彼は亡国の令嬢を愛せない

黒猫子猫

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23. 彼は愛せない

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 さすがに夫が哀れに思ったのか、リンがとりなして、アッシュは落ち着きを取り戻した。それでも、すぐにセシリアの傍まで行って、前に跪く。腕を伸ばして彼女の頬に優しく慰めるように触れた。

「大丈夫か? ラズが急にいなくなって無理もないとは思うが⋯⋯顔色が悪い」
「え、えぇ⋯⋯ごめんなさい。私が目を離してしまったからだわ」

 夕方に帰る予定だったアッシュは、昨今では珍しく獲物が少なかったため、一度集落に戻って来ていた。そこでセシリアがロイの元に向かったと従者たちから聞いたのだという。かなり心配してくれたのか、手が冷え切っているのが伝わった。

 無事と安堵したのもつかの間、ラズが消息不明と聞かされて、心中は動揺も大きいだろう。それでもセシリアの不安を増させまいと、穏やかな眼差しを向け続けてくれているのが分かる。

「俺がラズを外に出していいと言ったんだ。気に病まなくていい。俺の責任だ」
「そんな事はないわ⋯⋯。それに私、ラズの首にバンダナを巻いているのよ」

「子が産まれたら使うように、両親から贈られたものだろう? 大切な形見でもある。お前がラズに贈りたいと思うのは当たり前の感情だ。ラズも幼い頃から傍にあったものだから、安心するんだろう。むしろお前が仕舞おうとしたら、嫌がったじゃないか。何も間違ってはいない」

 身を包んで使っていた布をバンダナに作り替える時、セシリアはアッシュに相談していた。冷めた関係だった元夫は殆ど顔を見せなかったから、箱の奥にしまってあった品を見ているとは思えない。それでも万が一の事を危惧したのだ。

 そして、アッシュは当時のことも、忘れずに覚えていてくれた。

 今にも泣きだしそうなセシリアを見返して、アッシュは微笑んで、続ける。

「集落の中はすでにリンの号令で仲間が探してくれているというから、俺は外を見てくる。これから狩りに行く奴がいたら、気にかけて見てもらえるよう言っておくからな」

 群れの長はロイだ。外に出られる数少ない強い飛竜に、アッシュに命をくだすような権限はないから、頼むしかなかった。それでも、自分にできる最大限のことをしようとしてくれているアッシュに、セシリアは励まされる。

「お願い。私も、もう一度家の中や周りを見てみるわ」
「あぁ。でも、無理はするな。ずいぶん具合が悪そうだぞ。昼食はとったか?」

「⋯⋯いいえ⋯⋯喉が通りそうにないわ」
「何か少しでも食べろ。お前が倒れたら、ラズが帰って来た時に誰が抱きしめてやるんだ。俺はあいつに説教だからな」

 アッシュは小さく笑って立ち上がると、セシリアの額に優しくキスをした。そして、リンにセシリアの後事を頼むと、ロイへ目を向ける。

「異存はないな?」

「見つかるようなへまをするなよ。ルーフス軍が動いている。しかも、以前に比べて行軍が速い上に迷いがないそうだ。誰か知恵者がいるかもしれない」

「分かった」

 アッシュは短く答えると、セシリアに家で少し休むように声をかけて、急いで飛び出していった。彼を見送ったセシリアは、大きく息を吐く。

 アッシュが来てくれたことで、ずいぶんと気持ちも落ち着いた。家に戻ろうと、腰を浮かしかけたが、ロイがセシリアに短く告げる。

「覚悟はしておけ」
「⋯⋯⋯⋯」

「集落の中に止まっていればよし。もしも外に出ていたとしたら、連れ戻すのはルーフス軍の目を盗むために夜になる。だが、もしもさ迷った末に、ルーフス軍の手に落ちたとしたら、部下を送って殺させるしかない」
「そんな⋯⋯っ」

「先ほども言ったが、群れを守るためだ。正確にいえば、この地を隠し通すためでもある。もしも、ここを失えば、また新たな封印の地を探さなければならない」
「⋯⋯封印された地だと、アッシュから聞いたわ。飛竜にしか見つけられないようになっていたとも」

 世界を支配するほどの強大な力をもっていたという、始祖の竜族たち。この集落も何者かによって閉ざされ、封印されていたものだという。ロイの部下が三日三晩かけて、ようやく破れたくらい強固なものだ。

 当時の事を思い出したロイは、渋い顔をした。

「その通りだ。私の一番の側近が、封を破った。もう二度とごめんだと、言っていたな」
「⋯⋯相当、体力をとられてしまうそうね」

 アッシュは大丈夫だと笑っていたが、新たな心配の種が産まれる。もしも、この地が見つかってしまったら、放浪の旅にでなければならない。そして、もしも新たな封印の地が見つかったら、彼はロイに『自分がやる』誓ったように、破壊しなければならない身だ。

 すると、黙って聞いていたリンが顔を曇らせ、ロイも顔を顰めた。

「アッシュがそう言ったのか?」
「え? えぇ。でも、怪我をしたりはしないって⋯⋯」

「そうだろうな。力を吸われ続けるだけだ。つまり、飛竜の強靭な生命力を根こそぎ持ってかれる。もう二度とごめんだと、私の部下は笑って逝った。封印を破るのは、飛竜の命と引き換えだ」

 セシリアはようやく、アッシュが名乗り出た時、ロイが正気かと言わんばかりの目で彼を見ていた理由に気付いた。無論、すぐに新たな地を探さなければならない状況に陥るとは彼も思っていなかっただろう。

 だが、セシリアが封印の事を訊ねた時、言葉を濁したのは――我が身を差し出したことを、セシリアが気に病まないようにするためだ。

 絶句するセシリアに、ロイは静かに告げた。

「ルーフス軍も、せっかくの手がかりをみすみす奪われないよう、厳重に守るだろう。ラズを殺すのも容易ではない。お前を指し示す物を身に着けていると知られたら、この界隈に固執するはずだ」
「いずれ⋯⋯見つかる」

「そういうことだ。ルーフス軍の目を他所へ引っ張って行かない限りな」
「⋯⋯⋯⋯」

「アッシュは有能な男だ。失うのは、群れにとって痛手になる。アッシュはお前を番だからと固執しているようだが、番への欲望を封じ込める薬があるから問題ない。そろそろ雌竜と交尾して、より強い竜を産ませてもらわねば困る。奴が連れてきた敗残の飛竜を私が受け入れたのは、そのためだ。あの男には、恩を返してもらう。意味は分かるな?」

 お前も、邪魔だ。

 ラズと共に群れを危うくする存在だと、ロイは暗に告げる。

 実際に、危機的状況を生み出していることも、セシリアは分かっていた。

「⋯⋯私に付いて来てくれた従者たちは⋯⋯何の罪もないわ。彼らを巻き添えにしないで」

「問題ない。ルーフス軍はお前に逃げられたことで、取り巻きも一緒に処刑することよりも、お前を探し出す方に躍起のようだ。このまま月日が経てば、忘れ去られるだろう」

 セシリアは小さく頷く。震える手を握り締めて、ロイを真っすぐに見つめた。

「必要な状況になったら⋯⋯私が出て行くわ」

「それでいい。アッシュはお前を愛するべきではない。身の破滅に繋がるのだからな」

 セシリアは涙がでなかった。
 胸の奥は深い悲しみと絶望が広がるなかで、かつて抱いていた諦めという感情が蘇ってくる。

 国が滅び、敵国に追われるだけの女だ。ラズが捕まっていたら、セシリアは去らなければ、群れも、彼自身の命も危険に晒す。

 アッシュはセシリアを愛せない。
 強い竜を欲しているロイや、彼を頼みにしている仲間たちが、これ以上の犠牲を許さないだろう。だから――愛してはいけないのだ。
 
 セシリアはうつむいた。身体はすっかり冷えているのに、お腹がほんのりと温かい気がする。

 ――言えないわね⋯⋯。

 子ができたかもしれないと、愛した人に伝える時は、もっと幸せな瞬間だとセシリアは思っていた。

 でも、今それを口にすることは、アッシュをさらに思い悩ませることにしかならない。唇を噛んで、ゆっくりと立ち上がった。

 リンが手を貸そうとしてくれたのも断って、顔を上げて息を吐くと、しっかりとした足取りで部屋を後にした。リンは途中まで付き添って、廊下にいたロイの部下に付き添うよう命を下すと、再び部屋に戻り、扉を閉めた。

 怒りを孕んだ瞳で睨みつけられても、想定内であるロイは揺るがない。

「お前も、あの人間達に傾倒しているようだな。飛竜としての誇りはどうした」
「そんな事より、お前は⋯⋯分かっていて、あぁ言ったのか。だったら、今すぐぶん殴るぞ」

「何のことだ」

 怪訝そうにしたロイに、リンは真顔で言った。

「いいか。恐らく、セシリアの腹には卵があるぞ」
「は⋯⋯?」

 相変らず言葉が雑過ぎる妻に、ロイは目を丸くした。
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