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3. 花嫁探し

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3. 花嫁探し


 すっかり恐ろしくなってしまった姉妹の不安をよそに、夕食はいたって普通に始まった。フランクが買ってきた食材をベラが料理し、テーブルに並べる。もてなし好きのベラにとって誰かに手料理を振る舞うと言うのは、この状況においても心が弾むものだった。
 夕飯は、カエルの目玉でもヤモリの丸焼きでもなく、ただのトマトスパゲッティだ。三人はその赤に一瞬違う物を想像したのだが、本当にごく普通のトマトスパゲッティでしかなかった。それよりも三人が気がかりで仕方ないのは、ベラの前に置かれたワイングラスの中身である。
「ねえ、それって……」
 我慢しきれなくなったガーティがグラスを指差すと、ベラは彼女達を見もせずに「いかにも」と答えた。三姉妹は顔を見合わせた。
「誰か殺したの?」
「違う!」ガーティの追撃にベラは心外とばかりに声をあげた。「輸血パックを買っているだけだ。誰も殺してないし、法だって犯していない」
「なんでスパゲッティ食べてるの?」今度はメイが言った。「血をのむんでしょ?」
「血は好物だ、好物と食事は別。お前は好きだからと言ってオレンジジュースだけ飲んで生きていられるのか? ヴァンパイアだって物を食べなきゃ死んでしまうに決まっているだろう。これ以上わずらわしい質問をされる前に答えておくが、確かにニンニクは嫌いだ、しかしそれはヴァンパイアは人間より感覚が鋭いからで、ただ単にすごく臭いから嫌いなだけだ。動物や霧に姿を変えられる。壁を歩ける。鏡には映らない。聖水と銀は火傷をする。日光を浴びれば塵になる。木の杭で心臓を刺せば死ぬ。以上! 分かったら静かにして、さっさと夕飯を食べろ!」
「……わたし、ブドウジュースのほうが好き」
「ああ、まったく!」
 ベラは頭を抱えた。
 
 夕食が終わると、三人は二階の部屋へと案内された。そこは客間で、破れたカーテンが目につく素敵に不気味な部屋だった。ベッドは二つあるがどちらも隅からバネが飛び出していて、ちょっと押しただけで悲鳴のような音が鳴る。壁際にある古びたクローゼットを開ける勇気がある者は、誰も居なかった。
「この部屋を使うと良い」
「ベッドが二つしかないわ」
「工夫しろ」
 三人をみすぼらしい部屋の中央に立たせると、ベラは手を後ろに組んで胸をそらせた。
「良いか、ここに置いてやる間は私の言う事に従うのだぞ。泣き言はなし、もし私の邪魔をしたらすぐに放り出してやるから覚悟しておけ。(きっとそんな事出来ないだろうけど、と、ベラとフランクは胸中で呟いた)……私はヴァンパイアだから、夜に起き朝に寝る。寝ている間は物音をたてるな。何かあればフランクに頼め。では、我々は出かけてくるから大人しく寝ているのだぞ」
「えっ、ちょっと待って――!」
 後ろでケイトが何か言おうとしたが、無視して乱暴に扉を閉める。鍵でもかけてしまいたいところだが、流石にそれでは可哀想なのでベラは我慢した。
「フランク、車は用意したか?」
「はい、さっき買い物に行った時に借りてきました」
「よろしい。では花嫁探しに行くとしよう」
 予期せぬ出来事もあったが、そろそろ本題に戻る時間だ。ベラはマントを翻し、颯爽と家の扉を開けて夜の世界に一歩を踏み出した。さあ、町に繰り出して、伴侶となるうら若き処女を三人見つけだすのだ。
 しかし、家の目の前に停まっていた車を見るや、ベラの足はぴたりと止まってしまった。
「軽自動車!?」彼は叫び、フランクに詰め寄った。「なんだあの車は! 馬車か霊柩車にしろと言っただろう!」
「どっちもレンタカーショップには無かったんですよ」
「だったらせめて、もっと、威厳のある車は無かったのか! 軽自動車に乗ったドラキュラなんて、どこぞのコメディ映画じゃあるまいし!」
「最近の流行らしいですよ。店にこれしかなくて」
 忌々しい二十一世紀め! ベラは両手で顔を覆って怒りと絶望に打ちひしがれた。これから女をひっかけに行くと言うのに、スタートから台無しだ!
 彼が嘆いていると、後ろで家の扉が開き三姉妹が現れた。この期に及んでまだトラブルだろうか。ベラの眉間に皺が寄る。
「なんだ、何をしている。さっさと寝ないか」
「二人とも行っちゃだめよ」ケイトが言った。「未成年だけで留守番させるのは法律違反なのよ。最低一人大人が居ないと。どっちか家に残って」
 法律違反? 大人が居ないとだめ? 初耳の情報にベラは目を丸くし、腕を振り回した。
「不可能だ、フランクしか運転が出来ない!」
「じゃあ、ベビーシッターを連れてこなきゃ」
「ベビーシッター? お前が妹達の面倒を見ればいいだろう!」
「じゃあ、私の面倒は誰が見るの?」
 二十一世紀め、忌々しい、二十一世紀め! 一昔前ならば、子供を寝かせて親が出稼ぎに行くなんて当たり前だったと言うのに!
 怒りで髪の毛を掻きむしりたくなる衝動を抑えて、ベラは拳を握りこんだ。ベビーシッターなんてこの異国の地で今すぐ見つけられるわけがない。かと言って家に残るわけにもいかない。法律は出来る限り遵守したい。
 取るべき道は、一つしか残されていなかった。
「乗れ」
 地を這うような声でベラは唸った。
 コンパクトな軽自動車はフランクの巨体にはかなり窮屈で、全員が乗り込むと運転席側に車が傾いていた。後ろに座った三人は、夜のドライブは初めてなのかきょろきょろと落ち着きなく窓の外を眺めている。……これでどうやって、女性を乗せて帰ってくればいいのだろう。
「それで、どこに行きましょうか、坊ちゃん」
「人気のない路地だ。歩いている女を探す」
 ベラがそう言った途端に、ガーティが身を乗り出した。
「そんなの駄目だよ、ただの変質者じゃん! 声かけた途端に催涙スプレーで目つぶしされるのがオチだね。ナンパするなら、専用の所に行かなきゃ」
「なんだ、ナンパ専用の所とは」
「クラブに決まってるじゃん!」
 情けなくも小さな子供にアドバイスされてしまったが、この時代を生きる若者の意見は聞き入れて損はないだろう。何せ普段城から出ないベラの感覚は、何世紀も前の状態で凍りついているのだから。
 住宅街を抜け町にやって来ると、あまりの眩しさに本当に夜なのかと疑いたくなる光景が広がっていた。ネオンがギラギラ輝き、街角に据えられた巨大な液晶画面には延々と何かの広告が流れている。街はこの時間でも人で溢れ、“夜の静けさ”と言う言葉の存在さえ知らないと言わんばかりに騒がしかった。ベラは生まれて初めて目の当たりにした都会の夜景に、言葉を失った。なるほど、暗闇に住まう者どもが破滅の一途をたどるわけだ。
 クラブを見つける事が出来ると、ベラは四人に車で待っていろと告げて降りていった。
「そのマントやめた方が良いと思うよ。ハロウィンならまだしも……」
 ケイトの控えめな助言は聞かなかったふりをして、店の扉を開ける。途端に鼓膜を破裂させんばかりの大音量の音楽に全身を殴られ、ベラは悲鳴をあげて耳を覆った。
 クラブがどんなものであるかは知識として知っていたが、勿論足を踏み入れたのは初めてだ。まさかこんなに気の狂った場所だとは夢にも思わなかった。一体全体、こんなにうるさい場所でどうやって人々は正気を保っていられるのだろう!
 入口で立ちすくんでいる間に、すれ違った若者がベラの格好を見て笑った。「今日は仮装パーティじゃないぜ、おじさん!」少しずつ慣れ始めた耳にそんな言葉が飛び込んできて、思わず自分の格好を見下ろす。どうやらケイトの言うとおり、この服装はこの場所にそぐわないらしい。仕方なくマントを脱いでわきに抱えると、ベラは踊り狂う人々の合間を抜けて比較的落ち着いて見えるバーへと向かった。
「ええと、あー、ワインをくれ!」バーテンにそう怒鳴ると、彼は返事もせずにウィンクだけを寄越した。なんて礼儀知らずだろうとベラは思った。
 やたらに高い椅子におっかなびっくり腰かけ、ようやく一息つけたベラは、さて目当ての人物はいるだろうか辺りを見回す。それにしてもここは暗い。照明と言えば、ビカビカと光り輝く緑色のレーザーとミラーボールばかりで、人の顔なんてろくに見えやしない。一瞬美人そうな女性を見た気がしたが、次にその人物に光が当たると、それが髪の長い男である事が分かった。
 まったく、びっくりする程ここにはピンとくる女性がいなかった。ぴったりした服を着て男とくっついて踊る姿は、何やら見てはいけないものを見てしまった気がして、さっと視線をそらさざるをえないし、暗がりではすっかり二人だけの世界に入り込んで熱烈にキスをしている連中ばかりで、ベラは逃げ出したくて仕方なくなってしまった。本当にこんな場所で出会いなんかあるのだろうか。クリストファー曰く、アメリカの女性は自分から積極的に話しかけてくるらしいのだが。
「ねえ」
 突然右から声が聞こえて、ベラは顔を向け、息をのんだ。緩やかに巻いた金髪が眩しい、少々化粧のきつい美人な女性が、その茶色い瞳に自分を映しているではないか。他の人に話しかけているのかと思い振り返ったが、後ろには誰も居ない。間違いなく、この女性はベラに話しかけていた。
「は、は、はい、なんでしょうか?」どもりながらベラは応えた。目を細めて笑う女性の艶やかさと言ったら! これが女性と言うものなのか! 香水だろうか、甘ったるい匂いが鼻の中に侵入してきてクラクラした。
「それ、なに抱えてるの?」
 猫なで声で言いながら、女性はベラが小脇に抱えている彼のマントを指差した。予想外の会話の始まりにどぎまぎしつつ、ベラはマントと女性を交互に見やる。
「こ、これですか? これは、そのう、ただの私のマントですよ」
「マント? クラブにマントを着てきたの? アハハ、なにそれ、貴方って面白いのね!」
 女性の細く長い指がベラの腕を撫でた。ベラは呼吸の仕方をすっかり忘れた。
「もしかして……」と、不意に女性は声を潜めた。「その素敵なマントの中に、素敵な物があったりしないかしら?」
「素敵な物? いや、これはただのマントで……」
「大丈夫よ、内緒にするから」
 その時ベラは、彼女の瞳がぼんやりと虚ろで、焦点が定まっていないのに気が付いた。まるで、既に誰かの手によって催眠状態に陥れられたように不自然だ。
「今少し金欠なの」舌たらずに女は続けた。「足りない分は他の事で埋め合わせするわ。サービスするから、まけてくれない?」
「な、なに? 待ってくれ、一体何の話だ?」
 この女性は本当にベラを見ているのだろうか。だらしなく笑いながら体を近づけてくる女性がゾンビそっくりで、ベラは思わず椅子から飛び降りる。しかし、彼女は逃げようとするベラの腕を素早く捕えた。
「待ってよ、金は払うって言ってるじゃない!」
「何の話か分からない! きっと人違いだ!」
「なによ、あたしには売れないって言うの!」
「だから何の話をしているんだ!」
「ベラ!」
 女のヒステリックな声が金切声に変わる直前、高い子供の声がベラの元まで届いた。驚いて顔をあげると、扉の所に三姉妹とフランクが立っているのが見える。注意をひかれた女の力が緩んだ隙をついてその手を振りほどくと、ベラはすごい速さで四人の元へ駆けて行った。
「今すぐここから出るぞ、なんなんだここは、地獄の支部か何かか! ……待てよ、お前達、車で待ってろと言ったのにどうしてここに居る?」
「メイがおしっこしたいんだって」
 ガーティに指差されたメイがもじもじと身を揺らしながら俯く。すると突然、後ろからがっしりした男の手が伸びて、ベラの肩を乱暴に掴んできた。
「おい、あんた! 子供を連れてくるな!」男は店の警備員だった。「さっさと出ていけ、今何時だと思ってるんだ!」
 もっともな言葉である。頼み込んでどうにかメイの為にトイレだけ借りた後、一行は足早に店から退散していった。
「……良い人居た?」
 ぶすっとしているベラにケイトが気を利かせて話を振ると、ベラは立ち止まって大げさに喚きだした。
「あれのどこが出会いの場なんだ、うるさいわ暗いわ、おまけに話しかけてきたのは気の狂った女だった! 私は金輪際、クラブと言う場所には近づかない事にする! 地獄で亡者とコサックダンスでも踊った方がまだマシだ! それに――……!」
 他にも言いたい事はあったのだが、不意に鼻をかすめたにおいに気が付いたベラは、ぴたりと口をつぐんだ。
 血のにおいだ。
 振り返り、薄暗い辺りに目を配る。「どうしたの?」とメイが訊ねたが、彼は何も言わずににおいをたどって歩き出してしまった。
 人気のまるでない路地裏に入り込むと、血のにおいはいよいよ濃くなり、そして、袋小路になっているその路地裏でにおいの源を発見した。死体だ。血だまりの中に横たわる男の死体だ。
「フランク!」ハッとしてベラは鋭く叫んだ。「子供達を向こうへ!」
 三姉妹はフランクによって車に連れ戻された。ベラは死体に近づいて行った。血のにおいに混じって妙なにおいがする。人間のにおいではないが、かと言って嗅ぎ慣れたものでもない。恐る恐るかがみこんで男の顔を覗き込むと、二度と呼吸することのない半ば開いた口の合間から、鋭い犬歯が覗いているのが見えた。ヴァンパイアだ。
 よくよく見れば路地裏中に派手に争った形跡があり、男の胸には鋭い杭が深々と突き刺さっている。警察や一般市民がこんな風に吸血鬼を殺せるはずがない。間違いない、この男はヴァンパイアハンターにやられたのだ。ヴァンパイアはその血の濃さを匂いで嗅ぎ分けることが出来るが、嗅ぎ慣れないこの男のにおいは、“雑種”の匂いに他ならなかった。第八世代あたりだろうか。
 ベラは素早く辺りを窺った。周囲に他の気配はない。しかし、自分の命を脅かす存在がこの街に居ると言う証拠は目の前に横たわっている。ベラは急いで車に乗り込むと家に帰るよう命令した。
「どうしたの、何かあったの?」
 ガーティの言葉に、ベラは青い顔をしたまま取り繕った笑みを浮かべる。
「いいや、なんでもない……」
 さて、どうしたものだろう。ベラは考え込んだ。花嫁探しと言う重大な任務があるのに、天敵が近くに潜んでいる。しかも厄介な事に今は子供達まで抱えているのだから、万が一襲われでもしたら、無関係な彼女らを巻き込むことになりかねない。
 これはやり方を考えねばなるまいぞと、ベラは眉根を寄せて胸中で唸った。無事に残りの六日が、過ぎてくれればよいのだけれど……。


 家に帰って子供達を部屋に放り込み、考え事をしている間に夜が明けた。解決しなかったその悩み事を引きずりながら自分の寝床に戻って、どうにか浅い眠りについたのも束の間、ほんの数秒もしないうちにベラは騒音によって目を覚まさざるを得なくなってしまった。慌てて棺桶の蓋を開けて何事かと辺りを見回す。枕元に置いた時計は、驚いた事に午後五時を回っていた。狐につままれたような気分で棺桶から抜け出ると、騒がしい上の階まで上がっていって、目をみはる。
「わー、三人は卑怯だぞー!」
 笑顔で叫ぶフランクに、子供達がしがみついてバタバタと暴れ回っている。寝起きの耳にはたいそう有害な子供特有の悲鳴じみた笑い声が三つ重なり、ベラの鼓膜を遠慮なく攻撃してきた。ベラの顔がみるみる不機嫌になっていく。
 四人は起きてきたベラに気が付くと、彼の顔を見ても臆することなく笑顔でおはようと挨拶をしてきた。耐え切れず、ベラはこめかみを押さえた。
「昨日言っただろう、騒ぐなと! こんな早い時間に起こすんじゃない!」
「でももう五時だよ」
「ヴァンパイアは夜行性なんだ、常識だろう」
 メイは“夜行性”の意味が分からず不思議そうな顔をしていたが、わざわざ教えてやる気にはなれない。廊下に立ったままでベラはフランクにカーテンを引くように頼むと、沈みゆく太陽の陽射しが完全に遮断されてからようやく、リビングルームに入っていった。
「新しい受け入れ先は見つかったのか」
 ぶっきらぼうに問いかけると、バツの悪そうにケイトが肩を竦めた。
「電話はしてるんだけど、まだ見つからなくて。隣町の孤児院なんか、孤児が自分で電話するなんて悪戯に違いないって取り合ってくれなかったの」
「今日も含めて後五日だぞ、良いな。五日だ。さて、お前達三人に聞きたい事がある。人がたくさんいて、子供連れでも怒られない場所は近くにあるか? 今日は早めに出発するから、この時間から開いている所だ」
「映画館!」ガーティが叫んだ。
「駄目だ、みんな映画に夢中で花嫁なんか探せない」
「ゆうえんち!」メイが叫んだ。
「駄目だ、うるさい子供ばかりじゃないか」
「じゃあ、ショッピングモールくらいしかないわ」ケイトが言った。
 なるほど、確かに子供連れでも怒られないし、人ごみもそれなりにあるだろう。それに一体どこの誰が……どこのハンターが……ヴァンパイアが子連れで都会のショッピングモールに現れるだなんて思うだろう。きっとこれなら、敵の目を欺けるに違いない。
「よろしい、ショッピングモールに行くぞ」
 許可されるとは思っていなかった姉妹は、目を丸くした。孤児院に住んでいた時、彼女達は一度だけ遠足がてらにその巨大なショッピングモールに連れて行ってもらったことがあったが、その時の夢の様なひと時は、今でも強烈に脳裏に焼き付いている。
「ねえ、あの、もしよければ」抑えきれない期待で瞳を輝かせて、ケイトが遠慮がちに言った。「歯ブラシを買ってほしいの。その、何も持たずに来ちゃったから」
「後、パンツ!」
「おもちゃもかって!」
「待て待て!」ずいっと身を乗り出してくる子供達を押し戻してベラが唸った。「分かった、必要最低限のものは買ってやる。でもおもちゃなんか買わないぞ! 買う義理がない!」
 メイが分かりやすくしょげてしまったので一瞬心が揺らいだが、どうにか自己嫌悪の波を耐えしのいでベラは口をきゅっと一文字に結んだ。そうだ、そこまでしてやる義理は無い。今は一時的にかくまってやってるだけで、後五日で子供達とはおさらばするのだから。
 太陽が完全に沈むのを待って、五人は軽自動車に乗り込み再び街へと向かっていった。モールに行けるのが嬉しいのか、後ろではしゃいでいる子供達を尻目にベラは溜息をつく。自分も彼女達のように、のんきにアメリカ観光を楽しめたらどんなに良いだろう。
 モールに到着すると、城と見紛うその大きさにベラは驚き、感動した。貪欲な人間はどうやら、買い物と言う行為にまで喜びを付加させたいらしい。確かに、ずらりと並んだ店の数々を見ると、いやおうにも心がウキウキしてくるのを感じたし、それは、子供達も同じだった。(フランクは、初日のトラウマがあるせいで必死に縮こまって歩こうとしていた)
 ベラはフランクに子供達の面倒を見るよう言いつけてお金を少し渡すと、一人で人波の中に繰り出していった。それにしても、なんて巨大な建物だろう! こんなにたくさん店があっては、どこで買い物をしていいか分かったものではない。しかしながら、ベラが物色しに来たのは、商品ではなく女性だ。
 すれ違う人々の数に目を白黒させながら、よさそうな女性を探してこうべを巡らせる。ふと視界に、洋服を見ている大人しそうな女性が入ってきた。間違っても昨日のゾンビのような女ではない。ベラは深呼吸をしてからゆっくりと女性に近づくと、意を決して声をかけた。
「あの、失礼」
「はい?」振り返った女性は、ベラを見て少し驚いた様子だった。もし今日もマントを着ていたら、変人だと思われていたかもしれない。
「ええと、あのう、何と言いますか……」勇気を振り絞ったはずだったのに、女性の綺麗な緑の瞳に見つめられた途端、ベラの頭は真っ白になってしまった。「その、あー、私が、言いたいのはですね……」
「あら、海外の方ね?」
 ベラのイントネーションに気づいた女性は、突然へどもどと話しかけてきた男への警戒をといて、急に優しい笑顔を見せた。
「ゆっくりで大丈夫ですよ。英語は分かりますか? もしかして、トイレの場所を聞きたいのかしら」
 なんて親切な女性だ。あまりの親切さに、ベラはそれ以上ナンパなんて出来なくなり、引きつった笑みで「その通りです」と言うしかない。女性が身振り手振りも交えてトイレの場所を丁寧に説明してくれたので、礼を述べてベラはそそくさとその場所から退散してしまった。
 しかし、この失敗はベラの心を強くしてくれた。一度吹っ切れたおかげで、彼は少しでも良さそうな女性にどんどんと声をかけ、どうにか話を広げて仲良くなろうと挑戦する事が出来るようになったのだ。が、いくら心が強くなっても、女性と気さくに話が出来るようになるわけでもなければ、弟のような女性達をうっとりさせるハンサムになれるわけでもない。
「今忙しいの」
「あら、彼が来たわ」
「ごめんなさい、もう行かないと」
「友達を待たせてるから」
 迷惑だと言う気持を笑顔のベールの下から覗かせつつ、女性達はみんな去って行ってしまった。しかしこれは彼女達が悪いのではなく、「こんばんは、良い夜ですね」から先、何も言えずに棒立ちになってしまうベラに問題があるのだ。ここが人ごみでなければ、ベラは不甲斐無さのあまり自分の腕に噛みついていたに違いない。
「ベラ!」
 そうして何人目かの女性に逃げられると、不意にメイがパタパタとベラに駆け寄ってきた。周りには姉はおろかフランクの姿さえ見えず、びっくりしたベラはしゃがみこんでメイの顔を覗き込んだ。
「一人で何をしているのだ? 姉さん達は? フランクは?」
「はぐれちゃった」
 実は、三姉妹はベラが立ち去った途端に喜びを爆発させて全く別方向に弾丸のように飛んで行ってしまい、体が一つしかないフランクは、今も子供達を探し回ってひいひい言っているのだが、それを知らないベラは、子供の面倒も見れない召使めと毒づいた。
 一度他の者達と合流しようと、メイに歩くよう言ったのだが、小さな子供は「疲れて歩けない」と駄々をこねたので、仕方なく彼女を抱き上げる事となった。まさか、あのドラキュラ伯爵の息子が、人間の子供を抱っこしてショッピングモールを歩いているとは。こんな姿を父親に見られたら、父は嘆き悲しむ前に心臓発作で死んでしまうかもしれない。今まで一度も感じた事のない子供の体温を抱えたまま、ベラは黙々と歩き続けた。その温かさが、思ったよりも心地よかったと認めてしまわないように、周りの店に意識を集中させるのに必死だ。
「わあ、可愛い」と、突然後ろから声がして、ベラは振り返った。見ると若い女性が二人、ベラを見て微笑んでいる……いや、メイを見て微笑んでいる。メイはベラに抱っこされたまま、彼女達に屈託なく手を振っていた。
「知り合いか?」ベラが小声で聞くとメイは首を横に振った。目が合ったから手を振っただけ、と言う子供の言い分が理解できずに彼がきょとんとしていると、今までのどの女性よりも親しげに彼女達は話しかけて来てくれた。彼女達から、話しかけてきてくれた。
「あなた、お父さん?」
「え? あ、ああ、はい、いや、違う、なんと言うか、ええっと……」
「ひきとってくれたの!」
 焦ってどもるベラの代わりに、メイが無邪気に答えた。途端に女性達は、彼女達の頭の中で悲劇的でドラマチックなベラとメイの物語を勝手に作り上げ、そして、勝手に感動しだしてしまった。
「まあ、素晴らしいわ!」
「子供を幸せにしてあげるなんて、あなた、なんて良い人なのかしら! あたし、シェーンよ」
「あたしはモリー。よろしくどうぞ」
「あ、ああ、私は、ベラです……どうも」
 なんという事だ、メイがちょっと手を振っただけで、ベラは二人の女性から尊敬と名前を獲得してしまった。二人はメイに名前と年齢を聞いて頬を緩ませ、最後に、大変だろうけど頑張ってくれとベラにエールを送ってから去って行った。
 ベラはメイを自分の目の高さまで抱え上げると、しげしげと幼いその顔を覗き込んだ。
「……お前、一体どんな魔法を使ったんだ?」
「ただ子供ってだけ」
「子供……」ベラは呆然と呟いた。
 迷子の呼び出しの存在を知らないベラは、メイを抱えたまま巨大な敷地を歩き続けた。しかし彼も馬鹿ではない、子供が行きそうな場所に的を絞って移動していると、ほどなくしておもちゃ屋のショーウィンドウに張り付いているガーティを見つけることが出来た。
 彼女はガラス一枚隔てた向こう側にある、可愛らしいクマのぬいぐるみを穴が開く程見つめていた。こにくたらしい表情は消えうせ、今はいかにも少女らしい夢見るような目つきになっている。ベラは黙って近づき、後ろからガーティの見ている物を覗き込んだ。
「ぬいぐるみか」ベラの呟きに、ガーティはひゃっと肩を弾ませて驚いた。「やはりお前も女の子なのだな」
 ガーティの顔がみるみる真っ赤になった。
「はあ? 誰が欲しいなんて言ったのさ! こんなブサイクなぬいぐるみ、欲しくもなんともないよ! こういう女の子みたいなものが欲しい奴は、弱虫なんだ! あたしは弱虫じゃないから、こんなのちっとも、これっぽちも欲しくないもんね!」
「何を言うか、私だって子供の頃はぬいぐるみくらい持っていたぞ。子供がぬいぐるみを欲しがって何が悪い、それにお前は、間違いなく女の子じゃないか」
「女の子なんかウゲー、だ!」ガーティは渾身のしかめ面をした。「あたしは弱っちい女の子なんかごめんだね! 強い人間はクマのぬいぐるみなんか要らないし、スカートも、マニキュアも、カチューシャも必要ないの! バッカみたい!」
 怒りに任せて大きく腕を振りながら歩き出してしまったガーティの後ろを、とぼとぼついて行きながらベラはメイを見やった。「いつも、ああなのか?」
「お姉ちゃん、ほんとうはカワイイものが好きなのに、いつも嘘つくんだよ」とメイは囁いた。
 その時、館内中にこんな放送が流れた。
『迷子のお呼び出しを申し上げます。ガートルードちゃん、メイちゃん、フランクさん、ベラ・ドラキュラさん、お連れのケイトリンちゃんがお待ちです。一階のインフォメーションセンターまでお越しください……』
 ケイトが迷子の呼び出しで全員の招集をかける事を思いつき、これ以上皆があてもなく徘徊しないで済むようにしてくれたのだ。だが、利口な彼女でも一つだけ考えが及ばぬ事があった。ベラの苗字を、ドラキュラと言う苗字を、館内中に触れ回ってしまったのである。(なにせ、一行の中できちんと苗字があるのはベラしか居なかったのだ)
 ベラは顔色を変えてインフォメーションセンターまで駆けつけ、集合した全員を引っ張って急いでそこを離れたけれど、ベラの知らぬ所で不運が起こっていた。
 不運の名前は、エリック・コートと言った。彼は太い眉毛の下に潜む鋭い目で、忙しなく逃げていくベラ達を睨むと、無精ひげに囲まれた唇をかすかに動かした。
「ドラキュラだと?」
 低い声は誰にも聞かれることは無く消えていき、気が付くとその呟きの主も、同じように人ごみから姿を消していた。最後に、彼の胸元で揺れる銀の十字架がチカリと光ったが、その不穏なきらめきを見たものは居なかった。

 さて、子供達にせがまれてベラはモールのフードコートへとやって来た。時刻はそろそろ九時になろうかと言う頃で、席はほとんどが空席で、閉店に向けてアルバイト達がやる気なく残飯処理を始めている。彼は先ほどの放送で敵に気づかれていやしないかと辺りを注意深く見張っているが、特に変わった事は起こらなかった。心配のし過ぎだろうか?
 腕を組むベラをよそに、外食の経験がほとんどない子供達は、より取り見取りの食べ物の中から好きに選んでいいと言う状況に興奮しきって、蜜を集めるミツバチのように店から店へと走り回っている。ベラの横でフランクが、彼女達の無垢な喜びように頬を緩ませていた。
「可愛いもんですね、子供って言うのは」
「ほだされるんじゃないぞ」ベラは厳しく言った。「すぐにあの子達とは別れるのだからな。アメリカに来て今日で三日だ、そろそろなんとかしなければ、いよいよまずい事になる。ああ、無理にでも初日から動いていればよかった」
 姉妹はようやく今日の夕飯をハンバーガーに決めると、ベラの腕を引いて店の前へと連れていき、全員分の食事を購入してもらい、意気揚々と大きな席を陣取った。
 ベラは初めて手にするハンバーガーを矯めつ眇めつして、においを嗅いで、暫く慎重にその食べ物を調査した。子供達は、初めて火を見た猿のようなベラの様子にクスクスと笑っている。ガーティがからかう調子で言った。「ハンバーガー知らないの?」
「知っているとも。だが、食べるのは初めてだ。なにせ私は、貴族だし、ヴァンパイアだからな」
「かじればいいんだよ!」
 ナイフとフォークでも注文しそうなベラに、メイは大きな口をあけて自らハンバーガーにかぶりついて見せた。口の周りがケチャップやチーズでベタベタになったが、彼女の幸せそうな表情は崩れない。ベラは口をあけて、そうっとハンバーガーを一口食べた。
 こんなに強烈なものを、ベラは今まで食べた事が無かった。舌がしびれるほどのしょっぱさが口内に広がったかと思うと、それを肉汁が洗い流して、ケチャップの酸味が最後に口の中を整えていく。味が濃すぎるとベラは思ったのだが、その一口が胃の中に納まると、全くそんな事は無いという気になって、何も考えずまた一口齧った。また同じパンチを食らい、ハンバーガーのかけらを飲み込むと、懲りずにまた口が開く。なんてことだ、止まらない!
「美味しい?」黙々と食べ始めたベラをケイトが笑ったが、彼は初めての経験に戸惑うばかりだった。
「分からない、でも、勝手に食べてしまう! なんだこれは、呪いでもかかっているのか?」
「ジャンクフードってそう言うものよ」
「ジャンク、フード……!」ベラは唸った。
 フランクは人造人間なので食事は特に必要ないのだが、ベラの計らいでこうして時々食事を共にする。彼にも食の楽しみを味あわせてやろうと言う主人の優しさは嬉しいのだが、残念ながらフランクは舌があまり良くないし、なにより巨体なので、こんなハンバーガーなどぺろりと一口でなくなってしまった。
 そうして全員ハンバーガーにポテトにコーラと、絵にかいたようなジャンクフードを食べ終えて満足すると、さあ帰ろうと言う事になった。ベラは初めての経験に静かに心が満たされていたのだが、帰りしなにガーティが呟いた、「でも昨日のベラのスパゲッティの方が美味しいね」と言う言葉で、とうとう口端が持ち上がるのを我慢できなかった。
 家に到着すると、三姉妹はさっそく買ってもらった歯ブラシで歯を磨き、わいわいと今日の思い出を語りながら部屋に引き上げていった。しかし、そのまま大人しく寝る様子はなく、床を軋ませながら走り回り、枕を放り投げてベッド(長女の発案で、二つのベッドをくっつけて、一つの大きなベッドにしていた)の上を飛び跳ねる。可哀想なベッドはつぶれたカエルのような声で鳴いた。
「こら、さっさと寝ないか!」
 ベラが叱っても彼女らはお構いなしで、何がおかしいのか、ずっとニコニコ笑っていた。
「だって全然眠くないんだもん! それ!」ガーティが枕をベラめがけて投げつけた。彼は冷静にその場から動かずに、指をぴんと弾く。するとどうだろう、枕は空中でぴたりと止まってしまった! 子供達の興奮は更にうなぎのぼりだ!
「なにそれ、どうやったの!」
「凄い、そんな魔法も使えるのね!」
「わたしもうかせて!」
 ハチの巣をつついたような大騒ぎで、足元に押し寄せられてベラは悲鳴をあげてひっくり返りそうになった。戸口に立っているフランクは、子供に良いようにされる見たことも無い主人の姿を楽しげに見守っている。
 と、突然ベラのポケットから携帯の着信音が鳴り響いた。ヴァンパイアのくせに携帯なんか持ってるのかと更に騒ぎだした子供達を押しのけて電話を見てみると、タイミングの悪い事に、ドラキュラ城からの着信であった。実家から両親がかけてきたのだ。
「静かにしてろ、大事な電話だ! フランク、黙らせろ!」
「さあさ、お嬢ちゃん達、横になって」
 入れ替わりでフランクが室内に入り、ベラは扉を閉めると深呼吸をしてから電話に出た。聞こえてきたのは、柔らかい母親の声だった。
「ああ、ベラ。起きてる? 今大丈夫?」
「ええ、どうしたんですか、母さん」
「調子はどうかと思ってね。初めての海外だし、母さん心配なのよ。元気にやってる? 狂犬病にかかってない?」
 バタン、と室内から派手な音がした。ベラは首をすくめる。
「ええ、ええ、ペストにもチフスにも腸ねん転にもかかってませんよ! 全て順調です、何も問題なし!」
「良かったわ。それで、花嫁探しは順調?」
「そりゃあもう、怖いくらいに! だから心配しなくて大丈夫ですよ!」ベラは声がひっくり返らないように細心の注意を払った。「そろそろ私は寝ますよ、母さん。仕事が多くて疲れてるんです」
 さっさと電話を切り上げようとした時、扉が開いてメイがきゃーっと笑いながら飛び出してきた。ベラは悲鳴をあげて電話口を覆い、高く掲げてフランクに助けを求める。大きな手が慌てて子供を室内に引きずり戻したが、全てが後の祭りだった。
「今のはなに?」母の驚いた声がする。「一体誰なの?」
「今のはですね、ええと、そのう、あのう」
「ベラ! 貴方まさか、もう花嫁を見つけたのね!」
 頭の中で一瞬とてつもない葛藤が生まれた。嘘はつきたくない、しかし、こんなに嬉しそうな母親をがっかりさせたくない。それに、声を聞かれてしまった以上、他にどんな説明をしたらいいと言うのだ。ベラは顔を引きつらせて、どうにか声を絞り出した。「……その通りです」
「まあ、この子は! どうしてすぐに言わないの!」
「直接連れて行って、びっくりさせたかったんです……」
「ちょっとあなた! 来てちょうだい!」
 父親だけは勘弁してくれ! しかしベラが何か言うより先に、最後に会った時よりうんと元気な父の声が聞こえてきた。
「ベラ、我が息子よ! 本当に花嫁を見つけたのか!」
 ベラは即座に、真実を口にしたらどうなるだろうかと考えた。しかし、どれだけ穏便に話してみても、頭の中の父親は心臓発作で死んでしまう。だから、喉元まで出かかった言葉を飲み込んで、ベラは仕方なくこう言った。
「……ええ、そうです」
「でかしたぞ! お前ならやってくれると信じておった! 何人見つけたんだ?」ベラが答える代りに、室内から三人分のキャーッと言う笑い声が響いて来た。ヴラドが息を飲んだ。「なんと、今の声は三人分じゃ! 確かに三人じゃった! おお、出来のいい息子よ、お前はなんと父を喜ばせてくれることだろう。さあ、わしにお前の花嫁達の声を聞かせておくれ」
「いや、あのう、それはちょっと出来ません、父さん」
「何故じゃ」ヴラドの声が急に不機嫌になったので、ベラは慌てて窺うように声を和らげた。
「さらってきたばかりで、まだ気が動転しているのです。今はフランクが抑えていますが、彼女達ときたら、泣いたと思えば笑い、笑ったと思えば怒る、とんでもない騒ぎでして」
「なるほど」急ごしらえの言い訳は、ヴラドを納得させることに成功したようだ。「お前の母さんも、暫くは嘆いて部屋にこもりきりじゃったなあ。そう言う事ならば、今日はやめておこう。明日にでも帰ってくるのだな?」
「そ、そうしたいのはやまやまなのですが、もう少し彼女達が落ち着いてから飛行機に乗ろうと思っています。必ず期限までには戻りますが、何せ海外に嫁ぐのですから、最後に故郷へお別れを言わせてやりたいのです」
 ヴラドの溜息が電話の向こうから聞こえてきた。恐らく、息子の優しさを嘆いているのだろう。しかし、すぐに機嫌を直したヴラドは、優しい声で言った。
「分かった。お前と花嫁達の帰りを楽しみに待っているぞ。気を付けてな」
 通話が終わった。次の瞬間、ベラは耐え切れずに部屋に飛びこんでフランクに突進していった。
「フランク、ああ、なんてことだ! 私は、父さんに嘘をついてしまった! この私が、あの父さんに!」
「わあ、坊ちゃん、落ち着きなすって」
 騒いでいた子供達も、狼狽するベラを見ると驚いて大人しくなってしまった。ベラはふらふらとベッドに腰掛け、意気消沈して項垂れる。
「どうしたの? どんなひどい嘘ついちゃったの?」
 心配そうにメイはベラの顔を覗き込む。彼は心の底から悲しんで、目を伏せていた。
「もう花嫁を見つけたと……」
「良いじゃん、それくらい」すかさずガーティが言った。「嘘くらい誰だってつくよ」
「私はつかない。ついてはいけない。……そう言う立場に居るのだ。私はドラキュラ伯爵の息子として、そしてドラキュラ一族の次期族長として、忠実で誠実でなければならない。この嘘は、皆への裏切りだ……いいや、嘘だけではない、この状況そのものが、裏切りの証だ……」
 束の間、部屋に嘆きの沈黙が満ちた。だがその時、不意にメイが動いた。彼女は黙ってベッドにあがり、おずおずとベラの頭を拙い手つきで撫でだしたのだ。ベラは驚いて顔をあげ、メイを見つめる。
「こうすると、ちょっと元気でるでしょ。お姉ちゃんたちが、わたしがおちこんでると、こうやって頭をなでてくれるの」
 しっかり整えた黒髪が乱されるが、ベラは怒らなかった。こんな小さな子供に与えられた親切に心を打たれて、不覚にも涙が出そうだったのだ。今回ばかりは、ベラは目を細めて口端を持ち上げると、初めて心からの優しい笑みを皆の前に見せた。
「そうだな、少し元気が出たよ……どうもありがとう」
「どういたしまして!」
 誇らしげに笑う赤い頬に、彼はその瞬間たまらない愛しさを感じた。今まで感じた事のない、温かい胸の高鳴りだ。それは、女性に抱く感情とは全く違う、父性の芽生えであった。
 ベラは気恥ずかしそうに立ち上がると、咳払いをしてしかめ面に戻り、子供達に寝るように言いつけた。三人はそそくさと退散する大人の背中を見ながら、寄り添ってベッドの中にもぐりこむ。フランクがおやすみを言って電気を消し、部屋の中は暗くなった。
「わたし、あの人好き」とメイが薄汚れた天井を見上げて呟いた。
「すぐ怒るけどね」とガーティが補足する。
 ケイトは寂しそうに目を細めて、妹達にしっかりと上掛けをかけてやった。
「彼は故郷に戻っちゃうのよ。私達を引きとったりしないわ。期待しないで」
「……でも、ベラがお父さんだったら良いのになあ」
 メイの無邪気な呟きは、現実を見ている姉の心を絞めつけるばかりであった。

 ベラはリビングに戻ると、何とも言えない気持ちを誤魔化すためにグラスに血を注いでちびちび飲みながら、興味もないテレビをつけて珍しくぼんやりとした。フランクは後ろであれこれと家事をしている。まだ日付さえ変わっていない早い時刻、花嫁探しに繰り出すべきなのだが、どうにもお尻が上がらない。
 子供だけの留守番が違法でも、誰かにバレなければ通報はされないだろう。それに、いざとなればフランクを置いて、歩いて街まで向かう事も出来る。なのに、今はどうしてもこの家から……子供達のそばから……離れる気分にはなれなかったのだ。
 今日は休もうとベラは胸中で呟いた。明日花嫁を見つければ良い。今日で大分女性との接し方をつかめた気がする。後は、人気のない所に誘い出して催眠術をかけて連れて帰れば良いだけだ。明後日には子供達を新しい受け入れ先に預けて、明々後日に飛行機に乗れば、ちょうど七日目に城に戻る事が出来る。完璧な計画だ。
 突然、窓の外の暗がりで何かが動いた気がした。はっとしてベラはそちらを見やったが、暗闇に何かが潜んでいる様子はない。ハンターの事でどうにも過敏になりすぎているのかもしれない、ここはただの住宅街だぞ。そう一人ごちてベラはソファに座りなおす。
 しかし、ベラは正しかった。その時既に、ベラの目の前まで魔の手が迫っていたのだ。
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