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チョコレート"注入"
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幸いなことに、それほど歩かなくてもいい距離に、一軒のコンビニエンスストアがあった。
その灯りを見つけるやいなや、冴慧子は、恐ろしい勢いで入口めがけてダッシュした。
月河は、呆気にとられて見ていた。
その呆気度は、冴慧子の次の行動を見るに及んで、さらに大きく針が振れた。
冴慧子の言葉から、チョコレートを買うことはわかっていたのだが、その買い方が半端ではなかった。
ひったくるようにして商品を入れるカゴを手に取ると、一直線にチョコレートが陳列された棚へと駆け寄った。
そして、片っ端からチョコレートを鷲掴みにするや、次から次へとカゴへと放り込み始めたのだ。
その様は、まさに飢えた一匹の獣のようだった。
それまでの知性的な冴慧子の印象を根底から覆すには十分すぎるほどだった。
餓鬼とはこのことか、と思わせるほどの凄まじさで、棚にあったチョコレートのすべてでカゴをテンコ盛りにすると、すかさずレジに向かう。
月河だけでなく、たまたま居合わせた少ない客達も、唖然の表情で見つめていた。
やはり唖然の店員の前に、ドンとカゴを置くと、
「カード、使えますよね」
と、冴慧子は、やたらと決まった仕種でクレジットカードを取り出した。
それも、ブラックカードだ。
ということは、冴慧子は、金持ちなのだ。
霊魂が視えるという力の賜物か、あるいは実家が資産家なのか。
いずれにしても、小憎らしい。
「は……はい」
店員は、眼を泳がせながら頷くと、カゴに入ったチョコレートの山を計算し始めた。
途中で一人では無理だと悟ったのか、
「レ、レジお願いしま~す」
と、助っ人を呼んだ。
やって来た店員も、一瞬チョコレートの山に息を呑んだものの、急いで同僚のフォローに入った。
「あの……君……こんなに食べるつもり? 一人で?」
月河は、おそるおそる冴慧子に訊いた。
「そうですけど、何か?」
何を当たり前のことを訊くのだ、という冴慧子の切り返しに月河も絶句したが、店員の二人の動きも一瞬止まった。
「鼻血出ちゃうよ」
「わたし、夢中になると、ついついチョコレートの補給を忘れちゃうんですけど、燃料が切れると、力がちゃんと発揮できないタチなんですよ」
「ね……燃料……」
チョコレートは、かろうじて二つの大袋に詰め込まれた。
コンビニから出るやいなや、冴慧子は袋の一つに片手を突っ込み、異様に慣れた手つきで包装を剥がすと、一枚目の板チョコに齧りついた。
おそろしい速さで食べ進む。
月河が何か言おうとする前に、冴慧子の手は二枚目のチョコレートを掴み出た。
また変わらぬ速度で食べ始める。
確かに、補給しているという感じに近い。
それにしても尋常ではない消費速度と消費量だ。
一袋の半分以上を高速で平らげると、冴慧子は、一旦そこで食べるのを止めた。
うん、と一人で納得するように頷くと、
「また、冴えてきました。行きましょう」
先に立って、住宅街のほうへと戻り出す。
月河は冴慧子に従った。
あれだけの分量のチョコレートを、あそこまで一気に食べてしまったら、俺なら間違いなく鯨のように鼻血を噴いている……そう思っただけで、少し吐き気が襲ってきた。
法眼冴慧子、霊魂が視えるかどうかは別にしても、とりあえず只の奇麗な女だけの女ではない。
冴慧子の足は、再び確信を持った進み方をしている。
迷いをかけらも見せずに住宅街に踏み込み―――
突然、止まった。
そこは、とあるマンションの前だった。
そのマンションを、冴慧子はじっと見上げている。
「ここです」
「なに?」
「このマンションのどこかの部屋に犯人がいます」
「おいおい、本当かよ?」
「間違いありません」
月河は、さすがに半信半疑だったが、冴慧子の声には、歩調と同じく、断固とした響きに満ちていた。
「そう自信たっぷりに言われてもだね、証拠も何もないのに、いきなり、おまえが犯人だ、と言って踏み込むわけにはいかないよ」
「待つんですよ」
「待つ?」
「犯人が出て来るのを」
「え?」
「次の犯行に及ぼうとするのを」
「……!」
「そうするしかないでしょう」
冴慧子は平然と答えた。
「しかし、君、われわれ二人だけじゃ……車もないし」
月河は弱気な声を出した。
張り込むにしても、冴慧子が犯人だと目している者は、いったいいつ出て来るか、わからない。
勤め人でなければ、何日も部屋にこもりっきりかもしれない。
だいいち、出て来たとしても、犯行に至るかどうか、それもわからない。
大変な
張り込み、ひいては尾行になってしまう。
どうしても援軍が必要だ。
「そもそも、君は、犯人の顔がわかるのか?」
「わかります」
「なぜ?」
「猫の霊魂が反応するからです」
冴慧子はきっぱりと言ったが、月河は躰から力が抜けた。
猫の霊魂が反応して、こいつがオレを―――あるいはアタシを、残忍猟奇な殺し方をした犯人です! と教えてくれるというのか。
なんとなく冴慧子の確固たるペースに乗せられて、霊魂を視る力とやらを、おぼろげに全否定はできないと思い始めていた月河だったが、やにわに現実に引き戻された気がした。
冷静に考えると、やはり荒唐無稽に過ぎる。
「月河さん、信じてませんね?」
月河の胸中を鋭く見透かして、冴慧子が言った。
「信じろというほうが無理だ」
「じゃ、わたし一人で張り込みます。月河さんは帰ってもいいです
「ひょっとして……君、怒ってる?」
月河は、探るように冴慧子の顔を覗き込んだ。
まがりなりにも上層部から派遣されてきた人物と―――それも、理由は定かではないが、敢えて自分のところへ差し向けられて来た人物と―――いたずらに揉めるのは得策であろうはずがない。
我ながら情けないものの。
「怒ってませんよ、別に」
冴慧子の声からは、感情が読み取れない。
表情にも変化がないから、よくわからない。
刑事のハシクレなら、多少は相手の気持ちを見抜けよ。
自分自身を叱咤する月河だったが、わからないものはわからない。
特に昔から女性の気持ちを慮ることは大の苦手だった。
だから、メロンパンのほうが、よほどいいわけで……。
「わかった、わかりました、俺も付き合う」
月河は、小さく溜息をついた。
「君の能力が本物かどうか、この眼で確かめる必要もあるしな、うん」
自分に言いきかせるように、月河はひとり頷いた。
その灯りを見つけるやいなや、冴慧子は、恐ろしい勢いで入口めがけてダッシュした。
月河は、呆気にとられて見ていた。
その呆気度は、冴慧子の次の行動を見るに及んで、さらに大きく針が振れた。
冴慧子の言葉から、チョコレートを買うことはわかっていたのだが、その買い方が半端ではなかった。
ひったくるようにして商品を入れるカゴを手に取ると、一直線にチョコレートが陳列された棚へと駆け寄った。
そして、片っ端からチョコレートを鷲掴みにするや、次から次へとカゴへと放り込み始めたのだ。
その様は、まさに飢えた一匹の獣のようだった。
それまでの知性的な冴慧子の印象を根底から覆すには十分すぎるほどだった。
餓鬼とはこのことか、と思わせるほどの凄まじさで、棚にあったチョコレートのすべてでカゴをテンコ盛りにすると、すかさずレジに向かう。
月河だけでなく、たまたま居合わせた少ない客達も、唖然の表情で見つめていた。
やはり唖然の店員の前に、ドンとカゴを置くと、
「カード、使えますよね」
と、冴慧子は、やたらと決まった仕種でクレジットカードを取り出した。
それも、ブラックカードだ。
ということは、冴慧子は、金持ちなのだ。
霊魂が視えるという力の賜物か、あるいは実家が資産家なのか。
いずれにしても、小憎らしい。
「は……はい」
店員は、眼を泳がせながら頷くと、カゴに入ったチョコレートの山を計算し始めた。
途中で一人では無理だと悟ったのか、
「レ、レジお願いしま~す」
と、助っ人を呼んだ。
やって来た店員も、一瞬チョコレートの山に息を呑んだものの、急いで同僚のフォローに入った。
「あの……君……こんなに食べるつもり? 一人で?」
月河は、おそるおそる冴慧子に訊いた。
「そうですけど、何か?」
何を当たり前のことを訊くのだ、という冴慧子の切り返しに月河も絶句したが、店員の二人の動きも一瞬止まった。
「鼻血出ちゃうよ」
「わたし、夢中になると、ついついチョコレートの補給を忘れちゃうんですけど、燃料が切れると、力がちゃんと発揮できないタチなんですよ」
「ね……燃料……」
チョコレートは、かろうじて二つの大袋に詰め込まれた。
コンビニから出るやいなや、冴慧子は袋の一つに片手を突っ込み、異様に慣れた手つきで包装を剥がすと、一枚目の板チョコに齧りついた。
おそろしい速さで食べ進む。
月河が何か言おうとする前に、冴慧子の手は二枚目のチョコレートを掴み出た。
また変わらぬ速度で食べ始める。
確かに、補給しているという感じに近い。
それにしても尋常ではない消費速度と消費量だ。
一袋の半分以上を高速で平らげると、冴慧子は、一旦そこで食べるのを止めた。
うん、と一人で納得するように頷くと、
「また、冴えてきました。行きましょう」
先に立って、住宅街のほうへと戻り出す。
月河は冴慧子に従った。
あれだけの分量のチョコレートを、あそこまで一気に食べてしまったら、俺なら間違いなく鯨のように鼻血を噴いている……そう思っただけで、少し吐き気が襲ってきた。
法眼冴慧子、霊魂が視えるかどうかは別にしても、とりあえず只の奇麗な女だけの女ではない。
冴慧子の足は、再び確信を持った進み方をしている。
迷いをかけらも見せずに住宅街に踏み込み―――
突然、止まった。
そこは、とあるマンションの前だった。
そのマンションを、冴慧子はじっと見上げている。
「ここです」
「なに?」
「このマンションのどこかの部屋に犯人がいます」
「おいおい、本当かよ?」
「間違いありません」
月河は、さすがに半信半疑だったが、冴慧子の声には、歩調と同じく、断固とした響きに満ちていた。
「そう自信たっぷりに言われてもだね、証拠も何もないのに、いきなり、おまえが犯人だ、と言って踏み込むわけにはいかないよ」
「待つんですよ」
「待つ?」
「犯人が出て来るのを」
「え?」
「次の犯行に及ぼうとするのを」
「……!」
「そうするしかないでしょう」
冴慧子は平然と答えた。
「しかし、君、われわれ二人だけじゃ……車もないし」
月河は弱気な声を出した。
張り込むにしても、冴慧子が犯人だと目している者は、いったいいつ出て来るか、わからない。
勤め人でなければ、何日も部屋にこもりっきりかもしれない。
だいいち、出て来たとしても、犯行に至るかどうか、それもわからない。
大変な
張り込み、ひいては尾行になってしまう。
どうしても援軍が必要だ。
「そもそも、君は、犯人の顔がわかるのか?」
「わかります」
「なぜ?」
「猫の霊魂が反応するからです」
冴慧子はきっぱりと言ったが、月河は躰から力が抜けた。
猫の霊魂が反応して、こいつがオレを―――あるいはアタシを、残忍猟奇な殺し方をした犯人です! と教えてくれるというのか。
なんとなく冴慧子の確固たるペースに乗せられて、霊魂を視る力とやらを、おぼろげに全否定はできないと思い始めていた月河だったが、やにわに現実に引き戻された気がした。
冷静に考えると、やはり荒唐無稽に過ぎる。
「月河さん、信じてませんね?」
月河の胸中を鋭く見透かして、冴慧子が言った。
「信じろというほうが無理だ」
「じゃ、わたし一人で張り込みます。月河さんは帰ってもいいです
「ひょっとして……君、怒ってる?」
月河は、探るように冴慧子の顔を覗き込んだ。
まがりなりにも上層部から派遣されてきた人物と―――それも、理由は定かではないが、敢えて自分のところへ差し向けられて来た人物と―――いたずらに揉めるのは得策であろうはずがない。
我ながら情けないものの。
「怒ってませんよ、別に」
冴慧子の声からは、感情が読み取れない。
表情にも変化がないから、よくわからない。
刑事のハシクレなら、多少は相手の気持ちを見抜けよ。
自分自身を叱咤する月河だったが、わからないものはわからない。
特に昔から女性の気持ちを慮ることは大の苦手だった。
だから、メロンパンのほうが、よほどいいわけで……。
「わかった、わかりました、俺も付き合う」
月河は、小さく溜息をついた。
「君の能力が本物かどうか、この眼で確かめる必要もあるしな、うん」
自分に言いきかせるように、月河はひとり頷いた。
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