たとえ誰に望まれなくとも

リコピン

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1-19.闇夜の取引

 双子を連れて屋敷に戻った頃。
 アランは既に屋敷を後にしていた。
 おかげで、堂々と双子を侍女たちに託せる。
 「見苦しくない程度に整えて」という私の言葉に、侍女たちは戸惑いながらも従う。

 快適だった。
 ここでは私は大切な公爵令嬢。
 おまけに、「我儘娘」と周知されている様子。
 腫れ物を扱う態度に、大いに満足する。

 ただ、一人だけ――

「……ロザリーヌ様、あまり勝手をされては困ります」
「何が不満なのかしら、トーマ?」
「アレらは、あまり人目に晒していいものではありません」

 白髪交じり、ピシリと整えられた焦げ茶の髪。
 無表情に見下ろす男を見上げる。
 深く刻まれた皺が厳しい。
 
「……あの子らをどうするか。決めるのは所有者である私よ」
「私は、公爵閣下よりこの地の全権を任されております」
「だから?」
「公爵閣下より伝言です。『代官の指示は私の命と心得よ』とのことです」

 男の言葉に鼻白む。
 肩を竦めて答えた。

「いいわ。従ってあげる」
「……よろしくお願いいたします」

 慇懃無礼な返答。
 トーマは深く頭を下げる。
 顔を上げた彼は、表情一つ変えずにその場を後にした。
 その背を黙って見送る。

***

 夜。
 双子を自室に引き込んだ。
 闇に乗じて害されてはたまらない。
 年若い侍女に「扉を開けるな」と厳命する。
 顔色の悪い彼女を残し、部屋を抜け出した。

 向かうのは館の一階奥。
 トーマが代官の執務を行う部屋だ。
 扉の前、ノブを掴むが回らない。
 諦めて、屋敷の外から回り込む。
 部屋履きで土を踏みしめた。
 
 執務室の窓。
 花壇のレンガを拾い上げ、ガラスを割る。
 響く破壊音。
 ガラスの破片を払い除け、窓枠を掴む。
 力を込めて体を持ち上げた。
 窓枠を乗り越え、部屋に滑り込む。

 屋敷の中、慌ただしい気配を感じる。
 ガラスの割れた音が聞こえたのだろう。
 どこかの部屋で人が動き出した。

(急がなくちゃね)

 目的のものがどこにあるか、目星はついている。
 ダミアンの事前調査。
 教えられた棚の、教えられた帳面を引っ張り出す。

 掌に感じる痛み。
 どうやら、ガラスの破片で怪我をしたようだ。
 血で汚れることを気にせず、薄い革張りの帳面を開く。
 月明かりに照らされる文字。
 日付と名前、金額がびっしりと並ぶ。
 書いた者の几帳面さが伝わる細かさ。
 だが、それが今、徒となっている。

 不意に、執務室の扉が開かれた。
 静かに、気配を殺してそこに立つ男。

「……ロザリーヌ様、ここで一体何を」
「あなたの仕事を確認していたの。……でも、どうやらこれは逸脱行為。代官の仕事じゃないみたいね?」

 手にした帳面。
 男――トーマの鋭い視線が捉えた。
 瞬きの間に距離を詰められる。
 手にした帳面を奪われた。

「……部屋のものに勝手に触れないでいただきたい」
「別に、もう確かめたから、それは必要ないわ」
「なにを仰られているのか――」
「領地の商会から受けた賄賂の記録」

 トーマの眉がピクリと動く。
 闇夜を映した目が鋭い光を放つ。

 その視線を受け止め、嗤ってみせる。

「屋号、日付、金額。すべてのあなたの筆跡ね」
「お待ち下さい、ロザリーヌ様。これは領内の取引記録――」
「そう。では、お父様もご存知なのね? 聞いてみようかしら?」

 トーマが、ピタリと口を閉じた。
 その瞳が私の表情を探る。
 それに、ニッと口角を上げて答える。

「勿論、お父様はご存じないわよね? あなたが賄賂の一部を着服していること」

 元々が裏のお金。
 アランは、取引をトーマに一任している。

 アランが忠実な部下の不正を知るのは今から五年後。
 度重なる金銭の要求に耐えきれなかった商会の密告により、発覚する。
 現時点で、帳面にある記録は五年分。
 実に、十年に及ぶ長い間、トーマはアランを欺き続けるのだ。
 忠信の裏での裏切り。
 発覚した時のアランの怒りは相当なもので、所構わず当たり散らした。
 屋敷の空気は最悪。
 マルグリッドやマクシムまでが、息を潜めた生活を強いられた。

(今思えば、最高に笑えるわ……!)

 堪えきれず、喉の奥が震えた。
 一頻り笑って、トーマを見上げる。

 不正がバレた際のアランの裁きは苛烈。
 金で裁判所を動かし、結果、眼の前の男は鞭打ちの後に死罪となる。
 
(そうなることを、この男が予想しなかったはずないのよね……)

 それでもなお、彼が横領に手を染めたのは――

「……歌姫セラフィーナ」
「っ!」

 トーマの顔に如実な変化が現れた。
 無表情だったのが嘘のよう。
 その目に滾る怒りを乗せて睨みつける。

「なぜ、その名を……」
「あら、誤魔化すのはもう止めたの?」
「そこまで知られていては、もう、どうしようもありません」

 油断なく光る目。
 隠しようもない必死さが宿る。

(思った以上に、なのね)

 後の裁判で判明する。
 トーマの横領の理由は、愛人――というかは怪しいところだが――の治療費だ。
 元は王都の劇場に立っていた歌姫。
 アランの愛人だったが、飽きられ、公爵領の下町に放置された。
 恐らく、トーマが世話していたのだろう。
 やがて重い病に倒れた彼女の治療のため、彼は横領に手を染める。

(その証拠を掴んで、脅そうと思っていたけれど……)

 想定以上に愛人に本気らしい男に、方向を転換する。

「ねぇ、トーマ。横領のこと、黙っていてあげましょうか?」
「……代わりに、なにをしろと?」
「話が早いのは助かるわ。大したお願いじゃないの。ただ、私の邪魔をしないでほしいだけ」
「それは、公爵領の全権をあなたに譲れということでしょうか?」

 厳しい表情の男に、「いいえ」と首を振る。

「譲る必要はないわ。でもそうね、私の『お願い』は全て、代官であるあなたが通して」
「それは……」

 「無理だ」と答えずに、男は目線を彷徨わせる。
 逃げ道を探し、私に目を留めた。
 その瞳に不穏な影が浮かぶ。

 私は首を横に振った。

「駄目よ。今更、私をどうこうしたところで、あなたに逃げ道はないわ」

 図星だったのか、トーマは何も答えない。

「仮に私を殺しても、あなたの罪は露見する。そうなるよう、準備をしてきたから」

 はったりに、黙り込むトーマ。
 私が帳面やセラフィーナの存在を知ることが、はったりに真実味を与える。
 そこに、「そもそも」と追い打ちをかけた。

「私を死なせたりしたら、あなた、ただじゃすまないわよ? 事故だろうが病気だろうが、責任をとらされるのはあなただもの」

 理不尽だ。
 理不尽だが、アランならそうする。
 それを知る男の身体が僅かに震えた。

 やがて、押し殺した声がする。

「……承知、いたしました。ロザリーヌ様の望まれるままに」

 膝を折ったトーマに、内心でホッと息をつく。
 安堵を見せぬよう、「良かった」と微笑む。

「これから一緒にやっていくのだもの。お互い、心地よく過ごしたいわ」

 微動だにせぬトーマ。
 そんな彼の横をすり抜け、部屋の扉へ向かう。

「今後については、明日、話しましょう。今日はもう遅いから」

 扉を開けたところで、振り返らぬ男に背に、「そうだ」と声をかける。

「あの子たちの腱を切るのは禁止。あの子たちには、伸び伸び育ってもらわないといけないから」

 トーマが振り向く。
 苦い顔で「承知しました」と呟いた。
 
 満足して頷く。

「トーマ、あなたも早く寝なさい。明日は忙しくなるわ。領の帳簿と領収、出費記録、全て揃えてもらわないといけないから」

 私の言葉に、トーマがぎこちなく頭を下げる。
 それを了承と受け取って、部屋を後にする。

 暗闇の廊下。
 外では、夜風が葉をザワリと鳴らしていた。
 
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