彼は亡国の令嬢を愛せない

黒猫子猫

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14.愛されたいと思っていい

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 目を軽く見開いて、しばらく固まった後、アッシュはやっとの事で言った。

「お前⋯⋯あいつを女だと思ったのか。すげえな」
「確かに一瞬、男の方かと思ってしまうくらい、凛々しかったけれど⋯⋯女性よね?」

「いや、そうなんだが⋯⋯あいつは男女とか、雄雌オス・メスとか、そういう次元じゃないぞ。何か別の生き物だと俺は思う」
「飛竜でしょう?」

「あぁ。俺たちの群れの中ではロイが一番強いが、あいつも肩を並べるだろうな。本気で戦ったことがないから何とも言えないが、あいつは年も俺より遥かに上で経験の差も大きいから、俺よりも強い。だから、まぁ好き放題してくる」
「ドアを⋯⋯ノックしないのも?」

「そんな上品な真似を、あいつがするものか。昔は足で蹴り開けていたぞ」
「そ⋯⋯それはすごいわね」

 竜として格上という自負と、もともとの性格から、あの行動に至ったという訳だ。アッシュは渋い顏である。

「俺は着替えている最中だっていうのに、全く気にせずに、家探しだぞ。止めるのが大変だった」
「家探し⋯⋯?」

「腹が減っていたらしくてな、俺が最近、四六時中狩りに出ているのを知っているから、何か食い物を寄越せと言ってきたんだ。お陰で半分食われた」
「あ⋯⋯」

 彼女はアッシュがセシリア達のために食糧を多く探しているのを、知っていたのだろう。アッシュの家に何かしらあると目星を付けて強襲し、食べ物にありついた。だから、『すまない。もらったぞ』と不敵な顔をして、言ったのだろう。
 自分の誤解にようやく気付いたセシリアは、真っ赤になった。顔から火が出そう、とはこのことだ。

「それがどうかしたのか?」
「⋯⋯もらった、って言われたから⋯⋯」

「だろうな。強奪の方が正しいぞ。ちゃんと謝れってんだ」
「⋯⋯ごめんなさい」

「いや、お前じゃなくてな?」

 それでもセシリアが繰り返し謝るものだから、アッシュは軽く首を傾げ、少し考えた後――理解した。そして、表情を緩めて、うろたえる彼女を抱きしめた。

「俺を取られたかと思ったのか?」
「⋯⋯恥ずかしいわ」
「どうして。妬いてくれたんだろう?」

 アッシュは、答えるまで許してくれそうにない。セシリアが恥を忍んで、小さく頷くと、アッシュの抱きしめる腕が強くなった。

「誤解させて悪かった。今度は鍵を掛けておく」

 そうしたら蹴破って来るかもしれないが、流石にそれを見て、逢引とは誰も思わないだろうとアッシュは思う。セシリアは、包みこむように抱きしめる彼の腕の温もりに、肩の力をふっと抜いた。

「⋯⋯別れた夫が他の女性と一緒にいたのを見ても⋯⋯こんな風にならなかったのに」
「なに?」

 怪訝そうなアッシュを見上げ、セシリアはほろ苦い笑みを零した。

「嫁いだ時、夫には他に女性が沢山いたのよ。結婚はしたけど、私の両親に頼まれて仕方なく、というだけ。だから⋯⋯形だけの夫婦みたいなものね」
「それは⋯⋯辛かったな」

 彼女が元夫を愛していたわけではなさそうだと、その口ぶりからも分かる。番としては安堵するべきことかもしれないが、以前、彼女の侍女が『近頃ずいぶんと食が細くなった』と言っていたことを思い出した。祖国が滅びたからだろうと言ったが、侍女は曖昧に誤魔化していたものだ。

 恐らく、異国の地で心労を重ねていたのだろう。

 たとえ思いが無い相手であっても、一緒に暮らさなければならないというのは、なかなかの苦痛だ。男に戯れた女達の不躾な眼も浴びたことだろう。セシリアの従者達が、嫁ぎ先の事をほとんど話そうとしないわけだ。

 アッシュは、セシリアを傷つけた彼女の元夫を噛み殺してやりたくなったが、彼女は淡く笑ってみせた。

「⋯⋯そうね。今思えば、苦しかったのかもしれないわ。でも⋯⋯どちらかというと、虚しかったわね。それに諦めていたわ。なにもかも。まるで人形ね。だから、夫も嫌気がさしたのかもしれないわ」

 静かな口調だった。まるで消え入りそうな程の、か細い声だ。

 セシリアの身体は、相変わらず痩せている。食料のほとんどを、やはり周囲の人々に分け与えてしまうからだ。
 アッシュはセシリアを壊さぬよう、それでいて再び強く抱きしめた。

「セシリア。お前は欲を持て」
「え⋯⋯?」

「お前はもっと、愛されたいと思っていい」

 甘く優しい声に誘われて、セシリアはアッシュを見つめた。

 アッシュは抱きしめていた手の片方だけ離し、セシリアの髪に指を絡めた。やはり艶もなく、ぱさついていたが、絡むことなく、すっと指が通った。彼女の瞳の蒼はなお美しく、周囲の人々への思いやりは深まる一方だ。故郷を想うのか、寂しい眼差しをすることがあっても、少しずつ笑顔が増えた。

 些細な変化を、アッシュだけは見逃がさない。

「俺は、お前を裏切ったりしない」
「⋯⋯⋯⋯」

「信じてもらえるまで、言葉や態度で示す。何度でもだ」
「私が番⋯⋯だから?」

「それもある。でも、お前の信頼に応えたい」

 森の中で兵に追われていた時、彼女は救いを求めてくれた。おかしなことを言う見知らぬ男に身を委ねていいとまで言った。どれ程勇気を振り絞ったことだろう。

 飛竜の姿を晒しても恐れず、振り落とされたら終わりだと言うのに背に乗った。凶悪なほどの威圧感を持つロイに自分が気圧されていた時、声を上げた。ことのほか大切にしている侍女の子を、抱かせてもくれた。

 ほんの小さなことではある。それでも、彼女が少なからず信頼を寄せてくれているのが、嬉しい。

「私は⋯⋯貴方にどう応えたらいいのかしら」
「言っただろ。俺に愛されればいい」

 慈しむように額に口づけられ、セシリアは頬を赤らめた。勇気を振り絞って、自分の髪に触れている彼の手に重ねると、すぐに指を絡めとられた。

「⋯⋯したい、の?」
「いつでも。お前が嫌なら、今日じゃなくてもいい。一緒にいてくれるだけでも、最近何だか嬉しいんだ」

「⋯⋯⋯⋯」
「触れさせてくれるなら、俺もお前のものだと確かめるといい」

 アッシュは決して無理強いをしてこない。何をしてもいいと、セシリアが言っても、気持ちが整うまで待ってくれた。怖がることもしない。

 だから――彼の傍は居心地が良いのだろうと、セシリアは思いながら、彼の口づけを受け入れた。
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