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6.穢れた身体
ルティアスの来訪を前に、フィオナは一人で湯浴みをした。これは結婚当初から続くものだ。
天東界の貴人は誰かしらの世話を受けるものだと侍女達に言われたし、面倒見のいいサナは今でも事あるごとに手伝いを買って出てくれているが、固辞し続けている。
身体をタオルで拭いたフィオナは、洗面所の鏡に自分の裸体を隅々まで写す。そして、鏡越しに背中を見て、みるみる内に顔を曇らせた。
赤紫色に変色した肌が、背中に大きく広がっていた。何度味わったか分からない絶望を覚えながら、密かに持ち込んでいた薬を飲み込み、しばらく待つ。やがて元通りの白い素肌へと変わっても、フィオナの表情は浮かない。
――だんだん、ひどくなっている……。
いつも欠かさず、薬をちゃんと飲んでいるのに、どうして妖魔の毒が現われるのだろう。
フィオナは苦悩しながら、着替えをした。
治療薬が欠かせぬ身となったのは、赤ん坊の頃だ。
家族と共に都から遠く離れた桃園に遊びに行ったとき、妖魔に襲われて負傷し、その毒が身体の中に入ってしまった。身体が負ければ、妖魔と変わるという猛毒である。完全に治癒する特効薬は存在するが、極めて稀少であり、家族が必死で探してくれたが結局見つからないままだった。
ただ幸いなことに、進行を確実に止める薬は存在し、生涯服薬を欠かさなければ、何事もなく人生を送れる。実際、フィオナのように妖魔の毒に侵されながらも、天寿を全うする者達は大勢いたし、結婚して子供も生まれた。
伴侶や子に影響を及ぼさない毒とはいえ、偏見は確実に存在する。
他人に影響を及ぼすことはないと知られていても、たびたび命を脅かす妖魔は天界人にとって宿敵に等しく、穢れたもの、と見下していたからだ。
天西界の帝王の娘が、妖魔の毒に侵された者と公になれば醜聞になり、母帝の名を貶めかねず、フィオナの身体のことは機密とされた。
末姫であるし、姉が四人もいるから、表舞台に立たなければならないわけではない。目立つことを好まず、大人しい気質の、適当な身分の男にいずれ嫁がせる――それが母帝の意向だった。
だが、よりにもよって天東界から縁談が持ち掛けられたとき、折り悪く、ルティアスに嫁げるのはフィオナだけだった。強引な天東界に母帝は腹を立ててもいたが、同時にフィオナの身体も心配した。
敵とはいえ、天東界側に内情を知らせないわけにもいかない。
だから、内々の話として、フィオナが『妖魔の毒に侵されている』から、『週に一度内服するのを黙認するように』と伝達されていた。天東帝を初めルティアス達は、約束通り口を噤んでくれていたが、三年を超えた頃からフィオナの心身は限界にきている。
ルティアスの離心と、薬を飲んでいるにも拘らず浸食が止まらない身体。
天西界に一刻も早く帰らなければ、事が公になってしまう。そうなったら、今度は夫となったルティアスの名誉も傷つける。
ルティアスも理解していながら、穢れた妻の身体をいつまでも求める理由は……――。
深い溜息を吐きながら、フィオナは夜着を羽織り帯で締める。
下ろした髪は背に流れ、黒の布地に金色の髪がよく映えた。薄い化粧をしたが、唇に紅はささない。ルティアスは行為の中でキスを好むからだ。胸元と耳筋に香水を薄く塗ると、甘い香が鼻腔をくすぐる。
フィオナは浴室を出て、控えていた侍女達と共に居室へと向かった。部屋に入り、侍女達が去ると、長椅子に腰かけたが、すぐに立ち上がる羽目になった。
サナが彼の来訪を告げに来たのだ。
途端に落ち着かなくなったが、すぐにルティアスが部屋にやってきたので、長く思い悩みはしない。
礼儀正しく彼を出迎えたフィオナは、胸が高鳴るのを抑えられなかった。
ルティアスも入浴を済ませたばかりのようで、深緋色の髪はまだ少し濡れて色を濃くしている。紫紺の夜着を纏い、銀縁の黒帯で締めていたが、胸元が緩く開いて着崩している。
すぐに脱ぐ――それをはっきりと告げている着方だ。
「変わらず、薬は飲んでいるか?」
「……えぇ。欠かさず……」
「分かった。兄上から話は聞いた」
フィオナは彼に何を求められているか理解して、憂鬱になった。
内服さえしていれば、妖魔の毒に害はない。
政略結婚を推し進めてきた東帝からすれば、是が非でも子がほしいだろうし、ルティアスは兄の意向に逆らう気もないようだ。彼が自分を求める、唯一の『理由』だろう。
そして子を求めるのは、他の人々も同様だった。サナはよく自分達の子が待ち遠しいと言っていたし、周りで話を聞いていた侍女達も同調していた。
子の誕生は、和平を保つために最適――そんな素直な思いも滲み出ていて、彼女達は何も知らされていないようだった。それならば、彼女達が事あるごとに言うのも自然だ。
フィオナ一人だけが、強い罪悪感を覚えた。
――私の身体は……ルティアスを穢している……。
本来は受け入れなければならないことなのだろう。
ルティアスも、自分に果された役目に従っているだけだ。頭では分かっていても、心が否定する。
涙が零れ落ちそうになる前に、ルティアスが切り出した。
「来い」
そう呟いたルティアスは両腕で軽々とフィオナを抱き上げ、隣室の寝室に連れていった。
天東界の貴人は誰かしらの世話を受けるものだと侍女達に言われたし、面倒見のいいサナは今でも事あるごとに手伝いを買って出てくれているが、固辞し続けている。
身体をタオルで拭いたフィオナは、洗面所の鏡に自分の裸体を隅々まで写す。そして、鏡越しに背中を見て、みるみる内に顔を曇らせた。
赤紫色に変色した肌が、背中に大きく広がっていた。何度味わったか分からない絶望を覚えながら、密かに持ち込んでいた薬を飲み込み、しばらく待つ。やがて元通りの白い素肌へと変わっても、フィオナの表情は浮かない。
――だんだん、ひどくなっている……。
いつも欠かさず、薬をちゃんと飲んでいるのに、どうして妖魔の毒が現われるのだろう。
フィオナは苦悩しながら、着替えをした。
治療薬が欠かせぬ身となったのは、赤ん坊の頃だ。
家族と共に都から遠く離れた桃園に遊びに行ったとき、妖魔に襲われて負傷し、その毒が身体の中に入ってしまった。身体が負ければ、妖魔と変わるという猛毒である。完全に治癒する特効薬は存在するが、極めて稀少であり、家族が必死で探してくれたが結局見つからないままだった。
ただ幸いなことに、進行を確実に止める薬は存在し、生涯服薬を欠かさなければ、何事もなく人生を送れる。実際、フィオナのように妖魔の毒に侵されながらも、天寿を全うする者達は大勢いたし、結婚して子供も生まれた。
伴侶や子に影響を及ぼさない毒とはいえ、偏見は確実に存在する。
他人に影響を及ぼすことはないと知られていても、たびたび命を脅かす妖魔は天界人にとって宿敵に等しく、穢れたもの、と見下していたからだ。
天西界の帝王の娘が、妖魔の毒に侵された者と公になれば醜聞になり、母帝の名を貶めかねず、フィオナの身体のことは機密とされた。
末姫であるし、姉が四人もいるから、表舞台に立たなければならないわけではない。目立つことを好まず、大人しい気質の、適当な身分の男にいずれ嫁がせる――それが母帝の意向だった。
だが、よりにもよって天東界から縁談が持ち掛けられたとき、折り悪く、ルティアスに嫁げるのはフィオナだけだった。強引な天東界に母帝は腹を立ててもいたが、同時にフィオナの身体も心配した。
敵とはいえ、天東界側に内情を知らせないわけにもいかない。
だから、内々の話として、フィオナが『妖魔の毒に侵されている』から、『週に一度内服するのを黙認するように』と伝達されていた。天東帝を初めルティアス達は、約束通り口を噤んでくれていたが、三年を超えた頃からフィオナの心身は限界にきている。
ルティアスの離心と、薬を飲んでいるにも拘らず浸食が止まらない身体。
天西界に一刻も早く帰らなければ、事が公になってしまう。そうなったら、今度は夫となったルティアスの名誉も傷つける。
ルティアスも理解していながら、穢れた妻の身体をいつまでも求める理由は……――。
深い溜息を吐きながら、フィオナは夜着を羽織り帯で締める。
下ろした髪は背に流れ、黒の布地に金色の髪がよく映えた。薄い化粧をしたが、唇に紅はささない。ルティアスは行為の中でキスを好むからだ。胸元と耳筋に香水を薄く塗ると、甘い香が鼻腔をくすぐる。
フィオナは浴室を出て、控えていた侍女達と共に居室へと向かった。部屋に入り、侍女達が去ると、長椅子に腰かけたが、すぐに立ち上がる羽目になった。
サナが彼の来訪を告げに来たのだ。
途端に落ち着かなくなったが、すぐにルティアスが部屋にやってきたので、長く思い悩みはしない。
礼儀正しく彼を出迎えたフィオナは、胸が高鳴るのを抑えられなかった。
ルティアスも入浴を済ませたばかりのようで、深緋色の髪はまだ少し濡れて色を濃くしている。紫紺の夜着を纏い、銀縁の黒帯で締めていたが、胸元が緩く開いて着崩している。
すぐに脱ぐ――それをはっきりと告げている着方だ。
「変わらず、薬は飲んでいるか?」
「……えぇ。欠かさず……」
「分かった。兄上から話は聞いた」
フィオナは彼に何を求められているか理解して、憂鬱になった。
内服さえしていれば、妖魔の毒に害はない。
政略結婚を推し進めてきた東帝からすれば、是が非でも子がほしいだろうし、ルティアスは兄の意向に逆らう気もないようだ。彼が自分を求める、唯一の『理由』だろう。
そして子を求めるのは、他の人々も同様だった。サナはよく自分達の子が待ち遠しいと言っていたし、周りで話を聞いていた侍女達も同調していた。
子の誕生は、和平を保つために最適――そんな素直な思いも滲み出ていて、彼女達は何も知らされていないようだった。それならば、彼女達が事あるごとに言うのも自然だ。
フィオナ一人だけが、強い罪悪感を覚えた。
――私の身体は……ルティアスを穢している……。
本来は受け入れなければならないことなのだろう。
ルティアスも、自分に果された役目に従っているだけだ。頭では分かっていても、心が否定する。
涙が零れ落ちそうになる前に、ルティアスが切り出した。
「来い」
そう呟いたルティアスは両腕で軽々とフィオナを抱き上げ、隣室の寝室に連れていった。
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