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第一章
1-3
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「……情けない顔」
朝日の中、レジーナは鏡に映る自身の顔に呟いた。一晩泣いたせいで腫れぼったくなった目元は、ただでさえ良くない目付きを更に悪くしている。
「……『ヒール』」
治癒魔法をかけてみるが、やはりあまり効果はなかった。傷ではなく状態異常に近い目の腫れは、通常の治癒魔法では治せない。それこそ、「王国中に蔓延る死の病を祓った」とされる伝説の聖女や、その再来と言われるエリカの治癒でもなければ。
それでも、悪あがきのように治癒魔法を重ね掛けする。悪い意味で人目をひくレジーナは、人前で弱みを晒すのが嫌いだった。この顔で部屋の外には出られない。
「『ヒール』」
二度目の治癒、先程よりはいくらかマシになった気はするが、実際のところは分からない。最後に駄目押しの一回をかけて、それで漸く諦めがついた。結局、厚い化粧で目元を誤魔化してから鏡の前を離れる。
家に帰るため、私物を纏めた鞄を持ち上げたレジーナ。ふと、ある思いが胸をよぎった。
もういっそのこと、このまま逃げ出してしまいたい――
家には帰らず、フォルストの名を捨てて鞄一つで旅に出る。そんな逃避を夢想しながら部屋の扉を開けた。廊下を歩いて階段を降り、玄関ホールへ出たところで、レジーナは待ち構えていた集団に囲まれてしまう。
「あら?レジーナ様、もうご実家へ帰られるのですか?」
悪意ある眼差し、口元に歪んだ笑みを向ける女生徒達の姿に、レジーナは内心でため息をつく。表情を消したレジーナに、少女たちの嘲笑混じりの言葉が投げつけられた。
「今回のことは非常に残念でしたわね?、でも、まぁ、致し方なかったと思いますわ」
「ええ。リオネル様も酷なことをなさいますが、お気持ちは良くわかりますもの」
「プライセルとフォルストではそもそもの釣り合いが、ねぇ……?」
現在の王国で最も権勢を誇るプライセル侯爵家、その次期当主であり、眉目秀麗なリオネルの妻の座を狙うものは多い。彼の婚約者だったレジーナは、彼女達から随分と妬まれ、ことあるごとに嫌がらせを受けて来た。が、それももう過去のこと。
「どいてくださる?」
「まぁ、レジーナ様ったら、そんなにお急ぎにならなくても」
「私たちは少しでもレジーナ様の御心をお慰めしたいと考えていますのよ?」
さっさとこの場を去りたいレジーナを、女生徒達はそうはさせまいと取り囲む。レジーナがリオネルの婚約者の座を追い落とされたことがよほど嬉しいらしく、彼女達の顔には、隠しようもない愉悦が浮かんでいた。
「レジーナ様は今後どうなさるおつもりなのですか?」
「あら、私もそれはお伺いしたいわ!今後、レジーナ様にお目にかかる機会はあるのかしら?」
「そうね。もう二度と社交の場でお会いすることは無いかもしれませんもの」
そう言ってクスクスと笑い合う彼女達が疎ましく、レジーナは今度は大きくはっきりとため息をついた。
「私がどこでどうしようが、それが貴女達に何か関係があるの?」
「なっ!?」
煩わしいと言わんばかりのレジーナの態度。眉間に浅い皺を刻んだ彼女の赤い瞳が、不快げに細められた。
「今回の件は、プライセル侯爵家とフォルストの新たな取り決めによるもの。私はそれに従うだけよ。貴女達には全く関係の無いことでしょう?」
囀りたければ、好きなだけ囀ずっていればいい。向けられる悪意に屈するつもりも、傷つけられるつもりもなかった。毅然と前を向くレジーナの「そこをどいて」という言葉に、女生徒達の顔が怒りに歪む。
「フォルスト風情が生意気な!」
「成り上がりのくせに!身分を弁えたらどうなの!」
結局、家の名をもってしか人を貶められない彼女達に、レジーナは笑う。
「フォルストは先々代より伯爵位を賜っているわ」
言って、この場では自分より身分の低い者達に氷の視線を向ける。
「……弁えるべきは、一体、どちらなのかしら?」
「っ!」
怒りか、羞恥か。顔を赤く染める女生徒達を見回して、レジーナは歩き出す。今度は阻まれることなく集団を抜け出したところで、背後から、呪詛のような低い呟きが聞こえた。
「……リオネル様に棄てられたくせに」
思わず振り返ったレジーナ。その視線の先で、リオネルに執着していた女生徒の一人が歪な笑みを浮かべていた。
「平民風情に婚約者を奪われるなんて、なんて憐れなの!しかもあんな!治癒魔法しか取り柄の無い、みすぼらしい女に奪われるなんて!」
激昂したようにそう口にする彼女の言葉は、レジーナだけでなく、エリカへの悪意に満ちていた。「平民風情」、彼女が口にした言葉は、その平民風情を選んだリオネルをも貶めるものだと、なぜ気づかないのだろう。憐れなのはレジーナだけではない。結局、この場に居る誰も、リオネルには選ばれなかったのだから。
言い争う無意味さにレジーナがため息をついた時、不意に、玄関扉が外から開かれた。開いた扉から中へと入って来たのは五人の男女。この一年ですっかり見慣れてしまった彼らの内から、一歩前へ出た長身の男性、リオネルが口を開いた。
「……これは、何の騒ぎだ?」
レジーナと対峙する女生徒達の姿に何かを感じたらしいリオネルが、僅かに眉をひそめる。レジーナは、この場で最も身分高い者、フリッツに向かい軽く膝を折って頭を下げた。
「寮を退出するところでした。彼女達とは別れの挨拶を……」
「……そうなのか?」
レジーナが適当に口にした言葉に、リオネルが女生徒達を見回す。疑心に満ちたリオネルの眼差し、それに反応した女生徒達が次々に声を上げた。
「レ、レジーナ様の仰る通りです!」
「はい!別れを、お別れの言葉を贈らせていただきました」
落ち着かなげにそう口にする彼女達も、先程までの自分たちの発言の危うさは理解しているのだろう。言い訳を連ねるとそそくさとその場を後にし始めた。彼女達の背中を黙って見送り、その姿が見えなくなったところで、リオネルが再び口を開く。
「レジーナ、君をフォルストの屋敷まで送る」
堅い表情のまま告げられた言葉に、レジーナは暫し逡巡する。リオネル一人ならともかく、彼らが集団で押し掛けて来た理由はなんだろう。
「……結構です。屋敷へは一人で帰ります」
不穏を感じてリオネルを拒絶したレジーナに、リオネルの表情が険しくなる。
「レジーナ、これは提案ではない。命令なんだ」
(命令……?私をフォルストに連れ帰ることが?)
一体誰が、何の目的でそんなものを出したのか。内心の戸惑いと不安を押し隠して無表情を貫くレジーナに、横からフリッツが口を開いた。
「ここでお前に逃げられると困るからな」
「……仰る意味が分かりません。なぜ、私が逃げる必要が?」
レジーナの問いに、フリッツがフンと鼻を鳴らした。
「お前に、エリカに対する殺人未遂の容疑がかけられている。……このまま逃げおおせるとでも思っていたか?」
(殺人未遂……)
言われた言葉の意味が一瞬理解できなかったレジーナだが、直ぐにそれが、ひと月前の出来事、レジーナのせいだとされている事故を指すのだと気づいた。レジーナの胸に不安が押し寄せる。声が震えぬよう、短く言葉を紡いだ。
「……私は、何もしておりません」
「ハッ!今更、言い逃れするつもりか?」
そう吐き捨てたフリッツが、憎悪の眼差しをレジーナへと向ける。
「ふざけるな!お前がエリカを階段から突き落とす瞬間をシリルが見ている!俺やアロイスも、あの場にお前が居たのを見てんだよ!」
怒りを爆発させたフリッツに、詮無いこととは分かっていても、レジーナは自身の無実を主張した。
「何度も申し上げましたが、あれは彼女の手を振り払っただけです。彼女に手を掴まれて、驚いてしまって……」
「そんな主張が本気で通ると思ってんのか?まぁ、いい。お前の罪はこれからきっちり、王国法で裁かれる」
だから、ここで逃がすわけにはいかないというフリッツの言葉に、レジーナの胸の内にヒタヒタと恐怖が押し寄せる。
(もう、駄目なのかも……)
このまま家に連れ帰られれば、そのまま蟄居、法による裁きを受けるまでは、家に留め置かれ続けるのだろう。その法による裁きも、果たして公正な裁判が受けられるかどうか。
(きっと無理、よね……)
自身の生家ではあるが、フォルスト家がレジーナとエリカのどちらを選ぶかなど、考えずともわかる。両親は、「無能」の烙印を押された私ではなく、聖女の再来であるエリカを選ぶ。そう断言できるほどに、レジーナと彼らの関係は希薄だった。彼らがレジーナを見限ったように、レジーナももはや両親には何の期待もしていない。
(本当に、さっさと逃げ出していれば良かった……!)
悔しさと腹立たしさに、レジーナは拳を握りしめた。
「レジーナ様は、僕が送るよ」
「っ!」
不意に聞こえた声に、レジーナは声の主に視線を向ける。視線を向けた先、この場にあっては不自然なほどに穏やかに笑う男がこちらを見ていた。
怖い――
込み上げる恐怖に、レジーナの身体が小さく震えた。男、シリルが近づいて来る。その手がレジーナへと伸ばされた。
「彼女が変な気を起こす前に、僕が転移で送ってしまえばいいんでしょう?」
「嫌よ!」
拒絶の言葉が口をつく。延ばされた手を反射的に払った。シリルが変わらぬ笑みのまま、小首をかしげて見せる。
「平民には、触れられるのも嫌?でも、ごめんね。転移には必要だから」
そう言ってシリルは、問答無用でレジーナの腕を掴んだ。その細い身体のどこにそんな力があるのか。強い力で掴まれて、レジーナは逃げ出すことが出来ない。男に無遠慮に触れられる恐怖と嫌悪。吐き気を催したレジーナの耳が、シリルとエリカの会話を拾う。
「エリカ、君も一緒においでよ。ついでに送るよ?」
「いいの?シリル君?」
「うん。二人なら連れていけるから。あっちで、リオネル達を待てばいい。その方が早いでしょ?」
そう言ったシリルが、詠唱も無しに転移陣を起動した。シリルを中心に、レジーナとエリカの足元まで広がる魔法陣。淡く発光し出したその光が徐々にレジーナ達を包み込んでいく。
(嫌。嫌だ。なにコレ……!怖い!)
レジーナは自身の内に流れ込んで来るものに怯えていた。悍ましい何か、ドロドロとした汚泥のようなものが、たった一つの小さな光を飲み込もうとしているヴィジョン。その奥に、今にも破裂しそうな喜悦が膨らむのを感じて、レジーナは自身の腕を掴んだままのシリルを見上げた。
穏やかに笑うシリルは、その視線の先に何かを見ている。彼の視線の先を追えば、目に飛び込んで来たのはエリカの右手。薬指にはまる指輪が魔力の光を放っている。
咄嗟に、指輪に手を伸ばした。
「っ!外してっ!」
「キャァア!レジーナ様!?なに、一体、なにを!?」
シリルに掴まれていない左手を伸ばし、エリカの手を掴もうとしたが、悲鳴を上げたエリカに避けられてしまう。それでも、レジーナは必死に手を伸ばし、エリカの腕を掴んだ。掴んだ腕をエリカの目の前に掲げる。
「外して!この指輪を!早くっ!」
「い、いや。止めてください、レジーナ様……!」
「っ!」
レジーナの鬼気迫る勢いに怯えるエリカ。切羽詰まったレジーナは、発光する指輪に自身の魔力を流し込んだ。そのまま、破壊を試みようとしたが――
「レジーナ!何をしている、止めろ!」
「貴様!この期に及んで、エリカを害するつもりかっ!?」
リオネルの制止の声。フリッツの怒号。それから、シリルに掴まれたままのレジーナの腕が強く引かれた。
「……レジーナ様、ちょっと大人しくしててくれないかな?」
魔法陣を作動させながら、シリルがレジーナの腕をギリとねじり上げた。腕に走った痛みに悲鳴を上げかけたレジーナは、けれど、エリカの腕は離さなかった。
不意に、レジーナは酷く冷めた女の声を聞いた。
――馬鹿な女。何がしたいのかしら?こんなことで逃げられるとでも思っているの?
「っ!」
聞こえた声に、レジーナは目の前のエリカを見つめる。怯え切った顔で、震えながらこちらを見つめるエリカ。引き結ばれたその唇の端が僅かに上がった気がした。
――惨めな姿、最高に笑えるわ。もっと醜態をさらしなさいよ。
愉悦に満ちた言葉に、エリカの腕を掴むレジーナの力が緩みかけた。瞬間、ピシリと聞こえた音、目の前の指輪に亀裂が入ったと思う間もなく――
「キャァアアッ!」
エリカの指輪が、目を開けていられないほどの閃光を放った。膨張する魔力に、転移陣の外に居た男たちの怒号が響く。
「エリカッ!?」
「クソッ!何だこれはっ!?」
「フリッツ、離れろ!危険だ!」
膨張し続ける魔力、光の渦が魔方陣を越えていく。突然に、レジーナは浮遊感を感じた。
(まさか、転移!?)
この状況で発動したのか、転移魔法独特の浮遊感にレジーナは身構える。一度浮いたかのように思えた身体は、直ぐに、「落下」し始めた。けれど、常なら直ぐに終わるはずのその感覚が止まらない。深く、深く、地の底まで落ちていくような感覚にレジーナは眩暈を覚える。閉じたままの瞼の裏、眩い光が突如として消えたのを感じながら、レジーナは意識を手放した。
朝日の中、レジーナは鏡に映る自身の顔に呟いた。一晩泣いたせいで腫れぼったくなった目元は、ただでさえ良くない目付きを更に悪くしている。
「……『ヒール』」
治癒魔法をかけてみるが、やはりあまり効果はなかった。傷ではなく状態異常に近い目の腫れは、通常の治癒魔法では治せない。それこそ、「王国中に蔓延る死の病を祓った」とされる伝説の聖女や、その再来と言われるエリカの治癒でもなければ。
それでも、悪あがきのように治癒魔法を重ね掛けする。悪い意味で人目をひくレジーナは、人前で弱みを晒すのが嫌いだった。この顔で部屋の外には出られない。
「『ヒール』」
二度目の治癒、先程よりはいくらかマシになった気はするが、実際のところは分からない。最後に駄目押しの一回をかけて、それで漸く諦めがついた。結局、厚い化粧で目元を誤魔化してから鏡の前を離れる。
家に帰るため、私物を纏めた鞄を持ち上げたレジーナ。ふと、ある思いが胸をよぎった。
もういっそのこと、このまま逃げ出してしまいたい――
家には帰らず、フォルストの名を捨てて鞄一つで旅に出る。そんな逃避を夢想しながら部屋の扉を開けた。廊下を歩いて階段を降り、玄関ホールへ出たところで、レジーナは待ち構えていた集団に囲まれてしまう。
「あら?レジーナ様、もうご実家へ帰られるのですか?」
悪意ある眼差し、口元に歪んだ笑みを向ける女生徒達の姿に、レジーナは内心でため息をつく。表情を消したレジーナに、少女たちの嘲笑混じりの言葉が投げつけられた。
「今回のことは非常に残念でしたわね?、でも、まぁ、致し方なかったと思いますわ」
「ええ。リオネル様も酷なことをなさいますが、お気持ちは良くわかりますもの」
「プライセルとフォルストではそもそもの釣り合いが、ねぇ……?」
現在の王国で最も権勢を誇るプライセル侯爵家、その次期当主であり、眉目秀麗なリオネルの妻の座を狙うものは多い。彼の婚約者だったレジーナは、彼女達から随分と妬まれ、ことあるごとに嫌がらせを受けて来た。が、それももう過去のこと。
「どいてくださる?」
「まぁ、レジーナ様ったら、そんなにお急ぎにならなくても」
「私たちは少しでもレジーナ様の御心をお慰めしたいと考えていますのよ?」
さっさとこの場を去りたいレジーナを、女生徒達はそうはさせまいと取り囲む。レジーナがリオネルの婚約者の座を追い落とされたことがよほど嬉しいらしく、彼女達の顔には、隠しようもない愉悦が浮かんでいた。
「レジーナ様は今後どうなさるおつもりなのですか?」
「あら、私もそれはお伺いしたいわ!今後、レジーナ様にお目にかかる機会はあるのかしら?」
「そうね。もう二度と社交の場でお会いすることは無いかもしれませんもの」
そう言ってクスクスと笑い合う彼女達が疎ましく、レジーナは今度は大きくはっきりとため息をついた。
「私がどこでどうしようが、それが貴女達に何か関係があるの?」
「なっ!?」
煩わしいと言わんばかりのレジーナの態度。眉間に浅い皺を刻んだ彼女の赤い瞳が、不快げに細められた。
「今回の件は、プライセル侯爵家とフォルストの新たな取り決めによるもの。私はそれに従うだけよ。貴女達には全く関係の無いことでしょう?」
囀りたければ、好きなだけ囀ずっていればいい。向けられる悪意に屈するつもりも、傷つけられるつもりもなかった。毅然と前を向くレジーナの「そこをどいて」という言葉に、女生徒達の顔が怒りに歪む。
「フォルスト風情が生意気な!」
「成り上がりのくせに!身分を弁えたらどうなの!」
結局、家の名をもってしか人を貶められない彼女達に、レジーナは笑う。
「フォルストは先々代より伯爵位を賜っているわ」
言って、この場では自分より身分の低い者達に氷の視線を向ける。
「……弁えるべきは、一体、どちらなのかしら?」
「っ!」
怒りか、羞恥か。顔を赤く染める女生徒達を見回して、レジーナは歩き出す。今度は阻まれることなく集団を抜け出したところで、背後から、呪詛のような低い呟きが聞こえた。
「……リオネル様に棄てられたくせに」
思わず振り返ったレジーナ。その視線の先で、リオネルに執着していた女生徒の一人が歪な笑みを浮かべていた。
「平民風情に婚約者を奪われるなんて、なんて憐れなの!しかもあんな!治癒魔法しか取り柄の無い、みすぼらしい女に奪われるなんて!」
激昂したようにそう口にする彼女の言葉は、レジーナだけでなく、エリカへの悪意に満ちていた。「平民風情」、彼女が口にした言葉は、その平民風情を選んだリオネルをも貶めるものだと、なぜ気づかないのだろう。憐れなのはレジーナだけではない。結局、この場に居る誰も、リオネルには選ばれなかったのだから。
言い争う無意味さにレジーナがため息をついた時、不意に、玄関扉が外から開かれた。開いた扉から中へと入って来たのは五人の男女。この一年ですっかり見慣れてしまった彼らの内から、一歩前へ出た長身の男性、リオネルが口を開いた。
「……これは、何の騒ぎだ?」
レジーナと対峙する女生徒達の姿に何かを感じたらしいリオネルが、僅かに眉をひそめる。レジーナは、この場で最も身分高い者、フリッツに向かい軽く膝を折って頭を下げた。
「寮を退出するところでした。彼女達とは別れの挨拶を……」
「……そうなのか?」
レジーナが適当に口にした言葉に、リオネルが女生徒達を見回す。疑心に満ちたリオネルの眼差し、それに反応した女生徒達が次々に声を上げた。
「レ、レジーナ様の仰る通りです!」
「はい!別れを、お別れの言葉を贈らせていただきました」
落ち着かなげにそう口にする彼女達も、先程までの自分たちの発言の危うさは理解しているのだろう。言い訳を連ねるとそそくさとその場を後にし始めた。彼女達の背中を黙って見送り、その姿が見えなくなったところで、リオネルが再び口を開く。
「レジーナ、君をフォルストの屋敷まで送る」
堅い表情のまま告げられた言葉に、レジーナは暫し逡巡する。リオネル一人ならともかく、彼らが集団で押し掛けて来た理由はなんだろう。
「……結構です。屋敷へは一人で帰ります」
不穏を感じてリオネルを拒絶したレジーナに、リオネルの表情が険しくなる。
「レジーナ、これは提案ではない。命令なんだ」
(命令……?私をフォルストに連れ帰ることが?)
一体誰が、何の目的でそんなものを出したのか。内心の戸惑いと不安を押し隠して無表情を貫くレジーナに、横からフリッツが口を開いた。
「ここでお前に逃げられると困るからな」
「……仰る意味が分かりません。なぜ、私が逃げる必要が?」
レジーナの問いに、フリッツがフンと鼻を鳴らした。
「お前に、エリカに対する殺人未遂の容疑がかけられている。……このまま逃げおおせるとでも思っていたか?」
(殺人未遂……)
言われた言葉の意味が一瞬理解できなかったレジーナだが、直ぐにそれが、ひと月前の出来事、レジーナのせいだとされている事故を指すのだと気づいた。レジーナの胸に不安が押し寄せる。声が震えぬよう、短く言葉を紡いだ。
「……私は、何もしておりません」
「ハッ!今更、言い逃れするつもりか?」
そう吐き捨てたフリッツが、憎悪の眼差しをレジーナへと向ける。
「ふざけるな!お前がエリカを階段から突き落とす瞬間をシリルが見ている!俺やアロイスも、あの場にお前が居たのを見てんだよ!」
怒りを爆発させたフリッツに、詮無いこととは分かっていても、レジーナは自身の無実を主張した。
「何度も申し上げましたが、あれは彼女の手を振り払っただけです。彼女に手を掴まれて、驚いてしまって……」
「そんな主張が本気で通ると思ってんのか?まぁ、いい。お前の罪はこれからきっちり、王国法で裁かれる」
だから、ここで逃がすわけにはいかないというフリッツの言葉に、レジーナの胸の内にヒタヒタと恐怖が押し寄せる。
(もう、駄目なのかも……)
このまま家に連れ帰られれば、そのまま蟄居、法による裁きを受けるまでは、家に留め置かれ続けるのだろう。その法による裁きも、果たして公正な裁判が受けられるかどうか。
(きっと無理、よね……)
自身の生家ではあるが、フォルスト家がレジーナとエリカのどちらを選ぶかなど、考えずともわかる。両親は、「無能」の烙印を押された私ではなく、聖女の再来であるエリカを選ぶ。そう断言できるほどに、レジーナと彼らの関係は希薄だった。彼らがレジーナを見限ったように、レジーナももはや両親には何の期待もしていない。
(本当に、さっさと逃げ出していれば良かった……!)
悔しさと腹立たしさに、レジーナは拳を握りしめた。
「レジーナ様は、僕が送るよ」
「っ!」
不意に聞こえた声に、レジーナは声の主に視線を向ける。視線を向けた先、この場にあっては不自然なほどに穏やかに笑う男がこちらを見ていた。
怖い――
込み上げる恐怖に、レジーナの身体が小さく震えた。男、シリルが近づいて来る。その手がレジーナへと伸ばされた。
「彼女が変な気を起こす前に、僕が転移で送ってしまえばいいんでしょう?」
「嫌よ!」
拒絶の言葉が口をつく。延ばされた手を反射的に払った。シリルが変わらぬ笑みのまま、小首をかしげて見せる。
「平民には、触れられるのも嫌?でも、ごめんね。転移には必要だから」
そう言ってシリルは、問答無用でレジーナの腕を掴んだ。その細い身体のどこにそんな力があるのか。強い力で掴まれて、レジーナは逃げ出すことが出来ない。男に無遠慮に触れられる恐怖と嫌悪。吐き気を催したレジーナの耳が、シリルとエリカの会話を拾う。
「エリカ、君も一緒においでよ。ついでに送るよ?」
「いいの?シリル君?」
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(嫌。嫌だ。なにコレ……!怖い!)
レジーナは自身の内に流れ込んで来るものに怯えていた。悍ましい何か、ドロドロとした汚泥のようなものが、たった一つの小さな光を飲み込もうとしているヴィジョン。その奥に、今にも破裂しそうな喜悦が膨らむのを感じて、レジーナは自身の腕を掴んだままのシリルを見上げた。
穏やかに笑うシリルは、その視線の先に何かを見ている。彼の視線の先を追えば、目に飛び込んで来たのはエリカの右手。薬指にはまる指輪が魔力の光を放っている。
咄嗟に、指輪に手を伸ばした。
「っ!外してっ!」
「キャァア!レジーナ様!?なに、一体、なにを!?」
シリルに掴まれていない左手を伸ばし、エリカの手を掴もうとしたが、悲鳴を上げたエリカに避けられてしまう。それでも、レジーナは必死に手を伸ばし、エリカの腕を掴んだ。掴んだ腕をエリカの目の前に掲げる。
「外して!この指輪を!早くっ!」
「い、いや。止めてください、レジーナ様……!」
「っ!」
レジーナの鬼気迫る勢いに怯えるエリカ。切羽詰まったレジーナは、発光する指輪に自身の魔力を流し込んだ。そのまま、破壊を試みようとしたが――
「レジーナ!何をしている、止めろ!」
「貴様!この期に及んで、エリカを害するつもりかっ!?」
リオネルの制止の声。フリッツの怒号。それから、シリルに掴まれたままのレジーナの腕が強く引かれた。
「……レジーナ様、ちょっと大人しくしててくれないかな?」
魔法陣を作動させながら、シリルがレジーナの腕をギリとねじり上げた。腕に走った痛みに悲鳴を上げかけたレジーナは、けれど、エリカの腕は離さなかった。
不意に、レジーナは酷く冷めた女の声を聞いた。
――馬鹿な女。何がしたいのかしら?こんなことで逃げられるとでも思っているの?
「っ!」
聞こえた声に、レジーナは目の前のエリカを見つめる。怯え切った顔で、震えながらこちらを見つめるエリカ。引き結ばれたその唇の端が僅かに上がった気がした。
――惨めな姿、最高に笑えるわ。もっと醜態をさらしなさいよ。
愉悦に満ちた言葉に、エリカの腕を掴むレジーナの力が緩みかけた。瞬間、ピシリと聞こえた音、目の前の指輪に亀裂が入ったと思う間もなく――
「キャァアアッ!」
エリカの指輪が、目を開けていられないほどの閃光を放った。膨張する魔力に、転移陣の外に居た男たちの怒号が響く。
「エリカッ!?」
「クソッ!何だこれはっ!?」
「フリッツ、離れろ!危険だ!」
膨張し続ける魔力、光の渦が魔方陣を越えていく。突然に、レジーナは浮遊感を感じた。
(まさか、転移!?)
この状況で発動したのか、転移魔法独特の浮遊感にレジーナは身構える。一度浮いたかのように思えた身体は、直ぐに、「落下」し始めた。けれど、常なら直ぐに終わるはずのその感覚が止まらない。深く、深く、地の底まで落ちていくような感覚にレジーナは眩暈を覚える。閉じたままの瞼の裏、眩い光が突如として消えたのを感じながら、レジーナは意識を手放した。
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