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祝いの中の真実に-鍵を守護する者⑥下-

大人組の話

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「あー!  しきくんだー!」
弥生の後に続いて櫻家の敷居を跨ぐとすぐさま那茅の溌剌とした声が響いてきた。まだ幼子がいてくれて助かったというべきか。しかしこの子どもにはこれから話すことについて恐らく内容までは理解出来ないだろう。
「みとちゃんはー?  いっしょじゃないのー?」
明らかに残念がるような声が目線の下から聞こえてくる。美都はこんな幼子まで絆してしまうのだから恐ろしい。
「那茅、美都ちゃんに逢いたい?」
「うん!  あいたい!」
母親からの問いに勢いよく肯定の言葉を返す。その答えを聞いて弥生はニコリと微笑んだ。
「じゃあちょっとだけ美都ちゃんに遊んでもらおっか。ねぇ、四季くん?」
有無を言わさず、といった表情に声を詰まらせる。退路を断たれた気分だ。那茅を緩衝材にしようとも思っていなかったが幼児がいるだけで場が和むだろうに。だがそうも言っていられない。
「……鍵だけ開けてきます」
「えぇ。よろしくね」
踵を返し、那茅と共に自宅の前に戻る。ポケットから鍵を取り出し先程施錠したばかりの扉を再び開く。そのまま幼子を家の中へ入れ、すぐにまた鍵をかけて櫻家へと足を動かした。
玄関先で待っていてくれた弥生の指示へ従い、リビングへ通される。
「瑛久さんは──」
「そろそろ帰ってくると思うわよ」
つまり味方はいないということか、と苦笑いを浮かべる。瑛久がいれば少しでも援護してくれるかと期待していただけに予想が外れた。ということは瑛久が帰ってくるまで薬も手に入らないということだ。現状に打ちのめされていると先程まで静かに怒っていた弥生がようやく口を開いた。
「全くもう──四季くん」
「……はい。いや、本当に何にもしてないです断じて」
先に言い訳をつらつらと並べる。何もしていない。強いて言えば薬を塗っただけだ。それだけは主張しなければ。
弥生には以前にも何度か怒られている。その際に逆らうものではないと身を以て感じたため下手な抵抗はしない方が得策だと弁えているのだ。
「でも脱ぐように言ったんでしょう?」
「言いましたけど……そうでもしないとあいつ隠したまま悪化させそうだったんですよ」
「まぁ確かに、美都ちゃんにはそれくらい強引じゃなきゃダメかもだけど──」
四季が述べる弁解に妙に納得する形で弥生も頷く。やはり感じるところは同じか。
「本当に手は出してないのね?」
「潔白です」
「ならいいわ」
呆れるように弥生が息を吐く。彼女は隣で暮らしている分、自分たちの関係に人一倍敏感だ。それはやはり美都だからだろう。他人を心配させることに長けているなと改めて感じる。
「あんまり口うるさく言うつもりはないけど、一応まだ中学生なんだもの。気になるのよー、美都ちゃんそういうことに対して鈍そうだし」
さすがに鋭い。と言うか数ヶ月も付き合えば美都がどんな人間かは把握出来るか。彼女の言う通りだ。同意するように頷く。
「鈍いって言うか……果たしてそこまで考えが及んでいるのかと言うか……」
自分で口に出しておいてなんだが、答えは否だと思う。考えているのなら、昨晩のことにはなっていない。だがこれは口が裂けても言えない。それこそ何を言われるか堪ったものではない。
「四季くんを信頼してるっていうのもあるんでしょうけどね。なんだか無邪気すぎて心配になっちゃうわ」
「まぁ信頼されてるのはありがたいです」
「だからと言って上手く丸めこんだら怒るわよ」
「しませんよ……」
と目を逸らしながら刺すような彼女の言葉に答える。この女性は普段はとても優しいのだが気にかかる事があるととんでもなく鋭い目をする。それが恐怖でもあるのだ。本能的に逆らってはいけないのだと思い知らされる。
「まぁ逆も然りで、美都ちゃんには四季くんみたいな子が側にいてくれてちょうどいいんだと思うわ」
そう言いながらキッチンで手を動かしていた弥生が「どうぞ」とカウンターに茶器を置く。礼を伝えそれを受け取った。
「危なっかしいですからね、あいつ」
「ねぇ。それにまさか所有者が美都ちゃんだなんてね……」
弥生も茶器を手にしてこちらに歩いてくる。ダイニングテーブルへ促されそのまま腰を降ろした。彼女が息を吐きながら昨日判明した事実を口にする。共にそれを確認した相手だ。特に鍵に関しては彼女の方が先に目にしている。弥生は何かを考えるように茶器に口を当てたままだ。
「やっぱりイレギュラーなんですか?」
「そのはずよ。私も詳しくは知らないんだけど……普通ならありえないわ」
渋い顔で見解を呟く。弥生は美都が所有者と判明する前からその説を唱えていた。守護者が所有者を兼ねるのはありえないと。所有者には守護者のような力がない。だから守護者という存在が鍵を守るのだ。今この現状は、美都自身が己を守らなければならないという事だ。彼女にとってとても苛酷な使命となった。
「偶然、なんでしょうか」
イレギュラーが偶然に起こることなんてあるのだろうか。鍵が宿主を選ぶことについて、基準は判らない。だが所有者が判っていたのであれば、指輪が美都自身を守護者に選んだということだ。だとしたら何かカラクリがあるように思える。
「美都ちゃんじゃなきゃいけない理由が、あるのかしらね──……」
考えていた同様のことを弥生も口にした。美都でなくてはいけない理由。それは恐らく美都自身もわかっていない。あの小さな身体に全て背負わせるのは酷だ。今回のことはまだ運が良かったと見てよいだろう。だがこの先、新手が必ずやってくる。あの少年についてもまた美都を狙ってくるはずだ。その際に美都を前線に立たせる事が正しいのか考えてしまう。
「闇の鍵……」
美都の心のカケラに封じられていた、銀色の物体。あんな小さなものが鍵だとは思わなかった。あの心許ないモノが世界の命運を左右するのかと正直今でも信じられない。それにまさか《闇の鍵》だなんて。
「あの鍵を持っていることで、美都の身体に害が及んだりはしないんですか?」
「それはないはずよ。歴代の所有者の中でもそういった話は聞いたことないもの」
それを聞いて一先ず安堵の息を漏らす。心のカケラが普段知覚できないように恐らく鍵もそういう存在なのだろう。人の中にあるのは、手出しが出来ないようにするため。鍵には強い力が秘められているから、と菫も言っていた。
(何だ──?)
何かが引っ掛かる。抑、鍵のことについては不透明な事が多い。二種類あると知ったのもつい最近だ。そしてその鍵にそれぞれ役割がある事も。考えれば考えるほど深みに嵌っていく気がする。鍵の存在意義から問いただしたくなる程だ。破壊の力を持つ《闇の鍵》が美都の中にあるというだけで落ち着かない。例えそれが害をなさなくてもだ。所有者だというだけで狙われる対象になるなんて。
「わざわざ《闇の鍵》を狙うってことは──やっぱり破壊衝動があるってことですよね」
「……どうかしら」
考えたことを独り言のように呟くと、それに短く返答が来る。その回答に首を傾げる。
「鍵は二つ揃わないと意味を為さないって言うし、それに──」
弥生が目を逸らしながら、自分が忘れていた部分を補填するように口にした。彼女の言葉には続きがあるようでそれを大人しく待つ。すると眉間にしわを寄せて再び口を開いた。
「鍵を使えるのは、所有者だけだもの」
思わず息を呑んで目を見開いた。初めて耳にする情報に動揺する。
四季の反応を見て弥生も驚いたように目を瞬かせた。
「もしかして、知らなかった……?」
「──はい。初めて知りました。でもそれじゃあ何で鍵を狙う必要があるんですか?」
所有者にしか扱えない鍵ならば、余所者が手にしたところでそれを使用することは不可能なはずだ。なのになぜそれを欲しがるのだろう、という単純な疑問だった。
「そこは私も疑問に感じるところよ。ただ単に知らないだけなのかもしれないし、もしかしたら強引に何とかしようとしているのかもしれないわ」
方法まではわからないけど、と弥生が肩を竦める。彼女の言うことは的を射ている。自分もつい今まで鍵の使用権限が所有者にしかないということを知らなかった。恐らくは美都もそのはずだ。と言うことは鍵を狙う相手が知らなくてもおかしくはない。そして弥生が唱えたもう一つの説。強引に使う方法を編み出しているのだとしたら、相手に鍵が渡るのを全力で阻止しなければならない。そんな事が可能なのか、と言う疑問もある。だが現状それを考えたところで仕方のない事だ。大切なのは鍵を──美都を守る事。それだけなのだから。
ここでもう一つ疑問に思った事があった。やはり弥生に対して自分は知らない事が多すぎる、と。それには一人の女性が間に入っているからだ。
「菫さんは……信頼していいんですよね?」
なぜ菫は一気に話さないのか。疑心暗鬼にはなりたくないが彼女はまだ何かを隠している気がする。こちらに対する配慮なのか、それとも口にしづらいことなのか。
その問いに弥生は一瞬目を伏せる。しかし口を閉ざすことはせずすぐに見解を述べた。
「現状鍵のことに一番詳しいのは菫さんね。四季くんの気持ちもわからなくはないけど……彼女を疑ったところでこちらに利はないわ」
「──あの人は何者なんですか?」
「私は勝手に『鍵を伝えていく人』だと思っているけれど……真実は解らないわね」
弥生自身も菫に対しての詳しいことは解らない様子だ。訝しむように口元に手を当てている。
だが彼女の言う通りだ。現状鍵に一番詳しいのは菫であり、彼女の情報無しには守護者として動くのは難しい。何れにせよ美都が所有者だと判明したことでもう少し情報が聞き出せるようになるはずだ、とそう自分のうちに考えを落とし込んだ。
そうしているうちに玄関から「ただいま」と言う男性の声が響いてくる。瑛久が帰ってきたようだ。
「何だ四季、来てたのか」
「お邪魔してます」
自主的というより強制的に来たという方が正しいのだがあえて口に出すことはしなかった。ちょうど話題が逸れているので弥生に思い出させることはしたくない。
 当初の目的を瑛久に伝えると「ちょっと待ってろ」と言ってすぐに追加分の薬を探して始めた。椅子を引いて彼の元まで歩く。
「怪我の具合は?」
「軽く炎症起こしてますね。擦り傷は消毒しました」
「おっけ。それで足りそうか?」
「はい、ありがとうございます」
問診のように瑛久が美都の怪我について訊ね、四季がそれに答えていく。気砲が当たった箇所は皮膚が日焼けの後のように赤くなっていた。擦りむいた時についたであろう腕の傷は一番に消毒済みだ。処置方法を把握すると、労いながら薬を手渡してくれた。
「一件落着だって?」
「まぁ本当に一件ですけどね」
「昨日の今日で良くやったよ。すごいなあの子」
スーツを脱ぎながら美都のことを賞嘆する。これについては瑛久と同意見だ。彼女のバイタリティは凄まじい。普通己が世界の命運を左右する鍵を所有する者だと知ったら、大抵の場合は動揺してしばらく何もかも手につかなくなるものではないだろうか。それなのに美都はすぐにその事実を受け入れ、翌日である今日には既に一つ大きな物事を解決するに至った。それも自分自身の力で。彼女には感服せざるを得ない。
「ってことは人間に憑いた宿り魔を退魔できたってことか。一歩前進だな」
「あれは美都じゃなきゃ出来ない芸当でしたよ」
当時のことを思い出しながら苦笑する。相手が友人だからと絶対に攻撃はしないと決め、最終的に話し合いに持ち込んだ。宣言通り、最初の宿り魔との交戦の時のみ剣を用いただけで後半は完全に無防備の状態だったのだ。無抵抗ゆえに相手も攻撃しづらいというのもあったのだろう。だが生半可な覚悟では決して出来ることではない。それを考えるとやはり彼女の精神力は並の強さではないなと感じる。
「で、あの宿り魔憑きの女子から何か聞き出せたのか?」
「──いえ。どうも宿り魔が憑いていた時の記憶に制限がかかったみたいで……」
瑛久からの問いに首を横に振る。衣奈が正気に戻った際、美都があれこれと訊ねていたが有益な情報は得られなかった。普通に考えれば当たり前か。敵も浅はかではないということだ。すると瑛久が難しい顔をして目を細めた。
「一つ気になることがある。が……」
そう言いながら続けて逆説の接続詞を用いたため思わず首を傾げる。瑛久は唸りながら反芻した後ようやく口を開いた。
「ひとまずこの話は週末に持ち越しだ。やるんだろ?  パーティー」
「もちろん。美都ちゃんのお誕生日のお祝いだもの」
近くで内容を聞いていた弥生が瑛久の呟きに答えた。把握したと言った感じで彼が頷く。四季としては瑛久の「気になること」というのが気がかりだった。だが週末と言われてしまったからにはそれまで待つしかない。四季も了承の意味で頷いた。
「ところで何で美都ちゃんは一緒じゃないんだ?」
つい数刻前に同じ質問を彼らの娘からも聞いた。せっかく避けていた話題だったのに、と苦い顔をして目を逸らす。
「何でかしらねぇ、四季くん?」
ほら思い出させてしまったではないか、と半ば瑛久を恨む勢いだった。否、悪いのは自分なのだが。弥生の微笑みこそ恐ろしい。すぐに何かを察知したのか、瑛久は怪訝そうにこちらを見ている。
「何したんだお前……」
「いや、その……手当てだけですよマジで……」
「説得力がないぞ。何かやるなら上手くやれよな」
「怒るわよ」
同情しているのかと思えばけしかけてくる瑛久のセリフにすかさず弥生がピシャリと言い放つ。これ以上彼女の機嫌を損ねるのは得策ではない。薬をもらったからには長居は無用だ。まだ帰って夕飯を作らなければならないのだから。
「じゃあ俺戻ります。那茅は──」
「瑛久迎えに行ってくれる?  その間にご飯支度しておくから」
幼子を送り届けようと提案する前に、弥生が夫を指名する。隣の家同士で距離もほとんどないため手間ではないのだが、食の権利を握った者に逆らうのは良くないと瑛久も弁えているらしい。弥生からの指示に「はいはい」と声に出して応え、着の身着のまま玄関へと身体の向きを変えた。続こうとする手前で弥生に呼び止められる。
「ご飯まだでしょう?  四季くん借りたお礼に持って行って」
ちょっとだけだけど、と言って弥生がタッパーに惣菜を詰めてくれた。正直一品あるだけで十分に助かる。彼女に礼を伝えそれを受け取った。
「ちゃんと美都ちゃんを労ってあげてね」
「もちろんですよ。お気遣いありがとうございます」
頭を垂れて瑛久が待つ玄関へと向かう。弥生からの想いをしっかり受け取った。守護者の先輩だから、と言う理由だけではここまでしてくれないだろう。やはり美都は誰からも好かれるのだなと彼女の人間性の好さを感じるところだ。
「小姑みたいだろ」
「聞こえてるわよ。後で覚えときなさい」
茶化すように言う瑛久に間髪入れず弥生から刺すような言葉が飛んでくる。この夫婦の力関係が見て取れるようだ。なんとも言えない笑みを浮かべ、「お邪魔しました」と彼女が立っているキッチンまで届くように声を張り瑛久とともに外へ出た。
「で、結局何したわけ?」
先程有耶無耶にした回答が気になっていたのか追及の質問が飛んでくる。苦笑いを浮かべながら玄関の鍵を取り出した。
「手当てのために脱いでもらったんすよ。そしたらちょうどその格好のままあいつが飛び出してくから……」
「ははー。思ってたより健全だな」
「だから何もしてないって言ったじゃないですか」
まるで面白いことを期待していたかのような反応だな、と四季は呆れるように息を吐いた。美都の前では健全にならざるを得ないと言うのも確かだ。とにかく彼女は色々なことに関して疎い。そのためちゃんとこちらでも感覚を見定めているのだ。弥生が心配しているような疚しいことは当分先だろう。
玄関を開けて瑛久ともども廊下を歩く。普段ならば扉の音がすれば「おかえり」と顔を出してくるところだがそれがないことが不思議で思わず首を傾げた。それに二人で遊んでいるにしては妙に静かだ。
「美都?」
と彼女の名前を軽く呼んだが反応がない。おかしいな、と思いながらリビングまで歩くと目に入った光景に納得した。
「おー。ぐっすりだな」
瑛久が口に出した感想の通りだ。ソファーの上で小さい那茅を抱えるように美都が寄り添いながら二人で寝息を立てている。他人の気配にも気付かないほど熟睡しているようだ。まるで美都も小さい子どものように思える。
「お前、信頼されてんだな」
「褒め言葉と受け取っておきますよ」
あまりにも無防備に見えたのか、瑛久から茶化すような言葉が飛んでくる。信頼されているのは確かだ。だがこの状態でそう評価されても中々嬉しくもない。何度も注意してるのに全くこの娘は、と小言の一つも言いたくなるものだ。手に持っていたタッパーをテーブルの上に置いていると瑛久が覗き込むよう二人の姿をマジマジと見つめた。
「うちのお嬢もすっかり懐いたもんだ」
美都の腕の中で彼女同様すやすやと眠っている娘の姿を見て、感心しながら父親がそう呟く。これも彼女所以だろう。那茅が人懐っこいと言うのはもちろんあるがそうでなくとも美都の懐の深さには頭が下がる。二人の寝顔を見ながらふと以前から思っていることを口にした。
「なんか姉妹みたいですよね」
「あー……そうだな。美都ちゃん幼く見えるもんな」
「弥生さんと並んでても姉妹に見えるんですけどね。不思議です」
この三人は美都を中間としてそれぞれ年齢が10歳程度ずつ離れている。だからなのかもしれないが那茅が側にいるときは美都が子どものように幼く見え、弥生と話しているときは歳の離れた姉妹のように感じるのだ。この母娘と雰囲気が似通っているのかもしれない。無邪気さがそうさせるのか。一向に起きる気配を見せない少女らを見ながらやれやれと肩を落とす。
「さて、なんとかして那茅を持って帰るかなぁ」
「起こしますか」
「疲れてんだろ。無理に起こさなくていいさ」
そう言いながら瑛久が静かにソファーの前に回り込んでそっと那茅の身体を抱える。思ったよりも簡単に美都の腕から離れたもののさすがに人の手が触れたからか幼子が小さく唸る。その反動で美都も気付くかと思いきや彼女の方はまだ眠ったままだ。その間に瑛久がうつらうつらしている娘を背負った。
「良し。んじゃそっちは頼んだ。風邪ひかせないようにな」
「了解です。薬もありがとうございました」
小声で、尚且つ足を忍ばせながら廊下を歩き瑛久を見送る。パタンと扉を閉め再びリビングへと戻る。尚も寝息を立ててソファーで眠る美都を見つめ一つ息を吐いた。
これだけ人の気配に気付かない程熟睡しているということは、今日は相当力を使い切ったのだろうと考えられる。今はこんな無防備に眠っているが、衣奈と対峙した時の美都は近くにいながら圧倒されたものだ。凛々しく立ち向かう姿に目を離すことが出来なかった。
(ったく……)
ソファーの背にかかっているブランケットを手に取り、彼女の身体に被せた。夕飯を作り終えるまではここで寝かせとくか、と考えながら膝をつき美都の髪に優しく触れる。ここまで起きないのも珍しい。今ならどんなことをしても起きないのだろうなとさえ思う。
(信頼されてる、ね……)
これだけ心を許されていると逆にちゃんと男として見られているのか心配になる。だがそれに関してはいちいち見せる彼女の初々しい反応で確認済みなので大丈夫だろうとは思う。先程の瑛久からの評価を思い出し苦笑いを浮かべた。
これでもかなり自制している。一度触れると歯止めが利かないと自覚はしているのだ。だからこそ線引きをしておかなければそれこそ不健全だ。自分と違ってこの少女はマイペースなのだ。大切だからこそ、彼女と同じペースで隣にいなければ。焦る必要はない。こうしてここにいてくれるのだから。
「……お疲れ」
子どものように小さい寝息を立てているあどけない少女。小声で今日のことを労いながら優しく頭を撫でた。その姿にふっと笑みが零れる。
さて夕飯の支度をするか、と四季は静かに立ち上がるとパーソナルスペースとも言えるキッチンへ回り込んだ。



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