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赤き女帝の手の上で踊れ

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「――あら。なかなか良い格好になったじゃないのさ」

 簡素な造りの部屋に似合わぬ、豪奢ごうしゃな椅子で女が微笑む。
 ふっくらとした唇も、丁寧に施された目元のメイクも。さらには髪やドレスまで。すべてが艶やかで鮮やかな、赤。
 王都の町、エアリクルムの裏の顔。
 やり手の実業家としても有名な女、ヘラである。
 あの地獄と名される路地裏から帰還してきたアレックスとミナナは、彼女のいくつもあるの一つへ足を運んだ。

「そりゃどうも」
 
 彼は、憮然と答える。
 とは、かなり皮肉の効いた言葉だった。
 傷跡はあるが整った顔にくっきり浮かびあがった、赤い手形のことを言っているのだろう。

「ドコの生娘きむすめにやられたんだい、色男さん?」
「うるせぇ。責任者として慰謝料請求してやりたいくらいだ」

 その手の痕は、小柄な女性のもの。
 アレックスに抱えられながらも、ブスくれた表情のミナナの仕業である。

「ワタシ、悪くないヨ。アレックスが変態だからヨ……」
「おやまあ。どうやら、こちらから請求する事になりそうだねぇ」
「チッ、ほざいとけ」

 あの暗闇からの脱出を果たしたアレックスを迎えたのは、歓喜の叫びをあげた娘だった。

『ピクリともしなくなって、死んだかと思ったネ』

 えぐえぐと鼻をすする娘の胸に顔を押し当てられた彼は、苦虫を噛み潰したような表情でつぶやく。

『なんだ、お前か』

 と。
 その瞬間、勢いよく頬を張り倒されていたのだ。
 さすがの屈強な男も、これには参る。
 ぐわんぐわん揺れる頭を押さえ、うずくまったのだが。

「アレックスってば、ヒドいヨ! 死ぬほど心配したのにッ!!!」
「だから、悪かったと言ってるだろう」

 まだギャンギャンとわめくミナナを抱えながら、耳を覆うこともできず顔をしかめる。

(胸の固さというか柔らかさが、彼に似てたのだ……なんていうと殺されるな)

 そう。慎ましやかな乙女の膨らみの感覚で、アレックスは本能レベルで一瞬期待した。
 その末にあのセリフ。しかしまぁ彼を心配し、あまつさえ報われぬ恋をしている娘からすれば手酷い言葉である。
 
「どーせっ、あのくそビッチの夢でも見てたんデショ! アレックスのバァァァカッ!!!」
「……」
「なんで黙る!」
「チッ、うるさい奴だ」

 図星である。
 今度はポカポカと胸元を叩かれ、嫌そうにそっぽ向く。
 このまま地面に落としてやりたい。そう思ったが、足を負傷して歩けない人間を乱暴に扱うのも寝覚めが悪そうだった。
 だからここまで連れてきたのだ。 

「おい。このじゃじゃ馬、どうにかしてくれ。重たくて仕方ねぇ」
「乙女に重いは禁句ヨ!」
「耳元で怒鳴るな。っていうか、誰が乙女だ」
 
 とことん火に油を注ぐ男である。
 ミナナの金切り声を無視し、近くの長椅子にその身体を放り出す。

「ギャンッ!!!」
「ちょっと。うちの従業員に、手荒なマネするんじゃないわよ」
「ふぇぇぇ……ボスぅ……アレックスがいじめるよォォ……」

 ヘラが見かねて立ち上がり、彼女の頭を撫でる。
 女たちに責められる形となったアレックスは、小さく舌打ちして肩をすくめた。

「しかし、ヘラ。アンタも、たいがい性格が悪いぜ」
「なんの事かしら」

 泣きマネする小娘に添いながら、赤い瞳はキュッと細くなる。

「アンタは、アレンを居場所に対する情報を教えるフリをして俺たちに仕事をさせたんだろう?」
「さて、身に覚えがないわね」

 長椅子に足を組んで座る女。
 スラリと長い足には革製のブーツ。もちろん真っ赤なそれは、火竜の革をなめしつくった最高級品であることを誰が知っているだろう。

「アンタがただの人間じゃないのは分かったぜ。死神の依頼を受けるなんて、アンタくらいにしか出来ない芸当だからな」
「あらま。人をバケモノみたいにいうんだねェ」

 愉快そうに笑い、大きく開いた胸元からシガレットケースを取り出す。
 そしてこれまた赤。
 真紅の羽を持つ吸血蝶の色素を、大量に用いた鮮やかでどこか禍々まがまがしい真紅のグラデーションだ。
 これも、なかなか市場にさえ出回らないであろう貴重品である。
 
「ミナナ。火を」
「はい、ボス」

 長椅子に寝そべった姿から、窮屈に身体を起こして火をつけるミナナの頭を再び優しく撫でた。
 しかしその瞳は、ジッとこちらを捕らえて離さない。

「アタシは客を選ぶ。眼鏡に叶えば、魔物であろうが死神であろうが……ね」
「認めるんだな」
「ふん、ガキが。イキがってんじゃあないわよ」

 深く吸い込み、吐き出した煙草の煙。水に揺蕩う絹のように、宙に柔らかい曲線を描いていく。
 その色もまた、毒々しいほどの朱色であった。

「すべてを知った気になるんじゃあないわよ。この世は、そんなに簡単なモノとは限らないのだから」
「いや。俺にとっては、至極単純だぜ。アンタが、アレンが魔王に囚われているのを知っていたってことだ。わざわざ、あの変態男ヘンリー・マクトウィスプを連れていかせたのは――」
「ふふふっ、そうカッカしなさんな」

 今度は口元だけ優美に微笑む。

 ――アレックスの推測通り、ヘラは分かっていたのだ。
 アレン・カントールを連れ去ったのは、王国側ではないということを。
 そもそも、倒されたハズの魔王が生きているなんてどうして彼女が知り得たのだろう。
 しかし、いくらここで問い詰めても無駄だ。悠然と煙草を吹かす女の表情は、まるきり読めなかった。

「死神様だっていうから。どんな男かと思ったら……アタシだって驚いたよ。本来なら、そこで任務完了だったんだけどねェ」

 死神と少女の魂の愛の話なんて美談でしょう? なんて、口角を歪める。
 あの懐中時計の少女、アリシアは自動人形オートマタAliceを使い彼女に接触したのだろう。
 自らを殺し、気狂いとなった死神愛する人を探して欲しいと。
 しかし、その後すぐAliceが魔王に捕まり洗脳を受けた。
 そして王国側と魔王側、どちらにも通じていたステラに利用された――という訳だ。

「別に騙してたワケじゃないわ」
「だが、黙ってただろう」
「聞かれなかったから」
「……腹黒め」

 悔しげに悪態をつけば、声をあげて笑われる。
 
「あははっ。その顔、最高よ。ほんと、面白い男ねェ」
「俺は面白くねぇがな」
「ふふ。それでいいのよ、それで」

 ヘラは、煙草の吸殻すいがらを無造作に投げ捨てて足を組み直す。
 しかし落下した吸殻は、毛の長い上質な絨毯じゅうたんを焦がすことは無かった。
 床から十センチ位のところで、小さく音を立てて爆ぜたのだ。
 恐らく何かの魔法だろう。
 代わりに残されたのは、一枚の花びら。洋紅色ようこうしょくのそれはヒラリと紅赤の絨毯に溶けて消えた。

「……」

 ひどく子供騙しな手品を見せられているようだ、とアレックスは鼻白む。
 最初から、この女帝のような女の手のひらの上で転がされていただけなのだ。

「対価を先払いで頂いただけ、とも言えるわねェ」
「俺が、アンタに金さえ払えないと?」
「悪いけど。金貨なんて、アタシにとってなんの価値もないのよ」

 いくつもの店や商売を成功させ、多くの富を持つ彼女から出る言葉とは思えない。
 むしろ、足りすぎる者こその感情なのだろうか。
 アレックスは改めて、この赤き獣のような女を恐ろしいと思った。
 しかしそれをおくびにも出さず、いつもの無表情で口を開く。

「対価が支払えたのなら、教えてくれ。アレンは。いや、魔王はどこにいる」
「ふふ、良いわ。貴方を客にしてあげる」

 二本目の煙草に火をつけさせたヘラは、大きくうなずいた。

「でもその前に忠告したあげる――死神からもらったは持っていきなさい」

 注がれる視線。
 思わず服の上からふところを押さえる。
 
「雇い主に黙って、勝手に客からチップ貰うなんて。不良従業員だわ」
「……」

 アリシアが託した、切り札。
 それは小さな音を立てて、彼を最後の決戦へと駆り立てていた――。

 
 
 

 
 

 


 

 

  
 
 
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