はラインを越えていた。
 最初はわたしの胸を大きくしようという話だったというのに、それはエスカレートしてしまい、今ではまるで恋人同士がするようなことまでしていた。
 さすがにこれはやりすぎだ。中学にもなるとそれが異常なのがわかる。もちろん、小学生の時点でもおかしいと言ったのだけど。そう思い、今日こそはそれを姉に言おうと決めたはずだった。
 その日に限って愛香ちゃんはあたしにとても優しくする。いつもはとても意地悪なのに、あたしが快楽へ溺れてしまうように誘う。

 結局その夜も、何も言い出すことができず、わたしは真っ白になった頭の片隅で、自分が奈落へと落ちていくのを感じた……。




*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *


「柏原!」
 名前を呼ばれ振り返ると同じクラスの折原恵美さんが立っていた。折原さんは今では真美と同じくらい仲が良い。と、言っても真美のようにずっと一緒にいるってわけじゃないけれど。あまり集団でいるのは好きじゃないようだ。

 彼女と仲良くなったきっかけは、彼女の居残りだった。
 折原さんは課題のプリントを忘れてきてしまったらしく、英語の先生に酷く叱られていた。その日の放課後、折原さんだけを居残りさせて課題のプリントの三倍はある量のプリントをさせていたのだ。
 わたしはというと、愛香ちゃんと帰る約束をしており、押し付けられたと文句を零していた図書委員の仕事が終わるのを待っていた。
 ずっと図書室にいたのだけれど、わたしは愛香ちゃんと違って本を読む方ではない。簡単な絵本や薄い物語の本なら読めるけれど、愛香ちゃんがいつも読んでいるような分厚い書物は数頁読むだけで眠くなってしまう。
 もう暫く、委員の仕事は終わらないだろうと思い、何気なしに自分の教室に戻ってみると、折原さんが一人で机に向かってプリントをしている姿を見つけたのだ。
 普段から話かけ辛い雰囲気を持つクラスメイトだった為、教室に入るかどうかを迷っているうちに、折原さんの方が顔を上げてわたしに気づいてくれた。キョトンとした表情を見せた後、優しく笑ってくれた。
「柏原、部活か何か?」
「ううん、別のクラスに姉がいるんだけど……」
「あ、双子なんだっけ」
「うん。その姉が、図書委員だから委員会が終わるのを待っているの」
「これから何処か行くの?」
「ううん? 一緒に帰る約束をしたの」
 折原さんはプリントから目を離し、クスクスと笑う。どこに面白い要素があったのだろう? と首を傾げると、折原さんは笑った事を謝った。
「同じ家に帰るんだから、別に待たなくてもいいだろ?」
「ん、でも、約束したから」
「柏原は律儀だなぁ。ん、いや、ここは姉妹が仲が良いって言うべきなのか?」
 ケラケラと笑う折原さんの姿は珍しく、まじまじと見てしまう。わたしが見ている事に気づいた折原さんが今度は首を傾げる番となってしまった。
「あ、ごめんね? 折原さんが、そんなに楽しそうに笑うところ、はじめて見た」
 正直、いつもは近寄りがたく少し怖いイメージを持っていた。
 だから、そんな彼女がこうして笑顔を見せてくれた事が嬉しかったのだ。
「人見知り、なんだ」
 彼女はそう言うと、恥ずかしそうに頭を掻く。その姿がなんだか可愛らしくて、わたしも笑ってしまった。
 それをきっかけに、わたしと折原さんはお友達に、なったのだ。

 先日、彼女のお家にお邪魔した時、お泊りをさせてもらった事があった。
 その日、わたしは初めてのお泊りに興奮し、寝ようとする折原さんを阻止して迷惑も考えず質問攻めにしてしまった。
 その際、初恋の話になりわたしが愛香ちゃんとの事を思い出し、自分で話題を振っておきながら言葉に詰まったのを見かねてか、突然自分には好きな女性がいると、こんな事話すのはオマエにだけだぞと言って話してくれた。
 見た目がボーイッシュなこともあり、元々女子にモテテいた折原さん。何故か、驚く事はしなかった。
 今まで、周囲の皆には同性愛者であることを隠していたけれど、わたしにだけは話しておきたかったと言ってくれた。
 それ以来、彼女の事をもっともっと好きになった。家に帰っても彼女の話題は頻繁に出た。真美以上に趣味が合い、最初は近づきにくかったが今では大事な存在だ。

「折原さん、どうかした?」
 ちなみに、どうしてわたしが未だに彼女を「さん」づけで呼ぶのかというと、名前で呼ばれるのはこそばいそうだ。
 よくわからないけれど、「恵美」と呼ぶくらいなら「折原」にしてくれと頼まれた。なんとなく「折原」と呼ぶのには抵抗があったため、今まで通りでということになった。
「あ、ごめん。教室で話せばよかったんだけど、内緒だったら駄目かなって」
 わたしが首を傾げると折原さんは困ったように頭を掻きながら、周囲の様子を伺い小さな声で聞く。
「あの、外部受験するって……本当か? さっき、先生たちが話してた。お姉さんも一緒にするって」
「あ、そうなの。隠していたわけじゃなかったんだけど、ちゃんと決まってから言おうかなって思っていたの。ごめんね。アイちゃんはこの間決まったばっかりなんだけど、わたしのほうはね、実は今学期に入って先生に声をかけられたの。で、ずっと迷っていたんだけど……やってみたいなって」
「そうだったのか……。何処受けるんだ?」
 歩きながら話し出す。折原さんはわたしの進学に賛同してくれた。わたしがやりたい事があるのなら、挑戦してみるべきだと。
 大丈夫かな? そんな不安を初めて零してみると、折原さんは優しく微笑んでわたしなら、大丈夫だと肩を叩いてくれた。
 その後、わたしたちは来年進学する大学の話しで少しばかり盛り上がった。寂しくなるね、なんて言いながら。
「じゃあ、わたしは職員室に用があるから」
「ん、ああ。ごめんな。引き止めて」
「ううん、いいの。ありがと! じゃ、また後でね」
 手を振りながら職員室のドアをノックしようとしたそのとき、折原さんがわたしの名前を呼んだ。どうしたのだろうかともう一度振り返ると、折原さんは何故か焦っていて用件は特にないとの事だった。
 失礼かな?と思いつつも笑ってしまい、謝りながら手を振って別れたのだった。




「でね、折原さんがね、意味も無いのにわたしを呼び止めちゃって焦ってたの。いつもクールな感じだからちょこっと可愛かったな~」
「ふーん」
 下校はいつも愛香ちゃんと一緒だ。最初は帰る方向が一緒だからなんとなくそうしていたけれど、今では恒例となっている。
 ただ、わたしも一度でいいから友人たちと放課後、喫茶店やファーストフードに寄ってお喋りがしたかった。
 けれど放課後になれば愛香ちゃんが迎えに来るし、友達とそうやって出かけると言えば寂しそうにする。
 人付き合いが苦手な愛香ちゃんにとって、わたし以外の人たちと接するのは苦痛でしかないらしい。慣れればきっと大丈夫だと思うんだけどな。そういう訳で、わたしは愛香ちゃんを放ってはおけずに一緒に帰るのだ。
「アイちゃんもクールなところあるし、もしかしたら折原さんとは気が合うかもよ? 今度一緒に話してみない? グループみたいなのに入るのも嫌いらしいし、アイちゃんみたいでしょ?」
「やぁよ」
「え~。そしたらアイちゃんと共通のお友達が出来るのに。折原さんってね、歌がすごく上手いんだ!」
「聴いたの?」
「音楽の授業でね。きっと一番だったと思うの」
「ふーん」
 愛香ちゃんが機嫌が悪い日は何かとビクビクしているわたしがいた。だから必死でご機嫌取りをするのだ。だけれどやっぱり笑ってくれない……。
 愛香ちゃんはこの間の大学の一件以来、不機嫌な日が多かった。わたし自身も、あれ以来愛香ちゃんと接するのが怖い、というか気まずいというか。
 こうやって話しはするものの、あれだけ叱られても一緒のベッドで寝ていたというのに、それを断って自分の布団で寝る毎日が続いていた。それもあって、不機嫌なのだろうか?
「マナは最近その、折原って人と仲が良いわね?」
「え? あ、うん! たまたま気が合ったの。真美とも仲良いけど、折原さんともっと仲良くなりたいな」
「そ。よかったね」
「う、うん!」
 愛香ちゃんがクラスメイトになんて呼ばれているかわたしは知っている。本人は全く気にしていないようだけれど。一度、わたしが間違われてそう呼ばれたのだ。

『マネキン』『人形』『暗いし、話さないしお化けみたい』『なんだか自縛霊みたい』

 どれも失礼で、酷くて……どうして愛香ちゃんはこんなこと言われて平気なんだろうと考えた。
 その日、愛香ちゃんに話しかけると普通に笑って応えてくれたとき、思わず泣いてしまったほどだ。
 本当は平気じゃないのだろうか? 本当は苦しんでいるんじゃないだろうか? けれど愛香ちゃんはそんな素振りを絶対に見せない。
 一度、廊下ですれ違い、肩がぶつかったときに
「う、わ! 人形がぶつかってきた。人形なんだから歩かないでよ」
 と、言われた。
 慌てて謝ると、一緒に居た子がわたしだと気づいたようだった。
 それをぶつかった相手に耳打ちしたのだろう。罰の悪そうな顔をしてへらへらと謝って来た。

「妹さんだったの。ごめんごめん~。妹さんは可愛いよねー。同じ顔しててもこんなに違うんだもん。なんであなたたちが双子なんだろうね~? 片方が全部持っていっちゃったってやつかしらー?」

 と、クスクス笑った。そのときわたしの中で何かが弾けてしまい、平手打ちをしていた・・
「いったぁ……! なんなのよ!!」
「取り消して!!!」
「はあ?」
「今の、取り消してっ!!!!」
 愛香ちゃんが言う、わたしたちは“同じ”というのはわたし自身もそうでありたいと思っていたことだ。
 確かにわたしたちにだってそれぞれ得意のもの、不得意なものと違ったこともある。
 けれど不得意なところを片方が、というほうに補っていけばずっとわたしたちは“同じ”だと感じていた。それを否定されたことが悔しかったのだ。
 その場はたまたま通りがかった真美が止めてくれたけど、止められなければきっとわたしはもう一度叩いていたに違いない。
 あの日を境に、なんとかして愛香ちゃんに友達をと思ったけれどそれは今まで成功したためしはないし、これから先だってきっと成功しないんだろうなと、思い始めていた。


「マナ?」
「あ、ごめんね。なんだった?」
「だから、相沢さん以外にも友達できてよかったねって言ったのよ。どうしたの? ボーっとしちゃって」
「ううん。なんでもないの。ごめんね。でも嬉しいな、真美以外にわたし友達いないって言ってもいいからなぁ」
「クス……寂しいこと言うのね。あたしは?」
「だって、アイちゃんとは姉妹だもの。お姉ちゃんは友達じゃないわ」
「ん、確かにそうね」
「アイちゃんはあまり、特定の子と遊んだりしないよね? あの……クラスの子とも話しさえしないって……」
「あたしはいいのよ。あまり関わりあいたくないだけだし。大丈夫、あたしだって自分と合いそうな人がいれば仲良くなるから」
「そっか……あ、ねえねえ。じゃあ、やっぱり折原さんが適任だって! 今度真美も誘って四人でおでかけしよーよっ!」
 そう言うと、愛香ちゃんは返事を曖昧に返した。人見知りってわけでもないのに、どうしてそこまで拒むのだろう。
 そんなことを考えていると、折原さんがコンビニから出てくるのが見えた。こっちが声をかける前に折原さんも気づいたのか、手を振りながらかけてくる。
「おー、偶然だね!」
「うん、お買い物?」
「お腹減ったし、肉まん買った」
「そうなんだ。 あ、折原さん。姉のアイちゃんです」
「……どうも。柏原愛香です。妹がお世話になっています」
「あ、ドウモ! あ、あたしは折原──」
「折原恵美さん、ですよね。」
 愛香ちゃんが、折原さんの言葉を遮るようにしてピシャリと言葉を放つ。顔を見なくてもわかるほどに、愛香ちゃんは不機嫌だ。
 折原さんもそれを感じ取っているのか、少し困っている様にも見えた。
「あ、はい。こちらこそ……」
「あれ? アイちゃんわたし名前、言ったっけ?」
「言ってたよ」
 少しでも場を和らげたくて、二人の間に入る。折原さんは少し安心しているようだった。
「そっか~。 さっきね、折原さんのこと話しててね」
 そこから、折原さんと話し込んでしまい、気づけば十五分と少しその場で足止めしてしまっていた。
 引き止めてしまった事を謝ると、折原さんは頭をポンと撫でて笑いながら「いいのいいの」と言ってくれた。
 折原さんに手を振り、見送った後ずっと後ろで退屈そうに話を聞いていた愛香ちゃんに謝ると、折原さんと同じ様に気にしていないと言ってくれた。
 あれはわたしの勘違いだったのかもしれない。

「でも、少し嫉妬しちゃう」
 え? と首を傾げる。愛香ちゃんはクスクスと笑い、わたしの手を取り、優しく撫でる。
「だって、マナ、あの人と話すときすごく楽しそうだから」
「そうかな? 真美のときと変わらないよ?」
「どうしてだろうね? すっごくモヤモヤする」
「あはは。別にお友達が増えたからって、アイちゃんとバイバイするわけじゃないんだし大丈夫よ。そんなことばっか言ってたらアイちゃんのこと嫌いになっちゃう~」
 本気で思っているわけない。嫌いじゃないからこんなこといえるんだ。
 だからわたしは笑いながらそう言った。けれど、冷たい表情に変わった愛香ちゃんを見てすぐに後悔をする。冗談でも、言っちゃいけないんだ、と。
「そんなこと言っちゃうんだ? そんなの、いつあたし達の仲が切り裂かれるなんて、わからないじゃない。そうね、マナに友達増えたらこんなじめじめした女が一緒だと嫌われちゃうんじゃない? だからマナには近づかないことにするから。じゃ、ばいば~い」
 冷たく、淡々と言い放ち、先に歩き出す愛香ちゃん。冗談だろうと、意味がわかんないよと声をかけるけれどこちらを振り返る様子が無い。
 どうして? どうしてそこまで言うの? 冗談だったの。わたしも冗談だったから、あなたもそうだよね? そう聞きたくても、先に歩き出してしまった愛香ちゃんに追いつく事ができない。
 今までもたくさん冗談を言い合ってきたけれど、「嫌いになる」だなんて言葉は言ったことなかったかもしれない。ううん、言った事がない。
 どうしよう、どうしよう……! さっきまであんなに笑って話をしていたのに、折原さんと話していてもいつもみたいにしかめっ面もしなかったじゃない!


 わたしの足は勝手に愛香ちゃんの背中を追う。もしかしたら誰かに見られるかもしれない。そんなことも考えず愛香ちゃんの背中に抱きついた。
「わっ!? マナ?」
「そ、んなこと言わないでぇ……」
 思わず泣いてしまい、愛香ちゃんを困らせる。愛香ちゃんは今のは冗談だと言ってくれたけれど、とても怖くなった。
「あたしがあんな事、マナに言うわけないでしょ? マナをいじめたくなったのよ。ごめんってば。泣かないで?」
「だ、って……だってぇ……! アイちゃん、が、……っく、そんなこと、いま、まで言ったこと、なく……って……」
「ごめんってばー! 折原さんとはお友達なんでしょ? いいじゃない。別にそんなことで怒らないし、絶交とかしないよ。あたしもそこまでバカじゃないってば」
「……き」
「え?」
 愛香ちゃんがいなくなる。そう一瞬でも考えただけで胸が苦しくなった。
 いつも一緒だったわたしたち。今だって一緒。わたしに一番近い存在であり、愛香ちゃんに一番近い存在……。
 いなくなるのは嫌だ。あんなに躊躇していた大学の件も、愛香ちゃんも一緒に来てくれることになってよかったんだ。
 愛香ちゃんにあんな風に言ったけれど、きっと離れて耐えられなくなるのはわたしかもしれない・・。
 そう思うと、気持ちと一緒に言葉が溢れ出る。わたし達が仲良しをするようになってから、おかしな関係になってしまったからこそ、軽々しく口にする事のなかった言葉……

「好き……」
「マナ?」
「アイちゃん、好き……どこにも、行かないでぇ」
「……マナ、今日、一緒に、寝る?」
「──っ」
 その答え次第で、愛香ちゃんの態度は変わってしまうんだろうか? でも、これに頷けば後には引き返せない。そんな気がした。
 それでもいいと、わたしは小さく頷く。それを確認すると愛香ちゃんは優しくわたしを抱きしめてくれた。
「マナ……私も好きよ。あなたを愛してる」
「……うん、大好き」

 この時のわたしは、この行動がきっかけで今まで壊れかけてはいても、なんとか頑張って保っていたモノが崩れ往くなんて……考えもしていませんでした。
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