上 下
5 / 6

"おばさん車"で追跡

しおりを挟む
 月河は、冴慧子と共に小走りになった。
 男が消えた横道へと急ぐ。
 例によってコンパスが違うせいで、途中で冴慧子に追い抜かれた。
 細道に入る角で、冴慧子が一旦足を止める。
 月河もそれに習う。
 二人一緒に、そっと細道を覗き込んだ。
 歩いている男の後ろ姿が見えた。
 尾行には気づいていないようだ。
 それよりも、また腕時計を見ている。
 時間が気になっているのだ。
 月河と冴慧子は、尾行を再開した。
 と、いきなり男の動きが止まった。
 住宅街の一角だ。
 ただ、近辺は大きな邸宅が多いエリアで、周囲に高くて広い塀が多い。
 男は、目の前に走っている道路の、一方向を見ている。
 何かを待っている様子がありありとみてとれる。

「ちょっとヤバい展開だぞ」
「ですね」

 物陰で月河と冴慧子が言っていると、案の定、一台の車が男の前にすべり込んで来た。
 月河には後にも先にも縁のない車の一つ―――ベンツだ。
 ウインドウの奥に、運転者の姿が見える。
 月河は懸命に眼を凝らし、その運転者が男よりもかなり年上の、やや派手目の女性であることを確認した。
 助手席のドアを開け、自分の横に乗り込んできた男に、大きく笑いかけている。
 ベンツが再スタートした。それに合わせるかのように、冴慧子もダッシュした。

「おい?!」
「追いかけないと!」
「走って追っかけられるかよ!」
「でも!」

 月河は懐中から警察手帳を引き抜くと、道路へと走り出た。
 激しい急ブレーキの音をたてながら、車が止まった。
 ベンツではなく、主婦に人気の小型の日本車だ。

「ちょっと! あぶないじゃないの!」

 日本車の窓から、太ったおばさんが頭を突き出した。
 よく運転席に納まったと思えるほどの、規格はずれの体型の持ち主だ。

「緊急なんです。乗せて下さい」

 おばさんの鼻先に警察手帳を突きつけながら、何か言われる前に月河はすばやく小型車の後部座席に乗り込んだ。
 もう片方のドアから、呼吸を合わせたかのように冴慧子も躰を入れて来る。

「ちょっと、何すんのよ、あんたたち?!」
「前のベンツを追って下さい、申し訳ないのですが」
「なんですって?! どうして、あたしがそんな刑事ドラマみたいな真似をしなきゃなんないのよ!」
「ごもっとも。でも、追ってくだされば、謝礼が出ます、警察から」
「謝礼? いくらなの?」
「かなりの重要参考人の追尾になりますので、それなりには」
「それなりに……! 本当? 約束する?」
「警察は嘘など申しません。ですから、早く」
 
 間髪を入れず、立て板に水が流れるかのように、月河はおばさんと話した。
 そそくさと指切りまでする。
 いわば、それがコツなのである。
 聞き込み経験から、おばさんへの対応には慣れている。
 とにかく早く車を出してもらわないことには、ベンツとの間隔は開くばかりだ。
 月河の隣で、目に見えて冴慧子が焦れていたが、ようやくのことでおばさんは小型車を発進させた。

「もう一度きくけど、謝礼は確かよね?」
「もちろんです。なんなら上司を飛び越えて、警視総監に私が直接話します。勇気ある市民の方の多大なる御協力を得られました、それに見合った大きな褒賞をと」
「ぜひお願い!」

 月河がお上手を言う毎に、おばさんは興奮気味に小型車をスピードアップさせてゆく。
 相当あぶなっかしい運転だが、幸いにも交通量が少ないところで、なんとかベンツとの距離を詰めることに成功した。
 むしろ、接近し過ぎだ。

「少しスピードを緩めてもらって結構ですよ」
「でも、謝礼がかかってるのよ」
「謝礼の金額とスピードの速さは特に関係ありませんので」
「あら、そう」

 たちまち、おばさんは小型車を減速させた。
 ベンツに尾行は気づかれていないはずだ。
 やがてベンツは、とあるマンションの地下駐車場へと吸い込まれた。
 それほどの距離は走らなかったことになる。

「ありがとうございます、ここで停めて下さい」

 シートベルトを外しながら、すかさず月河がおばさんに告げた。

「え? 最後まで追っかけなくていいわけ?」
「駐車場まで入って行ったら、バレる危険性が大ですから」
「なるほど、さすがプロだわね、やるじゃない」
「おそれいります」

 月河と冴慧子は、小型車から降りた。
 謝礼のことをしつこく念押しするおばさんに、月河が、A級ライセンス並みの運転だったとか、謝礼金と賞状だけでなく、勲章までもらえるかもとか、愛想よくお世辞を言いまくり、上機嫌のうちにお引取りいただいた。
 おばさんの小型車が走り去ると、月河は大きな溜息をついた。

「意外な特技ですね、わたしには、ああは対応できません。年上の女性は苦手で」
 
 本当に感心したように冴慧子が言った。

「特技じゃないし、褒められてもちっとも嬉しかないよ。感心したんなら、今度メロンパンを奢ってくれ」
「いいですよ」
 
 月河と冴慧子は、並んでマンションの地下駐車場へ続くスロープを降りた。
 監視カメラがあったが、捉えられたからといって、すぐにガードマンが飛んで来るというわけでもなさそうだった。

「若い男と中年の女、か。どういう関係だろうな」
「さあ」
「生きている人間の霊魂からは見抜けないのか?」
「残念ながら。仮に生者の霊魂まで視える力があったとしたら、頭がおかしくなるかもしれません」
「なんとなく、わかる気がするよ」
 
 相手にしかきこえないほどの小声で話しながら、月河と冴慧子は駐車場の底に到着した。
 思った以上にスペースが広くとられていて、何台もの車が駐車されている。
 ベンツをはじめとした外車がほとんどで、男と女が乗ったベンツを見つけるのが、ちょっと面倒な感じだ。

「外観はわりと普通っぽかったが、実は金持ちがおおぜい住んでるマンションらしいな、こりゃ」
 
 最近のマンションは、多少外観に問題があったり古びていたりしても、内部のリフォームを完璧豪華にやって、見違えるようになっている物件も多々、と聞いたことがある。
 このマンションも、そういうものの一つかもしれなかった。
 その時、コンクリートで囲まれた空間に、冴慧子の声が弾けた。

「誰かが殺されかけてます! 今、肉体から外に出かかっている霊魂があそこに!」
しおりを挟む

処理中です...