上 下
15 / 159
新緑の頃、再び -鍵を守護する者②-

いつも通りの日常で

しおりを挟む


朝露が太陽の光を受けて輝く。
もうすぐ5月。新緑の季節だ。環境が変わってからもう1ヶ月が経とうとしている。
朝の通学時間、歩いて学校へ向かう途中の季節の変化にも気付くくらいの余裕は出来た。
同居人である向陽四季こうよう しきとの生活にもようやく慣れてきた。彼の方もようやく級友達と馴染んできたようでクラス内でも会話をすることが増えたように感じる。
わけあって一つ年上である四季はそれ故に最初は敬遠されていたが、美都みと和真かずまと親しげに話すところを見てクラス内の雰囲気も変わっていった。
今ではほとんどの生徒が彼のことを名前で呼んでいる。もちろん親しみを込めてだ。当の本人はサッカー部に入部し、残り少ない部活動生活を満喫しているようだ。今日も朝早くから家を出たところをみると朝練だろう。
しかし彼のバイタリティには頭が下がる。
しっかりと食事当番をこなし、授業の予習復習も欠かすことなく、守護者の任務も全うする。文武両道を超越しているなあと感心してしまう。
考えながら歩いていると、そよ風が美都の頬を撫でた。
(わ……)
季節はようやく暖かな時季に移行しようというときだ。心地よい風に心も弾む。
すると少し離れたところから自分の名前を呼ぶ声がすることに気付いた。
いつの間にか学校の近くまで来ていたらしい。声のする方へ思わず駆け出した。
「おはよ、凛」
自分を呼んでいた金髪の少女──夕月凛ゆづきりんと朝の挨拶を交わす。
この生活になってからは学校近くで合流することが決まりとなってきた。
「今日は時間通りね」
「そんなにいつも寝坊しないよ」
おどけた様子で凛が言うと美都も苦笑した後すぐにはにかんでそれに返答した。
2人はどちらから言う事も無く自然と学校に向かって歩き出す。
「あっという間に1ヶ月かあ。すぐ中間考査だなあ……」
慌ただしく過ぎていた4月もまもなく終わる。開けた空を見ながら美都がおもむろに呟いた。
世間的にはこのあと長期連休が待ち構えているが受験生にはあってないようなものだ。たださすがに連休中の祝日は校舎は開放していないらしく、市の図書館が混むことは必至だろう。
受験生だという自覚をすると一気に眉間にしわがよる。
「勉強付き合えなくてごめんね」
「ううん。凛の方こそ気を付けて行ってきてね」
凛の家族は毎年この時期になるとフランスへ行く事になっている。
彼女の祖母に会いに行くのだ。気候的にもちょうどいいタイミングらしい。
凛の祖母は生粋のフランス人で、クォーターである凛は祖母の遺伝子が強く出たらしい。隔世遺伝と言うのだそうだ。しばしばその外見に悩まされてきたようだが、さすがに最近は周囲の目も落ち着いてきた。
「わたしが1週間も美都と会えなくて大丈夫かしら……」
「え、そこ?」
他愛ない話をしていると──凛にとっては他愛なくは無いが──まもなく校舎の入り口まで到着した。
ちょうど部活動の朝練が終わるのと同じタイミングだったらしく靴箱付近は生徒で賑わっている。すれ違う友人らと挨拶を交わす何気ない日常風景だ。
上履きに履き替えた後、すぐに出るエントランスも生徒か点在し、廊下では談笑する声が響く。
その一番近くにある教室が凛のクラスである4組だった。
「凛は今日は部活?」
「えぇ。一緒に帰れるかしら」
「タイミング合えばね。わたしのが長引きそうだけど」
4組の教室の前でしばし立ち止まり何気ない会話を交わす。そのあと教室に入る凛を見送って、自身は廊下の一番端の7組に向かうのがいつもの流れだ。
ちょうどその時、廊下でふざけ合っている男子生徒が一人の女子生徒にぶつかった。その衝撃で女子生徒はふらついて美都の方へとよろけてきた。
「大丈夫?」
咄嗟に美都は女子生徒の肩を支える。
「ごめんなさい、ありがとう」
謝罪とお礼を言う為に顔を上げた女子生徒を見て、美都は思い出したように声を漏らした。
眼鏡をかけて長い髪をおさげに結んだ女の子。
確か新学期始まってすぐのときだ。凛とすれ違っていたときに伝達役を買って出てくれた少女だった。
少女の方も美都だとわかると表情を明るくした。
「この間はありがとう。えっと……」
平野衣奈ひらのえなよ。どういたしまして、月代つきしろさん」
すっかり名前を訊くことを失念し言い澱んだ自分に対して、衣奈と名乗る少女は笑顔で名を呼んでくれた。
同い年の、しかも女の子に敬称を付けられるのはなんだかむず痒い。
四季の気持ちがなんとなく解った気がする。
「衣奈ちゃん、でいい?  私も名前で呼んでほしいな」
そう言うと少女は快く承諾し、すぐさま名前で呼び返してくれた。
その様を見ていた凛は不思議そうに二人の間に入った。
「2人とも知り合いだったの?」
「前に一度ね。そのときは用件だけになっちゃってたけど……よかった、改めて話せて」
美都の言葉に衣奈もにこりと微笑んだ。
美都たちの中学校は複数の小学校の生徒が持ち上がりで通っている。クラスも7組まであるため卒業まで顔と名前が一致しない生徒も出てくる程だ。
衣奈とは小学校が違う。それに同じクラスになったことがなかったためこれまで接点がなかった。
「わたしも美都ちゃんと話してみたいなって思ってたの。凛ちゃんとも仲良いし、ほら美都ちゃん有名人だから」
「え?  なん……あ、あー……」
有名人と言われた瞬間に疑問符が付きそうになったがすぐさまなぜなのか理解し、その内容に思わず苦虫を噛み潰したような顔をした。
おそらく四季とのことだろう。
新学期早々四季が自分と親戚だと触れたことはクラス内どころか学年中、引いては学校中の話題になったようだった。
たかたが血縁関係でそこまで騒ぐ理由は、おそらく四季だからなのだろう。
昨年の冬に転校してきた彼は年が一つ上なのもあるが、その端麗な容姿から注目の的となっていた。しかし寡黙な雰囲気から誰も積極的に話しかけようとはせず、そのまま春休みに入ったのだ。
美都が四季と会ったのはその間だ。紆余曲折を経て同じ家で住むこととなった。もちろんそのことは公にはしていないが、守護者として動く際に親戚という体の方が動きやすいのではないか、という弥生の助言によりお互いの共通認識として周囲に通すことにした。
なのでもちろん四季との間に血縁関係は無い。それを早々にばらしたのは、後々ばれて噂になるよりも新学期の慌ただしさに紛れさせた方が良いとの彼の判断だった。
実際ひと月経った今、クラスメイトは慣れてきたようで茶化されることも減りつつある。茶化されたところで何も出てはこないが。
そんなことで有名になりたくない、否、そうでなくとも心穏やかに暮らしたいと思いを巡らせていた美都が顔をしかめていると衣奈がクスクスと笑った。
「でもその前から話してみたいなとは思ってたの。なんだか目を惹くなって」
「そ、そうかな……」
思いがけない言葉に少しだけ動揺して顔を赤らめていると、隣で凛が大きく頷いた。
凛は身内贔屓のところも少なからずあるだろう。
「だからこれからも仲良くしてくれると嬉しいな」
「もちろん。よろしくね衣奈ちゃん」
優しく微笑む衣奈の言葉に、美都も相応の表情で返した。
まだ彼女のことを知ったばかりだが、新しい友人ができるのはやはり嬉しい。それにクラスが違うとなるとまた新鮮さが増す。凛と同じクラスならば三者間で話す事も増えるかもしれない。
話が一段落すると衣奈は会釈をして自分の席へと戻っていった。
そんな2人の会話を見ながら凛が少しふてくされたように口を挟んだ。
「やっぱり美都は誰とでも仲良くなれるのね」
「いや、誰とでもってわけじゃないと思うけど……」
「だって衣奈ちゃんってすごく警戒心が強い子なのよ」
凛が周囲に気遣うように少しだけ小声になる。その言葉に驚いて「そうなの?」と疑問符を投げる。
初対面のときから決してそのようには見えなかった。むしろ困っている自分に彼女の方から声をかけてくれたのだ。
それを凛に伝えるとむしろその対応に驚いたようだった。
「もちろん私も話すけど、基本一人でいることが多いの。頭の良い子だから普段は予習復習してて声をかけるタイミングが難しいっていうか……。だから美都が普通に話しててびっくりしちゃった」
既に自分の席についてノートを開いている衣奈を再び覗き見る。
確かに真面目そうな子だ。凛の言うように相当頭も良いのだろう。ただ、警戒心が強いという言葉に違和感を覚えた。おとなしそうには見えるが今までの自分との会話を遡って考えてみてもそうは思えない。おそらく自分の空間をつくるのが得意なのだろう。だから周囲が気遣いすぎているだけなのかもしれない。
「お願いしたら、勉強教えてくれるかなあ……」
気さくに話しかけてもらえて嬉しかった。もっと彼女と仲良くなりたいと思うのは必然だ。
ぽつりと呟いた美都の言葉にすかさず凛が反応する。
「勉強だったら私も教えられるわ!」
「だって凛、しばらくいないでしょ」
「……やっぱり、残る」
「こらこら。だめだって」
しばらく日本を離れる凛に、美都がおどけるように切り返すとやはりといった反応が返ってきた。
肩を落として眉を下げる凛を冗談交じりで宥める。
ちょうど朝練が終わった生徒たちがそれぞれの教室へ向かってくるところに春香も現れ、「なに朝からいちゃついてるの?」と声がかかった。
彼女の言葉選びに苦笑しながら否定すると、そのまま凛に別れを告げ春香のあとに続くように自身の教室へ向かった。
予鈴が鳴るまであまり時間がないものの、たった今朝練から帰ってきた生徒たちとあわせて教室内は賑わっていた。
入ってすぐすれ違うクラスメイト達と挨拶を交わし席へ向かった。机に鞄を置くなり、隣の席で慌ただしく着替えていた和真から声がかかる。
「連休、ちょっとくらい戻ってくんだろ」
唐突に出た彼の言葉に目を丸くした。
「全然考えてなかった」
「お前なあ。こっちはおふくろの機嫌がかかってんだぞ」
「そんなこと言われても……」
和真の言うことには、彼の母親である多加江たかえが会いたがっているとのことだった。
目の前に差し掛かろうとしている大型連休。基本的に部活と勉強で大方過ごす予定だった。
言われてみれば新しい生活を始めて1ヶ月、全く常盤家には帰っていない。
自分なりの考えがあってのことだったが確かに今まで定期的に顔を合わせていた円佳はもちろん、彼女の夫である司にも連絡が出来ないままでいた。
そのことを考えると一度帰って現状報告をした方のかもしれないが、自分の中の決め事に逆らうような気がして腑に落ちない感じもする。
だがやはり会いたい気持ちは十分ある。そことどう折り合いをつけるか、うーんと頭を悩ませた。
「とりあえず前向きに検討する」
「政治家かよ。頼むぜまじで」
和真から秀逸な突っ込みが入ったところで予鈴が鳴った。
美都はそのまま自分の席へ座り、教材を鞄から取り出しながらそういえばとふと思った。
四季は連休どうするのだろう。もし自分が一時でも帰るのならば彼に言わなければならないだろう。
もともと何かあったときのためにすぐ助け合いが出来るように、というための同居なのだ。ちらりと横目で窓際の四季を見るが、前の席の男子生徒と談笑している様子だった。
帰ったら訊かなければと頭に刻むと間もなく担任である羽鳥はとりが教室に入り本鈴が響いた。
号令がかかりホームルームが始まる。出席確認や連絡事項を羽鳥から伝えていく。滞りなく話が進み、淡々と進んでいたところに恐らく今日の重要事項が彼女の口から述べられた。
「それから、今日から音楽の先生が変わることとなった。荒木先生が産休に入る代わりに高階たかしな先生が担当となる」
瞬間女子生徒らから黄色い歓声があがる。美都はその反応の意味がわからず首を傾げる。
そうなるだろうと予測してか、羽鳥はすぐさま雰囲気をいなした。
「はい静かに。まあ1ヶ月しか経ってないから他のクラスと大差はないだろうけど、高階先生も急なことだからあまり迷惑かけないようにね」
羽鳥の言葉に生徒たちの間延びした声が響く。
美都は繰り返される教師の名前を頭の中で反芻すると、記憶の中でその名前にたどり着いた。
新学期初日、2階の中央階段付近で落とした楽譜を拾い手渡した教師。確かそんな名前で呼ばれていた気がする。だとしたら女子生徒たちの反応も納得できる。元々生徒たち、特に女子生徒の間で評判だった教師だ。
そう考えている間にホームルームが終わると後ろの席に座るあやのがすかさず声をかけてきた。
「美都ラッキーじゃん、音楽委員!」
「ラッキーなの?」
「だって高階先生だよ!  いいなー、話す口実があって」
各教科の委員は担当教師の補助をすることが決まりとなっている。
補助と言っても直接的に授業内で何かをするということは無く、次回授業時の持参物の確認が主な委員の仕事だ。それでも毎授業担当教師と話すことになるのだから、一般生徒よりは会話する機会が増えるだろう。そのことを羨んでいるようだ。
美都にとってはあのときのただ1回会話したきりで特段どんな教師なのか知らない。
昨年赴任してきたばかりの男性教諭。
知らずと集まってきたクラスメイト達に印象を訊いてみた。すると。
「めちゃくちゃかっこいい」
「目の保養」
「優しいんだよねー」
と口々に絶賛する声があがる。
肝心の授業内容に関してはわからないがやはり生徒たちの間では好印象のようだ。
早速4限目に音楽の授業がある。突然の担当教師変更に緊張したが杞憂になりそうだ。
同じく傍に来ていた春香はるかが美都に話しかけた。
「そっか。美都は去年先生の授業受けてないんだっけ」
「うん。でも人気なのは充分わかった」
「良い先生だよー。ピアノも上手だし当たり前だけど音楽に関して知識豊富だし」
そうなんだ、と頷いた。春香の言葉からようやく有益な情報を得た。教え方も上手いようだ。
様々な情報からなんだか授業が楽しみになってきたところで春香がおもむろに口を挟んだ。
「それにしても四季といい高階先生といい、美都ってそういうセンサーでもついてるの?」
「どんなセンサーなの……」
2人に共通していることを考えると春香の言わんとしていることはわかるが、なんとも言えず苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
「冗談よ。そう言えば美都ってまだ探偵の真似事してる?」
「?  何のこと?」
「ほら、前にバスケ部の人数訊いてきたでしょ」
そう春香に言われて記憶を辿る。はた、と思い出した。
確かに訊いていた。ちょうど美都が守護者の力を得る前だ。あの時は春香、あやのと立て続けにバスケ部の生徒が宿り魔に狙われたため、それとなく探りを入れたのだ。もしかしたら共通項が見つかるかもしれないと思い訊ねたものだったが、次に襲われたのが凛だったため『バスケ部』という共通事項は崩れた。
彼女は美都が何気なく訊いたことを覚えていたのだ。さすがに記憶力が良い。
「もう大丈夫。ありがとね」
「どういたしまして。結局何だったの?」
「え、えーと……部員の数によってクラス分けって決まるのかなあ……って」
苦し紛れの言い訳を探す。さすがに真実を言う事は出来ない。
春香は美都のさもあらんといった回答を聞いて納得したように頷いた。
実際その問題については解決していない。
昨日も宿り魔の襲撃があった。襲われたのはバレー部の女子生徒。面識はあるが特別仲がいいというわけではなかった。いよいよ法則がわからなくなってきたところだ。
宿り魔が出現すれば気配でわかるようになった。指輪も反応する。だがそれがどこまでの範囲まで通じるのかは不明だ。
ようやくまともに戦えるようにはなってきたものの、対象者の保護については後手に回っている。こればっかりは仕方がないと四季も弥生も言っていたがなんとかならないものかと頭を悩ませてしまう。
「眉間にしわー」
「……ありがと」
相当難しい顔をしていたようだ。春香に眉間をぐりぐりとほぐされた。
新しい生活には慣れてきたものの、考えることは山積みだ。


しおりを挟む

処理中です...