彼は亡国の令嬢を愛せない

黒猫子猫

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19.バシュリス

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「俺が生まれた時、父親はもう死んでいてな。群れに属していなかった母は、独力で子を育てるしかなかった。当時からルーフスは何度も侵攻を繰り返していたから、おちおち子育てもできない。だから、リンたちのように、母は『選別』したようだ。物心ついた時には、俺と弟だけだった。本当はもっといたらしいんだが⋯⋯所在は分からなかった」

 見捨てたのだということを、幼心に知ったのは、唯一生きていた弟が力尽きた時だ。ルーフス軍は、飛竜の力を削ぐため、水に毒を混ぜることもしていた。その毒は、アッシュよりも弱かった弟の命を奪ったのだ。

 その時になって、ようやく母は他の弟妹の事を話し、彼らの分まで強く生きろとアッシュに言ったが、それは彼の心を傷つけるのに十分だった。母竜はアッシュの傷に気付き癒す前に、彼女もまた戦に巻き込まれて命を落とした。

「貴方は⋯⋯一人になったのね」
「あぁ。俺は生き抜く力だけはあったからな。単独で暮らしていられたし、そのうち人化できるようにもなって、人の世界にも触れるようになった。二十年ほど生きた後、人化できることを伏せて軍属になったのは、その影響も大きい」

 軍属になったのは、他にやる事もなかったから、という点も大きい。人として生きても、ルーフス軍に怯える社会は息苦しい。さりとて飛竜で生きる場所も限られている。人化できると知られると何かと面倒だろうと、アッシュは竜のままでいた。そして、多くの飛竜と出会い、共に戦う日々が始まった。

 やがて戦は激化し――ルーフス軍の前に敗北した。

「⋯⋯俺は生き残った奴らと協力して、仲間を空に逃がした。王都は陥ちて、国に先がない。だから、せめて飛竜を少しでも生かそうと思った。だから、俺も選別した」
「⋯⋯⋯⋯」

 最早助かる見込みのない飛竜は、見捨てるしかなかった。より若く、強い竜を優先して逃がした。若い雄や雌は先々、子を作れるからだ。

「そんな中、一頭の若い雌の小さな飛竜を見つけた。満身創痍だったが、それでも近くにいた騎士を守ろうと、懸命に戦っていた。初対面だったのに、不思議と懐かしい気がした。名前を聞いて――母が真っ先に見捨てたといっていた、妹だと気づいた」

「生きていたのね」

「どうやら、一緒にいた騎士が拾って育ててくれたらしい。随分と奴に懐いていた。軍属になったのも、その男がいたからだろう。だが、奴はもう瀕死だった」

「⋯⋯貴方はどうしたの?」

「見限れと言った。どう見ても助かる傷じゃない。でも、妹は嫌だと言って、頑として動かない。何を言っても、それこそ脅そうが宥めようが、耳を貸さない。だから――俺はその場を離れた」

「⋯⋯その後、ロイさん達に会った⋯⋯」

 アッシュは黙って頷く。そして、当時を思い起こし、胸の奥が酷く疼くのに耐えながら、絞り出すように呟いた。

「俺は妹を見捨てたんだ。選別して、弱い飛竜を置いていった。ロイや母を責められない。俺も、同じ事をした」

「⋯⋯だから、貴方は弱い者を気にかけるのね」

「贖罪になるとは思ってない。でも――何かしないと、苦しくてな」

 セシリアを見つけた時も、一緒にいた人々を気にかけて回っていた。特に最弱とも言えるキャロルを励まし、コールに発破をかけてもいた。リンが捨てた卵を拾ってきてしまったのも、過去の苦しみがあったからだ。

 ただ、ラズが成長するたびに、アッシュは当時の事を思い出す。

 自分が見捨ててきた竜達は、もしかしたら、この小さな竜のように生き残る術があったのではないか、と。

 追い込まれた状況のなかで、アッシュは最善を尽くしている。それでも、強い竜であるがゆえに生き延びてしまった彼は、深い心の傷を秘めて生きていた。

 話し終えて、アッシュは小さく息を吐くと、セシリアを見つめた。

「⋯⋯お前に言ったら、どう思われるか怖くてな」
「貴方は素直よ。誰か心に寄り添おうとしてくれるから、傷つくのね。でも、それはとても大切な事よ」
「⋯⋯⋯⋯」

 セシリアは微笑んだ。

「妹さんの名前は何ていうの?」

「⋯⋯だ」

「いい名前だわ」
「そうか? 母が適当につけたと言っていたぞ。リンの所と一緒だ」

「私はそうは思わないわ。祖国には『バシュリス』という言葉があるの。王女という意味よ」
「⋯⋯⋯⋯」

「貴方の妹さんは、騎士と命運を共にする道を選んだ。貴方に迫られても屈しなかったんだから、ルーフスにも最後まで抗ったはずよ。王女という名に相応しい、気高い竜だと思うわ」

 アッシュの顔が、歪んだ。天を仰ぎ、息を吐く。

「⋯⋯小さいなりに、弱いなりに、あいつも懸命に生きたか」

「えぇ」

 アッシュはようやく泣き笑いの顔を浮かべた。



 同じ頃、深夜にも関わらず、国境沿いのルーフス軍の陣営に、怒号が響いた。

 隊を率いている部隊長は、顔を真っ赤にして部下達を一列に並ばせた末、苛立ちをぶつけてもう一時間である。

「あの女達は、まだ見つからんのか! 一体どこを探している!」

 怒りの根源を集約すれば、それだけなのだが、あまりに捜索が長期化しているものだから、部隊長の責任を問う声も、王都を占領している本隊から届いている。焦りを滲ませる彼の傍で、必死でそ知らぬふりをしているのは、セシリアの元夫だ。

 顔を見知っているという理由に加え、彼の部下達がセシリア達を見失うという大失態を犯したがために、ルーフス軍に呼ばれて帰れずにいる。

 もう諦めた方がいいと言いたかったが、それを部隊長に告げると、自分に怒りの矛先が向いてきそうなものなので黙って聞いていた。ちらりと怒鳴られている部下達を見てみれば、誰も彼も長の話を聞いているふりだけしている。
 すでに耳だこだからだ。

 そんななか、彼らの中で矢面に立たされているのは、先日本隊から使者としてやって来た、ヤトと言う名の兵士だ。焦げ茶色の短髪に、同じ色の瞳。容姿は凡庸で、兵士とは思えないほどの体の細さだ。見るからに気が弱そうな兵士は、言伝として預かった責任問題を問う話を伝えた際、部隊長に「捜索に手を抜いているといいたいのか!」と怒鳴られて、すぐに半泣きになっていた。

 ヤトは本隊からも見つかるまで帰って来るなと言われて送り出されたらしく、良いように使われてしまっている。しかも、根は真面目なのか、いちいち部隊長の話に相槌を打つものだから、ずっと集中砲火を浴びていた。

「町に逃げ込んだ形跡はありませんので、森に潜んでいるか、その先の渓谷まで逃れて行ったのか⋯⋯」
「そんな事は分かっている! しかし、人間が忽然と消えるなど、おかしいではないか!」

「そう言われましても⋯⋯。飛竜が背に乗せていったのでは?」
「バカ者! 二十人を移動させられるほどの飛竜が生き延びていたら、見てみたいものだ! 本隊が血眼になって探しても、一匹も見つからんのだぞ! 地竜も何も嗅ぎつけん!」

「はぁ」
「やる気があるのか、貴様! 地竜ともども、役立たずが!」

 容赦なく怒鳴りつけられて、ヤトは身を縮めた。埒が明かないと思ったのか、隣にいた兵士が慌ててとりなした。

「これから雪の季節になります。山々を捜索するのは至難の業。とりあえず、春を待った方がいいのでは? どうせ国は滅びているんです。逃げられる場所といってもたかが知れていますよ」

 他の兵達も追従して同調し、部隊長もようやく怒りを鎮め始めたのを見て、天幕の裏で様子を伺っていた者はそっと陣を離れた。

 そして、闇夜の中に身を投じ、みるみる内に飛竜へと姿を変えると、空をあっという間に駆け上がっていく。警戒のため歩哨に立つ兵士達は、誰も気づかず、天幕から逃げるようにして出てきたヤトへ注意を向けた。

 哀れに思うほど汗を搔いていたヤトに、兵士達は「大変だったな」と笑って声をかける。

 ヤトは曖昧に笑って、汗を袖で拭きながら、彼らの元を離れた。

 小高い丘に設営された陣営から歩いて下っていくと、大きな川が広がっている。石だらけの川べりで、丸まって寝ているのは、地竜たちだ。彼らの近くには監視役の兵が松明を片手に立っている。
 野で生きるものもいる飛竜や、人間の干渉を殆ど受けずに海で自由に暮らす水竜と違い、地竜はすべてルーフス軍の手の内にあった。

 人の手の及ばぬ場所にいく手段を持つ他の竜族と異なり、地竜が生きられるのは大地の上だけだ。古の時代に長や強い地竜を悉くルーフス軍に殺され、指揮系統を破壊された地竜たちは、ルーフスに従うしかなくなった。

 より従順に、かつ戦闘で役立つように。選別され続けた地竜は、人に従って戦うことだけを至上命題とするような兵器に成り下がっている。今も「臭い」という理由で、人の陣営から離れた場所での寝食を強いられていた。

 ヤトは足を止め、少し離れた場所から地竜たちを一望した。

 管理用の首輪を嵌め、兵士達から小ばかにされても何の反応もしない地竜を見つめ、冷笑する。

「⋯⋯どちらも愚かだな」

 吐き捨てるように呟いて、暗く淀んだ空を見つめた。彼の目だけは、飛び去って行く飛竜の姿を正確に捉えている。

「ずいぶんと陣に近づくじゃないか。何を気にしているんだか」

 闇夜の中で、小さく呟いた男の言葉は、誰の耳にも届かなかった。
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