彼は亡国の令嬢を愛せない

黒猫子猫

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17.竜の子育て

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 躊躇いながら、アッシュが脇に抱えていた布で包まれた物をセシリアの前に出すと、覆いを取った。露わになったのは、薄灰色の楕円形の卵だ。彼は片手で軽々持っていたが、セシリアは両手で抱えなければ持てなかった。

 そっと指先で触れると、表面はすっかり冷えていたが、わずかながらに振動が伝わってくる。

「生きてるわ⋯⋯」
「飛竜の子だ。でも、俺の子じゃないぞ。俺が連れてはきたがな」

 誤解されては困るからと、アッシュは立て続けに訴える。セシリアは苦笑して頷きながらも、心配になった。

「こんなに冷たくて良いの?」

 思わず布で包み直して、大事に抱えるセシリアに、アッシュはほろ苦い笑みを浮かべた。

「孵化が近いから、もう温めなくてもいい時期だ。あと二・三日もすれば、自分で殻を破って出てくる。でも、こいつは生まれる前に母竜リンが弾き出して捨てようとしていた」
「どうして⋯⋯?」

「⋯⋯飛竜は一度にいくつか卵を産んで、温める。孵化ふかしたら、母竜がしばらく乳を飲ませて育てるというのは、人間と一緒だ。だが――弱い個体は、見限ることがある」
「⋯⋯⋯⋯」

「強くて、生き残る確率の高い子どもを優先して育てるのが飛竜だ。だめだと判断すると、野に捨て去ることもある」
「⋯⋯この卵は、小さかったのね」

「あぁ。それでも孵化する前から見捨てるのは、あまりないんだが⋯⋯冬も来るし、先も見通せないからな」
「孵化しても、お乳がもらえなければ⋯⋯死んでしまうわね」

「数日持てばいい方だろう。せっかく生まれたのに、誰の目にも触れずに死んでいくのも哀れでな」

 せめて看取れないかと、アッシュは連れてきたのだ。

 セシリアは腕の中で動く卵を見つめ、しばらく考えた末、彼に返した。

「ちょっと待ってて」
「あ? あぁ⋯⋯」

「抱きしめて、温めていて!」
「いや⋯⋯もうそれがいる時期じゃ⋯⋯」

 呆気にとられるアッシュを他所に、セシリアは勢いよく飛び出していった。向かう先は、従者たちのいる二軒の家だ。彼らの知恵や経験が必要だと、セシリアは思った。


 アッシュの予想よりも遅く一週間ほど経って、飛竜の子どもは卵を破って、姿を見せた。元気な子供は突き破る勢いで飛び出してくるが、殻にヒビが入ってからも、なかなか進まなかった末のことだ。

 卵は大きな籠に厚手の布を敷いた上に置かれていたが、小さな飛竜は力無くその上に転がってしまった。

 ――やはり、弱いな。長くはねえか。

 息を呑んで見守っていたセシリアや、従者たちの手前、アッシュは口に出せなかった。小さな竜は大きな円らな目で、しきりに周囲を見回した。親を探しているのだろうと彼は理解したが、哀れには思わなかった。

「まぁ、産まれたわ! なんて可愛いのかしら!」
 安堵の笑みと共にセシリアが喜びの声を上げれば、
「いやあ、良かったですね! 無事に産まれて!」
 と、従者たちや侍女達が歓声をあげてくれたからだ。

 親はいない。だが、大勢の人々に歓迎されただけでも、この小さな竜には大きな事だろうと、アッシュは思った。

 セシリアはひとしきり喜ぶと、まずお湯でタオルを絞り、竜の身体を丁寧に拭いてやった。母竜が舐めてやる代わりだ。前もってアッシュに聞いていたから、手早く終えると、身体を冷やさないように新しい布で包む。

 小さな竜は大人しく、されるがままだ。

 一通り世話が終わるのを見ていたアッシュは「さて」と呟くと、子竜に腕を伸ばした。

 優しく抱っこしてあげるのだろう――誰しもそう思った瞬間、彼は問答無用で後ろ足を両手でつかむと、逆さにひっくり返して、軽く揺さぶった。

「ほら、鳴け」
「な、なにをしてるの⁉」

 セシリアは絶叫したし、従者たちは真っ青になったが、彼は意に介さない。

「飛竜が鳴かないのはだぞ」

「だからといって、他にやり方が――っ⁉」

 慌てて彼の手から取り上げようとした瞬間、子竜は軽く咳き込んで、小さなからを吐いた。そして、僅かながらではあったが、『ピイッ』と鳴き声を上げる。

 それを聞いて、アッシュは目を細めた。

「上出来だ、こぞう」

 くるりと回転させて、籠の上に降ろしてやると、子竜は今度は弱弱しいながらも頭を持ち上げ、アッシュの指先をガブッと嚙みついた。歯がないので、アッシュは全く痛くない。むしろ、彼は笑みが零れた。

「いい根性してるじゃねえか。ほら、噛め。あごを強くしとけ」

 引き抜くどころか、煽るように動かすものだから、子竜は更に噛み続ける。
 呆然と見つめたセシリアは、ようやく安堵の息を漏らした。

「びっくりしたわ⋯⋯」

「あぁ、人間の赤ん坊とはまた違うからな。俺なんて優しい方だぞ。普通の母竜はもっと雑だ。産まれたら、すぐに鳴いて自分の存在と空腹を訴えないとだめだ。その後、自力で立ち上がって歩いて乳を吸いに来ないと、放っておかれる。早く動かねえと、親の体の下敷きにされることもある」

「か、過酷ね」

 キャロルの赤ん坊を見て、アッシュが衝撃を受けていたわけである。

「こいつは見るからに弱いが、それはまぁ最初から分かっていた事だ。ただ⋯⋯鳴かないのはな。なんか引っ掛かってんだろとは思ったが、取れたようだ」
「逆さにして大丈夫なの?」

「首か? 問題ない。親は邪魔になると咥えて放り投げるぞ。繰り返されているうちに、飛ぶことを覚える」
「⋯⋯逞しいわ」

 もうそれしか言葉もないセシリアに、全員同感だとばかりに揃って頷く。アッシュは指を引き抜くと、彼女を見返した。

「問題は食餌だが⋯⋯」
「あ、そうね。やってみましょう」

 セシリアは籠ごと抱え上げ、アッシュや人々と一緒に移動を始めた。
 先導したのは、従者のコールだ。
 並び立つ二軒の家の裏手へと回ると、数頭の飛竜が顔を上げた。

「やぁ、どうもどうも」

 にこやかに笑顔を振りまくと、竜たちはフンと鼻で笑いながらも、威嚇する様子はない。お調子者がまた来たか、そんな態度だ。彼らの足もとには、齧りかけの干し肉が置かれていた。セシリア達が丹精込めて作った物で、間食に貰ったらしい。

 前は寝てばかりいた仲間たちが、起きている事も増えていた。活気もあるように思える。
 竜たちの変化を見つめながら、アッシュは足を止めた。

 コールが立ち止まったからだが、今までにこやかだった彼の顔は、少しばかり強張っている。

「あー⋯⋯今日は機嫌が悪い、かな?」

 一同の視線の先にいたのは、一頭の若い雌竜だ。足元には一頭の子どもがいる。この秋に産まれた子だ。すでに母から乳をもらい、満足げに寝ていた。母竜は起きていたが、アッシュの姿を見て敬意を示す眼差しを向けながらも、警戒するような眼差しだ。

「おい、言っておいただろ」

 アッシュは苦い顔になった。

 乳母というのはどうだ、という案を出したのは、侍女達だった。貴族の家では、高位の女性は子を産んだあと、乳母に世話を委ねることがある。近い時期に子を産んで育てている女性が選ばれた。

 日々、飛竜と関わっているコールは、子育て中の竜にも詳しい。最適と思われる竜に、アッシュは話をつけていたが、いざという時になって、母竜は渋り出したというわけだ。

 進み出ようとしたアッシュを、セシリアは止めた。

「飛竜は自分の子以外育てたりしないのだから、無理もないわ。小さい子がいるのに、大勢で来たから緊張させてしまったかもしれないわ」

 セシリアは付き添ってくれた人々に礼を言って、先に家に帰した。残ったのはアッシュだけだ。
 それでも、母竜は乳を与えようとせず、セシリアが抱えている籠の中で、小さな竜は哀し気な声で鳴いた。

「ごめんなさい。分けて貰えるまで、一緒に待っていましょうね」

 優しく声をかけて、身体に布をかけて撫でた。母竜はじっとセシリアと小さな竜を見つめていたが、やがて自分の子どもが起き出した。乳をねだって吸いついたが、お腹が一杯だったことを思い出したのか、すぐに止めて遊びだした。

 すると、母竜は一声、セシリアに向かって鳴いた。

「――いいとよ」

 アッシュが彼女の言葉を伝える。セシリアは頷いて籠を置くと、小さな竜を腕に抱いて、歩み寄った。緊張で手が震えそうになりながらも、小さな竜を出来るだけ傍に置く。歩く事さえままならないなか、それでも小さな竜はふらつきながら立ち上がり、乳を吸い始めた。

 固唾を飲んで見守っていたセシリアは、大きく息を吐く。アッシュもまた、笑みを浮かべた。

 ――俺じゃ、できねえな。

 雌竜は遥かに格下だから、飛竜としてのプライドが邪魔をしてしまう。下手をしたら、命令をくだしていたかもしれない。自分の番であるセシリアとて、強く出れば従ったはずだ。

 それでも、彼女は待っていた。自分達がお願いしている立場だからと、小さな竜を戒めてもいる。

 嬉しそうなセシリアの横顔と、懸命に生きようとする小さな竜を見つめ、アッシュの胸はひどく疼いた。
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